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第四十八話:春の兆しと、二つの槌音
しおりを挟む実験農場に、トーマスという最初の仲間が加わってから、ひと月が過ぎた。
ランドールの街を覆っていた冬将軍は、ついにその重い腰を上げ始めたようだった。城壁の上を渡る風は、まだ肌寒いものの、その鋭さを失い、どこか柔らかな湿り気を帯びている。日差しは力を増し、固く凍てついていた畑の土も、日中はふかふかとした温もりを取り戻すようになった。
春は、もうすぐそこまで来ていた。
そして、その春の息吹を誰よりも早く、力強く体現していたのが、俺の実験農場で育つひまわりたちだった。
「まあ……!ルークスさん!もう、わたくしの背を追い越してしまいましたわ!」
その日も、朝から畑の手伝いに来ていたエレナ様が、天に向かってまっすぐに伸びるひまわりの茎を見上げ、感嘆の声を上げた。
ひと月前、か細い双葉だった苗は、今や俺たちの背丈を優に超え、その太い茎には、子供の顔ほどもある大きな葉が、太陽の光を貪るかのように生き生きと茂っている。その圧倒的な生命力は、もはや植物というよりも、天を目指す緑の塔のようだった。
「はい。完成した堆肥の栄養を、お腹いっぱい食べていますから。夏になる頃には、きっと、この城壁の上からでも見えるくらい、大きくなりますよ」
俺がそう言って微笑むと、彼女は「まあ、素敵ですわ!」と、自分のことのように目を輝かせた。
俺たちの日常は、穏やかに、そして満ち足りたものだった。朝は、エレナ様と一緒にひまわりの世話をし、土の声を聴く。昼は、農場の隅に設けた研究スペースで、彼女に植物が育つ仕組みを、俺の前世の知識を交えながら講義する。
「つまり、根から吸い上げたお水と、葉っぱで集めた太陽の光を材料にして、この子たちは自分でお食事を作っているのですわね!なんて賢いのでしょう!」
彼女の、物事の本質を捉える聡明さと、純粋な探求心は、教える側である俺にとっても、大きな刺激となっていた。俺たちの関係は、もはや単なる師弟ではなく、同じ目標に向かって知恵を出し合う、対等な「研究パートナー」そのものだった。
その様子を、セバスチャンが、もはや日常となった光景として、温かい紅茶を淹れながら見守っている。彼の気苦労は絶えないが、その目には、日に日に知的好奇心を輝かせていく主の成長を、心から誇りに思う執事の喜びが浮かんでいた。
◇
その日の午後。俺は、一人でゴードンの鍛冶工房を訪れていた。
工房の中は、以前とは違う、一種の静かな熱気に満ちていた。炉の火は燃え盛っているが、鋼を打つ甲高い音は聞こえない。代わりに、ゴードンが巨大な金床を前に、うんうんと唸りながら、山と積まれた鉄の塊を睨みつけている。
その足元には、無数の、歪な形をした鍬の試作品が、まるで戦場で散った兵士のように、名誉の負傷を負って転がっていた。
「……よう、小僧。また来たか」
俺の気配に気づいたゴードンが、顔を上げる。その顔は、このひと月、満足に眠れていないのだろう、深い疲労に覆われていたが、その瞳の奥には、未だ解けぬ難問に挑む求道者のような、執念の炎が揺らめいていた。
「どうです、ゴードンさん。最高の『相棒』は、生まれそうですか?」
「うるせえ。言うのは簡単だがな、やるのは地獄だぜ、こいつは」
彼は、足元の出来損ないの一つを蹴飛ばした。
「『星喰み』の切れ味を、ただの鉄で再現するだと?無茶にもほどがある。硬さを求めれば、粘りがなくなる。粘りを求めれば、今度は刃がすぐに鈍(なまく)らになる。お前の言う、あの『奇跡のバランス』は、やはり、あの『星屑の黒鉄』でしか、生み出せねえんだよ……!」
その声には、自らの技術の限界に突き当たった職人の、深い苦悩が滲んでいた。彼は、妥協を許さない。だからこそ、苦しんでいる。
俺は、彼の足元に転がる試作品の一つを拾い上げた。そして、スキル『識別』を発動させる。
【量産型農具試作品 No.38】
【状態:失敗作】
【組成:鉄99%、炭素0.8%、その他不純物】
【問題点:焼き入れの温度が高すぎたため、刃の組織が粗大化し、硬いが脆い性質になっている。また、刃の厚みと柄の重量バランスが悪く、振り下ろした際の力が先端に集中しきれていない。】
(……なるほどな)
俺は、彼の苦悩の根源を、一瞬で理解した。彼は、『星喰み』という完璧な答えを知ってしまったが故に、その幻影に囚われているのだ。違う素材で、同じものを作ろうとしている。だが、それではダメだ。素材が違うなら、設計思想そのものを、変えなければならない。
「ゴードンさん」
俺は、彼の前に、二本の指を立てて見せた。
「考え方を、二つだけ、変えてみませんか?」
「……あんだと?」
「一つ目。刃を、もっと薄く、軽くしてください。今の試作品は、『星喰み』と同じ重厚さを求めすぎて、ただ分厚いだけの鉄の塊になっています。これでは、土の抵抗に勝てない」
「馬鹿を言え!薄くすれば、強度が落ちるだろうが!」
「だから、二つ目です。刃の形を、変えるんです。今の刃は、ただ真っ直ぐなだけ。でも、ここに、鳥の翼のような、緩やかなカーブをつけてやるんです」
俺の脳裏には、前世で見た、滑空するグライダーの映像が浮かんでいた。最小限の力で、最大の揚力を得るための、機能美の結晶。
「そうすれば、薄い刃でも強度を保ったまま、土を滑るように切り裂き、受け流すことができる。……力の弱い鳥が、どうして空を飛べるのか。あれは、翼で風の力を受け流しているからです。それと、同じ理屈です」
俺の、あまりにも突飛な、しかし確かな理論に裏打ちされた提案。ゴードンは、雷に打たれたかのように、その場で動きを止めた。
鳥の、翼。
その、鍛冶屋の常識には存在しない、異次元からの発想。それが、彼の閉塞した思考に、風穴を開けた。
「……翼……だと……?」
彼は、何かに取り憑かれたように、その言葉を繰り返した。そして、おもろむに作業台に向かうと、設計図の羊皮紙の余白に、炭の棒で、夢中になって新しい刃の形を描き始めた。それは、俺が言葉で伝えたイメージを、彼の職人としての経験が、瞬時に具体的な形へと昇華させたものだった。
「……面白い」
彼の口元に、久しぶりに、挑戦者の笑みが浮かんだ。
「面白いじゃねえか、小僧……!やってやる。必ず、お前の言う『空飛ぶ鍬』を、この手で生み出してやるぜ!」
工房に、再び、希望の槌音が響き始めた。その音は、以前よりも、どこか軽やかで、楽しげに聞こえた。
◇
ゴードンの工房を後にした俺は、市場の人混みを抜け、貧民街へと続く路地へと足を向けた。トーマスさんの畑の様子が、気になっていたからだ。
彼の畑は、貧民街のさらに外れ、城壁のすぐそばにある、石ころだらけの痩せた土地だった。だが、そこに広がる光景に、俺は思わず足を止めた。
ひと月前、絶望の色しか見えなかったその場所に、確かな「営み」の光景が生まれていたのだ。
畑の一角には、俺が教えた通りの方法で、きちんと管理された堆肥の山が築かれている。まだ発酵途中だが、その山からは、未来の豊穣を約束する、温かい湯気が立ち上っていた。そして、畑の土。全てではないが、その三分の一ほどが、深く、丁寧に耕され、まるで黒い絨毯のように、春の訪れを待っていた。
その畑の真ん中で、一人の男が、黙々と石を拾っている。トーマスさんだ。
「トーマスさん!」
俺が声をかけると、彼は顔を上げ、俺の姿を認めるや否や、太陽のような笑顔で駆け寄ってきた。その顔色は、ひと月前とは比べ物にならないほど良く、痩せていた体には、確かな筋肉がつき始めていた。
「ルークス様!よくぞ来てくださいました!」
「だから、様付けは……。それより、すごいじゃないですか。見違えましたよ、この畑」
俺がそう言って褒めると、彼は少し照れくさそうに、しかし誇らしげに胸を張った。
「へへ。あなたに教わった通りにやってみたら、土の匂いが、日ごとに変わっていくのが分かるんです。それに、この堆肥の山、本当に温かくて。まるで、生きてるみてえで。こいつを見てると、なんだか俺も、まだまだやれるぞって、力が湧いてくるんでさ」
彼は、そう言うと、懐から一つの、小さな布袋を取り出した。
「こんなもんで、申し訳ねえんですが……。こいつは、俺が、この畑で、自分で育てたもんです。あなた様への、せめてものお礼にと……」
彼が差し出した袋の中に入っていたのは、数個の、不格格好だが、ずしりと重いジャガイモだった。去年の秋、わずかに収穫できたものを、冬の間、土の中で大事に保存していた、彼のけして豊かではない暮らしを支える、まさに「命の糧」だった。
「……トーマスさん。これは、受け取れません。あなたの、ご家族のためのものでしょう?」
俺が固辞すると、彼は力強く首を横に振った。
「いいんでさ!女房も、子供たちも、そう言ってやす!『救世主様に、一番美味しいところを食べていただくんだ』って。……俺たちは、あなたに、ただの肥料の作り方を教わったんじゃねえ。未来を、希望を、もらったんでさ。だから、これは、施しじゃねえ。俺たち家族からの、あんたへの、心からの『ありがとう』なんでさ」
その、飾り気のない、しかし何よりも強い想いが込められた言葉。俺は、もう何も言えなかった。
ずしり、と。手のひらに、ジャガイモの重みと、彼の家族の温かい想いが、確かに伝わってきた。
「……ありがとうございます。今夜、ご馳走になります」
俺がそう言って頭を下げると、彼は「へへっ」と、心の底から嬉しそうに笑った。
その笑顔は、どんな高価な宝石よりも、眩しく、そして尊いものに、俺には見えた。
脳裏に、リーフ村の食卓で笑う、父さんと母さん、そしてマキナの顔が重なる。そうだ。俺が見たかったのは、これなんだ。俺の知識が、俺の力が、こうして誰かの食卓に、温かい笑顔を灯すこと。それこそが、俺が目指す、本当のスローライフの姿なのかもしれない。
◇
城の自室に戻った俺の机の上には、一枚の、見慣れない羊皮紙が置かれていた。クラウスさんが、懇意にしている行商人仲間を介して、リーフ村から届けてくれた、初めての「手紙」だった。
そこには、村長のハンスさんが代筆してくれたであろう、少し拙い、しかし温かい文字が並んでいた。
『ルークスへ。
元気にしているか。
村は、お前が残してくれた井戸と陽だまりの家のおかげで、誰一人、腹を空かせることなく、元気に冬を越せそうだ。
父さんも、母さんも、お前のことを、毎日、話している。
マキナが、お前のために、絵を描いたそうだ。
春になったら、帰ってこい。
みんな、お前の帰りを、待っているぞ』
羊皮紙の隅には、マキナが描いたのであろう、ぐにゃぐにゃの線で描かれた、俺と、フェンと、そして家族の笑顔の絵が、添えられていた。
俺は、その手紙を、何度も、何度も読み返した。そして、窓の外に広がる、巨大なランドールの街の夜景を見つめる。
俺の戦いは、まだ始まったばかりだ。
だが、俺には、帰る場所がある。待っていてくれる、人がいる。
その事実が、この異郷の地で一人戦う俺の心を、何よりも強く、そして温かく、照らしてくれていた。
***
【読者へのメッセージ】
第四十八話、お読みいただきありがとうございました!
今回は、ゴードンの新たな挑戦、そしてトーマスの畑に芽生えた確かな希望を通じて、ルークスの革命がもたらす「変化の過程」を、じっくりと描いてみました。最後に届いた、故郷からの温かい便り。彼の心の拠り所を、皆さんと共有できていれば幸いです。
「ゴードンの新兵器、楽しみ!」「トーマスさんのジャガイモに泣いた」「故郷からの手紙は反則だろ…!」など、皆さんの感想や応援が、物語の次のページをめくる力になります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
春の兆しと共に、ランドールの街は、そして人々の心は、ゆっくりと、しかし確実に変わり始めています。次にルークスが起こす奇跡は、一体どんな笑顔を生むのか。次回も、どうぞお楽しみに!
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