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四章

使用人の人間と主の魔族

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「こちらにお掛けください」

 村長宅に招き入れられ、居間のソファを勧められた。

 壁沿いには古めかしい振り子時計が鎮座しており、壁には落ちついた空気を感じさせる絵画が飾られている。
 一言でいうなら、質実剛健といった感じだ。
 当主の質素さと誠実さが感じられる良い部屋だと思う。

 それに、決して広くはないが、整理も行き届いている。
 
 おそらく、掃除などの家事は彼女の担当なのだろう。
 丁寧な所作からまめな性格が伺えるし、仕事における有能さが伝わってくる。


 彼女は奥の部屋から三人分の紅茶とクッキーを運んでくると、「どうぞ」とソファの前のテーブルにそれを置いた。

「どうも……。いただきます」

 わたしは両手をあわせて、紅茶をひと啜りする。

 鼻腔に広がるふわりとした上品な香り。
 おそらく、客人用の上等なものなのだろう。
 その美味しさと暖かさに、思わず「ほぁ」と気の抜けた声を漏らしてしまった。

 隣ではメレルが速攻で皿とコップを空にし、物欲しそうにこちらを見つめている。
 油断していると横からかっさらわれそうなので、さっさとクッキーにも口をつけることにした。

「あ、美味しい……」
「ありがとうございます。手作りなので、気に入っていただけるとわたくしも嬉しいです」

 そう言って、彼女はふわりと微笑んだ。

 流麗で上品な大人の女性の仕草だ。
 家政婦にしとくにはもったいないくらいの上玉である。
 わたしは、クッキー皿に迫るメレルの手をはたき落とし、改めて彼女に向かい合う。

「えっと……、あなたは魔族でなくて人間……なんですか?」

 わたしの問いに、彼女は「はい、そうです」と、にこりと頷き微笑んだ。

「申し遅れました。わたくし、レニア・フィルレインと申します。主であるディレット様の身の回りのお世話をさせていただいております。以後お見知りおきを」
「こ、こちらこそよろしくお願いします。わたしはニナ。こっちの二人はリーシャとメレル」

 とりあえず、簡単に名前だけ自己紹介を済ませる。
 彼女の優雅な対応に、なんだか無駄に改まってしまう。

 隣では猫耳少女のクッキー皿に手を伸ばしたメレルが、彼女の防衛ラインとぎりぎりのせめぎ合いを行っていた。

 なんというか──、もう少し上品に振舞ってはくれまいかね、キミたち。

 わたしはため息をつきながらも、これまでの旅をレニアに語ることにした。
 話の種にもちょうど良いだろう。
 自己紹介の補足にもなるし、打ち解けるきっかけにもなるはずだ。
 

 それからしばらく──、わたしたちは会話に花を咲かせ、緊張を解いていった。


 レニアはところどころじつに興味深そうに、相槌をうちながら話しを聞いてくれた。
 彼女が聞き上手なものだから、ついついこちらも調子に乗って話を続けてしまうのだ。

 どれくらい時間がたっただろうか。
 一通り言いたいことを終えたわたしは、紅茶のカップをテーブルに戻した。
 レニアはおかわりの紅茶をカップに注ぎながら、わたしに話しかける。

「──なるほど、海を渡ってドルテルまで。それはさぞ大変だったでしょう」
「ほんと大変だったよ。おもにリーシャが。もう四六時中、ゲロゲロ状態でさぁ」
「ニナさん、もう少し上品に言えませんか……。わたしクッキー食べてるんですけど……」

 おっと、しまった。
 つい気が緩んで、わたしまで気品が損なわれていた。
 客として恥ずかしくないよう、上品に振る舞わねば。

 それに、わたしのことばかり話してしまい、レニアの話を聞けていない。
 彼女のご主人様のことも気になるところだ。
 ここらで少し詳しく尋ねてみよう。

「ところで……。レニアさんは、ずっとディレットさんのところに?」
「はい。使用人という形で、住まわせていただいております。──といっても、わたくしがここに来てから、まだ三年ほどですが」

 彼女はそう言って口をつぐむ。
 三年でも充分長いと思うけど……。
 それだけの間、真面目に彼に尽くしてきたのであれば、それは誇っていいことだと思う。
 ディレットはあの通りなかなか気難しい魔族のようだし……。
 種族の違い等も含めて、いろいろと気苦労もあったことだろう。

 そんなわたしの表情から内心を察したのか。
 少しだけ身を乗り出すようにして、彼女はわたしに告げる。

「あの……、ディレット様は寡黙なためとても誤解されやすいのですが、あの方は大変立派で優しい方なのです。先程の言葉も、悪意あっての言葉ではないと思います……!」

 先程ってなんだろう?
 ……ああ、もしかして、玄関先での塩対応のことだろうか。
 たしかに好意的な感じの対応ではなかったが、べつにそこまで気にしているわけでもないのだけれど。


 ぽりぽりとクッキーをついばむわたし。

 彼女はわたしの目の前でしばらく何かを思い詰めたような顔をする。
 そして、少しの躊躇いの後──。
 唐突に腰の前に手を当て、深く頭を下げた。

「もし、ディレット様の言葉でお気を悪くされたのなら、申し訳ございません。どうかこのとおり、お許しいただけないでしょうか……」

 これ以上ないくらい丁寧な謝罪のおじぎだった。

 ぽろりと、わたしの口からクッキーが落ちる。

「ええっ!?あ、頭あげてレニアさん!ぜんっぜん気にしてないから!それに、レニアさんが謝ることでもないし……」
「いえ!わたくしはディレット様の使用人ですので、ディレット様への誤解を解くのはわたくしの役目で……!」

 二人で、あーでもないこーでもないと、わちゃわちゃやりとりをしていた──、そんなときだった。

 客間の扉が、無造作に開いた。
 室内へと低めの男の声が響き渡る。




「何をしている。あまりうちの使用人に、いらぬちょっかいを出すな」

「──ディ、ディレット様!??」


 突然の主の入室に、慌てて頭を下げるレニア。
 そのまま一歩下がり、ディレットに対して道を開ける。

 彼女の慌てる姿を少し物珍しげにちらりと一瞥し──、ディレットは無造作に、こちらにひょいと何かを放り投げた。

「これを預かっていた。持っていけ」

 テーブルの上にすとんと落とされた巻物。
 見覚えのある質感の紙で、赤い紐により綺麗に綴じられている。


 そしてそれは、まぎれもなく──。
 三つ目の、アイリスの遺産のスクロールだった。



**************************



「やつからの預かり物だ。血縁なのだろう。見ればわかる」

 ……驚いた。
 まさかこんなにすんなり見つかるなんて。

「えっと……、わたし、アイリスにそんなに似てますかね?」

 わたしのその質問に、彼からの返事は返ってこなかった。
 代わりに彼は向かいのソファに深く腰掛け、じっとこちらを見つめる。

 早めにスクロールが見つかったことは本当に嬉しい。
 だが、こちらをねめつけるように見つめる彼の目が、純粋にそれを喜ぶ心を抑えつけていた。


 スクロールに向けた目線を戻し、そっと彼の視線に目を合わせる。

「あの……、やっぱりディレットさんはアイリスを──、母を、知ってるんですか?」
「………。」

 彼は今度は無言のまま、そっと視線を逸らす。
 
 知らないはずがない。
 なぜなら、彼はこのスクロールを預かったと言っていた。
 おそらく彼はこれを、アイリス本人から託されたのだ。
 それならば──、彼はアイリスと関係があった人々の中で初めて、しっかりとした情報を聞けそうな存在である。

 ここで引き下がるわけにはいかない。

「お願いです!知ってることがあったら、教えて欲しいんです!」

 立ち上がり、食いつくように身を乗り出す。

 ここまで食い下がることに、自分でも少し驚いていた。
 それを聞いて何になるのか、と冷静に自分を見つめるわたしもいる。

 アイリスは既に故人だ。
 わたしにとっては名前すら最近知っただけの遠い人だ。
 彼女の情報が今更少し増えたところで、わたしにとって何かが変わるわけでもないだろうに。

 それでも思った以上に──、わたしは彼女のことが気になっていたのかもしれない。


 彼は、無言のまま息をつく。
 そしてしばらくの後、「……ああ」と肯定の意を示した。

「昔この家に泊めてやったことがある」
「ほんとですか!?どんな感じでしたか!?何か娘のこととか言ってたりしましたか!?」
「ろくに話をしなかったからな。わざと硬いパンと冷えたスープを出してやったら、馬鹿みたいな顔で喜んでいた」

 彼の言葉に、少し違和感を覚えた。
 不機嫌──、とまでは行かないが、あまり自然な態度ではない。
 わたしのテンションが上がりすぎて、せっかちに聞きすぎたのだろうか。

「えっと……、ディレットさん……」
「一つだけ言っておく」

 彼は、はぁ、と一度深く息をつき、ため息をつくように言葉を漏らす




「わたしは──、人間が嫌いだ」




 一言だけ、そう告げた。

「え……」

 唐突な、否定の言葉。
 縮められたはずの距離が、一気に開いた思いだった。

 ぽかんとあいた口が閉まらない。
 たしかに最初から、彼の態度は人間のわたしには冷たくて……。
 でも彼は、人間の使用人を雇っていて……。

 こちこちと居間の古時計の音が鳴り響く。
 少し開いた窓の隙間から、室内へと風の音が吹き込んだ。


 混乱し、間抜けヅラを晒しているであろうわたしを一瞥し──、ディレットは再び大きく息をつき、額を押さえた。

「……とりあえず、今晩はうちに泊まっていけ。このあたりの治安はあまりよくない。外で宿を探すよりはマシだろう。──レニア、あとは頼んだぞ」

「は、はい……。承知いたしました、ディレット様」

 深々と頭を下げる彼女。
 返す言葉の端に少しの同情が浮かぶ。

 わたしは呆然としたまま、退室する彼の後ろ姿を見送ったのだった。


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