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第三十話:王の試練と、農民の知恵
しおりを挟む「この、枯れかけの雪中花を、再び咲かせることができるか?」
辺境伯レオナルドから突きつけられた、あまりにも突然で、そしてあまりにも無慈悲な試練。その言葉は、謁見の間の荘厳な静寂の中に、絶対的な命令として響き渡った。
俺は、その場に膝をついたまま、呆然と目の前の光景を見つめていた。
父である辺境伯に必死に助けを求める、美しい金髪の少女、エレナ。その手に抱えられた、見るからに弱り果て、うなだれた白い花。そして、玉座から俺を射抜く、全てを見透かすような領主の厳しい瞳。
(……最悪だ)
これ以上の最悪が、あるだろうか。旅の薬師という、かろうじて作り上げた嘘の信憑性を試されるだけでなく、その証明が、今まさに枯れ果てようとしている一つの命に委ねられたのだ。成功すれば儲けもの、失敗すれば偽証罪で即刻、牢獄行き。ブラック企業も真っ青な、究極の無理難題(デストラップ)だった。
謁見の間の空気が、張り詰める。護衛役の騎士ギデオンは、表情こそ変えないが、その鎧の下で息を殺しているのが分かった。辺境伯の隣に控える執事らしき老人も、この無茶な展開に、困惑の色を隠せずにいる。
俺の脳裏に、前世の記憶が嫌というほど蘇る。納期目前のシステムトラブル。理不尽な仕様変更。そして、全てを俺一人の責任にして、冷たく言い放った上司の顔。
(またかよ……。また、俺は、こういう理不尽の前に、ただひれ伏すしかないのか……)
諦めが、冷たい霧のように心を覆い尽くそうとした、その時。
腕の中で、フェンが、くん、と小さく鼻を鳴らした。その小さな温もりが、懐で握りしめた父さんの木彫りの人形の感触が、俺を現実へと引き戻す。
(……違う)
あの頃の俺とは、違う。今の俺には、力がある。この絶望的な状況を、覆しうるだけの「知識」と「ポイント」という武器が。
俺は、ゆっくりと、しかし深く息を吸い込んだ。恐怖で凍てついていた思考が、急速に回転を始める。
俺は、顔を上げ、辺境伯の目を真っ直ぐに見返した。
「……辺境伯様。お受けいたします」
その、八歳の子供らしからぬ、静かで、しかし揺るぎない覚悟のこもった返答に、謁見の間の空気が、再びわずかに揺らいだ。
「ですが、そのためには、まず、このお花の状態を、詳しく拝見させていただきたく存じます」
俺がそう願い出ると、レオナルドは、面白そうなものを見るかのように、わずかに片眉を上げた。
「……よかろう。エレナ、その鉢を、彼に」
「は、はい、お父様……」
エレナは、まだ涙の浮かぶ青い瞳で、不安そうに俺を見ながら、おずおずと植木鉢を差し出してきた。俺は、彼女からそれを受け取ると、ゆっくりと立ち上がり、ステンドグラスから光が差し込む、明るい場所へと移動した。
俺は、その小さな植木鉢を手に取り、誰にも気づかれないように、意識を集中させた。
(スキル『鑑定』『薬草知識』、同時発動!)
その瞬間、俺の両の瞳が、網膜の裏から焼かれるかのように、カッと青白い閃光を放った。それは、ほんの一瞬の出来事で、他の者には、朝の光が俺の目に反射したようにしか見えなかっただろう。だが、俺の脳内には、この花の全ての情報が、奔流となって流れ込んできた。
【鑑定】
【雪中花(せっちゅうか)】
【状態:極度の衰弱】
【原因:根腐れ、及び、急性の栄養失調】
【土壌:保水性が高すぎる。栄養素がほぼ枯渇】
続けて、『薬草知識』が、さらに詳細な情報を補足する。
【雪中花】
【特徴:北の狂気の山脈の、雪線近くにのみ自生する希少な高山植物。その名の通り、雪の中でも花を咲かせるほどの強い生命力を持つが、高温と多湿には極端に弱い。】
【育成の注意点:水の与えすぎは、根を腐らせる最大の原因となる。また、その可憐な見た目とは裏腹に、非常に多くの栄養素(特に窒素・リン酸・カリウム)を土壌から吸収する性質を持つ。】
「……なるほどな」
俺は、思わず呟いていた。全ての原因が、一瞬で繋がった。
これは、病気じゃない。これは、純粋な、そして行き過ぎた「愛情」が引き起こした、人災だ。
この美しい王女様は、この花を愛するあまり、毎日、毎日、甲斐甲斐しく水を与え、暖かい部屋で、大切に、大切に育ててきたのだろう。だが、それが、この雪中花にとっては、毒にしかならなかった。故郷である極寒の山脈とは似ても似つかぬ環境。そして、栄養を食い尽くされた土。この花は、甘やかされすぎた結果、生きる力そのものを、失いかけているのだ。
(……これなら、いける)
俺の心に、確かな勝算が灯った。これは、ポイントで奇跡のアイテムを交換しなければならないような、魔法の領域の話じゃない。これは、俺が最も得意とする、知識と分析力で解決できる、「農業」の領域の問題だ。
俺は、辺境伯の方へと向き直った。その顔には、先程までの絶望の色はなく、ブラック企業で幾多の無理難題を解決してきた、問題解決者(トラブルシューター)としての、静かな自信が浮かんでいた。
「辺境伯様。このお花を、再び元気にする方法は、ございます」
俺の、断定的な物言いに、今度こそ、辺境伯の隣に立つ執事が、驚きに目を見開いた。
「しかし、そのためには、三日ほどのお時間と、いくつか、ご用意していただきたいものが、ございます」
前世で、何度も繰り返したプレゼンテーション。その経験が、八歳の子供の口から、理路整然とした要求となって紡ぎだされる。
「ご用意いただきたいもの。一つ、このお城の中庭にある、雪が積もったままの日陰の場所。一つ、馬小屋から、よく乾燥させた馬の糞を少量。そして、調理場から、薪を燃やした後の灰を、ほんの一つまみ。……最後に、最も重要なお願いが一つ」
俺は、そこで一度言葉を区切り、懇願するように涙を浮かべているエレナ王女の目を、真っ直ぐに見つめた。
「今日から三日間、このお花には、決して、一滴たりとも、水を与えないでください」
俺の、あまりにも常識外れな要求に、謁見の間は、水を打ったように静まり返った。枯れかけの花を、雪の中に置き、糞と灰を混ぜ、そして水をやるな?それは、もはや治療ではなく、拷問か、あるいは狂人の戯言にしか聞こえなかっただろう。
「……何を、馬鹿なことを!」
最初に沈黙を破ったのは、執事だった。
「枯れかけの植物を雪の中に置けだと?しかも、不浄な糞尿を混ぜろとは!エレナ様が大切に育ててこられた、この神聖な雪中花に対する、最大の侮辱であるぞ!」
「控えよ、セバスチャン」
辺境伯の静かな、しかし有無を言わせぬ一言が、執事の激昂を制した。その制止を引き継ぐように、エレナ本人が叫んだ。
「お待ちになって!」
彼女は、青い瞳を不安に揺らしながらも、藁にもすがるような思いで、俺に問いかけた。
「……本当に、本当に、それで、この子は元気になるのですか……?」
「はい。お約束します」
俺の、迷いのない返事。
その、異常なまでの自信に満ちた俺の姿を、玉座の辺境伯は、腕を組み、厳しい眼差しで、じっと観察していた。彼は、俺の言葉の裏にある、論理と確信を、その鋭い慧眼で見抜こうとしている。
「……面白い」
やがて、レオナルドは、ぽつりと呟いた。その口元には、初めて、かすかな笑みのようなものが浮かんでいた。
「理由を、申せ。なぜ、雪の中なのだ。なぜ、糞と灰なのだ。そして、なぜ、水を断つ?」
試されている。俺の知識の、本質を。
俺は、ごくりと唾を飲むと、前世で培った全ての知識を総動員し、できるだけ分かりやすい言葉を選んで、説明を始めた。
「この雪中花というお花は、本来、とても寒い場所に咲くお花です。暖かいお部屋は、この子にとっては、暑すぎるのです。雪の中は、この子にとって一番心地よい、故郷のベッドなのです」
「そして、馬の糞と、薪の灰。これらは、汚いものではありません。この子たちが、大きく育つために必要な、最高のご馳走なのです。僕には難しいことは分かりませんが、旅の薬師さんは、そう教えてくれました」
「最後に、水を断つ理由。それは、この子が、少し甘やかされすぎて、自分の力で生きることを、忘れかけているからです。少しだけ喉が渇く思いをさせてあげることで、『もっと生きたい』という、この子の本当の力を、呼び覚ましてあげるのです」
俺の、拙い、しかし真理を突いた説明。それは、謁見の間にいる大人たちの、固りきった常識を、静かに、しかし確実に、揺ぶり始めていた。
レオナルドは、俺の説明を最後まで黙って聞いていた。そして、何かを深く考えるように、しばらくの間、目を閉じた。その厳しい顔つきが、ほんの一瞬、ただの父親のそれに変わったように、俺には見えた。彼の脳裏には、おそらく、娘であるエレナへの、自らの育て方が、この雪中花の姿と重なって見えているのかもしれない。
やがて、彼は、ゆっくりと目を開けた。
「……よかろう」
その、重々しい一言が、謁見の間に響き渡った。
「三日だ。三日後、この花が、お前の言う通り、息を吹き返していなければ、その時は、偽証の罪で、お前のその生意気な舌を、切り落としてくれるわ」
その言葉は、凍てつくように冷たかった。だが、その瞳の奥には、ほんのかすかな、期待にも似た光が灯っているのを、俺は見逃さなかった。
「ギデオン。この者の要求通り、場所と物を用意してやれ。そして、治療が終わるまで、片時も目を離すな」
「はっ!」
王の試練は、正式に始まった。
俺の運命を賭けた、たった三日間の、静かな戦いが、今、幕を開けたのだ。
【読者へのメッセージ】
第三十話、お読みいただきありがとうございました!
ついに始まった、辺境伯との直接対決。絶体絶命のピンチを、知識と交渉術で切り抜けるルークスの姿に、ハラハラドキドキしていただけましたでしょうか。
「ルークスのプレゼン、かっこいい!」「辺境伯、厳しいけど少しだけ期待してる?」「エレナ様、可愛い!」など、皆さんの感想や応援が、雪中花が再び咲くための、何よりの栄養になります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
辺境伯から突きつけられた、三日というタイムリミット。ルークスは、この王の試練を乗り越え、自らのスローライフへの道を切り開くことができるのか。次回、運命の三日間が始まります。どうぞお見逃しなく!
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