面喰い令嬢と激太り皇帝

今井ミナト

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あなたが痩せてさえいれば

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 気がついたのは割り当てられた寝室のベッドの上だった。右手首には昨日の儀式により浮き出た聖痕が腕輪のように金色に光っている。
 無事に婚姻が成立した、いやむしろしてしまった実感がわいてくる。

 しかし、私の心境はまったく無事ではなかった。皇帝陛下はよりにもよって私の恐怖の対象である太った男性だったのだ。ちらりと見えた姿は平均男性の三倍以上の目方はありそうだった。
 ぞぞぞぞ、と思い出しただけで鳥肌が立つ。まずいことになった。このままではお世継ぎどころかまともな公務も望めない。

 お父様、何が美少年だ。いや、十年以上前なのだからそういうこともあるだろう。身近な美少年が容姿だけは順当に成長していたので失念していた。

 昨日の挙式で私が倒れてしまったことで初夜は延期になったのだろう。それが今日になるのか明日になるのか私にはわからない。
 ――できるだけ遅ければ良いのに。きっと私は受け入れられない。

 憂鬱な気分でため息をつくと、侍女が私が起きたのに気付いて身支度を整えるよう手配してくれた。身支度を整え終わると侍従がやってきて、今晩皇帝陛下が訪れると無慈悲にも告げた。


  *  *  *


 自室のベッドで皇帝陛下の訪れを待つ。使用人達によって体中丁寧に擦り込まれたかぎ慣れない香油がそわそわと落ち着かない気分に拍車をかける。
 しかも私は、美しい刺繍の施された肌着だけというあられもない格好だ。腕や脚の見えるこの格好ではどうやったって蕁麻疹を隠せない。
 不安と恐れと焦りのせめぎあった感情に身体が震える。せめて何かをと、毛布を肩からすっぽりと被り、胸の前で握りしめた。

 入るぞ、と声が聞こえて、陛下の寝室とつながるドアノブががちゃりと音をたてる。

 改めて拝謁した皇帝陛下はやはり大きかった。ガウン越しでもたっぷりとした胸とお腹は存在感を誇っており、たっぷりとした二重あごに顔が埋もれている。癖のある茶色の髪は洗ったためか、汗のためか濡れていた。

 私はぎゅっと毛布をさらに強く握る。昨日は不意打ちだったから失神してしまったけれど、落ち着けばなんとか話くらいはできそうだ。

「その……、体調は大丈夫か」

 扉を後ろ手で閉めた陛下は、そこから動かずに声をかけてきた。私を気遣う優しい声に涙が溢れそうだ。
 
「はい、お気遣いありがとうございます」

「そちらへ向かっても?」

 皇帝陛下の問いに私は逡巡した。正直な気持ちとしては、否だ。ただ、それを言うことは許されないだろう。私は小さく、はい、と返事をした。

 その返事に緊張した面持ちの陛下がこちらへ向かってくる。その度、私の息は早くなり、胸元やお腹、腕が痒くなってきた。だんだん強くなる痒みについ無意識に片方の手で腕をかいていたらしい。
 心配した陛下が私に大丈夫か、と声をかけ焦った顔でさらに進んでくる。

 私はひっと息を呑み、その拍子にはらりと毛布が外れた。思ったとおり、私の身体にはそこかしこに蕁麻疹が出てしまっている。

 皇帝陛下が驚いたように目を見開いた。

「それはどうした」

 皇帝陛下の足が止まったのをみて安心して息を吐いた。

「お見苦しいものをお見せしてしまい、申し訳ありません。幼少の折から男性恐怖症の気があるようなのです。慣れればだんだんよくなる傾向はありますが、改善できるか私にもわかりません」

 私の言葉に皇帝陛下は数歩距離を取る。それだけで呼吸がかなり楽になった。

「それは痛みはあるか」
「痛みというよりは痒みが強いです」

 皇帝陛下は悲痛な顔で、女医を寄こそうと言ってくださった。薬を塗って早く休むが良い、と。

 皇帝陛下の一貫して優しい態度に申し訳なさでいっぱいになった。元婚約者の王太子にこんなに優しい言葉をかけてもらったことはない。

 陛下の言葉通りすぐに女医が駆けつけてくれ、私の身体に薬を塗ってくれる。それから眠りに落ちるまで、皇帝陛下の悲痛な面持ちが私の頭から離れなかった。


  *  *  *


 翌日、私は皇妃教育の合間に食堂へと来ていた。今はまだ食事時ではないけれど、たくさんの料理人達が忙しく立ち働き、その声や様々な音で賑わしい。

 皇帝陛下があんなに肥った原因がどこかにあるはずだ。五歳でこの恐怖症を発症させてから、我が家に住む使用人達の中でも太っている男性が減量に励む姿――私は申し訳なく思ったが、痩せた後は感謝されることすらあった――を見てきたので知っている。
 原因の大半が食べ過ぎで、太りやすい物を好む食習慣がある場合も多い。太るのには原因があるものだ。

 私が本当に陛下を受け入れるには、私のこの太った男性限定の恐怖症を治すか、陛下に痩せていただくしかない。私の恐怖症の改善はこれまで通り続けようと思うが治る可能性は低い。となれば、陛下の太る原因を探し、それを改善するのが近道だろう。
 
 意気込んで陛下の食事内容を聞いた私への料理長の返事は想定外のものだった。

「陛下は大変魔力が高いので、お食事は一切召し上がられません」

 食事をしないと人は生きられない。そんな常識も常人離れした魔力をもつ陛下には当てはまらないらしい。
 そんなばかな。食事をしていないと言いながら、何かこっそり他のものを食べているとかはないだろうか。

 私はほんの少しと言い張って陛下の執務室を覗きに行った。淑女としては褒められた行いではないけれど、食事を全く取らないことなどあり得るのか気になって仕方がなかったのだ。

 それに、もし本当に食事を取らないのにあの体型になるのであれば、習慣を見直して運動を取り入れるしかない。食事療法と運動療法は減量における両輪。多忙を極めて恐らく運動不足の陛下の身体を鍛えれば、代謝の良い身体になり、どんどん痩せて行くはずだ。

 たどり着いた立派な執務室に陛下は不在。待機していた侍従から陛下は騎士隊の訓練所にいると聞き、急いで足を運んだ。
 そこで目にしたのは、闘技場のような円型の訓練所の中央で何も持たずにたたずむ陛下。周りの兵が剣を構えて斬り込んでくるのを、華麗にかわしては片手で投げ飛ばしている。一人で何人もの兵たちを叩きのめす陛下の姿は、茶色の癖毛とあいまってまさに百獣の王。その戦いぶりは戦鬼の如し。
 
 私はこれ以上陛下を鍛えることは無理だとすぐさま悟った。

 その夜の陛下の訪れはなかった。かわりに、よく休んでほしいと香油と燭台が届けられた。都合が良いはずなのに、寂しく思った私はどうしてしまったのだろう。
 昨日塗りこまれた香油の香りは居心地が悪く感じたけれど、今日の香油は私を安心させてくれる優しい香りがした。


  *  *  *


 次の日、皇兄様から挨拶をしたいと言付けを受けた。先帝陛下は隠居されて離宮にいらっしゃるので、城にいる皇帝陛下唯一の御身内だ。

 侍女の一人とともに帝城の一室に向かうと、皇兄様は両手を広げて私を歓迎する言葉を述べてから、優雅に一礼した。私もお礼を言って、皇兄様に礼を取る。
 初めて会った皇兄様は、元婚約者様にも負けない美丈夫だった。皇帝陛下と同じ茶色の髪はまっすぐでさらさらと美しい。その顔立ちは知性をたたえ、口は優しく弧を描いていた。
 私の男性恐怖症のことは知れているのか、距離をとって接してくれる。

「あの堅物の弟が是が非でも妃にすると決めた女性だから、私も逢ってみたかったんだ。兄の私から見てもあいつは政務にばかり打ち込んでいてね。貴方みたいな方が来てくれて本当に嬉しいよ」

 その笑顔はとても美しかったけれど、なぜだか私は怖いと思ってしまった。それを打ち消すように、よろしくお願いします、と挨拶すると、ああよろしくと皇兄様が答えた。

 別れ際、皇兄様が言った。

「あれで弟は膨大な魔力を使い、欲しいものは何でも手に入れる男だ。父も弟のせいで早々と隠居したし、君との婚姻も相当強引に進めたんじゃないのかい? 気をつけたほうが良い」

 私は礼を取ると足早に退出した。心の奥に嫌なもやもやが溢れて早く吐き出してしまいたかった。

 皇兄様との挨拶に疲れて部屋で休んでいると、皇帝陛下から夕食を共に取るよう誘いがあった。自分が恐ろしければ断っても構わない、との一言を添えて。
 先程の挨拶で疲れていたけれど、誘っていただけたのが嬉しかった。距離があれば大丈夫だろう。そう思った私はその誘いを受けて、どのドレスを着るべきか、化粧は大丈夫か頭を悩ませた。


 夕食の場。晩餐会にしか使わなさそうな長いテーブルの端に陛下がいる。大きなはずの陛下の身体が私の指よりも小さい。それに陛下が平常は食事を取らないことを私は知っている。これは陛下の私への配慮だ。
 そう思うと胸が震えた。勧められた反対の端の席を断って陛下の方へとずんずん進む。

「ここで食事を取らせて下さい」

 二人が手を伸ばせばぎりぎり指先が触れ合える。その距離が今の精一杯。私が頼むと、陛下は二重顎に埋もれた顔で笑った。揺れる燭台の灯りに光る眼は確かに深い蒼なのだなと私は思った。

「フェリーチェ、あなたはとてもよくやっていると聞いている」

 料理が運ばれて目の前に並べられると、陛下が切り出した。

「小国の出身とは思えぬ知識量。我が国の皇族としても恥ずかしくないレベルの振る舞い。皆感心している」

 認めてもらえるのは嬉しい。でもこれは勘違いからきた空回りの十年の成果なのだ。私の微妙な内心を見透かすように陛下は言った。

「その過程がどうであろうと、貴方の努力で得た力は誇っていい」

 私は目頭が熱くなるのを感じて、光栄ですと小さな声で答えた。


  *  *  *


 夕食後、寝室に帰ると手紙が届けられていた。

『皇帝の身体の秘密を教える。龍の刻、聖堂まで一人で来るように』

 そう書かれた手紙に差出人はない。けれども、昨日の夜届けられた香油と同じ匂いがした。
 皇帝陛下だ。もしかしたら昨日の私の不審な行動を見咎められたのかもしれない。そう思うと、弁明がしたくてたまらなかった。

 指定の時間になると、いつも付いている侍女に適当なおつかいを頼み部屋を抜け出した。結婚式では何が何やらわからず向かった聖堂だが、この数日で城内の配置は頭に入っている。
 こんな夜に一人、城を歩くのは初めてだ。誰かに見られたら一人で聖堂には行けないだろう。私は緊張しながら聖堂を目指した。
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