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第二十八話:街道亭の夜と、騎士の名
しおりを挟む『風と街道亭』の内部は、俺がこれまで生きてきた世界の、どの場所とも似ていなかった。
高い天井からは、いくつもの油を燃やすランプが吊るされ、店内を昼間のように明るく照らしている。壁際には鹿の剥製が飾られ、床には厚手の絨毯が敷かれていた。そして何より、暖炉の火の温かさとは違う、大勢の人間の熱気が、むわりと肌を撫でた。
酒を酌み交わし、大声で笑い合う屈強な傭兵たち。どこか遠い国の言葉で商談を進める商人たち。そして、吟遊詩人が奏でるリュートの軽やかな音色。その全てが、この辺境の街ランドールが、様々な人間が行き交う「世界の交差点」であることを、雄弁に物語っていた。
「さあさあ、こちらへ!亭主!一番良い席と、この国で一番美味いエールを樽で!それから、腹の減った旅人のための、最高の料理をありったけ持ってきてくれ!勘定は全て私持ちだ!」
クラウスは、まるで自分の店であるかのように、大声で亭主に指示を飛ばす。その勢いに、寡黙な騎士――俺の護衛役は、わずかに眉をひそめたが、特に何も言わずに、クラウスが指し示した奥のテーブル席へと向かった。
案内された席は、少しだけ周りより仕切られており、落ち着いて話ができるようになっていた。俺は、騎士の隣にちょこんと座る。腕の中のフェンは、初めて嗅ぐ様々な料理の匂いに、そわそわと鼻をひくつかせている。
やがて、テーブルの上には、俺が村では見たこともないような、豪華な料理が次々と並べられていった。
こんがりと焼かれた、丸々一羽の鳥のロースト。湯気の立つ、魚介の旨味が凝縮されたスープ。そして、艶のあるソースがかかった、分厚い猪肉のステーキ。そのどれもが、強烈なまでに食欲をそそる香りを放っていた。
「さあ、遠慮はいらないよ、ルークス君!長旅で疲れただろう!腹いっぱい食べて、明日に備えるんだ!」
クラウスに勧められるまま、俺は恐る恐る、鳥のローストにナイフを入れた。柔らかい肉からは、じゅわっと肉汁が溢れ出す。一口食べると、ハーブと香辛料の複雑な香りが、肉の旨味と共に口の中に広がった。
(……美味い)
村の、塩とハーブだけの素朴な味付けとは、次元が違う。これが、街の料理か。俺は、夢中で肉を頬張った。
「はっはっは!見事な食べっぷりだ!作り手も、これだけ喜んで食べてもらえれば本望だろう!」
クラウスは、エールを呷りながら、満足そうに頷いている。その一方で、彼は商人としての本分を忘れてはいなかった。
「して、ルークス君。君は、一体どうやって、あの奇跡のような野菜やプリンを作り出したんだい?村の連中は『神の啓示』だなんて言っていたが、私にはどうも、そうは思えなくてね。あれは、何か特別な『知識』の産物じゃないのかね?」
探るような、鋭い視線。俺は、咀嚼する動きを止め、冷静に頭を働かせた。ポイントシステムのことは、絶対に話せない。
「……昔、村に立ち寄った、旅の薬師さんに教えてもらったんだ」
俺は、あらかじめ用意していた、子供らしい言い訳を口にした。
「すごく物知りの人で、土のこととか、お菓子の作り方とか、色々。その人が、不思議な栄養の粒もくれたんだよ」
「ほう、旅の薬師、ねえ……」
クラウスは、明らかに納得してはいなかったが、それ以上追及することはなかった。彼は、この子供が、見た目通りの無垢な存在ではないことを見抜いている。そして、その秘密こそが、莫大な利益を生む金の卵だと確信しているのだ。
「まあ、いいだろう。君の秘密を、無理に詮索するつもりはないさ。だが、一つだけ、忠告しておこう」
クラウスは、声のトーンを少しだけ落とした。
「明日、お会いする辺境伯レオナルド様は、悪いお方ではない。むしろ、この辺境の民のことを、誰よりも深く考えておられる、名君だ。だが、それ故に、新しいものを、特に『得体のしれない力』を、警戒されるきらいがある。決して、嘘をついてはいけないよ。あのお方は、人の嘘を、その目で見抜かれる」
その言葉は、胡散臭い商人の口から出たとは思えないほど、真摯な響きを持っていた。
(嘘を見抜く……か)
俺は、ゴクリと唾を飲んだ。ポイントシステムの根幹を隠しながら、どうやって誠意を伝えればいいのか。明日の謁見は、俺が思っている以上に、困難な「交渉」になるかもしれない。
◇
賑やかな宴が終わった後、俺は騎士に連れられて、宿屋の三階にある一室へと案内された。
部屋は、決して広くはなかったが、清潔で、そして俺にとっては贅沢すぎるほどの空間だった。ふかふかの羽毛が詰まったベッド。歪みのないガラスがはめ込まれた窓。そして、蝋燭の光を優しく反射する、磨かれた木の床。
俺は、生まれて初めて見る「本当のベッド」に、おそるおずるといった様子で腰掛けた。
「……明日の朝は早い。今のうちに、休んでおけ」
騎士は、そう言うと、部屋の隅にある硬い椅子に腰を下ろし、再び見張りの体勢に入ろうとした。
「……あの!」
俺は、思わず彼を呼び止めていた。騎士は、訝しげにこちらを振り返る。
「……あなたの、名前は?」
その問いに、騎士は少しだけ、虚を突かれたという顔をした。彼は、しばらくの間、何かを考えるように黙り込んでいたが、やがて、短く、しかしはっきりと答えた。
「……ギデオンだ」
「ギデオン……さん」
俺がその名を口にすると、ギデオンと名乗った騎士は、少しだけ居心地が悪そうに視線を逸らした。
「……一つ、教えてやる」
彼は、ぽつりと、独り言のように言った。
「辺境伯様は、誠実な人間を好まれる。小細工は、するな。お前の言葉で、ありのままを話せばいい。……それだけだ」
それは、クラウスの忠告とも重なる、無骨だが、心のこもった助言だった。
ギデオンは、それだけを言うと、今度こそ椅子に腰を下ろし、静かに目を閉じた。
俺は、ベッドに横になり、マーサさんの外套を掛け布団代わりにした。隣では、フェンが安心しきった様子で、丸くなっている。
窓の外からは、まだ街の喧騒が、遠い潮騒のように聞こえてくる。
懐の、父さんが作ってくれた木彫りの人形を、強く握りしめる。家族の顔、村のみんなの顔が、次々と脳裏に浮かんだ。
(……大丈夫。俺は、一人じゃない)
俺は、静かに目を閉じた。
明日、この街の領主に、会いに行く。
俺のスローライフを守るための戦いに、負けるわけには、いかない。
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【読者へのメッセージ】
第二十八話、お読みいただきありがとうございました!
辺境伯の街での、初めての夜。クラウスとの再会、そして寡umasuな騎士ギデオンとの静かな交流を通して、ルークスが少しずつ未知の世界に適応していく様子を描いてみました。
「鳥の丸焼き、食べたい!」「ギデオンさん、良い人!」「いよいよ明日か…!」など、皆さんの感想や応援が、ルークスに謁見を乗り切るための知恵と勇気を与えます。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
ついに明かされる、辺境伯レオナルドの人物像。そして、ルークスが挑む、人生最初の「交渉」。物語は、大きな山場を迎えます。次回、どうぞお見逃しなく!
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