狐月夜の終わりに

猫山はる

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柚月の記憶

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柚月が物心がつきはじめた頃。


両親と祖母の家に帰省し、村の同じ年頃の女の子と遊んでいた。
稲穂の波打つ田んぼの畦道で追いかけっこをしていると、遠くの方で何か白いものがゆらゆらと揺れているのが見えた。
柚月は立ち止まり、指をさす。

「✕✕ちゃん、あれ何?」
「え、どれ?」
友達も足を止め、柚月の指先をたどる。
「ほら、向こう。白くて、風に揺れてる」
「なあに、それ。見えないよ」

柚月はおかしいな、と小首をかしげた。
たしかに見えるのに。



柚月はそれが何か近づいて確認しようとした。

―――そのとき、

「だめですよ」
「きゃっ」

いつのまにか、祖母が背後に立っていた。
祖母の背後には、友達の母親の姿もある。

「柚月ちゃんには、大事なお勤めがあるんだから、邪魔をしてはいけないのよ」
母親は自分の子に言い聞かせるように言った。
少女は不満そうに唇を尖らせながらも、母親に手を引かれて帰っていった。

今になって思えば――
その母親は、人ならざるものが見える柚月を気味悪がっていたのだろう。
そして、自分の子が柚月の機嫌を損ねることを恐れていたのかもしれない。

幼い柚月には、そんな大人の事情など分からなかった。

祖母が柚月の前に立ち、白く揺らめく物体から遮るようにして言う。

「あまりじっと見てはいけませんよ。
あれは淋しがりやで、柚月みたいな可愛い子を自分の住処に連れて行ってしまうのですから」
「そうなの…?あれは何なの?」
「知ろうとすることも、いけません。あれに出会ったら、静かにその場を離れるのです」
「なんだか、怖い…」
「毅然とした態度で、あなたなんか怖くありませんよ、という顔でいれば大丈夫です
出会ったとき、どうすればいいかを知っておくことが大切なのですよ」
「お祖母ちゃんは、怖くないの…?」
「怖いですよ。でも、怖くないふりはとっても上手なんです」

より子はそう言って、ふっと微笑んだ。

***

家に戻ると、幼い柚月は、縁側に座ってしょんぼりと膝を抱えていた。

「お祖母ちゃん、どうして村の人たちは柚月と遊んでくれないの?」

より子は優しく笑って、柚月の頭をそっと撫でた。

「みんな、村の外の人が少し怖いだけなのですよ。」
「柚月は怖くないよ」

柚月は不満げに言った。
より子はその様子を見てふふ、と笑う。

「ええ、お祖母ちゃんは柚月が優しい子だと知っています。
でも、村の人はまだ知らないのね」

柚月は口を尖らせて俯いた。
より子はそんな柚月の髪を撫でる。

「知らないものを、怖いと思うのは悪いことではありません。
でもね――知らないままでいるのは、時に不自由なこともあるのです」

柚月は首を傾げる。
より子は空を見上げた。
抜けるように透明で高い、秋晴れの空だった。
乾いた風がすすきを揺らし、ざあっと音を立てる。

「ふじゆうってなに…?」
「……そうね。自分で選べなくなること、かしら」

空の彼方を、猫の形をした雲が流れていく。

「あ、猫さんだ」
柚月が雲を指さす。
「あら、丸くなって眠っているみたいですね」

あの雲は、本物の猫のように気ままに、風に乗ってどこまでも流れていくのだろう。

「柚月は、あの雲みたいに生きなさい。
風の向くまま、自由に。
誰かに縛られても、自分の心だけは自由でいなさい。」

「……自由って、どういうこと?」
柚月が首を傾げる。

より子は、穏やかに笑って答えた。

「自分の信じたものを、大切にできることですよ。
たとえ周りが何を言ってもね。」
「うん、わかった!」

柚月は小さな手をぎゅっと握った。
幼い柚月には難しく、すべてを理解できたわけではなかったが「自由」という言葉は、柚月の胸に軽やかな風を吹かせた。
―――そして、より子が手を握り返す。
それは確かに、世界でいちばん優しい温もりだった。

その時、晴れているのに、ぽつりと雨が落ちた。

「お天気なのに、雨が降ってるよ。へんなの」

やがて、しとしとと降り出した雨は、晴れた日差しにきらきらと反射し始める。
より子は手のひらに雨を受け、微笑んだ。

「狐の嫁入り、というのですよ」
「狐さんが結婚するの?見てみたいな」
「ふふ、いつか見られるかもしれません」

目を細めて空を見上げるより子を、柚月は不思議そうに眺めていた。

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