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四章

鬼と猫

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 海岸に沿って走る険しい岩の山脈。
 その麓に広がるのが、魔大陸の入り口の村。
 漁と交易の村、ドルテルだ。

 港の桟橋から直通する大通りには、石壁と木でできた家々が立ち並ぶ。
 その道の両側に沿うように、商人たちの露天が列をなして軒をつらねている。
 ざっと見回すだけでも、普段使いの日用品から、何やら怪しいマジックアイテムのようなものまで──、雑多に広げられた棚の上で、無造作に露天売買されているようだ。

 道を行き交う人々に目を向ける。
 当然ながら、ここは異国の魔大陸だ。
 すれ違う人々はみな魔族。
 長い耳をしていたり、肌や目の色が変わっていたり──、中には腕の数が一対多いような種族まで、じつに多種多様である。

 もちろん、人間の姿は見当たらない。
 ここまでレアな存在だと、ある程度注目の的にされそうなものだが……。
 もしかして、人間によく似た魔族だとでも思われているのだろうか。

 まあ、めんどくさい厄介ごとに巻き込まれる心配がなさそうなのはいいことだけれど。


「えーっと……」

 わたしに声をかけてきた商人は、露天の列のいちばん手前──。
 港から降りてきた客が初めて目にする位置に陣取り、わたしたちを値踏みするように見つめていた。

「あんたら、もしかして人間?──いや、違うね。横の二人は獣人と、ハーフエルフか。面白い取り合わせやね」

 彼女は加えていたキセルから口を離し、ふぅ、と煙を吐く。
 笠についた鈴が、それに合わせてチリンと音を立てる。

 しかし、この人は見ただけで魔族か人間かわかるのか。
 メレルはぱっと見ただの人間に見えるし、リーシャもただの猫耳コスプレメイドで──、って、こっちはまあ微妙なところだけど。

「そういうあなたは魔族だよね?額に角が生えてるし」

 ちょい、と自分の額を指差してみる。

 彼女の見た目は一見わたしと同じくらいの年頃に見える。
 だが魔族の見た目が年齢に直結しないのは、相棒二人から嫌というほど学んでいるわけで。
 おそらく彼女も、少なくともわたしよりはずっと歳上なのだろう。
 ほんと、若く見られて羨ましい。


 商人はニッとした笑みを浮かべると、大きく頷いた。

「ああ、そうさ。自己紹介をしておこうか。あたしはヨザクラ。見ての通り、ただの行商人さ」

 キセルの先で笠をくいっとあげながら、彼女は再びニヤリと笑う。

 なんとなくだが、気さくそうな良い人に見える。
 人間は魔族領だと差別的な目で見られるのではないかと覚悟していたが、彼女からはそんな気配は感じない。
 彼女の瞳からは、興味と商魂と好奇心。
 そして少しの──、何か優しさのようなものを感じるのだ。

 すぐに丸ごと信用するつもりはないが、無碍に扱うような人でもない気がする。
 少し話をしてみたいな。
 何か情報が貰えるかもしれないし。

 そんなことを考えていると、ヨザクラの方からこちらに目線を合わせて問いかけてきた。

「で、キミらは?わざわざ何しに魔大陸まで来たん?ただの観光って感じには見えんけど」

「ああ、わたしたちはアイリスの──、……むぐっ!?」



 突然──。
 
 横から伸びてきた小さな手が、わたしの口を塞いだ。

 うぶぶ、と情けない声をあげながら、ちらりと視線で確認する。

 手のひらの主である黒猫は何も言わない。
 そのかわりに──、リーシャの鋭い視線が、目の前の魔族をぎらりと睨んでいるのだった。


*************************


 猫耳少女は盾になるように、わたしと彼女の間に割り込む。

 そして、ヨザクラをはっきりと睨みつけた。

「目的は、ただの観光ですよ……。それ以上でも以下でもないです。他に何か聞きたいことでもありますか?まあ、真面目に答える気はありませんが」

 いつもの飄々とした彼女の声とは違う。
 相手を警戒している時の威嚇の声だ。

 喧嘩腰ともいえる突っかかるような姿勢に、思わず息を呑む。

 当のヨザクラは、猫耳少女の眼差しを正面から受け止めていた。
 そして、ニコリと笑顔を浮かべ──、まるで子どもでもあやすかのような声色で、彼女に語りかける。

「なぁ。あたしはそっちの人間さんと話をしてるんよ。悪いけどペットの猫はおとなしく黙っててくれん?」
「まさか人語もわからないんですか?観光っていってるでしょ。これで納得できないのなら、あとは力づくで黙ってもらうしかないですが」

 あたりの空気がぴりりとしたものに変わる。

 あれ……?
 なんかこれ、不味くない……?

 ヨザクラは一度キセルの煙を吐き出して、「はぁ~……」と深くため息をついた。
 ゆらゆらと煙が立ち上る。
 彼女の瞳孔が、苛立ちの色と共に細まった。

「──ったく、チビのケモノ風情がぴーぴーと。さっきからゲロ臭くて敵わんわぁ」
「煙と酒の臭いばかり撒き散らす鬼族がそれを言いますか。鼻が曲がりそうですよ。そのチンケなツノ、引っこ抜いてややりましょうか?」

「ち、ちょっと、二人とも……!?」

 まずい、少なくともリーシャは本気だ。
 尻尾の毛が逆立ち、まるで獲物に飛び掛かる直前の雰囲気をまとっている。
 いつもの彼女らしくない。
 いったいどうしたというのだろう。

 ぴりつく空気が、まるで高熱を帯びているようだ。
 一触即発とはまさにこのことか。
 二人の間に渦巻く熱に溶かされて焼けこげそうだ。

 背後のメレルが、「……ん」と一言だけ発し、わたしを守るように杖を手に取り前に出た。



 数秒か、それとも数十秒か──。

 無限とも感じられる緊張の空気。
 それを払ったのは、他ならぬヨザクラの気の抜けた声だった。

 彼女は、「ま、ええわ」とあっさり頷き、キセルの灰をトンと落としてわたしに向き直る。

「べつに喧嘩するために声かけたわけやないしね。深くは聞かんことにしとくわ。空気悪くしてゴメンな、人間のお嬢さん」
「え?ああいや、わたしはべつに大丈夫だけど……」

 先ほどまでのピリつきようはなんだったのかというくらい、今のヨザクラは元のようにニカリとした軽い笑みで笑っている。

 だが、黒猫少女の方は納得がいっていないらしい。

「気を抜いてはダメです!鬼族なんて、口がうまくてすぐ人を騙す信用ならない種族で──、
 ……あ痛っ!??」

 ぺしり、と後頭部をはたいてやると、リーシャは目を白黒させてこちらに振り返った。
 そのおでこをピンとはじく。

「リーシャ。その鬼族ってのをわたしはよく知らないけどさ。まだろくに話したこともないのに、人の内面を勝手に決めつけるのはよくないよ」
「う……」
「ヨザクラさん、だっけ?こっちこそごめんね。うちのリーシャがいきなり噛み付いたりして。ほら、リーシャ」
「うぐっ……」

 まるで苦虫を噛み潰したような顔と声である。
 黒猫少女はぎりり、と犬歯を鳴らすと、

「す……、すみませんでした……」

 と、ヨザクラに頭を下げた。

 うん。素直でよろしい。
 

 その光景に、ヨザクラの口が面食らったようにぽかんと開かれる。
 数秒ののち──、鬼族の商人は、じつに可笑しそうな声で大笑いを始めた。

「あははははっ、なんや、また面白い関係やなぁあんたら。魔族が人間の尻にしかれてるんか。そんなん見たのは二度目やなぁ」

 くすくすと笑うヨザクラ。
 むすっとした顔でそっぽを向くリーシャ。

 まあ、何はともあれ喧嘩の開戦は防げたみたいだ。
 こんな大通りでのリーシャの本気の喧嘩は壊滅的な被害に繋がりかねない。
 そうなったら探し物どころではなくなるし。
 とりあえずよかったよかった。

 ほっと胸を撫で下ろすと、ヨザクラはひょいと何かをわたしに放り投げた。
 小瓶に入った錠剤が、からりと音をたてる。

「ほら、サービス。船酔いによく効く薬。人間は知らんけど、そこの魔族にはよく効くはずや。良いものみせてもらったお礼ってことで」

 きょとんとした顔で小瓶を持っているわたしの前で、彼女はピンとキセルを立てた。

「いいかい?この村はまだマシやけどな。年寄りの魔族の中には、いまだに人間を嫌ってるやつもいる。ちゃんと気をつけないといかんよ。……じゃないと、あたしみたいな悪い鬼に騙されるかもしれんしな」
「ヨザクラはべつに騙したりしないでしょ。悪い人じゃないよ」
「う……、いやまあ、そうなんやけど……。なんや調子狂うなぁ……」

 彼女は少し頬を染め、ぽりぽりと後頭部をかく。
 うん。やっぱりこの人は悪い人じゃない。
 わたしは人を見る目にはちょっと自信があるのだ。

 ヨザクラはキセルを傾けると、大通りの奥に向ける。
 ゆらりと煙が風に揺れた。

「とりあえず、さっさとこの村の村長に挨拶してくるとええよ。この道をまっすぐ言った丘の上。歓迎されるかは知らんけどな」
「わかった。いろいろありがと!今度あったときは何か買わせてもらうね」
「ああ。それじゃあまたな、──ニナ」


 手を振り、彼女と別れる。

 
 いまだ不満顔のリーシャと、普段のぼんやり顔のメレルを引き連れ──。
 人通りの多い大通りをまっすぐに、村長の家を目指して進む。

 
 そして、道半ば。
 わたしはふと先ほどの会話が気にかかり、首を傾げた。
 


「……あれ?わたし、あの人に名前言ったっけ?」

 立ち止まり思い返して見るものの、いまいちはっきり思い出せない。

「ま、いいか」

 たいして気にするほどのことでもないだろう。
 そう思い直し、わたしは村長の家へと歩みを進めるのだった。
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