ブラッディ・チェイサー

猫山はる

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第1章 吸血鬼編

第10話 共闘、そして暴走

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ブラックドッグが、その禍々しい爪を振り下ろした瞬間、玖狼は一瞬の判断で環の肩を引っ張り、地面に倒し込むようにして避けた。
「…ちっ」
その一撃は玖狼の肩を掠めていた。
しかしすぐさま立ち上がり、環を背にかばう。

「っぶねえ!たま、足動かせ!今すぐ!」

「言われなくても動かしてるからっ!」

環も起き上がって、ブラックドッグから距離を取る。
ブラックドッグはその動きに釣られたように環に向かって駆け出そうとした。

その刹那、玖狼は掌の上で銃をくるりと回転させ、異形の胴体向かって発砲した。

―――グォオオオ…!!

ブラックドッグは腹の底に響くような唸り声を上げた。血のような黒い液体が傷口から滴り落ちた。
確かにダメージは入っているらしい。

――――ヴォオオオオオオオン

自らに傷を負わせた玖狼に向き直り、憎々しげに咆哮する。低い姿勢で、再び飛びかかってこようとする。
耳を覆いたくたるほどに不快な鳴き声だ。

「一発じゃだめか……!次は脳天に当ててやる!」
玖狼は再度銃を構え、異形に照準を合わせる。
同時にブラックドッグが地面を蹴り、玖狼に迫る。


その瞬間、環は思いきって走り出し、フェンスを蹴って、ブラックドッグの腹部に向かって飛び蹴りを食らわせた。

―――ガウッ

その軽やかさに自分でも驚いて、思わず叫んだ。

「……当たった!」

蹴り飛ばされたブラックドッグは派手に転がり、横向きに倒れた。

「よし、初めてにしては悪くねえぞ、たま!」
―――パシュッ
玖狼がブラックドッグの頭部に向かって、すかさず弾丸を放つ。
ブラックドッグはびくん、と体を弾ませて動かなくなった。


「し、死んだ…?」
環が近くの小石を拾って、ブラックドッグに投げつける。
すると
――――ガァアアアアア
と断末魔の叫びをあげ、足をばたつかせた。
「うわ!!」
環は思わず仰け反った。


「しつこいやつだな」
――グシャッ
ブラックドッグに近づいていた玖狼が、無表情にその頭を踏み砕いた。
黒い液体が当たりに流れ出て、広がったかと思うと、砂のようにサラサラと崩れ、消えてしまった。

環がおそるおそる玖狼のほうを見ると、今までに見たことがないような冷たい表情で、足元を見おろしていた。
環はその様子に息を呑んだ。
環と対峙していたときとは全く違う表情だった。
そして、とある疑問が頭をよぎる。
(こいつ、私にずっと手加減してたんじゃ…?)


そんな環の頭の中を知ってか知らずか、玖狼は、ぱっと顔を上げ、環の方へ顔を向けると、意地悪そうに口の端をあげ、
「お前、吸血鬼のくせにびびってんじゃねーよ」
と茶化すように笑った。

その様子にイラッとしつつも、安堵した。
「うるさい。で?今の、やっつけたの?」
環が尋ねると、玖狼は拳銃を胸元にしまいつつ、肩を竦めた。

「ああ。とりあえず今のは“消えた”な。」

「よかった……死ぬかと思った……」

環がその場にへたり込む。
その拍子に玖狼の腕が視界に入り、はっと顔を上げた。
玖狼は右手で左肩を押さえていた。
傷口から、血がじんわりと滲み、ぽたぽたと赤い雫が地面に落ちている。


「君、怪我して……!私を庇ったとき?」

「ん? ああ。かすり傷だな。よくあることだ」

玖狼は何でもないふうに笑って見せたが、血が滴るほどの怪我だ。かなり深いだろう。
環は何か止血できるものがないかポケットを探ろうとした。


その瞬間─。

―――ドクン

心臓が跳ね、
環の視界が歪んだ。

「……ぁ……」


甘くて、熱くて、濃密なにおいが鼻腔に広がる。
熟れた果実のような、頭の奥を痺れさせる匂い。
強烈な空腹と喉の渇きが一気に襲ってくる。
環は目を見開き、口元に手を当ててよろめく。

「……なに、これ」

「──たま?」

玖狼が怪訝な顔をして環を見る。
環は体を丸め、震える手で顔を強く押さえていた。
「うう…!」と苦しげに呻いている。
玖狼は自分の血の滴る腕をちら、と見て、何かを察したように身構える。

「そういえばお前、吸血鬼だったな…!」

胸元から拳銃を抜いた。

沈黙が周囲に広がる。
玖狼は、環の一挙手一投足に集中していた。
拳銃の照準を環にゆっくりと合わせる。
拳銃を持つ手は血で汚れていた。
左肩から一筋、つう、と血液が滴り、ぽた、と地面に落ちた。

その瞬間。

環は玖狼に向かって弾かれたように飛び掛り、そして彼に体当りした。

「ぐっ…くそっ!」


環は玖狼の上に馬乗りになり、両腕を押さえつけ、身動きを封じた。
油断した、と玖狼は舌打ちした。
甘かった。もっと警戒しておくべきだった。

環の瞳は、獣のようにギラギラと妖しく金色に輝いていた。

しかし、獣のような瞳の中に怯えがあった。
「や、だ……っ」
何かに必死に抗うような声だった。
玖狼は目を見開いた。
環の目には涙が浮かび、今にも零れそうだった。

「血……なんて、飲みたくない……!」

玖狼はそんな環の様子を、憐れむような表情で見つめていた。
抑えつける環の腕を押し返そうとするが、彼女の腕には驚くほどの力がこもっていた。

「……マジかよ、すげー馬鹿力……」

環の目が、徐々に虚ろになっていく。
その目にはもう、玖狼の腕の傷から滴る血しか写っていないかった。うっとりと目を細め、血の匂いに酔っているようだった。
彼女の意思とは裏腹に、本能で人間の血を欲していた。
玖狼は、眉間にしわを寄せながら、その様子をなす術なく眺めていた。

環の顔がゆっくりと近づいてくる。
唇が、血に触れる距離になった。
その光景はどこか儀式めいていて、美しさすら感じる動きだった。


「本能の暴走か……」

玖狼はため息混じりに言った。そして、諦めたように体の力を抜いた。

「ったく、しょうがねえな……一口だけだぞ。変なとこ噛んだら殺すからな」

環は、そっと玖狼の腕に口をつけた。
―――ごくり
環の喉が鳴った。
舌先に触れた血は、熱く、甘く、喉の奥を満たす蜜のようだった。体の隅々まで多幸感が行き渡る。
環の腕の力が緩んだ。

──その瞬間を、玖狼は見逃さなかった。

ゴッ……!

鈍い音がして、環の身体が玖狼の胸元に崩れ落ちた。

玖狼の右手には、拳銃。
グリップの部分で環の側頭部を殴ったらしい。

「……タダで俺の血飲みやがって、この馬鹿」

いてて、と呻くように呟きながら、起き上がり、怪我をした肩を押さえる。
まだ血が滲んでいる。玖狼は小声で何かを、呟く。
すると黒いもやのようなものが玖狼の肩の周りに集まってきて、傷口にまとわりついた。しばらくすると血は止まり、傷口がみるみる塞がっていった。
「こんなもんかな」
軽く肩を回す。傷あとは残ったものの怪我は完治していた。

次に玖狼は膝の上で気を失ってしまった環を見下ろす。
側頭部から一筋の血が流れていたが、それもすぐに止まり、痕すら残らずに傷が消えていた。
吸血鬼の回復力には、驚きを通り越して呆れる。
玖狼は環の頭に触れ、血のあとを指で軽く撫でた。
よかった。傷あとが残っていたら、後でなんと言われるか。

(……やっぱり、こいつ。“親”に何も教わってねぇ。血の摂取どころか、本能の制御も……)

目覚めてから誰にも保護されず、ただひとり。
変異したばかりの吸血鬼。記憶も曖昧。これはなかなかに過酷な状況だろう。

「ほんと、かわいそうなことになってんな……」

先ほども、自分の吸血衝動に怯えるような様子があった。
玖狼には、環が連続通り魔事件の犯人だとは、どうしても思えなかった。
玖狼は膝にぐったりと体を預ける環の額に、軽くでこピンをした。

「おい、起きろ」

「……ううん……」

環は眠ったまま、小さく声を漏らす。

「……起きねぇし」

玖狼はふうっと深いため息を吐いた。
そのまま空を仰ぐ。
夜空では、星がキラキラと能天気に瞬いていた。
少しそれを眺めていたが、途方に暮れたようにぼそっとこぼす。

「……さて、これからどうすっかな」

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