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一章

少女の出自

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 そびえ立つ教会の鐘塔の横に隣接する、こぢんまりとした石造りの古めかしい建物。

 それがわたしたちの暮らしていた家であり、この村唯一の孤児院だ。
 大分年季の入った一軒家ではあるが、細かく修繕を繰り返しているため、ところどころパーツが新しいつぎはぎ建築物となっている。

 今現在の入居者は、シスターと子どもたちをいれて、総て8人。
 人数にしては少々手狭ではある。
 だがそれでもわたしたちにとっては大事な我が家であり、独り立ちした者たちが帰ってくる故郷なのだ。


 ──そして、本日。
 晴れて別れを告げるはずだったこの家に、わたしはなぜかさっそく出戻りしているわけである。


 先程トニオという客人が突然の来訪を果たしたその後。

「いったん家の中でお話ししましょう?」とのシスターの提案に従い、わたしは今こうして、テーブルを挟んで客人と顔を突き合わせている最中だ。

 しばらくの沈黙。
 客間の古時計がこちこちと時を刻む。
 興味深げに部屋の中を眺めていた彼は、やがてにこりとこちらに向かって微笑んだ。

「それでは、ニナ様」
「あ、は、はいっ」

 びくりと身を縮め、反射的に背筋を伸ばす。
 生まれてこの方、こんな重要そうな場面に立ち会ったことなどないし、焦るのも仕方ないと思ってほしい。

 そんなわたしの張り詰めた様子が伝わったのか、「そう緊張なさらず」と彼は柔和に笑いかけた。

「ではあらためて、自己紹介を。わたくしは、トニオ・ロートマンと申します。これまで、我が主、アイリス・プライオリア様の身の回りの雑務を任せていただいておりました」
「アイリス……?プライオリア……?」

 うーん、と思わず首を捻る。
 頭の片隅に引っかかっているところをみると、どこかで聞いたことのある名前なのかもしれない。
 今すぐ引っ張り出したいところだが、あいにく奥の方に挟まって容易にはとれそうもない位置だ。
 必死になってた悩んでもそのうちどうでも良くなるやつである。

 だが、そんな半ば諦め気味のわたしの背後。
 いそいそとすり足でお茶を運んできたシスターが、その名前を耳にしたとたん、飛び上がらんばかりの大声を上げた。

「ア、アイリス・プライオリア様って、まさか……、あのアイリス様ですか!?」

 ティーカップを吹き飛ばしそうな勢いでのけ反るシスターに、トニオは静かに微笑み、頷いた。

「はい。おそらく、ご想像の通りでございます」
「ひ、ひぇえ……」

 ひとしきり驚いたあとに、シスターはちらりとこちらに視線を向ける。
 いやそんな、当然知ってるよね、みたいに見られても困るのだが。

「なるほどなるほど、あのアイリス様ね……」

 ふう、とわたしは大きく一つ息をつき、

「ごめん、誰?」
「ニナちゃん……」

 シスターの冷め切った視線が痛い。
 彼女は、はぁ、と盛大に肩を落とした後、ぴんと勢いよく人差し指を立てる。

「ちゃんと歴史のお勉強したでしょ!15年前に魔族との大戦を終わらせたっていう無血の英雄、アイリス様よ!」
「あ、あー!なるほど」

 言われてみれば、シスターの授業で聞いた覚えがある。
 たしか何十年も続いていた人間族と魔族の対立を終わらせ、両勢力の間に国交の礎を築いた立役者だ。

 総力をあげた最終決戦も間近と噂されていた状況の中。
 降ってわいたような突然の和睦に、市井は大いに戸惑ったらしい。
 だが同時に長きにわたる争いに疲れ果てていた人々は、この結末を好意的に受け止め──、いつしか立役者である彼女は、無血の英雄と呼ばれるようになったのだという。

 シスターは、「まったく、ニナちゃんは……」と大きくため息をついた。

「すいません、トニオさん。凄く凄く良い子なんですけど、ちょっとその、頭の出来が粗末で……」
「シスターひどいっ!」
「いえいえ。さすがアイリス様のご息女ですな。そのようなところもとてもよく似ていらっしゃる」
「いやそれアイリスさんの株も下がってない……?……ん、というか、……ご息女?」

 ご息女?
 娘ということか?
 ええと、つまり……。どういうことだ?

 混乱するわたしの目の前で、トニオは「お察しの通りです」と、すっきりと明瞭にその言葉を続けた。

「わたくしは、アイリス様──、ニナ様のお母様の代理で参りました。あなた様は間違いなく、あの方のご子息です」

 一瞬の静寂があたりを支配し、空気がぴたりと静止する。
 まるで石化の魔法でも使われてしまったかのように動きを止める二人。
 その後──、

「「 ええええぇっ!? 」」

 静かだった客間を貫く二人分の絶叫が響き渡ったのだった。


***************
 

「ちょっとシスター、さっきのってどういうことなの……」
「わたしだって知らなかったもん。ニナちゃんを教会前で拾ったときには、お母さんの姿なんて見えなかったし……」

 ひそひそと話し合う二人の声を聞いてか聞かずか、トニオは出された紅茶を優雅にすすると、ちょっと申し訳なさそうにこちらに声をかけてきた。

「すみませんが、こちらの書類に目を通していただき、サインをいただいてもよろしいですかな?」
「あ、ああ、サインね、サイン……。はい、これでいい?」

 少しは文面も目を通した方が良いかと思いますが、とトニオは苦笑しながらも書類を受け取った。

「なにはともあれ、ありがとうございます。ようやく肩の荷が降りました」
 
 彼は満足そうに大きく頷き、ストンと背もたれに体を預ける。
 ほとんど手がかりのない状態からわたしを探し当てたと言っていたし、当人を見つけたときの喜びもひとしおだったのだろう。

 彼にとっては主人から承った最後の仕事だ。
 なしとげられないなど考えたくもなかっただろうし、その心労も察せられるというものだ。

 まあ、くだんのアイリス様が事前に詳しい説明でもしておけば、彼がこんなに苦労することはなかったはずなのだけれど。
 何かそれができない事情でもあったのか、それとも単に彼女の性格によるものだったのか──。

「それではこちらのスクロールをどうぞ。アイリス様からの遺書──という言い方も無粋ですな。お母上からあなた様へのお手紙です。相続関係の諸々はそちらに記載してあると伺っております」
「おぉ……、これがごせんま…じゃなかった、ええと……、見知らぬお母様、ありがとうございます」

 仰々しく両手を構えて頂戴する。
 ふと何気なくシスターの方を流しみると、彼女の複雑そうな表情が目に入った。

 心配性な彼女のことだ。
 突然会ったこともない母のことを聞かされ、さらにその遺書を受け取ったという事実。
 おそらくそのことに、彼女なりの気を遣ってくれているのだと思う。

 わたしは小さく肩をすくめ、彼女に苦笑いを向けた。

「いや正直、全然実感わかないんだよね。顔も知らないし、声すら聞いたこともないしさ」

 普通に考えれば、知り合いという段階にすら達していないのである。

「それに──、わたしにとってお母さんっていったら、今も昔もシスターのことだし」
「ニナちゃんっ……、……ちょっと泣いていい?」
「ダメっ」

 うるうると瞳をうるませ始めたシスターに、わたしは慌てて言葉を繋ぐ。

「だから、わたしのことは気にしないでいいから。そんな辛気臭い顔しないでよ?ぱーっと笑顔で1000万のこと考えよう!」
「それはそれでちょっと現金すぎない……?」

 ますます複雑そうな表情になってしまったシスターである。
 そんなわたしたちのやりとりを聞いていたのか、トニオは、少しの間を置いた後、おほんと咳払いを一つし、口を開いた。

「野暮なことかもしれませんが……、アイリス様のお顔とお声、こちらのスクロールでご確認できると思いますよ」
「……え?ほんと?」
「ええ。詳しい中身の内容までは存じ上げませんが、こちらは投影魔術のかかった書面です。おそらく、生前の彼女の姿と肉声を記録したものかと」

 投影魔術──。
 耳の端に聞いたことはある。
 主に書物にかける魔術で、画像や動画を埋め込むことができるという優れものだ。
 便利な分、長期保存には大量の魔力が必要らしい。
 わたし自身の魔術の素養はからきしだったので、そんな大それた魔術は行使できないが、魔力の強いエルフや魔族の間では稀に扱われているもののようである。

「そうなんだ。どんな人だったのかちょっと気になってきたかも……。やっぱり美人なのかな?ふふ、娘のわたしと比べてどっちが可愛いかな?」
「ははは。まあ……、その、頑張ってください。ニナ様のご健闘をお祈りしておりますよ」
「なんか既に敗北を感じるんだけど!?」

 ていうかそんなに美人なのかよ。
 わ、わたしだって顔は並以上はある、……と、思う。…体はその、知らんけど。

 複雑な心境のわたしに微笑みながら、トニオはカップに残った紅茶を一飲みし、ゆっくりと席から立ち上がる。

「それでは、無事に用件もこなせましたし、わたくしはこの辺でお暇させていただきます」
「あら、もう少しゆっくりしていってもいいですよ?」
「いえ、シスター。おかまいなく。見知らぬ爺が長居すれば、子どもたちも気が休まらないでしょう」

 彼は薄手のコートを羽織り、カバンを手にする。
 わたしはあらためて向き直ると、彼に礼を告げた。

「わざわざ来てくれてありがとう、トニオさん」
「いえ。わたくしも仕事ですので」
「それにしても1000万か……、何に使おうかなぁ」

 美味しい食べ物か、綺麗な服か。孤児院の子たちやシスターにもプレゼントとか買ってあげたいし……。
 どうせ使いきれないほどの額だ。
 今まで世話になった分、この場所に還元してあげたい。

 次々と流星群のように脳内をよぎっていく欲望たち。
 本来なら喪に服すべきなのだろうが、まあしんみりするのは母のご尊顔を拝見してからでも遅くはないだろう。
 
 そんなわたしの内情を知ってか知らずか、トニオは思い出したように頷き、少し苦笑いしつつ顎をなでる。

「ああ、それと。アイリス様は生前、大変お茶目というか、一筋縄ではいかない方でして……」

 なんだろう突然。
 彼のその表情は、期待と哀れみが4対6くらいの比率で混じり合った複雑な表情であった。

「おそらくですが、そのスクロール……、いろいろと広い心を持ってから、拝読するのがよろしいかと思いますよ?」
「……へ?それってどういう……」
「それはあなたのお母様から直接伺うとよろしいかと」

 意味深な言葉を残し、「それでは、またご縁がありましたら」とトニオはあっさりと去っていった。

 いったい、何だというのだろう。
 わたしは手の中に握りしめたスクロールに目をやり、小首を傾げたのだった。
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