189 / 278
第百八十七話:深層のデバッグ、あるいは「本物」を探す瞳
しおりを挟む王都エストリアの地下。
そこには、地上の白亜の美しさ、そして繁栄の象徴である大通りの喧騒とは対照的な、暗澹たる「世界の排泄物」が幾星霜にもわたって堆積していた。迷路のように張り巡らされた地下水路、そのさらに深層。千年前の古代戦争において放たれた、数万の兵を死に至らしめた「呪詛」がヘドロとなってこびりつき、もはや管理組合(アドミニストレーター)の定めた正常な認識システムさえも感知を放棄した空白地帯――『深層の澱み』。
俺――ルークス・グルトは、視界を不気味な青白色に染め上げる特殊な光を放つゴーグルを装着し、フェンと共に、腰まで浸かる「黒い泥」を執拗に掻き分けていた。一歩足を踏み出すたびに、長靴越しに伝わってくるのは、物理的な粘性だけではない。それは、何千、何万という死者の無念が、数千年の時を経て「情報のゴミ」として変質し、まとわりついてくるような、不快極まりない重圧だった。
【ポイントアイテム:地下深層探索用・特殊鑑定ゴーグル:5,000 pt 購入】
【ポイントアイテム:魔力循環式・酸素供給フィルター:3,000 pt 購入】
【保有ポイント:42,300 pt → 34,300 pt】
「……ひどいな。これは単なる環境汚染じゃない。前世で、場当たり的な改修を何度も繰り返し、誰も全容を把握できなくなったまま稼働し続けている、呪いのスパゲッティコードそのものだ」
俺の呟きは、酸素供給フィルターを通じ、機械的で無機質な反響を伴って、地下の厚い静寂に響いた。
ゴーグルのレンズ越しに見えるのは、現実(リアル)の解像度が崩壊した、赤黒いノイズの嵐。
そこには、[SYSTEM_ERROR]、[ACCESS_DENIED]といった文字が、絶望の警告灯のように激しく明滅している。管理組合のシステムが、この場所の「存在の定義」を正常に処理できず、論理破綻(クラッシュ)を起こしている。俺が今やっているのは、救世主としての冒険ではなく、泥にまみれた「不具合修正(デバッグ)」に他ならない。
「主よ、気をつけろ。この先、定義の壊れた『残留魔力』が、実体を持たぬまま形を成そうとしておる。……もはや魔物ですらない。世界の『記述漏れ』が意思を持った何かだ。私の牙でも、その『意味』を喰らい尽くすには時間がかかる」
フェンが、水面から鼻先だけを出し、漆黒の毛並みを泥で汚しながら、周囲の歪んだ気配を最大級の警戒で嗅ぎ取っている。彼がこれほどまでに殺気を隠せず、唸り声を上げ続けるのは、この場所が「生命の理」からあまりにも遠ざかっているからだ。
(……五万ポイントで買った『自由』を維持し続けるには、この最悪なバグを潰して、管理組合から報酬を毟り取るしかない。……目立ちたくない、平穏が欲しいと言いながら、俺は結局、この世界の最も汚く、最も危険なバク層に指を突っ込んで、キーボードを叩くように魔力を流している。……笑えない冗談だ)
俺は、ポイントで交換した【アイテム:高純度・次元修復剤】を、最もエラーが激しく脈動している「澱みの核」へと、叩きつけるように投入した。
――同じ頃、遥か頭上の地上では。
夕闇が王都の裏通りを濃密な影で満たし始めた頃、一人の少女が、深いフードでその美しい顔を隠しながら、迷路のような路地を足早に歩いていた。
辺境伯令嬢、エレナ・レオナルド。
彼女は今、王宮の最上階で「完璧な微笑み」を浮かべ、王族から貴族まで、誰に対しても寸分の狂いもない礼儀と料理を提供し続けている『ルークス・グルト』という存在に、耐え難いほどの違和感と、凍りつくような孤独を抱いていた。
(……あの人は、ルークスじゃない。……あんなに綺麗な、澱みのない瞳で私を見るはずがない。……私の知っているルークスは、もっと……世界に疲れ果てたような目をしていて、でも、私と目が合った時だけは、少しだけ困ったように、恥ずかしそうに笑ってくれる……もっと不器用で、『不完全』な人だわ)
エレナは、論理ではなく、彼女がこれまでの人生で培ってきた「本物を見分ける感性」をもって、王宮の偶像を偽物だと断じた。
そして、彼女の足が自然と向いたのは、かつてルークスが「古井戸を浄化していた」という噂のあった、古井戸街の寂れた路地裏だった。
カラン、と石を蹴る音が、冷え切った静寂の中に響く。
エレナは、鉄格子のはまった古井戸の傍らで、祈るように立ち止まった。
そこには、誰もいないはずの静寂の中に、僅かな「人の営みの温もり」と、そして故郷リーフ村の湿った土の匂いが混じった、微かな、だが確かな香りが残留していた。
「……ルークス? 貴方なの? そこに、そこにいるのでしょう? 隠れていても分かるわ。私の心だけは、騙せないもの」
彼女の震える声が、闇に向かって放たれる。
その瞬間、井戸の底から、暗闇を塗り替えるような青白い光の粒子が、まるで蛍の群れが舞い上がるように、音もなく溢れ出してきた。
――地下、数十メートル。
俺は、澱みの核を浄化し、目の前でシステムエラーのノイズが消えていく光景を、荒い息をつきながら眺めていた。
【浄化完了:深層の澱み・第一セクターの定義を正常化】
【管理組合(アドミニストレーター)より特別報酬:+35,000 pt 獲得】
【保有ポイント:34,300 pt → 69,300 pt】
(よし……。これでまた少し、平穏を買い支えるための『盾』を厚くできる)
安堵の溜息を漏らした瞬間。頭上の、はるか遠い縦穴から、聞き慣れた、だが今この状況で最も聞いてはいけない「祈り」に似た声が降ってきた。
「……エレナ様!? なぜこんなところに!」
俺は慌てて、存在の希釈(ミスティ・ヴェール)の出力を最大に上げようとしたが、その瞬間、背後から絶対零度の冷気が、俺の首筋を、蛇が這い回るように愛撫した。
「……クハッ。……見つけたよ。……王宮に置かれた、精巧だが退屈な『人形』の糸を辿ってみれば、こんな汚い穴蔵に本物が隠れてデバッグに励んでいるなんて。……君の『丁寧な暮らし』は、随分と泥臭く、そして最高にエキサイティングだね、ルークス・グルト君」
ジルヴァだ。
彼は、地下水路の黒いヘドロの上に、まるで鏡の床でも歩くかのように一点の汚れもなく、優雅に、そして残酷に立っていた。
頭上の井戸からは、今にも泣き出しそうなエレナ様の呼び声。
目の前には、すべてを見透かしたジルヴァの、歪な歓喜に満ちた冷笑。
俺は、手にした空の浄化触媒を、砕けんばかりに握りしめた。
前世で「絶対に逃げられない納期当日、すべてのバックアップが消えた瞬間」に直面した時のような、深い諦念と、それを上回る激しい怒りが混じった溜息を漏らす。
「……フェン。……どうやら、五万ポイント分の自由時間は、ここで終了らしい。……これより、デバッグの相手を、システムそのものに……いや、世界のバグそのものに切り替えるぞ」
王都の深層、光の届かぬ闇の中で、偽装を剥ぎ取られたルークスの瞳が、かつてないほど鋭い、管理組合(システム)の青い光で明滅した。
---
【読者へのメッセージ】
第百八十七話をお読みいただき、ありがとうございます!
泥にまみれてポイントを稼ぐルークスの「農民としての、エンジニアとしての執念」と、彼を探して王都を彷徨うエレナ様の孤独。
ついに「本物」がバレてしまったルークス。ジルヴァの目的は、この管理組合さえも放棄した地下で、一体何を引き起こすことなのか?
次回、ジルヴァとの直接対峙! 汚染された地下水路を舞台に、ルークスの「鑑定」とジルヴァの「捕食」が、世界の理を賭けて激突する!?
「エレナ様がルークスを魂で見つけるシーンで胸が締め付けられた」「地下の不気味なノイズが伝わってくる……」という方は、ぜひ評価やブックマークで応援をよろしくお願いいたします!
皆様のブクマが、ルークスの次なる「次元修復パッチ」の精度をさらに向上させます!
20
あなたにおすすめの小説
記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】
かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。
名前も年齢も住んでた町も覚えてません。
ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。
プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。
小説家になろう様にも公開してます。
現代知識と木魔法で辺境貴族が成り上がる! ~もふもふ相棒と最強開拓スローライフ~
はぶさん
ファンタジー
木造建築の設計士だった主人公は、不慮の事故で異世界のド貧乏男爵家の次男アークに転生する。「自然と共生する持続可能な生活圏を自らの手で築きたい」という前世の夢を胸に、彼は規格外の「木魔法」と現代知識を駆使して、貧しい村の開拓を始める。
病に倒れた最愛の母を救うため、彼は建築・農業の知識で生活環境を改善し、やがて森で出会ったもふもふの相棒ウルと共に、村を、そして辺境を豊かにしていく。
これは、温かい家族と仲間に支えられ、無自覚なチート能力で無理解な世界を見返していく、一人の青年の最強開拓物語である。
別作品も掲載してます!よかったら応援してください。
おっさん転生、相棒はもふもふ白熊。100均キャンプでスローライフはじめました。
辺境の落ちこぼれと呼ばれた少年、実は王も龍も跪く最強でした
たまごころ
ファンタジー
村で「落ちこぼれ」と呼ばれた少年アレン。魔法も剣も使えず、追放される運命だった。
だが彼の力は、世界の理そのものに干渉する“神級スキル”だった。
自覚のないまま危機を救い、美女を助け、敵を粉砕し、気づけば各国の王も、竜すらも彼に頭を下げる。
勘違いと優しさと恐るべき力が織りなす、最強無自覚ハーレムファンタジー、ここに開幕!
転生社畜、転生先でも社畜ジョブ「書記」でブラック労働し、20年。前人未到のジョブレベルカンストからの大覚醒成り上がり!
nineyu
ファンタジー
男は絶望していた。
使い潰され、いびられ、社畜生活に疲れ、気がつけば死に場所を求めて樹海を歩いていた。
しかし、樹海の先は異世界で、転生の影響か体も若返っていた!
リスタートと思い、自由に暮らしたいと思うも、手に入れていたスキルは前世の影響らしく、気がつけば変わらない社畜生活に、、
そんな不幸な男の転機はそこから20年。
累計四十年の社畜ジョブが、遂に覚醒する!!
【完結】ここって天国?いいえBLの世界に転生しました
三園 七詩
恋愛
麻衣子はBL大好きの腐りかけのオタク、ある日道路を渡っていた綺麗な猫が車に引かれそうになっているのを助けるために命を落とした。
助けたその猫はなんと神様で麻衣子を望む異世界へと転生してくれると言う…チートでも溺愛でも悪役令嬢でも望むままに…しかし麻衣子にはどれもピンと来ない…どうせならBLの世界でじっくりと生でそれを拝みたい…
神様はそんな麻衣子の願いを叶えてBLの世界へと転生させてくれた!
しかもその世界は生前、麻衣子が買ったばかりのゲームの世界にそっくりだった!
攻略対象の兄と弟を持ち、王子の婚約者のマリーとして生まれ変わった。
ゲームの世界なら王子と兄、弟やヒロイン(男)がイチャイチャするはずなのになんかおかしい…
知らず知らずのうちに攻略対象達を虜にしていくマリーだがこの世界はBLと疑わないマリーはそんな思いは露知らず…
注)BLとありますが、BL展開はほぼありません。
英雄将軍の隠し子は、軍学校で『普通』に暮らしたい。~でも前世の戦術知識がチートすぎて、気付けば帝国の影の支配者になっていました~
ヒミヤデリュージョン
ファンタジー
帝国辺境でただ静かに生き延びたいだけの少年・ヴァン。
彼に正義感はない。あるのは、母が遺したノートに記された、物理法則を応用した「高圧魔力」の理論と、徹底した費用対効果至上主義だけだ。
敵国三千の精鋭が灰燼城に迫る絶望的状況。ヴァンは剣を振るわず、心理戦と補給線攪乱だけで、たった三日で敵軍を撤退させる。
この効率的すぎる勝利は帝国の中枢に届き、彼は最高峰の帝国軍事学院への招待状を手に入れる。
「英雄になりたいわけじゃない。ただ、母の死の真相と父の秘密を知るため、生き残らなきゃならないだけだ」
無口最強の仮面メイド・シンカク、命を取引に差し出した狼耳少女・アイリ。彼は常にコスパの高い道を選び、母の遺したノートの謎、そして生まれて一度も会ったことのない父・帝国大元帥のいる帝都の闇へと踏み込んでいく。
正義も英雄も、損をするなら意味がない。合理主義が英雄譚を侵食していく、反英雄ミリタリー学園ファンタジー。
侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】
のびすけ。
ファンタジー
気づけば侯爵家の三男として異世界に転生していた元プログラマー。
そこはどこか懐かしく、けれど想像以上に自由で――ちょっとだけ危険な世界。
幼い頃、命の危機をきっかけに前世の記憶が蘇り、
“とっておき”のチートで人生を再起動。
剣も魔法も、知識も商才も、全てを武器に少年は静かに準備を進めていく。
そして12歳。ついに彼は“新たなステージ”へと歩み出す。
これは、理想を形にするために動き出した少年の、
少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。
【なろう掲載】
出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜
シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。
起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。
その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。
絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。
役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる