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四章
人と魔族
しおりを挟む「──。──リス?」
誰かを呼ぶ声。
わたしの耳元に届くその声は、聞き慣れないようで懐かしい声だ。
「──ねぇ、アイリスってば!」
アイリス──。
そうだ。
わたしを呼ぶ声。
共に旅をしている仲間の声だ。
ゆっくりと、閉じていた目を開く。
「──ああ。……どうしたの、ルチア?」
視界に映るのは揺れる海面。
魔大陸へと向かう船の上で、少しぼーっとしてしまっていたらしい。
わたしを呼ぶルチアの声に、ふと顔を上げる。
潮風に揺れる綺麗な金色の髪。
わたしよりも少し背が高く、しとやかな容姿を持つ女性だ。
彼女は幅広の帽子を胸に抱えながら、こちらを訝しげに見つめていた。
「ああ、じゃないわよ。どうしたの?ぼーっとして」
「いや……。なんでもない。ちょっと考えごと」
彼女の方に体を向け、甲板の柵に体を預けた。
ルチアは少し首を傾げる。
船の先端が、広い海面を割りながら進んでいく。
彼女はわたしにまっすぐな視線を向け、しばらくののちに口を開いた。
「──ねぇ、アイリス。やっぱり、娘が恋しい?」
「………。」
返す言葉を選べなかった。
彼女の問いかけに、ほんの少し目線を逸らす。
旅に出ると決めてから、それはあまり考えないようにしてきたことの一つだったからだ。
娘の成長を傍で見たくなかったといえば嘘になる。
けれど、わたしの中では一つの区切りをつけたことだ。
いまさら蒸し返すつもりはない。
「……べつに。恋しくなんてないよ。それを覚悟の上で旅に出たんだし」
「ほんとに?」
「ほんと。スクロールだって残してきてるし。あの子が興味を持ったときにわたしのことを知ってくれれば、わたしはそれだけでいいから」
再び視線を海へと戻す。
水平線の彼方へと目を凝らしてみるも、既にわたしの故郷の姿は影も見えない。
ふぅ、と小さく息をつく。
そして、今度は意趣返しのつもりで、彼女の方へと言葉を返した。
「……ルチアだって、愛弟子を残してきたでしょ。気にならないの?」
「そうねぇ。メレルちゃん、元気にしてるかしら。心配だわ……」
ルチアはちらりとわたしを横目で見る。
そして、最後に少し棘のある言葉を付け足した。
「わたしはね、アイリス。あの子のことが恋しくて仕方ないわ。……あなたと違ってね」
「──わたしだって……っ!」
反射的に開きかけた口を、はっとして閉じる。
ルチアはいつだってわたしの心の中を言い当てる。
一緒に過ごした時間はそれほど長くはないのに、彼女は他人の感情の機微にじつに敏感だ。
まるで人心をかどわかす魔女みたいに。
……まあ、実際魔女なんだけど。
彼女は、「今わたしのこと魔女みたいって思ったでしょ」とクスクス笑った。
ダメだ、嘘や建前は得意なはずなのに。
どうにも彼女には敵う気がしない。
手玉に取られている感じが、なんとももどかしい。
わたしは観念し、深くため息をついた。
揺れる水面の向こう側をじっと見つめる。
「……ごめん、さっきのは嘘。ほんとは、あの子に会いたい。今更で情けないけどさ。隣であの子の成長を見守りたかったってのが本音」
「それでいいと思うわ。無理に気持ちに蓋をする必要なんてないもの。開け放たれていたっていいじゃない?その方がお互いに、心の奥底も知れていろいろ楽になるわ」
彼女はそう言ってふわりと笑った。
気の抜けた柔らかな表情に、思わず毒気を抜かれる。
そして、自分がいかに強張った表情を浮かべていたかを自覚した。
「……ごめん。心配かけたかも。」
「いいのよ。それにあなたはさっぱり割り切るよりも、未練たらたらの方が人間らしくて魅力的よ」
「ルチアはエルフのくせに人間臭いよね」
「わたしはほら、変わり者だから」
変わり者、か。
自分で言うか普通。
まあ、たしかに彼女の言う通りかもしれない。
一度しかない人生だ。
選択を一つに絞るのは、来たるべきときが来たときでいいかもしれない。
今は、もう少し自分に正直に生きよう。
わたしは波間で反射する光に目を細めつつ、そう思った。
*************************
「──ねぇ、酷くない?人間は帰れだってさ。こちとらこの村に来たくて来たわけじゃないってのに!」
思わず愚痴をもらしてしまう。
魔族の村についてからこっち、村民のわたしたちへの扱いは酷いものだった。
まあ、わたしたちというか、主にわたしに対してなのだが……。
そりゃあ、現在人間と魔族は戦争真っ只中。
突然の人間の来訪に警戒するのはわかるけど。
かといって、何度も心無い言葉を浴びせられる筋合いはない。
結局、自分たちを受け入れてくれたのは、村長のディレットだけだった。
彼ですら露骨にわたしたちを嫌っているようだったけれど、とりあえず宿として部屋の一室を貸してもらえただけでもありがたい。
このままでは村の宿屋を目の前にして野宿しなければならないところだった。
部屋の隅でぷんぷんしていると、ロディオが背後から申し訳なさそうな声を呟く。
「済まない、アイリス……」
独白にも似たその言葉は、ひどく憔悴していた。
彼は他の魔族の嫌がらせから、ひたすらにわたしを庇ってくれた。
ロディオは本当にいいやつだ。
だからこそ、彼が発した謝罪の言葉に、逆に申し訳ない気持ちになる。
「べつにいいよ。ていうか、ロディオが謝ることじゃないよ」
「しかし……。僕は彼らと同じ魔族だ。キミへの非難には、同族として本当に胸が痛くなる」
彼の胸元で握りしめられた拳。
それが、わずかに震えている。
根が真面目な彼のことだ。
次に発する言葉の内容にも、あらかた想像がついてしまう。
「──なあ、アイリス。今からでも遅くはない。やはり、キミだけでも──」
「わたしだけでも戻れ、……なんて言わないよね?」
「──っ」
ロディオは、ぐっと強く言葉を飲み込んだ。
その様子を見るに、やはりそのつもりだったらしい。
苦笑いとともにため息をつく。
彼は、本当にわたしとは真逆だ。
真面目で堅物。
曲がったことは嫌いだし、いつも真っ直ぐで淀みがない。
そして何より──、彼は、決して嘘をつかない。
今だって、心の底からわたしを思って言ってくれている。
わたしが帰りたいと言えば、彼はすぐにでもわたしを連れて引き返してくれるはずだ。
けれど、だからこそ──。
わたしはここで彼の言葉に甘えるわけにはいかないのだ。
「大丈夫。覚悟はしてたよ。まあ、未練はたらたらだけどさ」
わたしの言葉に、ロディオの肩が小さく震える。
口を開きかけるが、口下手な彼は思ったような言葉を探せないのだろう。
何かを言おうとするたびにすぐに飲み込んでしまうようだった。
そこまで必死に思い詰められると、なんだか逆に申し訳なくなってしまう。
繊細な彼に変わり、ここは図太いわたしがしっかりしなきゃいけないところだ。
「それに、あなたはわたしを分かってくれたでしょ。他の魔族だって、いずれわたしを受け入れてくれるよ」
にこりと、いつものように不適な笑顔を心がける。
希望的観測かもしれないが、決して嘘ではない。
こうして彼とだってわかりあえたのだ。
その日がいつになるかはわからないが──、人と魔族は、いつかはきっと良い関係を築ける日が来るはずだ。
誰だって、本当は悲惨な争いを望んでいるはずなんてないのだから。
わたしは彼の背後に周り、ばんばんと勢いよく肩を叩く。
「だからさ。この旅はこれからきっと、これからもっと楽しくなるよ!──そしてこの旅の果てが、ニナの生きる時代の糧になるんだ!」
背中への衝撃に顔をしかめるロディオ。
その顔を見て、わたしはにへらと頬を緩めるのだった。
**********************
「──もう、旅立ってしまうのか」
「うん。魔泉の浄化もこうして無事に終わったしね。いろいろありがと、ディレットさん」
突如村を襲った魔獣を片付け、わたしたちは元凶である魔泉を浄化した。
まあ活躍したのはほぼロディオなのだが。
獣人種である彼の戦闘力には、本当に目を見張るものがある。
わたしが使えるのなんてちょっとした回復魔術くらいだ。
魔泉の浄化に関しても、ルチアの浄化魔術に魔力提供するくらいのことしかできない。
もう少し真面目に魔術を勉強しておけばよかったと、最近常々そう思う。
シスター見習いの時代に、いくらでもその機会はあったはずなのに。
不良生徒だったからなぁ。
後悔先に立たずというやつだ。
わたしが悶々と過去の自分を悔やんでいると──、ディレットが不意に深々と頭を下げ、こちらに謝罪の言葉を述べた。
「……すまない。キミたちには色々と失礼なことをした。──とくに、アイリス。キミへの非礼な態度を詫びたい。本当に申し訳なかった」
「ええっ!?い、いや、大丈夫だよ。村長はよくしてくれたって!だから頭を上げてよ」
こちとら普段から、がさつでテキトーに定評のある人間だ。
褒められ慣れていないせいもあり、感謝の言葉などこそばゆいとしか思えない。
ディレットはそれでも頭を下げたまま、言葉を続ける。
ほんと、この人もロディオに負けず劣らずのクソ真面目だ。
「アイリス。わたしは人間のことを少し誤解していたのかもしれない。今後はもう少し人間のことを好きになれるよう、努力していきたいと思っている」
彼の言葉に見える深い反省の色。
そんな感情の乗った言葉を受けて──、わたしは少し寂しさにも似た感覚を覚える。
少しだけ間を置き、顔をあげた彼の目と視線を合わせた。
「──そうじゃないよ、ディレットさん」
彼の誠意をはなから否定するつもりはない。
けれど、これだけは伝えておかなければいけないことだ。
「たしかに、人間には良い人だってたくさんいる。でもそれと同じくらい、いけ好かないやつだってたくさんいるんだ。それはきっと、魔族も同じでしょ?」
わたしの言葉に、彼は無言で視線を落とす。
彼の言葉を否定したいわけではない。
ただ、強制された信頼は軋轢を広げるだけだ。
「あなたはわたしを認めてくれたし、わたしもあなたを認めた。それは、魔族とか人間とか関係ない。ただ、わたしたちは共に信頼しあえる友人になれた。それだけのことだよ」
わたしはディレットの手を取ると、いつものように笑いかける。
「『人間』を好きになる必要なんてないんだ。あなたが好きになりたい人を好きになればいい。結果的にそれが魔族であっても、人間であってもね」
別れ際の会話に、そっと風の音が混じる。
わたしたちはみな争いを好まないが、みなが仲良くなりたいわけではない。
形だけの信頼など脆いものだ。
お互いがお互いを好きになること。
距離を縮めるには、まずそこから必要なのだと思う。
ディレットはしばらく口をつぐんだあと、
「そうか……。そうだな」
と少しだけ安心したように呟いた。
「──よし、じゃあ元気よく出発しよっか!」
ぱんっ、と軽快に手を叩き、隣のルチアとロディオに視線を向ける。
そのままくるりと踵を返そうとし──、ふと忘れ事を思い出し、立ち止まった。
「──ああ、そうだ。ディレットさん。一つ頼まれてくれない?……友人として」
いけないいけない、大事なことを忘れていた。
ディレットは突然の申し出に少し戸惑ったようだったが、すぐに頬を緩めて頷いた。
わたしは懐からスクロールを取り出して、彼の手に握らせる。
「このスクロールを預かってほしい。もし将来、わたしか──、わたしを訪ねてくる人がいたら、渡してあげて」
「……これは?」
「まあ、手紙?みたいなものかな」
差し出されたそれを、ディレットは固く握りしめる。
おそらく、察しの良い彼は気づいているのだろう。
わたしはもう二度とここには戻らない。
これは、わたしのいない世界へ遺すメッセージだ。
*************************
村を離れ、いつものように三人であぜ道を歩いていく。
夕暮れ時。
遥か果てまで続く道の上に、長い影が落ちていた。
隣を歩くロディオの方へ、ちらりと視線を向ける。
「……手紙。ロディオが届けてくれてもいいんだよ?」
独り言のようなわたしの台詞。
彼はそれを自嘲気味に否定する。
「馬鹿を言え。僕が……、あの子に合わせる顔があると思うか?」
彼の顔は夕日に隠れてよく伺えない。
微笑んでいるのか、悲しんでいるのか。
どちらにせよ、きっと彼は寂しそうな顔をしているのだろう。
「僕はあの子にとって──、母の仇になる男だ」
一瞬だけ見えた横顔。
それは、ひどく虚無を感じさせる、心を失ったような表情だった。
そんな顔をしないで欲しい。
あなたが示した道かも知れないが、歩くと決めたのはわたし自身なのだから。
柔らかな風の吹く道の半ば。
彼の思い詰めた顔を見ないように、わたしはそっと目を閉じたのだった。
応援ありがとうございます!
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