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三章

悪戯好きな英雄

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 ──さて。

 さっそく我が母の遺産、無血の英雄様のスクロールを拝見したかったところなのだが。


 そのまえに一度、腹ごしらえということになった。
 なんせ勢いに任せてリーシャを引っ張り、朝一で銀行まで往復してきたのだ。

 じつは今日は朝食すらまともにとれていない。
 旅において体調管理は重要。朝ごはんはしっかり食べなさい、とロマさんも言っていた。
 はやる気持ちはあるが、ここは素直に先輩の教えに従っておこう。


 わたしたちは諸々の雑用を済ませた後、階下の食堂へと向かう。
 古めかしくもしっかりした作りの階段をくだり、宿の主人に伝えられたとおりに角を曲がった。

「食事は一階の食堂に用意してあるって言ってたよね」
「カトレアさんのごはん、マジで美味しいですからね。楽しみです。ニナさんもきっと驚きますよ」

 珍しくウキウキ顔のリーシャである。
 いつも仏頂面をひっさげている彼女にここまでの顔をさせるのだ。
 これはなかなか期待が高まるな。


 宿の一階奥。
 少し広めの吹き抜けの部屋には、バイキング形式で料理が並んでいた。
 なるほど、少人数で店を回すならたしかに効率的だ。
 しかし、それほど大きな宿ではないとはいえ──、この仕事量を、カトレアと人工精霊ちびメレルで回しているというのだから、本当にたいしたものである。

 時間が少し遅いせいか、食堂に他の客の姿は見えない。
 ほぼ貸し切り状態だ。
 あたりには空腹を刺激するとても良い匂いが漂っているし、視覚だけでも美味しそうなことが伝わってくる。

 わたしたちはさっそく各々料理を皿に盛り、いそいそと同じ食卓についた。

「リーシャ。お肉ばっかり食べないで野菜も食べなさい」
「えぇ……。ニナさんはわたしのお母さんですか……」
「しっかりバランスよく食べないと大きくなれないよ」
「……うぐっ……」

 リーシャは、「大きく……大きくなれる……」と何やらぶつぶつ呟き、野菜をとりに歩いていった。
 うん、素直でよろしい。
 身長を伸ばすには栄養バランスが大事だからね。

 次いで、ちらりと銀髪魔法使いの方に視線を向ける。

「メレルは……、ミルクとコーンスープとヨーグルトと野菜ジュース……。見事に液体しかない……」
「栄養バランスは良いはず」
「んー……、まあ、そうだけど……」
 
 なんでこの食事でちゃんと大きくなれるんだろう。
 いや、身長の話だからね。

 わたしはというと、パンとハムエッグとスープ。それにサラダの盛り合わせ。
 孤児院にいた頃から、朝食はこんな感じだった。
 あまり資金に余裕はなかったので量こそ多くはなかったが、すべてシスターのお手製だった。
 つまりは、おふくろのメニューというやつだ。
 
 ……シスター、元気にしてるだろうか。
 たまには手紙でも書いてあげないとな。


 そんなことをつらつらと考えながら。
 わたしはパンを手に取り、一口かじる。

 そして、その瞬間──。

 口内に広がる芳醇な小麦の香り──。
 わたしの思考回路は、あまりのショックに一時停止した。

「──なんだこれ……!ふわふわでもちもちで、ほんのり甘くて、しかも味もくどくない……。控えめに言って美味すぎでは!?」
「パンもカトレアさんのお手製らしいですよ」

 山盛りのウィンナーを頬張りながら、隣でリーシャが答える。
 もはや猫というか、リスみたいだ。

 ていうか、野菜とりにいったんじゃないのかよ。

 メレルの方はというと、一心不乱に液体やジェル状のものをすすっている。
 とりあえず彼女も、ここの食事をいたく気に入ったようだった。


 わたしたちは、しばらく夢中で食べ続けた。
 今日初めての食事を存分に謳歌し、数十分後には大満足でお腹を撫でているのだった。

*************************


 そんなこんなで、食後の絶品ショートケーキを頬張っているときだった。

 向かい席のメレルが、ふとこちらに顔を上げる。

「そういえば、ニナ。そのスクロールを開く前に、ちょっと言っておきたいことがある」

 彼女からこんなことを言ってくるのはとても珍しい。
 いつもわりと重要な話もさらっと流してくるからな……。

 わたしは椅子の上に座り直し、「言っておくこと?」と聞き返した。

 メレルは頷く。
 そして、ミルクを少しすすった後に、口を開いた。


「……たぶん昔、わたしの師匠は、ニナの母親と一緒に旅をしてる」
「ふぇ……?」

 
 わたしは口に運びかけたショートケーキをストップし、半開きの口のままメレルを見つめる。

「なんでわかるの?魔術的なやつ?」
「ううん。もっと単純。あの人工精霊から、師匠の味がしたから」
「うぇえ……?……ま、まさか食べちゃったの……?」
「そんなわけない。舐めただけ」
「あ、なるほどね。よかった」

 思わず彼女の空き皿を眺めてしまった。
 なんかメレルなら奇怪な行動したとしても、そんなに違和感ないんだよな……。
 いやまあ、誰彼かまわず舐め回るのも充分奇行だと思うけど。

 当のメレルは、「わたしはそんなに食いしん坊じゃない」と言ってむくれている。
 そこじゃないんだよなぁ……と思わずにいられないが、まあいい。
 メレル相手に突っ込んでたら話が終わらないしね。


 銀髪少女は、ずい、とテーブルに身を乗り出す。

「かなり昔の記憶だから、詳細は曖昧。けど、ニナとよく似た女の人がうちに来たのを覚えてる。師匠はその人と一緒に旅に出た。だから、今からその記憶の女の人が、ニナの母親と同一人物かどうかを、──確かめたい」


 普段見せない彼女の真剣な表情。
 彼女にも明確な理由ができたということか。

 リーシャは、寄り道はしない、なんて言っていたけど──、わたしとしてはべつに急ぐ旅ではないし、彼女のためなら回り道もやぶさかではない。
 それに、わたしの遺産集めにメレルの師匠に繋がる手がかりがあるのなら、ちゃんと最後まで手伝ってあげたい。
 お金も大事だが、友達はもっと大事だ。


 よし、とひと息いれて、テーブルの上にスクロールを乗せる。
 大きく息を吸いこみ、そして深く吐いた。
 

 巻物を閉じている赤い紐に指をかける。
 微量ながら魔力を吸われている感覚。
 間違いない、最初の時と同じスクロールだ。

 孤児院で、最初に遺産のスクロールを開いた時を思い出す。
 あのときは盛大に爆発のブラフをかまされ、まんまと母の手のひらの上で踊らされた。
 投影魔術越しであっても、彼女の悪戯好きはひしひしと伝わってくる。
 念のため……、気をつけておこう。念のため。

「よし、じゃあ開くよ……。みんな、いつでも逃げれる用意しといて」
「なんでそんなに警戒してるんですか?ただの投影魔術の遺言状ですよね?」
「リーシャ、あの人を舐めちゃいけない。あの悪戯っ子はマジで何するかわかんないから」
「そんな大袈裟な……。無血の英雄様にかぎって、そんな子どもじみたことしないでしょう。ニナさんじゃあるまいし」

 あはは、と軽快に笑うリーシャ。
 
 まるで無防備で無警戒。純粋無垢な笑顔である。
 うん。こいつはもうダメだ。放っておこう。
 戦場で無様に散るといいさ。


 わたしはテーブルから体を伏せた状態で、頭上にスクロールを掲げる。
 そして紐にかけた指を、一気に引いた。

 しゅるりと紐と紙が擦れる音。
 遺産のスクロールが解放される。

 ふわりと黄色い光が広がり、今度はすぐに収束していく。
 投影魔術により、巻物に封じられた過去の映像が映し出される。



『ぱんぱかぱーん!タステルのスクロールゲット、おめでとう!』



 盛大なクラッカーの音と光に、思わず耳を塞ぐ。
 そして──。
 なぜか頭上の空中に実体化する、幅2メートルはあろうかという巨大な──、『ワンホールケーキ』。


 幻像じゃない。あれは魔術によってスクロールに格納されていた実物だ。
 お祝いの贈り物とでも言いたいのか?
 天井近くに突然ふってわいたそのスイーツに、わたしは反射的に床を蹴って逃亡を図る。

 案の定──、次の瞬間のことだった。

 人間サイズくらいある巨大なケーキは、重力にまかせて落下を開始。
 床へと迫る巨大な影。
 ふざけた重量を感じさせるそれは、風を切って真っ直ぐ落ちていく。


 そしてその落下先──。
 ケーキの影が落ちる床の上には。

 まるで無警戒の笑顔のリーシャが、棒立ちのまま突っ立っていた。



「───んに゛ゃっ………?!?!?」



 哀れにも悲鳴を言い切ることすらできず──、
 母からの大迷惑な贈り物は、猫耳少女の頭の上にズドンと着地。
 無垢な黒猫少女を、真っ白な巨体で押し潰したのだった。
 


「あー……」
 
 だから言ったのに……。

 まあ、もはやこれ以上は何も言うまい。

 巨大ケーキの下からピクピクと伸びてくるリーシャの腕に、両手を併せて合掌する。
 大好きなスイーツの下敷きとなって死ねるなら、彼女も本望というものだろう。
 


 パチパチパチ、と手を叩く音。
 それとともに、投影魔術によりスクロール上に現れる赤毛の女性。

 何を隠そう。我が母、アイリス・プライオリア様、その人である。
 無血の英雄と呼ばれた聖人である彼女は、じつに悪戯っぽく魔性の笑顔を浮かべているのだった。



 
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