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第九十話:荒野の夜明けと、芽吹く絆
しおりを挟む女王の死は、群れ全体に劇的な変化をもたらした。
巣から脱出した俺たちの目に飛び込んできたのは、統率を失い、烏合の衆と化したバッタたちが、散り散りになって逃げ惑う姿だった。絶対的な支配者を失った彼らは、もはや一つの巨大な災害ではなく、ただの混乱した虫の集団に過ぎなかった。
「……おい、見ろ! 奴らの動きが鈍くなったぞ!」
岩陰から這い出してきたトーマスさんが、叫び声を上げる。彼ら陽動部隊は、傷だらけになりながらも、誰一人欠けることなく耐え抜いていたのだ。
「今だ! 反撃だぁぁぁッ! 俺たちの畑から、出て行けぇッ!!」
トーマスさんの檄(げき)が、夜明けの荒野に響き渡る。その声に呼応するように、疲労困憊だったはずの農夫たちが、最後の力を振り絞って立ち上がった。彼らが握りしめる改造された農具は、今この瞬間、未来を切り開くための誇り高き武器となっていた。
「俺たちも行くぞ!」
俺とギデオン、そしてフェンもその列に加わる。
逃げ惑うバッタたちを追い払い、あるいは仕留めていく。それは、悲壮な戦いというよりは、自分たちの土地を取り戻すための、確かな手応えのある作業だった。一匹、また一匹と赤い影が減っていくたびに、荒野に本来の静けさが戻ってくる。
やがて、最後の一匹が赤い空の彼方へと消えていった時。
荒野に、真の夜明けが訪れた。
「……勝った……のか?」
誰かが、信じられないといった様子で呟いた。その声は震えていた。
自分たちが、あの絶望的な数の暴力に打ち勝ったという事実が、すぐには飲み込めないようだった。
だが、目の前には、傷つきながらも確かに生き残った仲間たちの姿があり、そして何より、半分以上が奇跡的に残った、愛おしいライ麦の緑があった。
「……ああ。勝ったんだ。俺たちの、勝利だ!」
俺がそう叫んだ瞬間、堰(せき)を切ったように、歓声が爆発した。
「うおおおおおっ!」
「やったぞ! 俺たちの畑を守りきったんだ!」
男たちは抱き合い、泥とバッタの体液にまみれた顔で、涙を流して笑い合った。昨日までの他人行儀な関係はもうない。同じ死線を潜り抜けた「戦友」としての絆が、そこには生まれていた。
俺も、その歓喜の輪の中で、もみくちゃにされていた。誰もが俺の肩を叩き、頭を撫で、感謝の言葉を口にする。
「先生! ありがとう、ありがとう……!」
トーマスさんが、俺の手を両手で握りしめ、何度も頭を下げる。その手は傷だらけで、血が滲(にじ)んでいたが、驚くほど温かかった。
「皆さんの力です。皆さんが諦めずに戦ってくれたから、俺たちも勝てたんです」
俺は、心からの敬意を込めてそう答えた。彼らはもう、ただの守られるべき弱者ではない。共に戦い、共に未来を勝ち取った、誇り高き開拓者だ。
その様子を、少し離れた場所から見ていたゴードンが、満足げに鼻を鳴らした。
「へっ。湿気(しけ)た面してた連中が、見違えるようになりやがって。……ま、悪くねえ眺めだ」
彼の隣では、この戦いには参加できなかったゲルトが、悔しそうに、しかしどこか羨ましそうに、農夫たちの姿を見つめていた。その瞳には、新たな決意の光が宿っているように見えた。
◇
戦いの後、俺たちは畑の被害状況を改めて確認した。
ライ麦は半分以上が生き残った。クローバーは全滅してしまったが、根についた粒々は土の中に残っている。また種を蒔けば、きっとすぐに元通りになるはずだ。何より、水源は無事だった。
「これなら、いける」
俺は確信した。最大の危機は去った。あとは、この土地をさらに豊かにしていくだけだ。
その夜の宴は、質素ながらも、これまでで一番盛大なものとなった。
バッタの脅威が去ったことで、ランドールから遅れていた補給物資も届いたのだ。久しぶりのまともな食事――温かいスープと柔らかいパン、そして少しばかりの酒が、男たちの疲れた体を芯から癒やしていく。
「カンパーイ!!」
焚き火を囲み、笑い声が絶えない。武勇伝を語る者、家族への想いを口にする者。そこには、生きていることの喜びが満ち溢れていた。
俺は、宴の輪から少し離れた場所で、ギデオンと並んで座っていた。
「……礼を言う」
彼が、不意に言った。その視線は、楽しげに騒ぐ農夫たちに向けられている。
「俺は、騎士として多くの戦場に立ってきた。だが、今日ほど『守るべきもの』のために戦ったと感じたことはない。……彼らの笑顔を守れたことを、誇りに思う」
鉄仮面の騎士が、焚き火の光の中で、微かに微笑んだ。それは、彼が初めて俺に見せた、人間らしい柔らかな表情だった。
俺は、嬉しくなって、大きく頷いた。
「はい! これからも、一緒に戦ってくださいね。俺たちの『革命』は、まだ始まったばかりですから!」
◇
翌朝。
俺たちは、新たな作業に取り掛かった。
食い荒らされたクローバーの種を蒔き直し、生き残ったライ麦に追肥(ついひ)をする。そして何より、畑の周囲に散乱していたバッタの死骸を集める作業だ。
「へへっ、こいつら、硬くて厄介だったが、中身は栄養たっぷりだぜ!」
「転んでもただじゃ起きねえぞ! 全部、砕いて畑の肥料にしてやる!」
農夫たちの声は明るい。彼らはもう、この荒野の脅威を恐れてはいなかった。どんな困難も、自分たちの力で「恵み」に変えていけるという自信が、彼らにはあった。
俺は、作業の手を休め、ふと空を見上げた。
いつの間にか、赤茶色だった空が、澄み渡るような青色に変わっていた。『蛇の吐息』と呼ばれたあの不快な強風も、今は穏やかな春のそよ風となっている。
(……勝ったんだな)
改めて、実感が湧いてくる。
この過酷な土地での最初の、そして最大の試練を、俺たちは乗り越えたのだ。
懐のポケットに手を入れると、あの『古代の遺物』の欠片が触れた。ひんやりとした金属の感触。
封印の岩、謎の金属片、そして異常な生態を持っていた女王バッタ。この土地には、まだ俺の知らない深い秘密が眠っている。
だが、今は焦る必要はない。俺には、頼もしい仲間たちがいるのだから。
俺は、鍬を握り直し、再び土に向き合った。
一振りごとに、大地が応えてくれる。柔らかくなった土の感触が、手のひらを通して伝わってくる。
その確かな手応えが、今の俺には何よりも嬉しかった。
『蛇の舌』の開拓は、第二章へと進む。
黄金の楽園への道のりは、まだ遠い。だが、俺たちの足取りは、これまでになく力強く、そして希望に満ちていた。
【読者へのメッセージ】
第九十話、お読みいただきありがとうございました!
ついに『赤錆飛蝗』との戦いに完全決着がつきました。絶望的な状況から、知恵と勇気、そして仲間の絆で掴み取った勝利。その後の宴のシーン、そして翌朝の希望に満ちた作業風景に、彼らの成長と逞しさを感じていただけたでしょうか。
「勝利の宴、最高!」「ギデオンのデレ(?)、いただきました!」「バッタまで肥料にする逞しさ、見習いたい!」など、皆さんの感想や応援が、次の開拓のエネルギーになります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
一つの大きな危機を乗り越え、結束を深めた開拓団。しかし、彼らの成功を快く思わない者たちが、ランドールで新たな動きを見せ始めます。そして、ルークスが手に入れた『古代の遺物』の正体とは……?物語は、新たな展開を迎えます!次回も、どうぞお見逃しなく!
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