ブラッディ・チェイサー

猫山はる

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第2章 犬神編

第48話 静寂、そして

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――静かだった。

血の匂いが、濃く漂っている。
天井から、ぱら……と瓦礫の落ちる音がした。

つい先ほどまで、
怒号と破壊音で満ちていた事務所が、
嘘のように沈黙している。


聞こえるのは、
環の浅く途切れがちな呼吸音だけだった。


「……たま」
玖狼は、ほとんど無意識にその名を呼んでいた。

返事はない。

視線を落とすと、床に広がった血が、靴底の先まで迫っている。

環の血だ。

倒れた彼女の顔を覗き込む。
頬が青白い。
当然だ。
相当な量の血液を失っている。

鉄の匂いが、喉に絡みつく。
環の背から血の鎖が噴き出した時の光景が、頭から離れなかった。

美琴に目を向ける。
壁際に立ち、環を厳しい顔で見つめていた。


ガチャリ、と事務所の扉が開く。

振り向くと、そこにはシエラが立っていた。
彼は事務所に残された3人を一瞥し、すぐに状況を察したようだった。

倒れた机。
血の跡。
床に横たわる環。

そして――

「すまん。
儂としたことが、敵を取り逃がしてしもうた」

シエラは、玖狼と美琴に頭を下げる。
見たところ、シエラ自身に怪我はないようだった。

「やめろよ、らしくねえ」
玖狼はバツが悪そうにそっぽを向いた。
「そうね…
私たちも、何もできなかったわ」
美琴も力なく相槌を打つ。

誰も、
それ以上言葉を続けられなかった。

玖狼の胸に、暗い影が落ちる。
犬飼夏樹は去った。
だが、脳裏に焼きついているのは、
血に塗れ、理性を失った環の姿だった。

あの力は、危険だ。
力を制御できないようであれば、十三課が保護の名目のもとを取る可能性もある。

それはつまり――。

玖狼は膝をつき、環のそばにしゃがみ込んだ。

そっと彼女の肩に触れる。

環は、何も知らない顔で眠っている。

体温がある。
呼吸がある。

細く、薄い肩。
頼りなさげな背中。

(――生きてる)

その事実だけが、
この場に残された、唯一の救いだった。

「……この、馬鹿」

低く、掠れた声で呟く。

「無茶しやがって……」


***


美琴は、夏樹が語っていた『鬼の解放』について、シエラに伝えた。

シエラは目を伏せたまま聞き、
やがて、顔を上げると、厳しい顔で言った。

「…ゆっくりしている暇はないな。」

空気が引き締まる。
シエラは少年のような見た目だが、その言葉には幾年もの歳月が積み重なっており、不思議と重みがある。
十三課の上層部でさえ、シエラのことは一目置いていた。

「犬飼が解放したという鬼――奴を片付けねばならん」

いつもの好々爺然とした雰囲気とは異なり、鋭い目をしている。
玖狼はその言葉に、眉をしかめた。

「一体、どんなやつなんだ?」

「時代に取り残された、哀れな鬼だ」

「なんだそれ。羽柴さんも知ってるのか?」

玖狼は、美琴に顔を向ける。
美琴は顎に手を当て、答えた。

「おそらく、悪羅王のことでしょうね。
江戸時代から明治までに、悪鬼どもを率いて世に混乱をもたらした鬼の首魁しゅかい
当時の明治政府の傘下だった退魔組織に捕縛され、十三課がその身柄を引き継いだ――」


ドガシャアアアアアアン…!


美琴の言葉に重なるように、遠くから轟音が響いた。

「…派手にやってやがるな。
おかげで、居場所を探す手間が省けるぜ」

シエラと美琴はその言葉に頷く。

「時代錯誤な輩に、引導を渡してやろう」
「これ以上、好き勝手させないわ」

玖狼は環を肩に担いだ。
意識を失った環は、ずしりと重かった。

「ったく、手間かけさせやがって」

そう悪態をつきつつも、玖狼は環の体から伝わる微かな温もりに、少し安堵していた。

シエラが眠っている環の頭をぽんと撫でる。

「大変だったな、環。
起きたら特製の血液ドリンクを飲ませてやろう」

「その前に説教だ」

玖狼が短く返す。

美琴はそのやり取りを、複雑な表情で見守っていた。

一行は、崩れかけた通路の奥へと歩き出す。


――悪羅王のもとへ。
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