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二章

霊樹

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 ──翌日。
 
 夜が明け、日が登り始めた頃。
 メレルの頼み事を聴くことにしたわたしたちは、霊樹へと続く獣道を歩いていた。

 さすがに人の手の入っていない深い森だ。
 目的地を目指すのにも一苦労である。
 道とは呼べない道が続くし、体力もかなり削られる。
 ときには腰ほどもあるシダをかきわけ、苔むす岩の間を進む。
 
 ちなみに、メレルは早々のうちに体力が底をついたらしい。
 今はリーシャの背負う特大リュックの上で、ゴロリと仰向けに伸びていた。

 一見すると、絨毯か何かをくくりつけて運んでるみたいでちょっと面白い。

 文句を言いたそうな顔で口を尖らせているリーシャには、次の街で好物のスイーツでもごちそうしてあげるとしよう。


 わたしはリーシャのリュックの上のメレルに問いかける。

「ねぇ、なんか凄い道だけど……。これ、方向あってるよね?迷ってないよね?森の中心部に行くほど迷いやすいって聞いたんだけど……」
「そんなに遠くないし平気。わたしの言うとおりに歩けば安全。わたしはこう見えてもこの森で育った魔術師なので」

 ちょっと得意げに答える銀髪少女。

 へえ、そうだったのか。
 つまり、この森は庭みたいなもの、ということだろうか。
 もしかすると、魔術を使用した道しるべ的なものを感じ取れるのかもしれない。
 わたしにはさっぱりわからないけれど。
 

 それにしても、珍しくドヤ顔を浮かべているメレルの姿がちょっと微笑ましい。

 世捨て人のような彼女の生活っぷり。
 それはわたしの魔術師のイメージに合致するし、実際間違ってはいないと思う。
 だが、普段の無表情の裏には、やはり人並みに可愛い女の子の性格が隠れているのだ。


 リーシャは、ふんと鼻をならし、メレルを乗せたリュックを大袈裟に揺らした。

「背負うのは百歩譲っていいとして……、魔術師なら体軽くする魔法とか使えないんですか?重いんですけど」
「わたしは重くない。リーシャが貧弱なだけ」

 ぐでー、っとしたまま、リュックの上から答える銀髪少女。

 リーシャの猫耳が頭の上でぴょこんと跳ね、眉根がぴくりと寄せられた。
 お、あれは相手の言動がちょっと気に障ったときの反応だな。

「ほほう、いい度胸ですね……。わたしが貧弱ですか……!あそこの崖下までぶん投げてやってもいいんですよ!?おまえなんか片手で充分なんですけど!?」
「わたしはニナの命の恩人。そんなことしたらニナが悲しむ……」
「うっ……、ぐぅっ……!」

 意外と口達者なメレルである。
 
 彼女の掌が、むすりと顔をしかめるリーシャの猫耳頭をよしよしと撫でる。

「それに──、今、わたしの魔力はとても枯渇してる。魔法はむやみに使えない。念のため魔力も温存しておきたいし」
「ふん、そうですかっ……。…………ていうか頭撫でないでください!噛みつきますよ!?」
「乗せて運んでくれてることには感謝してる。お礼に、あとで食べ物あげるから。人参と牧草どっちがいい?」
「馬扱いやめてくれませんかね?!」
「じゃあお魚はどう?にゃんこはお魚大好き」
「猫でもない!ていうか、まずわたしを動物扱いすんのやめてください!」

 ぜぇぜぇと肩で息をするリーシャ。
 先程からツッコミのたびにパタパタと動く尻尾が愛らしい。
 ああいうところ、猫そのものなんだけどなぁ。

 思わずクスッと息を漏らしてしまい──、そこをすかさずリーシャの鋭い視線にじろりと睨まれた。
 
「なにニヤニヤしてるんですか、ニナさん……」
「いや、仲良さそうだなって。リーシャに友達ができたみたいで、わたしも嬉しいな」
「ばっ……、な、仲良くなんか……、それに友達なんかじゃ……っ!」

 顔を真っ赤に蒸気して否定するリーシャである。
 こいつほんと可愛いやつだな。


 そんなやりとりの最中──、ふと、メレルががばりと体を起こし、リュックの上から飛び降りた。

 がさり、と彼女の足が落ち葉が踏みしめ、軽やかな音を立てる。

「……?メレル?」

 わたしの問いかけに、彼女の人差し指が、とある方向へと伸ばされた。
 

「──着いた。あれが霊樹」 
「え……?」

 彼女の指差す先──。
 
 森の木々をかきわけるように、一段高くなった丘の上。
 きらきらと輝く朝日を背に、その大樹はわたしたちの前に姿を現したのだった。


********************


「あれがそうですか。なかなか威厳ありますね」
「そうだねぇ」

 わたしは改めてその大樹を見つめる。

 まず、驚くべきはその大きさだ。
 ちょっとした木の幹ほどもある根が放射状に広がり、巨大な大樹の本体を支えている。
 空に向かって伸びる幹は無数に枝葉を伸ばし、まるで風を捕まえようとする網のようだ。
 動物でいうなら、間違いなくこの森のヌシに当たるだろう。
 他の森の木々とは、存在感と風格がまるで異なるのだ。


 ──だが、ふと気づく。
 
 大きく伸び、張り出した枝。
 その枝の先の葉は立ち枯れし、枝の皮もところどころ剥がれ落ちている。
 葉も茶色く汚れ、他の木のように緑の生気を感じられない。

 幹の中心の方は問題なさそうだが──、
 素人目で見ても、明らかに正常な状態とは言い難い姿である。

 なるほど……、これがメレルの言っていた霊樹の危機というやつか。

 当のメレルは前髪を揺らし、その大樹を仰ぎ見る。

「……霊樹は今、濁った悪いマナの毒に侵されてる」
「……濁ったマナ?」
「魔物も濁ったマナから湧いてくる。濁ったマナはそこに住む生物の体調や精神にも影響を与えるし、良くない物。放っておくと周囲の木にも広がっていく」

 なるほど、まさに毒だ。

 濁ったマナがどんどん広がっていくとしたら、それは森の死を意味するだけに止まらない。
 森と人は生活においても一心同体だ。
 いずれわたしたち人間にとっても他人事ではなくなるだろう。
 どうやら彼女はその毒の拡散を防ぎたい、ということらしい。

「えっと……、それでわたしたちはどうすればいいの?」
「この薬を使う」

 メレルはごそごそと懐をあさると、赤い薬の入った瓶を取り出した。
 少々えぐみのある色をしたそれは、瓶の中でちゃぽりと音をたてる。
 
「これは濁ったマナを浄化する魔術薬。わたしと師匠が開発した自信作」
「へぇ、これが……。ていうか、メレルの師匠がいるんだ。会ってみたいな」
「それは無理。今はどこにいるのかすらわからない」
「そ、そうなんだ……」

 気まずい空気が流れる。
 まずい、ちょっと地雷踏んだかも……?

 そう思ったのも束の間。

 メレルは何ごともなかったかのようにてきぱき動くと、リーシャのリュックの中から、一つの頑丈そうな箱を取り出した。

 中身を開くと、鉢植えに植えれられた花が現れた。
 先程のえぐい色をした薬と違い、こちらはふんわりと青白く光っていてとても綺麗だ。

「この花、どこかで……」

 一瞬思考を巡らせ、すぐに思い出した。
 メレルの家の庭に植えられてたものと同じだ。

 彼女は鉢植えを両手で持ち上げ、わたしたちに向き直った。

「これは、さっきの魔術薬を使って育てた花。植えた者の魔力を使って、周囲のマナの濁りを浄化する力がある」

 そっと植木鉢をなでるメレル。
 それを見て、リーシャは、ふむ、と頷いた。

「ほう。つまり霊樹の根元にこれを植えれば、霊樹も元気になるということですね。さしずめこの花は、薬の注射器ということですか」
「そう、正解。リーシャは賢い。とっても意外」
「……馬鹿にしてますよね……?」

 なるほど。
 彼女の家の周りに魔獣が近寄れなかったのはこの花のおかげか。
 花から土壌へ、土壌から霊樹へ。
 仕組みはわからないが、そういう魔術効果なのだろう。
 彼女も、彼女の師匠も、やはりわたしが想像できる以上に優秀な魔術師らしい。
 旅の途中で会うことがあったら、ぜひお話ししてみたいところである。


 メレルは、両手の鉢植えに視線を落とす。
 しばらくそれを見つめたあと、ふぅ、と一つため息をついた。

「でも、この花はたくさん植える必要がある。今までは毎日ずっと、わたしが霊樹の根元にこれを植えてきた。でも、既にわたしの魔力は枯渇寸前。
 だけど、これを含めて……、あと二つ植えれば魔術は完成。霊樹は自力で復活できるくらいに回復する」

 銀髪少女の前髪がさらりと揺れる。
 彼女の琥珀色の瞳が、わたしへと縋るように向けられた。


「良質な魔力を持つニナに、ぜひお願いしたい。
魔力消費も大きいし、魔術師じゃないニナにお願いするのは酷かもしれないけど……。
 ──わたしの代わりに、この花を霊樹に植えて欲しい」
 

 真っ直ぐな視線だ。

 彼女がどれほどの間、この花を繰り返し植えてきたのかはわからない。
 わたしにはその努力は推しはかることはできないし、安易に賞賛するのも失礼だろう。

 普段は無表情に見える彼女の顔。
 だが、その瞳の奥には、彼女がこれに賭ける熱意が見える。
 こんな目を見せられて断る人間にはなりたくないし、何よりわたしが彼女の助けになりたい。

 頑張っている人は、絶対に報われるべきだ。


「いいよ、引き受けた!わたしなんかで良ければ是非手伝わせて欲しいな」

「………っ!ありがとう。……感謝するっ」


 あれ?今、一瞬──。

 おそらく彼女自身すら気づいていないのかもしれない。
 けれどわたしは、はっきりとそれを見た。

 いつもの無表情の仮面。
 一瞬だけ──、ほんの少しの間だけ。
 仮面が剥がれ落ちた、その瞬間の顔。


「……なんだ、ちゃんと笑えるじゃん」
「………?」

 きょとんと首を傾げる銀髪少女。

 すっかりいつもどおりの無表情に戻っているが──、まあレアな彼女がみれたということで。
 記録はわたしの脳内にしっかり保存しておこう。
 あとで思い出してニヤニヤできるやつだ。
 こういうのはわたしの大好物なのだ。


 さて、そんなやりとりを後ろで聞いていたリーシャもやる気になったのだろう。
 身を乗り出してメレルに問いかける。

「あ、あのあの!わたしは何をすればいいですか?」
「あー」

 やる気満々のリーシャに対し、メレルはちょっとだけ申し訳なさそうに眉をひそめた。

「リーシャの魔力は美味しくないので、何もしなくていい」
「うぅ、そんなっ……、ということは、結局わたしは荷物持ちだけですか……」

 がっくりと肩を落とす猫耳少女である。
 そんな彼女の肩にぽんと手を置き、メレルは「そんなことない」と慰めるように優しく声をかけた。

「荷物だけじゃない。わたしも運んで欲しい」
「あなたはいい加減自分で歩いてくださいよ、もうっ」

 霊樹の森に、猫耳少女の悲痛な叫びがこだまするのだった。

 
 
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