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三章

母と娘(前)

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「よーし、ここならいいでしょ」

 とりあえず、先ほど人工精霊とともに見つけた本を持って、わたしとカトレアは裏庭へと移動した。

 この間のように、アイリスお得意の悪戯が発動してはたまらない。
 仮にケーキか何かが降ってきたとしても、庭ならある程度は掃除も楽ちんだ。
 うちの母上様はほんと手間をかけさせるよ、まったく。


 ランプに明かりをともし、庭先にあるテーブルに置く。
 ふわりと広がるオレンジ色の光。
 庭の草木がじんわりと照らされ、周囲の風景がほのかに浮かび上がった。

 春も終わりとはいえ、さすがに深夜は少し肌寒い。
 わたしは少し身を震わせつつ、投影魔術がかかっているであろう、例の本の表紙を手の平で挟んだ。


「じゃあ、この本、開いてみよっか……」

 わたしは本の端を持ち、その表紙に指をかける。
 古めかしい紙の感触。
 かすかにいつもと同じ魔力の匂いがするような、そんな気がした。

「カトレアさん、準備は──」

 そう言いかけたときのこと。

 あれ?とわたしは首を傾げる。
 いつのまにか隣にいたはずの彼女の姿がない。

 ぐるぐると辺りを見回すと、はるか後ろから気配を感じた。

「は、はい……!いつでもどうぞ!」

 元気の良い返事が背後から返ってくる。

 カトレアと精霊ちゃんは、いつの間にかちゃっかり椅子の後ろに避難済みだった。
 しっかりした作りのテーブルの後ろから、顔だけだしてこちらを見ている。
 影から応援してますね、という眼差しである。

 おそらく、食堂で起きた巨大ケーキ落下による下敷き事件。
 被害者のリーシャから話でも聞いたのだろう。
 さすが歴戦の宿経営者である。
 危機察知能力も高いらしい。

「素早いね、カトレアさん……」
「えへへ……」
「あの、一緒に本を開いてもいいんだけど……」
「頑張ってください!応援してます!」

 机の後ろから拳を突き上げるカトレアと人工精霊ちゃん。

 いいんだ……。
 犠牲になるのはわたしだけでいい。
 二人は生き延びて、わたしの骨を拾ってくれ……!
 
 わたしは肩を落として覚悟を決め、目の前の本へと向き合うのだった。


***********************



「よしっ………」

 ぱんっ、と頬を叩く。

 さて、鬼が出るか蛇が出るか。
 あの悪戯好きの英雄のことだ。
 今度はケーキの代わりに鉄鍋でも落としてくるかもしれない。
 まあ、どうあってもろくなもんではないだろう。
 だが、こちらもプライドにかけて、ここで怖気付くわけにはいかないのだ。


 ふう、と小さく息を吸い──、

「おりゃっ──!!」

 わたしはへっぴり腰のまま、本をいっきに左右に開いた。

 指先から魔力を吸われる感覚。
 例のごとく溢れるまばゆい光に、思わず目をぎゅっと細めた。



 次の瞬間──、

 ぶわりと怪鳥の羽ばたきのような突風が生まれ、あたりの草木をざわざわと激しく揺らす。

 わたしは腰を落として踏ん張る体勢を作り、次に来るであろう新たな衝撃に備える。

「カトレアさん!大丈夫!?」
「は、はい……、きゃあっ!?」
「カトレアさん──っ!!」

 吹っ飛ばされそうになる彼女の手を掴む。
 まるで小さな台風だ。
 身を低くし、なんとか転がりそうになる身体を抑える。
 繋いだ手の関節がギリギリと嫌な音をたてる。
 
 いかん、そろそろ限界かも……。
 わたしだってそんなに肉体派ってわけじゃないんだぞ!

 まばゆい光がさらに強くなる気配に、わたしは悲鳴をあげる。


「うわぁああぁあぁっ…………!!?………。……あ?」

 ──あれ?


 今まさに悲鳴を上げた瞬間のこと。

 なぜかとたんに、ぱたりと風が止んだ。



 光はすぐに収まり、夜の庭は静寂を取り戻す。
 まるでそこに何も起きなかったかのように、あたりはシンと静まり返った。

 思いがけず訪れた空白の時間──。
 わたしは、ぺたんと力なく地面に座り込む。

 ……え?……これで終わり?
 たしかに突風は凄まじかったが、いつもの英雄様らしい皮肉めいたギミックが見当たらない。
 それとも油断してるところにガツンと来るつもりか?


 疑心暗鬼になりながらも、そんなことをつらつら考えていると──。


 ふと、開いた本の先。
 普段ならアイリスが投影されるべき場所に、いつもと異なる気配を感じた。




『……アイリスさん、やっぱりわたしはいいですから……。
 ──って、え?もう録画が始まってる?』

 戸惑いの混じった声が聞こえる。
 アイリスの能天気な声よりは、幾分落ち着いた声だ。
 聞いたことのない声のはずだが、誰かに似ているような……。
 


 ふと、背後のカトレアの吐息が、止まった。

 それと同時に、謎の声の主はこちらにゆっくりと振り返り──、どぎまぎとした緊張の面持ちで、自らの名前を名乗る。



『え、えーと……こ、こんにちは。マリア・ハーティスといいます。
 ……その、これを見ているどなたかがご存知かはわかりませんが、カトレア・ハーティスの母……、なんですけど……』

「母さん……っ!?」



 カトレアの驚きと戸惑いの混じった叫び声が、夜の闇を切り裂く。

 現れたのは、一人の見知らぬ女性の姿。
 いつもの傍若無人な無血の英雄の姿ではない。

 それは、カトレアの母であり、今は故人でもある──、マリア・ハーティスの、恥ずかしそうな優しげな苦笑いだった。


 
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