ブラック企業でポイントを極めた俺、異世界で最強の農民になります

はぶさん

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第百五十七話:概念の農薬、あるいは大規模土壌クリーニング

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 聖域の静寂は、今や物理的な法則を無視した「音のない悲鳴」によって塗りつぶされていた。
 結晶化した銀の土を突き破り、のたうつ漆黒の触手。それは生命の鼓動を持たず、ただ周囲の景色を、色を、そして存在するはずの「理(ことわり)」を、絵の具を拭い去るように消し去っていく。
 世界の捕食者の末端――『リアリティ・イーター』。

「な……ああ……。何なのだ、これは……。我らが祈り、守ってきた土の底には、このような虚無が、悪夢が飼われていたというのか……!」

 泥だらけの鍬を握りしめたまま、セレナが震える声で叫ぶ。彼女の目には、触れた先から存在が消去されていく森の光景が、数千年の伝統の死として映っているのだろう。銀の葉が虚無に触れた瞬間、そこには灰すら残らず、ただ「何もなかったこと」にされる空間の欠落が広がっていく。

「セレナさん、見ている暇はありません! それは祈りでは消えない。……俺が言ったでしょう、これは『澱み』が生んだ害虫なんです! 放っておけば、森どころか世界そのものの整合性が失われる!」

 俺――ルークス・グルトは、十歳の少年の細い腕で、ポイントによって召喚した巨大な噴霧器型の魔導装置を構えた。背負ったタンクには、先ほど交換したばかりの『概念中和剤(アンチ・システム)』が、黄金の燐光を放ちながら満ちている。

(……現在の保有ポイント:34,750pt。……今回の『防除作業』一回に一万五千ポイント。さらにここからの追加出力で、今回の純利益は完全に赤字に突っ込む。だが、この案件を落とせば、エルフ編という名の巨大プロジェクトそのものが破綻する。損して得取れ、だ!)

 俺の中の経理担当者が、激しく算盤を弾く。一万ポイントは日本円にして約一億円相当。一噴きごとに数百万円が霧となって消えていくような狂気。ブラック企業の経理時代、使途不明金の一円を追って役員と渡り合った俺としては、胃が捩れるようなコスト感覚だが、今は「必要経費」だと自分に言い聞かせ、精神のセーフティを外した。

「フェン! 外周を抑えろ! 虚無が拡散する前に、存在の『輪郭』を固定するんだ! 座標を定義しろ!」

「合点だ、主よ! ……クハッ、この触手、噛み応えがまるでない。……まるで影を喰っているようだが、中身の『悪意』だけは本物だな! 存在の楔(くさび)、打ち込んでやる!」

 フェンが漆黒の魔力を咆哮と共に放ち、リアリティ・イーターの動きを「存在の檻」で縛り上げる。虚無が実体を持とうと足掻き、空間がガラスのようにひび割れる音がした。
 俺はその隙を見逃さず、噴霧器のトリガーを全力で引き絞った。

「――概念農薬(クリーニング・ミスト)、最大出力散布(フル・バースト)!!」

 シュゴォォォォォォッ!!

 噴霧器から放たれたのは、黄金色の微細な光の霧だった。それはただの液体ではない。ポイントシステムを通じて「土壌のあるべき定義」を再構築し、虚無を「ただの肥料」へと強制的に分解・再構成する、理不尽なまでの概念修正兵器。

 黄金の霧が漆黒の触手に触れた瞬間、パチパチと空間が爆ぜるような音が響いた。虚無に侵食され、透明になりかけていた木々が、霧を浴びることで再び「緑色」の輪郭を取り戻していく。

【 [CLEANING_PHASE_1]: 汚染物質を分解中 …… 】
【 [L0-V3] プロトコル 稼働率 0.12% ― [STATUS]: 異常加熱(愛(LOVE)が足りません) 】

(……愛が足りない? システムのくせに、ふざけたエラーメッセージを……! だが、この『農薬』は効いている!)

 視界に走る赤いノイズ。脳を刺すような熱。
 この[L0-V3]というシステムが何を求めているのかは分からない。だが、この噴霧器から溢れ出る黄金の光は、間違いなく俺の「この森を、この土を救いたい」という農民としての、そして「面倒な問題を片付けて、愛する家族とのスローライフに戻りたい」という社畜としての執念を燃料にしていた。

「……消えろ、害虫め。……ここは、あんたの餌場じゃない。……俺たちが耕す、新しい『循環』が生まれる場所だ!」

 俺は一歩踏み込み、リアリティ・イーターの本体と思われる、地中の「核」――不気味な心臓のように脈打つ虚無の塊に向かって、黄金の霧を集中させた。
 虚無が、黄金の光に焼かれ、霧散していく。代わりに、そこには本来あるべきはずの「肥沃な土の匂い」が、雨上がりの大地のように立ち上り始めた。

「……ああ……、色が……。森に、色が戻っていく……。数百年、見たこともなかった鮮やかな緑が……」

 セレナたちが、泥だらけの顔に涙の筋を作りながらその光景を見つめていた。
 漆黒の触手は、最後の一本までが黄金の霧に包まれ、やがて光の粒子となって土へと還っていった。

【 害虫駆除(土壌浄化)完了。……ミッション報酬:40,000pt 獲得 】
【 現在の保有ポイント:74,750pt 】

(……ふぅ、首の皮一枚で繋がったか。……利益率で見れば及第点だが、精神的な磨耗(コスト)が激しすぎるぞ、この仕事は……)

 俺は膝をつき、激しく肩を揺らしながら、荒い呼吸を整えた。噴霧器のタンクは空になり、聖域の土は、もはや銀色の死地ではなく、黄金の残滓を纏った「再生の地」へと姿を変えていた。

「……主よ、終わったな。……大地の呼吸が、微かだが聞こえ始めたぞ。……ふむ、悪くない匂いだ」

 フェンが俺の側に寄り添い、鼻先で俺の頬を優しく突く。
 俺は、泥だらけの鍬を握りしめたまま、奇跡を目の当たりにして呆然としているセレナを振り返り、十歳の少年らしい、少しだけ疲れた、しかし確かな笑みを浮かべた。

「セレナさん。……これで、掃除は終わりです。……ここからは、本当の『農作業』の時間ですよ。……命を植える準備は、いいですか?」

 聖域を切り裂いた激闘は、新しい「循環」の始まりを告げる、黄金の静寂へと溶けていった。

---



【読者へのメッセージ】
第百五十七話をお読みいただき、ありがとうございます!
「世界の捕食者」との初対決。それは剣劇ではなく、一万五千ポイントという巨額の「農薬」による概念的なクリーニングという、本作ならではの決着となりました。
一噴きごとに数百万、数千万が消えていくコスト感覚……元経理のルークスにとって、これほど「痛い」戦いはなかったかもしれません(笑)。

次回、再生の土に初めての「種」を蒔きます。
エルフたちが自らの手で育てる喜びを知る時、聖樹に真の奇跡が起こる!?
「ルークスのコスト意識に笑った!」「黄金の霧が目に浮かぶ」という方は、ぜひ評価やブックマークで応援をよろしくお願いします!
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