ブラック企業でポイントを極めた俺、異世界で最強の農民になります

はぶさん

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第一話:ポイント亡者の走馬灯

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チカ、チカ、と天井の蛍光灯が不規則に瞬く。まるで、もう限界だと悲鳴を上げているかのようだ。俺、佐藤拓也(さとうたくや)の命と同じように。

カチカチカチ……。静まり返った深夜のオフィスに、自分のキーボードを叩く音だけが、まるで秒針のように無慈悲に時を刻んでいる。ディスプレイに並ぶ無機質な文字列は、もはや脳を素通りしていく記号の羅列でしかなかった。エナジードリンクのぬるい甘さが口内に広がり、胃が小さく痙攣する。もう何徹目だったか、思い出すことすら億劫だった。

「……佐藤くん、これ、明日の朝イチまでによろしく」

背後からかけられた声に、俺は錆びついたブリキ人形のように、ぎこちなく顔を上げる。そこに立っていたのは、俺より二つ年上の上司だった。その手には、新たな絶望の塊――分厚い資料の束が握られている。

「……はい」

喉から絞り出した声は、まるで砂を噛んだかのように乾ききっていた。ここで「できません」と一言でも返せば、明日からの自分の居場所がなくなる。それがこの会社の暗黙のルールだ。俺は震える手で資料――新たな絶望の塊――を受け取った。上司は俺の諦めを“納得”と解釈したのか、満足そうに頷き、鼻歌交じりにオフィスを出ていった。

一人になった部屋で、俺は再びディスプレイに向き合う。時刻は午前三時を回っていた。窓の外は、どこまでも深い闇に沈んでいる。

(ああ、クソ……なんで俺、こんなことやってんだろ)

自嘲気味に呟き、俺はふらつく足取りでトイレに向かった。便座に腰を下ろし、ポケットからスマートフォンを取り出す。これが、この地獄で唯一許された、俺だけの聖域であり、戦場だった。

画面に表示させたのは、煌びやかなゲームアプリではない。SNSでもない。『爆速ポイントゲッター』――それが、俺の命綱だった。

画面には、無数の案件が並んでいる。
『アンケートに答えて1ポイント!』
『新規アプリダウンロードで50ポイント!』
『クレジットカード発行で10000ポイント!』

一見、ただの小遣い稼ぎ。だが、俺にとってこれは、生きるための「戦い」だった。

俺の頭脳は、このポイントサイトのデジタルな奔流の中から、金の鉱脈だけを正確に嗅ぎ分ける探査機と化していた。どの案件がどのタイミングでポイントを増量させるか。どの広告が、他のユーザーが見逃す“隠し仕様(イースターエッグ)”を内包しているか。サーバーの更新時刻、キャンペーンの周期、ユーザーレビューの裏に隠されたサクラの文体パターンまで、全てが俺の脳内データベースにインデックス化されている。

指先が、ディスプレイの上を滑るように動く。俺は、このポイントサイトのあらゆる仕様を記憶していた。

(……金だ)

ディスプレイの光に照らされた自分の顔が、ガラスにぼんやりと映る。そこにいたのは、生気のない、痩せこけた男だった。

(あの時、俺に金さえあれば……)

脳裏をよぎるのは、実の弟のように可愛がっていた養護施設の後輩の顔だった。病に倒れたあいつを救うには、高額な手術費が必要だった。だが、社会に出たばかりの俺には、そんな大金を用意できるはずもなかった。

『拓也さん、ごめん』

最後に会った時、あいつはそう言って力なく笑った。俺は、何も言えなかった。ただ、自分の無力さを呪うことしかできなかった。

あの日からだ。俺が、異常なまでに「ポイント」に、つまりは「金」に執着するようになったのは。1ポイントは1円。それは、後輩の命を救えなかった世界で、俺が唯一信じられる価値だった。

俺はポイントを貯めるためなら、どんな泥臭いことでもやった。昼休みは、1秒でも長くアンケートに答えるために菓子パンを胃に流し込み、通勤電車の中では、吊り革に掴まることさえ忘れて指が攣るほどアプリのダウンロードを繰り返した。1ポイント、また1ポイントと、まるで賽の河原で石を積むように、俺は後輩の命の代わりとなる数字を積み上げていた。それは自己満足であり、終わることのない贖罪だった。俺は、もう二度と、金がないせいで誰かを失いたくなかった。



終電間際の電車に、疲弊しきった体を投げ込む。ガタン、ゴトン、と規則的な揺れが、鉛のように重い瞼を刺激する。ここでも俺は、無意識にスマホを手にしていた。

だが、ポイントサイトを開く気力は、もう残っていなかった。俺はぼんやりと、動画サイトのおすすめリストを眺める。

その中に、ふと、一つの動画が紛れ込んでいた。

『【ソロキャンプ】雨音を聞きながら焚き火で肉を焼くだけの動画』

無意識に、それをタップしていた。スマートフォンの冷たいガラスの向こう側に、全く別の時間が流れていた。画面に映し出されたのは、深い森の中、テントの軒下で燃え盛る柔らかな焚き火の映像だった。パチパチと薪がはぜる音、シトシトとタープを優しく叩く雨音。それは、俺が毎日聞いているキーボードの無機質な打鍵音や、上司の怒声とはあまりにかけ離れた、生命の音だった。男が一人、無言で分厚い肉の塊を鉄板に乗せる。ジュウ、という食欲をそそる音と共に、香ばしい煙が立ち上る。エナジードリンクの化学的な甘さに慣れきった舌が、忘れていた本物の“食”の記憶を呼び覚ますようだった。

俺は、それを食い入るように見つめていた。

別の動画を開く。
『【自給自足】自分で育てた採れたて野菜で最高の朝ごはん』

そこには、朝露に濡れた畑で、瑞々しいトマトやキュウリを収穫する若い夫婦の姿があった。小さな木造の家の食卓で、彼らはシンプルな野菜サラダと焼きたてのパンを、満面の笑みで頬張っている。

「いただきます」

その声は、動画の中から聞こえているはずなのに、まるで自分の心が発したかのように、深く、深く染み渡った。

(いいな……)

ぽつりと、心の声が漏れた。

(こういうの、いいな……)

両親の顔を知らず、養護施設で育った俺にとって、「家族との温かい食卓」は、テレビドラマの中にしか存在しないおとぎ話だった。社会人になれば、いつかは自分も、と夢見ていた時期もあった。だが、現実はどうだ。俺が毎日口にしているのは、コンビニの弁当か、デスクで流し込む栄養ゼリーだけ。

自分で育てた野菜を、自分で料理して、大切な誰かと笑いながら食べる。

そんな当たり前の光景が、今の俺には、手が届かない「楽園」のように見えた。

(これは、もう俺には一生手に入らないものだ)

諦めが胸を支配する。でも、心のどこかで、微かな希望が囁くのだ。

(いつか……いつか、こんな暮らしがしてみたい)

その「いつか」が、永遠に訪れないことなど、とうに分かっているのに。



意識が、途切れ途切れになる。

「佐藤!おい、佐藤!」

誰かが俺の名前を呼んでいる。部長の声か?

「この赤字、どう説明するんだ!お前が担当だろうが!」

違う。これは、先週の悪夢だ。

「拓也さん、ごめん」

後輩の顔が、霞む視界を横切る。やめろ。もう、俺を責めないでくれ。

「いただきます」

動画で見た、あの夫婦の笑顔。湯気の立つスープ。こんがりと焼けたパン。

(ああ、温かいな……)

そうだ。俺が本当に欲しかったのは、これだったんだ。ポイントでも、金でもない。ただ、こんな温かい食卓を、誰かと囲みたかった。ただ、それだけだったのに。

ガクン、と視界が大きく傾いだ。いや、揺れたのは俺の体の方か。気づけば、俺はデスクに突-伏していた。プラスチックの冷たい感触が、頬に張り付いている。目の前のキーボードが、涙も流していないのに、やけにぼやけて見えた。指一本、動かそうとしても、脳からの命令がまるで断線したかのように届かない。

(ああ……俺、死ぬのか)

不思議と、恐怖はなかった。ただ、途方もない疲労感と、そして、一つの後悔だけが、冷たくなっていく心を満たしていた。

(スローライフ……してみたかった、な……)

それが、俺、佐藤拓也の、最期の言葉だった。



暗い。何も見えない。何も聞こえない。

俺は死んだはずだ。それなのに、意識だけが、水の底にいるかのように、静かに浮遊していた。

(ここは、どこだ……?)

その時だった。

ふわり、と温かい光に全身が包まれた。まるで、陽だまりの中にいるような、心地よい温もり。

「―――、―――」

優しい声が聞こえる。何を言っているのかは分からない。でも、その声色が、たまらなく懐かしくて、温かかった。

ゆっくりと、瞼を開く。

視界は、まだぼんやりとしていた。目の前に、巨大な何かが二つ、ぼんやりと映っている。

「……あ、あ……?」

声を出そうとしても、意味のある言葉にならない。赤ん坊のような、か細い声が漏れるだけだ。

そこで、俺は理解した。

(俺は……生まれ変わったのか?)

目の前にいる巨大な何かは、人間だった。俺を覗き込んでいる、一人の男と、一人の女。

男は、日に焼けた顔に、無骨だが優しい笑みを浮かべていた。女は、少し疲れたような顔をしていたが、その瞳は、深い愛情の色に満ちていた。

「よく頑張ったな、リリア」
「ええ、あなた。見てください、私たちの……私たちの宝物です」

女が、俺をそっと抱きしめる。その腕は温かく、柔らかかった。前世では、決して知ることのなかった温もり。

俺は、彼らの言葉の意味を、なぜか理解できていた。

「この子の名前は、もう決めてあるんだろう?」
「はい。ルークス……。ルークス・グルトです」

ルークス。それが、俺の新しい名前らしい。

俺は、貧しい農民の家に生まれた。辺境の、名もなき村に。

だが、そこには、前世で俺が失い、渇望し続けた全てがあった。

俺を優しく見つめる、父と母の笑顔。

窓から差し込む、温かい太陽の光。

そして、遠くで聞こえる、鳥のさえずり。

(スローライフ……)

俺は、小さな、小さな拳を、強く握りしめた。

今度こそ、手に入れてみせる。

ブラック企業で培ったこの執念と、ポイントを極めた分析能力で。

俺だけの、最高の「スローライフ」を。


【読者へのメッセージ】
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
主人公ルークスの、異世界でのスローライフがここから始まります。
彼の前世の経験は、この新しい世界でどのように活かされるのか。
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