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第24話 孤独な王子と、太陽のグラタン (24-3)
しおりを挟む焼きあがったグラタンを、銀のトレイに乗せ、俺は再び、テオドア王子の部屋へと向かった。
扉を開けると、部屋の空気は、相変わらず、冷たく、静まり返っている。
王子は、昨日と同じように、窓辺の椅子に、人形のように座っていた。
俺は、彼の前のテーブルに、出来立てのグラタンを、そっと置いた。
黄金色の焦げ目が、ぐつぐつと、小さな声を立てている。チーズと乳の、温かい湯気が、立ち上る。
王子は、最初、何の興味も示さなかった。
だが、その香りが、彼の鼻腔をくすぐった瞬間。
彼の、ガラス玉のようだった瞳が、ほんのわずかに、動いた。
それは、豪華な宮廷料理が放つ、複雑な香水のような匂いではなかった。
ただ、ひたすらに、温かくて、優しくて、懐かしい、陽だまりの匂い。
彼が、その人生で、一度も、嗅いだことのないはずの、匂いだった。
「……殿下。一口だけで、結構ですので」
俺が、静かに言うと、王子は、まるで、初めて見るものに触れるかのように、おずおずと、スプーンを手に取った。
そして、そのスプーンの先で、黄金色の焦げ目の表面を、つん、と突いた。
サクッ。
小さな、しかし、静まり返った部屋には、はっきりと響き渡る音。
その音が、まるで、彼の心の周りを覆っていた、分厚い氷に、小さな亀裂を入れたかのようだった。
彼は、その、カリカリの焦げ目と、中の、とろとろの芋を、一緒にすくい上げ、そして、ゆっくりと、口に運んだ。
その刹那。
王子の、全ての感情を失っていたはずの顔が、初めて、動いた。
目が見開かれ、その瞳が、激しく、揺れる。
(……なんだ、これは……。……温かい……)
口の中に広がるのは、衝撃。
『陽だまりの石』の、カリカリとした香ばしい焦げ目。その下には、絹のようになめらかな、クリームと溶け合った、優しい芋の甘み。
それは、味ではない。
感覚そのものだった。
凍てついた体に、温かい毛布をかけられたような、安心感。
孤独な心に、そっと、寄り添ってくれるような、優しさ。
「……あたた、かい……」
ぽつりと、彼が、何か月ぶりかに、発した言葉。
それは、ただ、その一言だけだった。
だが、その瞳から、一筋の、温かい涙が、静かに、頬を伝っていた。
彼は、もう、誰のことも見ていなかった。
ただ、子供のように、夢中で、グラタンを口に運び続ける。
一口、また一口と食べるごとに、彼の、色のなかった世界に、少しずつ、温かい光が、灯っていくのが分かった。
やがて、皿の上が綺麗になった頃。
テオドア王子は、スプーンを置くと、俺の顔を、真っ直ぐに、見つめた。
その瞳には、まだ、深い悲しみの色は残っている。
だが、その奥に、昨日まではなかった、小さな、しかし、確かな「生」の光が、キラリと、灯っていた。
俺は、何も言わずに、静かにお辞儀をすると、部屋を後にした。
俺の仕事は、終わったのだ。
その夜、王城は、静かな喜びに包まれた。
王子が、自らの意志で、食事を摂った。
その一報は、国王や、エレオノーラ、そして、バスティアンの心を、深く、震わせたという。
食は、時に、どんな名医でも治せない、心の病さえも、癒す力がある。
一人の料理人が、農家の食卓から届けた、小さな太陽。
それは、王国の未来を担う、孤独な王子の心を、見事に、再生させたのだった。
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