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第七十八話:魂のリレー、迫る黒い影
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夜明け前の、冷たい空気。
ランドールの城壁がまだ深い眠りについている中、ゴードンの鍛冶工房だけが、異様な熱気を帯びていた。炉の火はすでに赤々と燃え盛り、工房の前には一台の頑丈な荷馬車が停められている。その荷台には、朝日を浴びて鈍い輝きを放つ、十数本の『疾風(ゲイル)』が、まるで出撃を待つ兵士のように、整然と立てかけられていた。
「……行くぞ、ゲルト」
工房から現れたゴードンは、いつもの煤(すす)けた作業着ではなく、少しだけよそ行きの、だがやはり頑丈な革の服を身に纏(まと)っていた。その顔には、徹夜で準備を整えたであろう疲労の色は隠せないものの、それ以上に、自らが打った魂を届けに行くという、神聖な儀式に臨むかのような、厳粛な覚悟がみなぎっている。
「……うす」
彼の後ろから、同じように少しだけ身綺麗な服に着替えたゲルトが、緊張した面持ちでついてくる。その手には、師匠から託されたのであろう、『疾風』のリストが書かれた羊皮紙が、固く握りしめられていた。
彼らが向かうのは、貧民街の外れにある、トーマスさんの畑だ。あの日、俺の『青空教室』に参加し、ゴードンの魂に触れ、『疾風』と共に未来を耕すと誓った、最初の仲間たちが待つ場所へ。
「ゴードン殿、ゲルト君。道中、お気をつけて」
見送りに来たのは、俺と、そしてなぜか早朝にも関わらず完璧な身支度を整えたエレナ様、セバスチャン、ギデオンだった。
「へっ。誰に言ってやがる。俺の魂を運ぶんだ。道中の石ころなんぞに、躓(つまず)くわけがねえだろうよ」
ゴードンは、ぶっきらぼうにそう言うと、荷馬車の御者台(ぎょしゃだい)に飛び乗った。ゲルトも、俺たちに一度だけぎこちなく頭を下げると、師匠の隣に乗り込む。
バシッ、と。ゴードンが手綱(たづな)を打つ音が、静かな朝の空気に響き渡った。
荷馬車は、ゆっくりと、しかし確かな力強さで、石畳の道を進み始めた。その車輪の音は、新しい時代の幕開けを告げる、力強いファンファーレのように、俺たちの耳には聞こえた。
「……行かれましたわね」
エレナ様が、感慨深げに呟(つぶや)く。
「はい。ここからが、本当の始まりです」
俺は、遠ざかっていく荷馬車を見送りながら、静かに、しかし強く、拳を握りしめた。革命の炎は、今、確かに、畑から畑へとリレーされようとしている。
◇
トーマスさんの畑は、日の出と共に、異様なほどの熱気に包まれていた。
集まったのは、あの日、ゴードンの魂の問いに頷いた、十数人の農夫たち。そして、その家族たちだ。彼らは、今日という日が、自分たちの、そしてこの辺境の未来を変える、特別な一日になることを、肌で感じ取っていた。誰もが、固唾(かたず)を飲んで、東の空と、街道の先を、交互に見つめている。
やがて、朝日を背に受け、一台の荷馬車が、ゆっくりとその姿を現した。荷台に積まれた、見慣れぬ形の鋤(すき)が、朝日にきらりと反射する。
「……来た!」
誰かが、叫んだ。その声に呼応するように、農夫たちの間から、どよめきと、そして押し殺したような歓声が上がる。
荷馬車が畑の前に止まり、御者台から、熊のような巨躯(きょく)の男――ゴードンが、ゆっくりと降り立った。その、あまりにも威圧的な姿に、農夫たちの歓声が、ぴたりと止む。ゴードンの隣には、見慣れない若い弟子が、緊張した面持ちで控えている。
ゴードンは、集まった農夫たち一人一人の顔を、まるで魂の奥底まで値踏みするかのように、ゆっくりと、そして鋭く見渡した。その視線に射抜かれ、何人かの男が、思わず後ずさる。
「……トーマス」
低い声で、ゴードンが呼んだ。
「へ、へい!」
トーマスさんが、慌てて前に進み出る。
「お前が、こいつらの『覚悟』を、見届けたんだな?」
「へい!ここにいるのは皆、あんた様の魂を受け継ぐに、不足はねえと、俺が保証しやす!」
トーマスの、力強い言葉。ゴードンは、一度だけ、深く頷いた。
「……ゲルト」
「は、はい!」
師匠に呼ばれ、ゲルトが前に進み出る。その手には、農夫たちの名前が書かれたリスト。
「名を、呼べ。そして、魂を、渡せ」
それは、弟子に与えられた、最初の、そして最も重要な任務だった。ゲルトは、ごくりと唾を飲み込むと、震える声で、リストの最初の名前を読み上げた。
「……マルコ!」
呼ばれた男が、びくりと肩を震わせ、前に進み出る。ゲルトは、荷台から一本の『疾風』を、まるで宝物を扱うかのように、慎重に下ろすと、その男の前に差し出した。
「……受け取れ。こいつは、ただの鉄の塊じゃねえ。ゴードン親方の、魂だ。……粗末に扱ったら、承知しねえぞ」
師匠の言葉を、不器用に真似(まね)ながら。だが、その声には、確かに、道具への敬意と、それを作り出した師匠への誇りがこもっていた。
マルコと呼ばれた男は、震える手で、鋤を受け取った。その瞬間、彼の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ありがてえ……!ありがてえ……!」
彼は、何度も、何度も頭を下げた。
ゲルトは、その光景を、複雑な表情で見つめていた。リーフ村で、ルークスの成功を妬み、妨害していた頃の自分。あの頃の自分には、決して見えなかった光景。人の、魂が震える瞬間。それが、今、目の前で起きている。その事実に、彼の心は、激しく揺さぶられていた。
ゲルトは、リストの名前を、一人、また一人と、呼び上げていく。
その度に、歓声と、涙と、そして未来への確かな希望が、春の畑を満たしていく。
それは、まさしく、革命の炎が、畑から畑へとリレーされていく、神聖な儀式だった。
◇
だが、その神聖な儀式を、穢(けが)そうとする影が、静かに忍び寄っていた。
最後の農夫に『疾風』が手渡され、畑全体が感動と興奮に包まれた、まさにその時。
街道の方から、数人の役人たちが、横柄(おうへい)な態度で、ずかずかと畑の中へと入ってきた。先頭に立つのは、バルザックの腹心(ふくしん)である、小太りの中年役人だ。
「……これは、何の騒ぎだね?」
役人は、農夫たちが見たこともないような、美しい鋤を手に、涙ぐんでいる光景を、侮蔑(ぶべつ)の目で一瞥(いちべつ)すると、吐き捨てるように言った。
「ゴードン殿。辺境伯様より許可が出たとはいえ、このような正規の手続きを経ぬ分配は、感心できませぬな。それに、聞けば代金を取らぬとか?それでは、領内の経済秩序が乱れますぞ。……その鋤は、一度、全て役所にてお預かりし、厳正なる審査の上、改めて分配計画を立てさせていただく。さあ、こちらへお渡しなさい」
その、あまりにも一方的で、高圧的な物言い。農夫たちの顔から、喜びの色が一瞬にして消え、怒りと不安の色が浮かび上がる。
「な、何を言いやがる!これは、俺たちが、ゴードン様と『約束』したもんだ!」
トーマスさんが、憤然(ふんぜん)と声を上げる。だが、役人は鼻で笑った。
「『約束』だと?笑わせるな、農民風情(ふぜい)が。これは、辺境伯様の財産だ。それを、どう差配(さはい)するかは、我ら役人が決めること。お前たちに、口を出す権利などないわ」
彼は、近くにいた農夫が手にしていた『疾風』を、乱暴にひったくろうとした。その、あまりにも横暴な振る舞いに、農夫たちの怒りが、爆発寸前まで高まる。
だが、役人の手が鋤に触れるよりも早く。
その腕を、鋼鉄(こうてつ)の万力(まんりき)のような、巨大な手が掴(つか)んだ。
「……な、なにごとだ!?」
役人が悲鳴を上げる。その腕を掴んでいたのは、いつの間にか彼の背後に立っていた、ゴードンだった。その顔は、怒りに燃える溶鉱炉(ようこうろ)のように、赤黒く染まっている。
「……てめえ」
ゴードンの、地獄の底から響くような声が、畑に響き渡った。
「今、俺の魂に、泥を塗ろうとしたか……?」
その、あまりにも凄まじい殺気に、役人は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。周りにいた他の役人たちも、青ざめて後ずさる。
「……お、お許しを……!わ、私は、ただ、バルザック様の……!」
命乞いをする役人を、ゴードンは、ゴミでも見るかのような冷たい目で見下ろした。そして、掴んでいた腕を、まるで汚物でも振り払うかのように、地面に叩きつけた。
「……失せろ。二度と、俺の仕事場(ここ)に、その汚ねえ面(つら)を見せるな。……次に同じことをしてみろ。その時は、てめえの骨ごと、炉にくべて、新しい鋤の肥やしにしてやるぞ」
その、本気の殺気が込められた言葉に、役人たちは悲鳴を上げ、蜘蛛(くも)の子を散らすように、街道を逃げ帰っていった。
畑には、再び静寂が戻った。だが、その静寂は、先程までの感動に満たたものではない。見えざる敵の存在を、誰もが肌で感じ取った、重苦しい沈黙だった。
ゴードンは、吐き捨てるように、地面に唾(つば)を吐いた。
「……けっ。あの狸爺(バルザック)、早速、けしかけてきやがったか」
彼は、集まった農夫たちに向き直った。その顔には、怒りと共に、新たな決意が浮かんでいた。
「……聞いたな、お前ら。これが、現実だ。俺たちのやろうとしてることは、ただ畑を耕すだけじゃねえ。古い、腐った『何か』との、戦いでもあるんだ。……それでも、やるか?この鋤と、俺の魂と、そしてあの小僧の知恵を信じて、戦う覚悟が、あるか?」
職人の、魂の問いかけ。
それに、最初に答えたのは、トーマスさんだった。
「……当たり前ですだ!」
彼は、手にした『疾風』を、高々と掲げた。
「俺たちは、もう、昨日までの俺たちじゃねえ!未来を、この手で掴(つか)むと決めたんだ!どんな邪魔が入ろうと、この鋤と、先生と、そしてあんたを信じて、戦い抜きますだ!」
その、魂からの叫び。
それに呼応するように、他の農夫たちも、「そうだ!」「俺たちも戦う!」「未来は、俺たちの手で!」と、次々に声を上げた。彼らの目には、恐怖を乗り越えた、本物の『戦士』の光が宿っていた。
その光景を、ゲルトは、ただ呆然と見つめていた。
金でも、権力でもない。ただ、より良い明日を信じる、名もなき人々の、なんと強く、そして美しいことか。
彼は、自分が探し求めていた『本当の炎』の、そのひとかけらを、確かに見た気がした。
◇
実験農場に戻った俺は、ギデオンからその一部始終の報告を受け、静かに頷いた。
「……そうですか。やはり、来ましたか」
想定通りの、しかし予想以上に直接的な妨害。敵は、なりふり構わなくなってきている。それは、俺たちの革命が、彼らにとって無視できない脅威となりつつある証拠でもあった。
「ギデオンさん。辺境伯様には、この件、ご報告を。ただし、『我々の力で解決する』と、そう付け加えてください」
「……承知した。だが、ルークス。どうするつもりだ」
彼の問いに、俺は窓の外に広がる、黄金色のひまわり畑を見つめた。収穫を終え、今は静かに次の季節を待つその姿に、俺は次なる一手を見ていた。
「敵が『力』で来るなら、こちらも『力』で応えるまでです。……ですが、それは、剣や鎧の力ではありません」
俺は、不敵に微笑んだ。
「俺たちの武器は、『知恵』と、『実り』。そして、何よりも強い、『人の繋がり』です。……そろそろ、彼らに、本当の革命の力を見せてあげる時が来たようですね」
俺は、ステータスウィンドウを開いた。ポイントは、まだ目標には少し足りない。だが、焦りはなかった。革命の歯車は、もう誰にも止められない。俺は、確信していた。
俺の視線は、地図の上の一点、ランドールの商業ギルドへと注がれていた。
次なる戦場は、そこだ。
【読者へのメッセージ】
第七十八話、お読みいただきありがとうございました!
ついに始まった『疾風』の配布と、それに対するバルザック派の直接的な妨害。そして、それに屈しないゴードンと農民たちの熱い魂!物語のボルテージが上がっていく、その熱気を感じていただけましたでしょうか。ゲルトの心の変化にも、少しだけ触れてみました。
「ゴードン、かっこよすぎる!」「農民たちの覚悟に涙!」「ゲルト、何か掴んだか…?」など、皆さんの感想や応援が、この革命の炎をさらに燃え上がらせます。下の評価(☆)や感想、ブックマーク(お気に入り登録)も、ぜひよろしくお願いいたします!
ついに牙を剥いたバルザック派。彼らの妨害に対し、ルークスが繰り出す次なる一手とは?そして、舞台はついに商業ギルドへ…!?物語は、新たな局面へと突入します。次回も、どうぞお見逃しなく!
ランドールの城壁がまだ深い眠りについている中、ゴードンの鍛冶工房だけが、異様な熱気を帯びていた。炉の火はすでに赤々と燃え盛り、工房の前には一台の頑丈な荷馬車が停められている。その荷台には、朝日を浴びて鈍い輝きを放つ、十数本の『疾風(ゲイル)』が、まるで出撃を待つ兵士のように、整然と立てかけられていた。
「……行くぞ、ゲルト」
工房から現れたゴードンは、いつもの煤(すす)けた作業着ではなく、少しだけよそ行きの、だがやはり頑丈な革の服を身に纏(まと)っていた。その顔には、徹夜で準備を整えたであろう疲労の色は隠せないものの、それ以上に、自らが打った魂を届けに行くという、神聖な儀式に臨むかのような、厳粛な覚悟がみなぎっている。
「……うす」
彼の後ろから、同じように少しだけ身綺麗な服に着替えたゲルトが、緊張した面持ちでついてくる。その手には、師匠から託されたのであろう、『疾風』のリストが書かれた羊皮紙が、固く握りしめられていた。
彼らが向かうのは、貧民街の外れにある、トーマスさんの畑だ。あの日、俺の『青空教室』に参加し、ゴードンの魂に触れ、『疾風』と共に未来を耕すと誓った、最初の仲間たちが待つ場所へ。
「ゴードン殿、ゲルト君。道中、お気をつけて」
見送りに来たのは、俺と、そしてなぜか早朝にも関わらず完璧な身支度を整えたエレナ様、セバスチャン、ギデオンだった。
「へっ。誰に言ってやがる。俺の魂を運ぶんだ。道中の石ころなんぞに、躓(つまず)くわけがねえだろうよ」
ゴードンは、ぶっきらぼうにそう言うと、荷馬車の御者台(ぎょしゃだい)に飛び乗った。ゲルトも、俺たちに一度だけぎこちなく頭を下げると、師匠の隣に乗り込む。
バシッ、と。ゴードンが手綱(たづな)を打つ音が、静かな朝の空気に響き渡った。
荷馬車は、ゆっくりと、しかし確かな力強さで、石畳の道を進み始めた。その車輪の音は、新しい時代の幕開けを告げる、力強いファンファーレのように、俺たちの耳には聞こえた。
「……行かれましたわね」
エレナ様が、感慨深げに呟(つぶや)く。
「はい。ここからが、本当の始まりです」
俺は、遠ざかっていく荷馬車を見送りながら、静かに、しかし強く、拳を握りしめた。革命の炎は、今、確かに、畑から畑へとリレーされようとしている。
◇
トーマスさんの畑は、日の出と共に、異様なほどの熱気に包まれていた。
集まったのは、あの日、ゴードンの魂の問いに頷いた、十数人の農夫たち。そして、その家族たちだ。彼らは、今日という日が、自分たちの、そしてこの辺境の未来を変える、特別な一日になることを、肌で感じ取っていた。誰もが、固唾(かたず)を飲んで、東の空と、街道の先を、交互に見つめている。
やがて、朝日を背に受け、一台の荷馬車が、ゆっくりとその姿を現した。荷台に積まれた、見慣れぬ形の鋤(すき)が、朝日にきらりと反射する。
「……来た!」
誰かが、叫んだ。その声に呼応するように、農夫たちの間から、どよめきと、そして押し殺したような歓声が上がる。
荷馬車が畑の前に止まり、御者台から、熊のような巨躯(きょく)の男――ゴードンが、ゆっくりと降り立った。その、あまりにも威圧的な姿に、農夫たちの歓声が、ぴたりと止む。ゴードンの隣には、見慣れない若い弟子が、緊張した面持ちで控えている。
ゴードンは、集まった農夫たち一人一人の顔を、まるで魂の奥底まで値踏みするかのように、ゆっくりと、そして鋭く見渡した。その視線に射抜かれ、何人かの男が、思わず後ずさる。
「……トーマス」
低い声で、ゴードンが呼んだ。
「へ、へい!」
トーマスさんが、慌てて前に進み出る。
「お前が、こいつらの『覚悟』を、見届けたんだな?」
「へい!ここにいるのは皆、あんた様の魂を受け継ぐに、不足はねえと、俺が保証しやす!」
トーマスの、力強い言葉。ゴードンは、一度だけ、深く頷いた。
「……ゲルト」
「は、はい!」
師匠に呼ばれ、ゲルトが前に進み出る。その手には、農夫たちの名前が書かれたリスト。
「名を、呼べ。そして、魂を、渡せ」
それは、弟子に与えられた、最初の、そして最も重要な任務だった。ゲルトは、ごくりと唾を飲み込むと、震える声で、リストの最初の名前を読み上げた。
「……マルコ!」
呼ばれた男が、びくりと肩を震わせ、前に進み出る。ゲルトは、荷台から一本の『疾風』を、まるで宝物を扱うかのように、慎重に下ろすと、その男の前に差し出した。
「……受け取れ。こいつは、ただの鉄の塊じゃねえ。ゴードン親方の、魂だ。……粗末に扱ったら、承知しねえぞ」
師匠の言葉を、不器用に真似(まね)ながら。だが、その声には、確かに、道具への敬意と、それを作り出した師匠への誇りがこもっていた。
マルコと呼ばれた男は、震える手で、鋤を受け取った。その瞬間、彼の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ありがてえ……!ありがてえ……!」
彼は、何度も、何度も頭を下げた。
ゲルトは、その光景を、複雑な表情で見つめていた。リーフ村で、ルークスの成功を妬み、妨害していた頃の自分。あの頃の自分には、決して見えなかった光景。人の、魂が震える瞬間。それが、今、目の前で起きている。その事実に、彼の心は、激しく揺さぶられていた。
ゲルトは、リストの名前を、一人、また一人と、呼び上げていく。
その度に、歓声と、涙と、そして未来への確かな希望が、春の畑を満たしていく。
それは、まさしく、革命の炎が、畑から畑へとリレーされていく、神聖な儀式だった。
◇
だが、その神聖な儀式を、穢(けが)そうとする影が、静かに忍び寄っていた。
最後の農夫に『疾風』が手渡され、畑全体が感動と興奮に包まれた、まさにその時。
街道の方から、数人の役人たちが、横柄(おうへい)な態度で、ずかずかと畑の中へと入ってきた。先頭に立つのは、バルザックの腹心(ふくしん)である、小太りの中年役人だ。
「……これは、何の騒ぎだね?」
役人は、農夫たちが見たこともないような、美しい鋤を手に、涙ぐんでいる光景を、侮蔑(ぶべつ)の目で一瞥(いちべつ)すると、吐き捨てるように言った。
「ゴードン殿。辺境伯様より許可が出たとはいえ、このような正規の手続きを経ぬ分配は、感心できませぬな。それに、聞けば代金を取らぬとか?それでは、領内の経済秩序が乱れますぞ。……その鋤は、一度、全て役所にてお預かりし、厳正なる審査の上、改めて分配計画を立てさせていただく。さあ、こちらへお渡しなさい」
その、あまりにも一方的で、高圧的な物言い。農夫たちの顔から、喜びの色が一瞬にして消え、怒りと不安の色が浮かび上がる。
「な、何を言いやがる!これは、俺たちが、ゴードン様と『約束』したもんだ!」
トーマスさんが、憤然(ふんぜん)と声を上げる。だが、役人は鼻で笑った。
「『約束』だと?笑わせるな、農民風情(ふぜい)が。これは、辺境伯様の財産だ。それを、どう差配(さはい)するかは、我ら役人が決めること。お前たちに、口を出す権利などないわ」
彼は、近くにいた農夫が手にしていた『疾風』を、乱暴にひったくろうとした。その、あまりにも横暴な振る舞いに、農夫たちの怒りが、爆発寸前まで高まる。
だが、役人の手が鋤に触れるよりも早く。
その腕を、鋼鉄(こうてつ)の万力(まんりき)のような、巨大な手が掴(つか)んだ。
「……な、なにごとだ!?」
役人が悲鳴を上げる。その腕を掴んでいたのは、いつの間にか彼の背後に立っていた、ゴードンだった。その顔は、怒りに燃える溶鉱炉(ようこうろ)のように、赤黒く染まっている。
「……てめえ」
ゴードンの、地獄の底から響くような声が、畑に響き渡った。
「今、俺の魂に、泥を塗ろうとしたか……?」
その、あまりにも凄まじい殺気に、役人は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。周りにいた他の役人たちも、青ざめて後ずさる。
「……お、お許しを……!わ、私は、ただ、バルザック様の……!」
命乞いをする役人を、ゴードンは、ゴミでも見るかのような冷たい目で見下ろした。そして、掴んでいた腕を、まるで汚物でも振り払うかのように、地面に叩きつけた。
「……失せろ。二度と、俺の仕事場(ここ)に、その汚ねえ面(つら)を見せるな。……次に同じことをしてみろ。その時は、てめえの骨ごと、炉にくべて、新しい鋤の肥やしにしてやるぞ」
その、本気の殺気が込められた言葉に、役人たちは悲鳴を上げ、蜘蛛(くも)の子を散らすように、街道を逃げ帰っていった。
畑には、再び静寂が戻った。だが、その静寂は、先程までの感動に満たたものではない。見えざる敵の存在を、誰もが肌で感じ取った、重苦しい沈黙だった。
ゴードンは、吐き捨てるように、地面に唾(つば)を吐いた。
「……けっ。あの狸爺(バルザック)、早速、けしかけてきやがったか」
彼は、集まった農夫たちに向き直った。その顔には、怒りと共に、新たな決意が浮かんでいた。
「……聞いたな、お前ら。これが、現実だ。俺たちのやろうとしてることは、ただ畑を耕すだけじゃねえ。古い、腐った『何か』との、戦いでもあるんだ。……それでも、やるか?この鋤と、俺の魂と、そしてあの小僧の知恵を信じて、戦う覚悟が、あるか?」
職人の、魂の問いかけ。
それに、最初に答えたのは、トーマスさんだった。
「……当たり前ですだ!」
彼は、手にした『疾風』を、高々と掲げた。
「俺たちは、もう、昨日までの俺たちじゃねえ!未来を、この手で掴(つか)むと決めたんだ!どんな邪魔が入ろうと、この鋤と、先生と、そしてあんたを信じて、戦い抜きますだ!」
その、魂からの叫び。
それに呼応するように、他の農夫たちも、「そうだ!」「俺たちも戦う!」「未来は、俺たちの手で!」と、次々に声を上げた。彼らの目には、恐怖を乗り越えた、本物の『戦士』の光が宿っていた。
その光景を、ゲルトは、ただ呆然と見つめていた。
金でも、権力でもない。ただ、より良い明日を信じる、名もなき人々の、なんと強く、そして美しいことか。
彼は、自分が探し求めていた『本当の炎』の、そのひとかけらを、確かに見た気がした。
◇
実験農場に戻った俺は、ギデオンからその一部始終の報告を受け、静かに頷いた。
「……そうですか。やはり、来ましたか」
想定通りの、しかし予想以上に直接的な妨害。敵は、なりふり構わなくなってきている。それは、俺たちの革命が、彼らにとって無視できない脅威となりつつある証拠でもあった。
「ギデオンさん。辺境伯様には、この件、ご報告を。ただし、『我々の力で解決する』と、そう付け加えてください」
「……承知した。だが、ルークス。どうするつもりだ」
彼の問いに、俺は窓の外に広がる、黄金色のひまわり畑を見つめた。収穫を終え、今は静かに次の季節を待つその姿に、俺は次なる一手を見ていた。
「敵が『力』で来るなら、こちらも『力』で応えるまでです。……ですが、それは、剣や鎧の力ではありません」
俺は、不敵に微笑んだ。
「俺たちの武器は、『知恵』と、『実り』。そして、何よりも強い、『人の繋がり』です。……そろそろ、彼らに、本当の革命の力を見せてあげる時が来たようですね」
俺は、ステータスウィンドウを開いた。ポイントは、まだ目標には少し足りない。だが、焦りはなかった。革命の歯車は、もう誰にも止められない。俺は、確信していた。
俺の視線は、地図の上の一点、ランドールの商業ギルドへと注がれていた。
次なる戦場は、そこだ。
【読者へのメッセージ】
第七十八話、お読みいただきありがとうございました!
ついに始まった『疾風』の配布と、それに対するバルザック派の直接的な妨害。そして、それに屈しないゴードンと農民たちの熱い魂!物語のボルテージが上がっていく、その熱気を感じていただけましたでしょうか。ゲルトの心の変化にも、少しだけ触れてみました。
「ゴードン、かっこよすぎる!」「農民たちの覚悟に涙!」「ゲルト、何か掴んだか…?」など、皆さんの感想や応援が、この革命の炎をさらに燃え上がらせます。下の評価(☆)や感想、ブックマーク(お気に入り登録)も、ぜひよろしくお願いいたします!
ついに牙を剥いたバルザック派。彼らの妨害に対し、ルークスが繰り出す次なる一手とは?そして、舞台はついに商業ギルドへ…!?物語は、新たな局面へと突入します。次回も、どうぞお見逃しなく!
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これは、理想を形にするために動き出した少年の、
少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。
【なろう掲載】
『急所』を突いてドロップ率100%。魔物から奪ったSSRスキルと最強装備で、俺だけが規格外の冒険者になる
仙道
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気がつくと、俺は森の中に立っていた。目の前には実体化した女神がいて、ここがステータスやスキルの存在する異世界だと告げてくる。女神は俺に特典として【鑑定】と、魔物の『ドロップ急所』が見える眼を与えて消えた。 この世界では、魔物は倒した際に稀にアイテムやスキルを落とす。俺の眼には、魔物の体に赤い光の点が見えた。そこを攻撃して倒せば、【鑑定】で表示されたレアアイテムが確実に手に入るのだ。 俺は実験のために、森でオークに襲われているエルフの少女を見つける。オークのドロップリストには『剛力の腕輪(攻撃力+500)』があった。俺はエルフを助けるというよりも、その腕輪が欲しくてオークの急所を剣で貫く。 オークは光となって消え、俺の手には強力な腕輪が残った。 腰を抜かしていたエルフの少女、リーナは俺の圧倒的な一撃と、伝説級の装備を平然と手に入れる姿を見て、俺に同行を申し出る。 俺は効率よく強くなるために、彼女を前衛の盾役として採用した。 こうして、欲しいドロップ品を狙って魔物を狩り続ける、俺の異世界冒険が始まる。
12/23 HOT男性向け1位
転生したら『塔』の主になった。ポイントでガチャ回してフロア増やしたら、いつの間にか世界最強のダンジョンになってた
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転生貴族の領地経営〜現代日本の知識で異世界を豊かにする
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ローラシア王国の北のエルラント辺境伯家には天才的な少年、リーゼンしかしその少年は現代日本から転生してきた転生者だった。
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