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一章

少女の旅と小走りの猫

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「うーん、良い朝だ!」

 わたしはいつもの朝と同じく、窓際で大きく伸びをする。

 窓辺から差し込む光。
 部屋の空気をきらきらと反射し、世界に色をつけていく。
 小鳥の鳴き声が大通りの両脇にこだまし、晴天の朝空に吸い込まれていった。

 ちなみに、昨日の一件は、ロマさんたちが見事に片をつけてくれた。
 あの大男は、店の裏手に連れて行かれた後、しばらくしてボコボコになった顔で、泣き腫らしながらわたしたちに謝罪に来た。
 何があったのか一応聞いてみたが、ロマさんもルゥドゥルさんも静かに微笑むだけだった。
 ……今後とも、彼女たちだけは絶対に怒らせないようにしよう。


 わたしは窓を全開にし、大きく一つ深呼吸。
 瞳に飛び込んでくるきらきらとした朝靄の風景。
 新鮮な空気が肺を丸洗いしていくようで、とても心地よい。
 やはりこの習慣だけはやめられないなと思う。

 わたしはひとしきり深呼吸を繰り返すと、くるりと窓から部屋の方へと振り返った。
 つかつかとベッドの脇へ向かう。

 そしておもむろに、ソファの脇でぷらぷら揺れている、猫耳少女のしっぽをぎゅっと握りしめた。

「んに゛ゃぁん!??」

「おはよ、リーシャ!いい朝だね!」
「最悪の朝です!」

 毛を逆立て、尻尾をガードしつつ後ずさるリーシャ。
 彼女をどうどうとなだめつつ、わたしは制服へと着替える。
 このメイド服も着慣れてみればそう悪くない。
 生地もいいし、お洒落だし。何より目の前の猫耳少女の着こなしを見るのがじつに眼福である。

 
 さて。
 服を着替え終わり、彼女のほうをちらりと眺める。
 すると、昨日はストレッチのような動きで着こなしを確認していた猫耳少女が、今日はその場に固まっていた。

「……?どうしたの、リーシャ。さっきからぼーっとして」
「いえ……」

 メイド服に着替え終わったリーシャは、首元に手を当てて微妙な顔をしている。

 なんだろう。喉でも痛いのかな?

 ともあれ、様子を見るに、風邪とかではなさそうである。
 彼女はしばらくその態勢のまま、じっと固まっていた。
 その後、うん、と小さく頷くと、部屋の隅のテーブルへと向かう。

 傷の目立つ、年代物の小さな丸テーブル。
 彼女はそこに置いてあった『首輪』を、


 ──おもむろに、かちりと自分の首にはめた。


「……よし」
「いやいや、ヨシじゃないでしょ?!?何してんのリーシャ!?せっかく外してあげたのに!」
「いや、かれこれ10年はこれを着けてたので……、無いとなんだか落ちつかなくて……」

 ネクタイないと落ちつかないとか、そういう感じのやつだろうか。
 奴隷根性極まれりである。

「もしかしてそれ、ずっとつけてるつもり……?」
「まあ当分は。一度契約破棄されたので、ただの飾りみたいなもんですけど」
「ふーん。でもいいの?周りから、ずっとわたしの奴隷だと思われるよ?歳下のクソ人間に永久に頭が上がらないよ?ん?」

 うりうり、とリーシャの頬を小突く。
 彼女は、じろり、と上目遣いでこちらを睨む。
 そして、少しだけ頬を染め、視線を逸らした。

「まあ……、ニナさんのものだと思われるなら、わたしはべつにいいです……」

 ぼそりと、そんなことを宣った。

 あかん、こいつ可愛すぎる。
 しかも小柄な猫耳メイド姿でそのセリフは反則ってやつでしょう。
 デレ期を噛み締めながら感動の渦中にいるわたしに、リーシャは慌てて声を上げる。

「あ、ああ、そういえば、ガイドのことですけど!」
「は、はい……」

 自分で言ってて恥ずかしくなったのだろう。
 彼女は次々と矢継ぎ早に言葉を続ける。

「ご存知のとおり、一度隷属契約を破棄されてしまったので、わたしはもう奴隷ではないです。なのでニナさんの要求には、新たに雇用契約という形でお手伝いさせていただきます」
「お、おう」
「給料として、三食昼寝付き、毎月のお小遣いを所望します。あ、ちなみにおやつ代は別です」

 ちゃっかりしてますね。
 まあ、契約、という言葉を使いたがるのは、長年の奴隷精神──というわけではなく、ただの照れ隠しだろう。
 なんにせよ、彼女が自分でそれを決めたのなら、わたしはその背中を支えてやるだけだ。
 お姉ちゃん兼友達として。
 まあ……、リーシャの方が歳上だけど、わたしの方が背も胸も大きいし。

 リーシャは、ごほん、と咳払いを一つ。
 彼女はその小さな胸を張って、自信気に頷いた。

「そのかわり、仕事はきっちりやります。魔大陸のガイドはわたしに任せてください。庭みたい、とまでは言いませんが、まあけっこうなんとかなると思います」
「うん、わかった」
「えっと……、あ、あとはそうですね……。荷物持ちや戦闘もできます。力はそこそこ強いほうだと思うので」
「オッケー」
「むぅ……。あとは、雑用や料理も頑張ります。これから勉強します」
「助かるぅ」

 わたしはとりあえず相槌を打っておく。
 リーシャはわたしの淡白な反応に、物足りなさそうにもじもじと身を捩る。
 どうにか自分のスキルを認めて欲しいらしい。
 憂いやつである。

「あとは、ええと、ええと……」
「いや、そんなに無理に捻り出さなくても大丈夫だよ?」
「いえ!ま、まだあります!」

 べつにネタ切れならそれで構わないんだけどな。
 彼女の能力の高さは、昨日で充分わかっているのだし。

「そうですね……、では、一日一回。尻尾の中間くらいまでなら、撫でることを許可します……」
「いよっしゃあぁあっ!!やったぁあ!!」
「なんでそこで一番喜ぶんですか!」

 言わなきゃよかった、と落ち込むリーシャ。
 軽々しく口約束などするものじゃないぞ。いい勉強になったね、リーシャくん。

 それにしても、うん。
 これから毎日、いい朝を迎えられそうだ。

 わたしはにやけ顔を満面に浮かべながら、再び大きく伸びをした。


 窓から覗く青空が、突き抜けるように世界を覆っている。
 きっと、旅路の果てまで同じ空が続いているのだろう。
 まだ見ぬ場所に想いを馳せ、わたしはたしかに、高鳴る胸の音を聞いた。










********************






○月×日
快晴。
気温風向きともに良し。


 さて。

 旅の日記は、ここからが本番だ。

 準備も万端。
 資金も潤沢。
 小さく可愛い、猫耳ガイドも雇うことができた。

 ──あれから約1ヶ月。
 いよいよ母の足跡を追いかけるときがきた。

 目指すは魔大陸ヘイムドール。
 手に入れるべきは、彼女が遺した遺産1000万ドリー。
 わたしたちの長い旅は、ようやくこれから始まるのだ。


 さて、出発の時間は間近だ。
 少し遠回りしたものの、近道を急ぐ旅でもない。
 のんびりと旅路を進めていけば良い。
 階下でわたしを呼ぶ声が聞こえるので、そろそろでかけることにしよう。


 そう。わたしはこれから、長い長い旅に出るのだ。
 ときどき小走りでついてくる、小さな猫と一緒に。


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