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17話
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飛び出したビール醸造所近くの、ビルに挟まれた細い路地裏、そこでシシーは必死に吐き気を耐えていた。
(ダメだ、吐くな……!全部飲み込め……!でないと、この負けで、自分という存在が……内から……)
チェス『なんぞで』屈辱的な負けをしてしまった自分自身の黒くドス黒い感情が、今、喉元で堰き止められている。吐き出せたら楽になるが、それはあの老人を認めてしまう気がして、許すことができない。一緒に、これまで形作っていた自分自身が流れ落ちていくような気がするのだ。全てを諦め、真っ当な道に戻ることなど、シシー・リーフェンシュタールという人間にはもうできないのだ。
(苦い……!引っ込んで……お願い……!)
必死に飲み込むと、食道をドロドロとした固形物が流れていくのがわかる。気持ちのいいものではない。下腹部から焼けるような熱を感じ、脈打つ。座り込み、目を閉じて呼吸を整えようとするが、途端に急激に吐き気に襲われ、抵抗も虚しく路地裏で勢いよく嘔吐してしまう。地面から跳ね返った吐瀉物が、革のブーツに付着する。
「……はぁッ、ふぅー……」
もう、どうにでもなれ。最初に頭をよぎったのは、そんな諦めだった。陽の当たらない場所で、人知れず酒に酔って嘔吐する。学園の生徒、さらに教師が見たらどう思うのだろうか。優等生の仮面が剥がれ落ちてしまうのだろうか。王子様なんて呼ばれているが、今の王子様の目覚めのキスは、きっとドロドロで苦いだろう。白雪姫はもしかしたら、その味で起きるかもしれない。
「……」
吐瀉物を避けて、その場に座り込む。今日履いている膝丈のスカートはララがくれた、なんとかとかいう高いやつらしい。お尻の部分を汚すは申し訳ない気もするが、どうでもいい。そういえばこのピーコートも、中の青いパーカーも、皮のブーツも全部彼女からの貰い物だ。自分自身なんてどこにもないじゃないか。
「ははっ」
ここまでくると笑えてくる。きっと今日の星占いは最悪だろう。『老人に気をつけて』とか、『飲み過ぎ注意』とか、そんなことも書かれていたかもしれない。代わりになにかいいことはあるのだろうか。夕飯が自分の好きなものとか、たまたますれ違った人の香水がすごく自分の好みだったとか、その程度でいい。それくらいでオレは幸せを感じるような人間なんだ。
「うぐッ、おぁぁぁッ……あぁ、もう!」
まだ胃に残っていたらしい。再度嘔吐する。リスクを求める、それが自分の性格だと思っていたが、店内で吐きそうになったら逃げ出してしまった。本質に苛立つ。かつてチェスで一度敗北しただけで引退したり、自殺したりした世界トップレベルの選手もいたらしい。なにをそんなに、と思っていたが、五割くらいは今ならわかる。
もちろん、自分自身が最強かと問われれば、シシーはそうではないとわかっている。一二歳で世界最高の称号であるグランドマスターの称号を手にした少年もいたくらいだ。わかってはいるのだが、自分の中の安いプライドが負けを許してくれない。リスクを味わいたかっただけのはずが、次も遊ぶために勝ちを欲する。でも負けた。ごっそりと臓器を持っていかれた気分だ。
「深呼吸……落ち着け……」
まずは一旦、口に出して現状を把握。
「あのじいさんには関わるな……酒もしばらくやめよう……ベルリンで優雅に暮らすんだ……」
自分自身に言い聞かせる。
「……とりあえず、帰るか」
デュッセルドルフからベルリンまで電車で五時間弱かけて来た。ひとりしか対局出来なかったが、しかたない。今なら夜には着く。熱いシャワーを浴びて、ふかふかのベッドでぐっすり寝る。明日から学校にまた普通に通い、友人達とランチをし、学校終わりに買い物でもしてそれから——。
(ダメだ、吐くな……!全部飲み込め……!でないと、この負けで、自分という存在が……内から……)
チェス『なんぞで』屈辱的な負けをしてしまった自分自身の黒くドス黒い感情が、今、喉元で堰き止められている。吐き出せたら楽になるが、それはあの老人を認めてしまう気がして、許すことができない。一緒に、これまで形作っていた自分自身が流れ落ちていくような気がするのだ。全てを諦め、真っ当な道に戻ることなど、シシー・リーフェンシュタールという人間にはもうできないのだ。
(苦い……!引っ込んで……お願い……!)
必死に飲み込むと、食道をドロドロとした固形物が流れていくのがわかる。気持ちのいいものではない。下腹部から焼けるような熱を感じ、脈打つ。座り込み、目を閉じて呼吸を整えようとするが、途端に急激に吐き気に襲われ、抵抗も虚しく路地裏で勢いよく嘔吐してしまう。地面から跳ね返った吐瀉物が、革のブーツに付着する。
「……はぁッ、ふぅー……」
もう、どうにでもなれ。最初に頭をよぎったのは、そんな諦めだった。陽の当たらない場所で、人知れず酒に酔って嘔吐する。学園の生徒、さらに教師が見たらどう思うのだろうか。優等生の仮面が剥がれ落ちてしまうのだろうか。王子様なんて呼ばれているが、今の王子様の目覚めのキスは、きっとドロドロで苦いだろう。白雪姫はもしかしたら、その味で起きるかもしれない。
「……」
吐瀉物を避けて、その場に座り込む。今日履いている膝丈のスカートはララがくれた、なんとかとかいう高いやつらしい。お尻の部分を汚すは申し訳ない気もするが、どうでもいい。そういえばこのピーコートも、中の青いパーカーも、皮のブーツも全部彼女からの貰い物だ。自分自身なんてどこにもないじゃないか。
「ははっ」
ここまでくると笑えてくる。きっと今日の星占いは最悪だろう。『老人に気をつけて』とか、『飲み過ぎ注意』とか、そんなことも書かれていたかもしれない。代わりになにかいいことはあるのだろうか。夕飯が自分の好きなものとか、たまたますれ違った人の香水がすごく自分の好みだったとか、その程度でいい。それくらいでオレは幸せを感じるような人間なんだ。
「うぐッ、おぁぁぁッ……あぁ、もう!」
まだ胃に残っていたらしい。再度嘔吐する。リスクを求める、それが自分の性格だと思っていたが、店内で吐きそうになったら逃げ出してしまった。本質に苛立つ。かつてチェスで一度敗北しただけで引退したり、自殺したりした世界トップレベルの選手もいたらしい。なにをそんなに、と思っていたが、五割くらいは今ならわかる。
もちろん、自分自身が最強かと問われれば、シシーはそうではないとわかっている。一二歳で世界最高の称号であるグランドマスターの称号を手にした少年もいたくらいだ。わかってはいるのだが、自分の中の安いプライドが負けを許してくれない。リスクを味わいたかっただけのはずが、次も遊ぶために勝ちを欲する。でも負けた。ごっそりと臓器を持っていかれた気分だ。
「深呼吸……落ち着け……」
まずは一旦、口に出して現状を把握。
「あのじいさんには関わるな……酒もしばらくやめよう……ベルリンで優雅に暮らすんだ……」
自分自身に言い聞かせる。
「……とりあえず、帰るか」
デュッセルドルフからベルリンまで電車で五時間弱かけて来た。ひとりしか対局出来なかったが、しかたない。今なら夜には着く。熱いシャワーを浴びて、ふかふかのベッドでぐっすり寝る。明日から学校にまた普通に通い、友人達とランチをし、学校終わりに買い物でもしてそれから——。
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