ブラック企業でポイントを極めた俺、異世界で最強の農民になります

はぶさん

文字の大きさ
56 / 166

第五十五話:黄金色の波紋と、一人の夜明け

しおりを挟む
夜明けと共に、ランドールの街は、黄金色に染まった。

俺の実験農場に咲き誇った、無数のひまわり。その噂は、春一番の風よりも速く、城壁の街の隅々にまで駆け巡った。

日の出から間もなく、農場の古びた木の扉の前には、噂を聞きつけた人々による、長蛇の列ができていた。彼らは、身なりの良い商人から、埃っぽい作業着を着た職人、そして好奇心に目を輝かせる子供たちまで、様々だった。誰もが、長い冬の終わりと、本物の春の到来を告げるという、奇跡の光景を一目見ようと、胸を躍らせていた。

「すごい……本当に、畑が、光ってるみてえだ……」
「なんてこった……春は、もう来ていたんだな……」

扉の隙間から、黄金色の海を垣間見た人々から、感嘆のため息が漏れる。その声は、もはや単なる噂話への好奇心ではない。厳しい冬を己の力で乗り越え、春の訪れを心から待ち望んでいた、この辺境に生きる全ての人々の、魂の共鳴そのものだった。

その歓喜の輪の中心で、俺は、少しだけ照れくさいような、しかし誇らしいような気持ちで、来訪者たちの整理にあたっていた。

「順番に、どうぞ!押さないでくださいね!」

俺の隣では、エレナ様が、いつもの農作業着姿で、満面の笑みを浮かべながら、楽しそうに来場者たちを案内している。その姿は、もはや深窓の令嬢ではなく、自らが育てた宝物を、誇らしげに披露する、若き農場の主そのものだった。

「エレナお嬢様!そのような者たちと、気安くお言葉を交わされては、辺境伯家の威信が……!」

後方でセバスチャンが悲鳴に近い声を上げているが、その声も、人々の歓声と、ざわめきの中に、心地よく溶けていく。農場の入り口では、ギデオンが鉄仮面のような表情で仁王立ちになり、殺到する人々が秩序を乱さぬよう、その無言の威圧感だけで、完璧な交通整理を行っていた。

穏やかで、温かく、そして希望に満ちた光景。俺が、この世界で守りたいと願った、新しい日常の姿だった。



その同じ朝。
歓喜の喧騒は、まだここまで届かない。貧min街の外れ、城壁が投げかける冷たい影の中に、トーマスは一人で立っていた。夜明けの光は、まだ彼の足元にある石ころだらけの痩せた土地を、暖めるには至らない。彼は、何十年もの間、彼の一族から希望を奪い続けてきた絶望の象徴を前に、静かに息を整えた。

その手には、まるで夜明け前の空気を切り取って鍛え上げたかのような、一本の美しい鋤――『疾風(ゲイル)』が、静かな輝きを放って握られている。

(……本当に、夢じゃねえんだな)

数日前、あの救世主の少年と、伝説の鍛冶屋ゴードンに託された、革命の翼。その時の、土が絹のように裂ける、あの信じがたい感触。そして、心の底から湧き上がってきた、熱い涙の味。その全てが、まだ生々しく、彼の全身に残っていた。

だが、同時に、鉛のような不安が腹の底に渦巻いていた。もし、あれが、ただの夢だったら?あの場所だから起きた、特別な奇跡だったとしたら?この、呪われた俺の畑で、同じ奇跡が起きる保証など、どこにもない。もし、これで何も変わらなかったら。今度こそ、俺の心は、完全に折れてしまうだろう。

彼は、鋤の柄を強く握りしめた。長年の過酷な労働で、木の皮のように硬くなった手のひら。その感触が、あまりにも軽く、滑らかな柄の感触に、まだ戸惑っている。

(いや……)

彼は、かぶりを振った。あの少年の目は、本物だった。あの鍛冶屋の魂も、本物だった。疑うべきは、奇跡じゃない。自分の、腐りきった心の方だ。

脳裏に、妻の、疲れ果てた顔が浮かぶ。そして、いつも腹を空かせ、父親の顔色を窺うように生きる、幼い息子の姿が。

(あいつらに、腹いっぱいの、甘い芋を食わせてやるんだ……!)

その想いが、最後の疑念を振り払う。彼は、深く、深く息を吸い込んだ。春の、まだ冷たい空気が、彼の肺を満たす。そして、あの少年の言葉を思い出す。

『力を、抜いてください。……喧嘩の構えは、もう要りません』

トーマスは、ゆっくりと全身の力を抜いた。何十年もの間、大地と戦うために、常に鎧のように身につけていた、無意識の緊張を、解き放っていく。

そして、まるで赤子の頭でも撫でるかのように、そっと、『疾風』の刃を、まだ固く、痩せこけた大地へと、滑らせた。

**サ……。**

音が、した。
それは、鋼が土を砕く音ではなかった。
春のそよ風が、若草の葉を、優しく撫でる音だった。

抵抗がない。

トーマスの腕に、いつも彼を苦しめていた、あの忌まわしい衝撃が、全く伝わってこない。刃は、まるで、春の雪解け水を、ナイフで切り分けるかのように、何の躊躇もなく、黒い土の中へと、滑るように吸い込まれていった。肉体的な衝撃の欠如は、彼の脳が理解するよりも早く、魂に直接、歓喜の衝撃をもたらした。

「……おお……」

彼の口から、感嘆の声が漏れる。彼は、信じられないというように、もう一度、今度は少しだけ歩きながら、鋤を引いた。

**サァァァ……。**

まるで、黒い絹の布を、鋭いハサミで切り裂いていくかのように。彼の歩みに合わせて、大地が、いともたやすく、美しい畝となって、めくれ上がっていく。掘り起こされた土は、まだ痩せてはいるが、それでも確かに、生命の匂いを放っていた。

それは、もはや労働ではなかった。大地との、対話。あるいは、舞踊だった。

トーマスは、夢中で鋤を振るい続けた。
夜明けと共に始まり、太陽が真上に昇っても、彼は手を止めなかった。空腹も、喉の渇きも、忘れていた。ただ、何十年も自分を苦しめてきた絶望が、自らの手によって、希望へと塗り替えられていく、その快感だけが、彼の体を突き動かしていた。

「……父ちゃん?」

昼過ぎ、小さな影が、おずおずと畑に近づいてきた。彼の、七つになる一人息子、アルだった。その手には、小さな黒パンが一つ、大事そうに握られている。

「……アルか。母ちゃんは、どうした」
「母ちゃんが、父ちゃん、朝から何も食べてないから、これ、持ってけって……」

息子は、父親の、鬼気迫るほどの集中力に、少しだけ怯えているようだった。父親がこんなにも長い時間、楽しそうに畑仕事をする姿を、彼は今まで見たことがなかった。

だが、トーマスが振り返った時、その顔に浮かんでいたのは、いつものような疲労と苛立ちに満ちた表情ではなかった。汗と泥にまみれながらも、その口元には、アルが生まれてから、一度も見たことのないような、心の底からの笑顔が浮かんでいたのだ。

「父ちゃん……笑ってる……?」

アルの、子供らしい純粋な問い。その一言が、トーマスの胸を強く打った。

「……父ちゃん、もう、怒ってないの?」

いつも眉間に皺を寄せ、些細なことで怒鳴っていた父親。その姿が、この子の心にどれだけの影を落としていたか。トーマスは、今更ながらに思い知らされた。

「……ああ」

彼は、鋤を置くと、息子の前にしゃがみ込んだ。そして、その小さな頭を、土のついた大きな手で、ぐしゃぐしゃと撫でた。

「もう、怒らねえ。父ちゃんはな、今日から、この畑と、お前たちと、笑って生きていくって、決めたんだ」

「見てみろ、アル。父ちゃんの、新しい畑だ」

彼が指さした先には、信じがたい光景が広がっていた。たった半日で、あの石ころだらけの絶望の畑の、三分の一以上が、まるで別の土地のように、美しい畝となって生まれ変わっていたのだ。

「……すごい……」

アルの、小さな口から、感嘆の声が漏れる。

「ああ、すごいだろう。……アル、お前に、腹いっぱいの、甘い芋を食わせてやれる日が、もうすぐそこまで来てるんだ」

トーマスの声は、震えていた。だが、それはもう、絶望の涙声ではなかった。未来への、確かな希望に満ちた、力強い声だった。

その日の夕食。トーマスの家の食卓には、いつもより、ほんの少しだけ大きいジャガイモのスープが並んだ。そして、いつもは無言で、ただ黙々と食事をかき込むだけだった父親が、初めて、自らの仕事の話を、妻に、そして息子に、生き生きと語って聞かせた。 土の感触が、どう変わったか。 鋤が、いかに風のように軽いか。 そして、あの救世主の少年が、どんなにすごい知恵を持っているか。 その話を聞く、妻と息子の目もまた、父親と同じように、希望の光で輝いていた。 (……この人が、こんなに楽しそうに仕事の話をするなんて、結婚してから初めてかもしれない……) 妻は、夫の饒舌な姿に戸惑いながらも、その横顔を、涙が滲むのをこらえながら見つめていた。いつも眉間に深く刻まれていた皺が、今はどこにもない。あの鋤が、あの少年が、ただ畑を変えたのではない。この人を、そして、この凍てついた家族の心を、根っこから耕し直してくれたのだ。彼女は、静かに、しかし深く、まだ見ぬ救世主の少年に、心の底から感謝した。

その話を聞く、妻と息子の目もまた、父親と同じように、希望の光で輝いていた。

(……この人が、こんなに楽しそうに仕事の話をするなんて、結婚してから初めてかもしれない……)
妻は、夫の饒舌な姿に戸惑いながらも、その横顔を、涙が滲むのをこらえながら見つめていた。いつも眉間に深く刻まれていた皺が、今はどこにもない。あの鋤が、あの少年が、ただ畑を変えたのではない。この人を、そして、この凍てついた家族の心を、根っこから耕し直してくれたのだ。彼女は、静かに、しかし深く、まだ見ぬ救世主の少年に、心の底から感謝した。

痩せた畑の片隅で始まった、一人の男の夜明け。
その小さな光は、まだ誰にも知られることなく、しかし確実に、この辺境の地に、新しい時代の訪れを告げていた。


【読者へのメッセージ】
第五十五話、お読みいただきありがとうございました!
今回は、ひまわり畑の喧騒から少し離れ、革命の道具『疾風』を手にした一人の農夫、トーマスの物語を、じっくりと描かせていただきました。彼の絶望が希望に変わる瞬間、そして家族の食卓に訪れた小さな変化。この静かな感動を、皆さんと共有できていれば幸いです。
「トーマスさんの涙に、もらい泣きした!」「疾風の切れ味、想像以上!」「家族の食卓、温かい…」など、皆さんの感想や応援が、トーマスの畑に、さらなる豊穣をもたらす力になります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
一人の農夫の心に、確かな革命は始まりました。この小さな波紋は、やがてランドールの街全体を巻き込む、大きなうねりとなっていきます。次回、ゴードンの工房に、新たな挑戦者たちが集う…!?どうぞお見逃しなく!
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

元侯爵令嬢の異世界薬膳料理~転生先はみんな食事に興味が無い世界だったので、美味しいご飯で人の身も心も癒します~

向原 行人
ファンタジー
 異世界へ転生して数日。十七歳の侯爵令嬢、アリスとして目覚めた私は、早くも限界を迎えていた。  というのも、この世界……みんな食事に興味が無くて、毎食パンとハムだけとか、ハムがチーズに変わるとか、せいぜいその程度だ。  料理というより、食材を並べているだけって感じがする。  元日本人の私としては温かいご飯がたべたいので、自分で食事を作るというと、「貴族が料理など下賤なことをするのは恥だ!」と、意味不明な怒られ方をした。  わかった……だったら、私は貴族を辞める!  家には兄が二人もいるし、姉だっているから問題無いでしょ。  宛てもなく屋敷を飛び出した私は、小さな村で更に酷い食事事情を目の当たりにする。  育ち盛りの子供たちや、身体を使う冒険者たちが、それだけしか食べないなんて……よし、美味しいご飯でみんなも私も幸せになろう!  医食同源! 大食いモフモフ聖獣に、胃袋を掴んでしまった騎士隊長と一緒に、異世界で美味しくて身体に良い食材探しだ! ※第○話:主人公視点  挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点  となります。

転生したら領主の息子だったので快適な暮らしのために知識チートを実践しました

SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
不摂生が祟ったのか浴槽で溺死したブラック企業務めの社畜は、ステップド騎士家の長男エルに転生する。 不便な異世界で生活環境を改善するためにエルは知恵を絞る。 14万文字執筆済み。2025年8月25日~9月30日まで毎日7:10、12:10の一日二回更新。

底辺から始まった俺の異世界冒険物語!

ちかっぱ雪比呂
ファンタジー
 40歳の真島光流(ましまみつる)は、ある日突然、他数人とともに異世界に召喚された。  しかし、彼自身は勇者召喚に巻き込まれた一般人にすぎず、ステータスも低かったため、利用価値がないと判断され、追放されてしまう。  おまけに、道を歩いているとチンピラに身ぐるみを剥がされる始末。いきなり異世界で路頭に迷う彼だったが、路上生活をしているらしき男、シオンと出会ったことで、少しだけ道が開けた。  漁れる残飯、眠れる舗道、そして裏ギルドで受けられる雑用仕事など――生きていく方法を、教えてくれたのだ。  この世界では『ミーツ』と名乗ることにし、安い賃金ながらも洗濯などの雑用をこなしていくうちに、金が貯まり余裕も生まれてきた。その頃、ミーツは気付く。自分の使っている魔法が、非常識なほどチートなことに――

【土壌改良】で死の荒野がSランク農園に!食べただけでレベルアップする野菜で、世界最強ギルド設立

黒崎隼人
ファンタジー
「え? これ、ただのトマトですよ?」 「いいえ、それは食べただけで魔力が全回復する『神の果実』です!」 ブラック企業で働き詰めだった青年は、異世界の名門貴族の三男・ノアとして転生する。 しかし、授かったスキルは【土壌改良】という地味なもの。 「攻撃魔法も使えない役立たず」と罵られ、魔物すら寄り付かない死の荒野へ追放されてしまう。 だが、彼らは知らなかった。 ノアのスキルは、現代の農業知識と合わせることで、荒れ果てた土地を「Sランク食材」が溢れる楽園に変えるチート能力だったことを! 伝説の魔獣(もふもふ)をキュウリ一本で手懐け、行き倒れた天才エルフを極上スープで救い出し、気づけば荒野には巨大な「農業ギルド」が誕生していた。 これは、本人がただ美味しい野菜を作ってのんびり暮らしたいだけなのに、周囲からは「世界を救う大賢者」と崇められてしまう、無自覚・最強の農業ファンタジー!

侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】

のびすけ。
ファンタジー
気づけば侯爵家の三男として異世界に転生していた元プログラマー。 そこはどこか懐かしく、けれど想像以上に自由で――ちょっとだけ危険な世界。 幼い頃、命の危機をきっかけに前世の記憶が蘇り、 “とっておき”のチートで人生を再起動。 剣も魔法も、知識も商才も、全てを武器に少年は静かに準備を進めていく。 そして12歳。ついに彼は“新たなステージ”へと歩み出す。 これは、理想を形にするために動き出した少年の、 少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。 【なろう掲載】

『急所』を突いてドロップ率100%。魔物から奪ったSSRスキルと最強装備で、俺だけが規格外の冒険者になる

仙道
ファンタジー
 気がつくと、俺は森の中に立っていた。目の前には実体化した女神がいて、ここがステータスやスキルの存在する異世界だと告げてくる。女神は俺に特典として【鑑定】と、魔物の『ドロップ急所』が見える眼を与えて消えた。  この世界では、魔物は倒した際に稀にアイテムやスキルを落とす。俺の眼には、魔物の体に赤い光の点が見えた。そこを攻撃して倒せば、【鑑定】で表示されたレアアイテムが確実に手に入るのだ。  俺は実験のために、森でオークに襲われているエルフの少女を見つける。オークのドロップリストには『剛力の腕輪(攻撃力+500)』があった。俺はエルフを助けるというよりも、その腕輪が欲しくてオークの急所を剣で貫く。  オークは光となって消え、俺の手には強力な腕輪が残った。  腰を抜かしていたエルフの少女、リーナは俺の圧倒的な一撃と、伝説級の装備を平然と手に入れる姿を見て、俺に同行を申し出る。  俺は効率よく強くなるために、彼女を前衛の盾役として採用した。  こうして、欲しいドロップ品を狙って魔物を狩り続ける、俺の異世界冒険が始まる。 12/23 HOT男性向け1位

転生したら『塔』の主になった。ポイントでガチャ回してフロア増やしたら、いつの間にか世界最強のダンジョンになってた

季未
ファンタジー
【書き溜めがなくなるまで高頻度更新!♡٩( 'ω' )و】 気がつくとダンジョンコア(石)になっていた。 手持ちの資源はわずか。迫りくる野生の魔物やコアを狙う冒険者たち。 頼れるのは怪しげな「魔物ガチャ」だけ!? 傷ついた少女・リナを保護したことをきっかけにダンジョンは急速に進化を始める。 罠を張り巡らせた塔を建築し、資源を集め、強力な魔物をガチャで召喚! 人間と魔族、どこの勢力にも属さない独立した「最強のダンジョン」が今、産声を上げる!

転生貴族の領地経営〜現代日本の知識で異世界を豊かにする

ファンタジー
ローラシア王国の北のエルラント辺境伯家には天才的な少年、リーゼンしかしその少年は現代日本から転生してきた転生者だった。 リーゼンが洗礼をしたさい、圧倒的な量の加護やスキルが与えられた。その力を見込んだ父の辺境伯は12歳のリーゼンを辺境伯家の領地の北を治める代官とした。 これはそんなリーゼンが異世界の領地を経営し、豊かにしていく物語である。

処理中です...