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五章
孤児院にて
しおりを挟む孤児院の窓から見える空。
突き抜けるような青の中に、白い入道雲が伸びている。
まさに夏もまっさかりという感じだ。
降り注ぐ日の光は真っ直ぐに、庭の地面にコントラストの強い影を作っている。
普通の人間は、こういうときテンションが上がって楽しい気分になるらしい。
だが、わたしは人間ではなくエルフだ。
しかもがちがちのインドア派である。
寒さにも弱いが、暑さには特に弱い。
こういう日は、冷気の魔術のスクロールを使いつつ引きこもるに限る。
幸いわたしの魔力量はけっこう多い方だ。
出涸らし状態になるまでならば、しっかり涼をとることも可能だろう。
「はぁ~~……」
わたしは部屋の机に突っ伏しながら、盛大にため息をついた。
暑い。
だが、近頃元気がでないのは、何も暑さのせいだけではない。
最近独り立ちし、旅に出てしまった女の子。
我が子のように可愛がっていた、愛する少女からの連絡が来ない。
全く音沙汰すらないのである。
「そりゃ、頻繁に連絡くれとまでは言わないけどぉ……」
いくらなんでも放置プレイすぎないだろうか。
安否の連絡くらいでいいから、ちょっとくらい様子を教えて欲しいものである。
わたしがぐったり椅子に座って溶けていると、背後から女の子のツンツンとした声が聞こえてきた。
「──またそうやってため息ついて。少しはしゃっきりしたらどうなの、シスター」
「だって、マルシェラちゃん……。もうニナちゃんが孤児院を出て行ってから三ヶ月よ?少しくらい連絡よこしてくれたっていいじゃない……」
彼女はマルシェラ。
この孤児院で暮らしている家族の一人だ。
綺麗なブロンドの髪に、青色の瞳。
歳はニナよりも二つ下。
年長者だった彼女が出て行ったので、今はマルシェラが一番上のお姉ちゃんである。
ちょっとツンツンしたところはあるが、とても誠実で真面目な良い子だ。
まあそういうきっちりした性格のせいもあり──、ぐうたらしがちなわたしは、いつもこうして叱られてばかりなのだけど。
「ほんと、元気でやってるのかしら、ニナちゃん……。心配だわ……」
たしかに旅というものは大変だ。
手紙をかくどころか、衣食住すら保証されないときもあるだろう。
だが、それにしたって一筆無事を知らせるくらいしてくれても──。
……いや、待った。
もしかして無事じゃないのかも……?
何かアクシデントに見舞われて、連絡できない状況に置かれてるんじゃ……。
まずい……、悪い考えにとりつかれてしまった。
ぐるぐるとよくない方にばかり、脳みそがフル回転を始めてしまう。
「ま、まさかニナちゃん……!悪いゴブリンに捕まって、あんなことやこんなことされて酷い目にあってたり……」
「ああ、ニナ姉いい体してるもんね。今頃しゃぶりつくされて死んでたりして」
「わああぁっ!?マルシェラちゃん、なんてこと言うのよぉっ!縁起でもないこと言わないでよぉ!」
「先に言いだしたのシスターじゃん……」
マルシェラはめんどくさそうに、大きく一つため息をつく。
「まあ、大丈夫でしょ。なんかすごく強いボディーガードの案内人が一緒にいるって言ってたし。ニナ姉はずぼらなところあるから、連絡忘れてるだけだって」
「そ、そうよね!うん、絶対そう!」
拳をぎゅっと握りしめる。
こういうときは自己暗示も大事だ。
わたしは心配を振り払うように、大きく頷いた。
マルシェラはそんなわたしの様子に、また面倒そうにため息をつくのだった。
***********************
「ところで、マルシェラちゃんは大丈夫なの?」
「何が?」
わたしの部屋の掃除をしてくれているマルシェラの後ろ姿。
その小さな背中が気になり、ふと問いかける。
「ニナちゃんいなくなったじゃない?お手伝いとか、下の子供達の面倒とか、いろいろ大変なことはない?」
これまで、孤児院の雑務はニナが主導してこなしていた。
なので、そこから引き継がれたあれこれが、まるっとマルシェラに覆い被さった形だ。
もちろん、わたし自身も気にかけてはいる。
だが、マルシェラはあまり他人に頼るタイプの人間ではない。
無理していたとしても、それを他者に漏らすことはないはずだ。
わたしの問いかけに、マルシェラの瞳が一瞬だけ伏せられる。
そののち──、
「──べつに」
少しの間を置いて、彼女はぼそりとそれだけを言い捨てた。
長い付き合いだ。
わたしは子供たちの機嫌には聡いつもりである。
どうも彼女は今、少し不機嫌気味のようだ。
それはわたしがぐーたらしていたという理由もあるだろうが、おそらくそれとはべつに──。
「ニナちゃんがいなくなって、寂しい?」
「───っ」
彼女は少しだけ息を呑む。
そしてすぐに、「……べつに、寂しくない」と首を横に振った。
本当にそうなのだろうか。
孤児院のみんなはあまり顔に出さないが、どの子もきっと寂しがっている。
わたしだってそうなのだ。
いつも笑顔のニナの存在は、それだけで太陽のような暖かな存在感があった。
マルシェラだって、口ではああ言っているものの──、きっと心の奥底では、何ともいえないもやもやを抱えているはずだ。
「でもほら、マルシェラちゃん、前からニナちゃんに懐いてたじゃない?この間、ベッドにオネショしたときだって、ニナちゃんにわんわん泣きついてたし……」
「な、何年前のこと言ってるのよ!これだからエルフの時間感覚は……」
顔を真っ赤にするマルシェラ。
結果的に、彼女の機嫌はさらに悪くなってしまった。
気を使ったつもりなのに、うまくいかないものである。
「もう子どもじゃないんだから!べつにニナ姉なんかいなくたってどうにかなる。それに──」
言葉を詰まらせる。
彼女は少しだけ視線を揺らすと、吐き出すように告げた。
「……わたしたちおいて出て行ったニナ姉のことなんか、……もう、どうでもいいでしょ」
「マルシェラちゃん、そういう言い方は……」
べつに、ニナちゃんはわたしたちを捨てていったわけじゃない。
そう告げようとするも、思いとどまる。
そんなことは長年連れ添った彼女が一番よくわかっているはずだ。
自ら慕っていたニナ姉は、自分たちを捨てるような人間ではないということ。
ただ、孤児院の子どもたちは、置いていかれることに敏感なのだ。
少なくとも彼女たちは、大事な家族に置いていかれた結果──、今こうして、この孤児院に残されているのだから。
重い空気を作ってしまったことに気づいたのだろう。
マルシェラは、「ごめん」と一言謝った。
そして、今度はいつもの調子に戻り、わたしを指差す。
「お昼ごはん、トマトとカボチャのスープだから。シスターもさっさと元気出して仕事しなよ」
それだけ告げると、マルシェラはすたすたと部屋を出て行った。
ばたん、と後ろ手に閉められる扉。
残された部屋には、窓から聞こえる蝉の声が響いていた。
「反抗期ってやつかしらねぇ」
ぼそりと呟くわたし。
まあ、最近は常時ツンツンしてはいるけれど、あれはあれで可愛いところもあるのだ。
トマトとカボチャのスープはわたしの大好物。
元気のないわたしのために、わざわざ用意してくれていたのだろう。
「そうよね。ニナちゃんがいない分、わたしがみんなの笑顔のために頑張らなくちゃ!」
ふんす、と気合いを入れて、わたしはうきうき気分で食卓へと向かうのだった。
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