異世界ほのぼのクッキングロード ~元フードコーディネーター、不思議な食材で今日も一皿~

はぶさん

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第54話 幕間・職人の熾火

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夜。父から受け継いだ工房は、ひっそりと静まり返っていた。わたくし、トーマスは一人、まだ仄かな熱を持つ窯の前に座り、月明かりに照らされた一つの土鍋を、ただ黙って見つめていた。昼間の喧騒が嘘のように、今は、粘土と、焼かれた土の匂いだけが、わたくしを包んでいる。そして、記憶の奥底には、あの煮込み料理…『カスレ』の、深く、温かい香りが、まだ確かに残っていた。

数日前まで、わたくしは、絶望の淵にいた。窯に入れるたびに、ひび割れていく器たち。それは、まるで、わたくし自身の心が、砕けていく音のようだった。偉大だった父の幻影と、自分の才能のなさ。工房に飾られた父の完璧な作品を見るたびに、お前には無理だと、そう嘲笑われている気がした。「土の神様が、わたくしを見捨てたのだ」と、本気でそう信じていた。自分の代で、この『白浜工房』の歴史を終わらせてしまうのだと。

そこへ、あの料理人…日向耕介殿が現れたのだ。
彼が、わたくしが失敗作の烙印を押した粘土を手に取り、「土が変わったのです」と告げた時も、わたくしは信じられなかった。それは、ただの慰めか、あるいは気まぐれな同情だろうと。

だが、彼は違った。
彼が語ってくれた、『カスレ』という料理の物語。敵軍に包囲された絶望の街で、市民たちが、なけなしの食材を、一つの土鍋に集めて食べたという、英雄の物語。
そして、その奇跡の物語の、本当の英雄は、騎士や王ではない。名もなき陶芸家が作った、分厚くて丈夫な土鍋(カソール)だったのだ、と。
あの瞬間、わたくしの心臓を、見えない槌が、ゴーンと打ち鳴らした。わたくしたち陶芸家が、ただの器作りが、人を、街を救う力になり得る…? そんなこと、考えたこともなかった。

「あなたの『失敗』は、新しい『個性』の始まりです」
彼は、そう言った。わたくしが「呪い」だと思っていた、この新しい土の性質…鉄分が多く、粘り気が強いという性質が、「熱をゆっくり、長く保つ」という、最高の個性なのだと、彼は見抜いてみせた。
彼と共に、新しいカソールを夢中で作り上げた。父の教えとは全く違う、分厚く、無骨な形。だが、不思議と、その土は、わたくしの手に、しっくりと馴染んだ。まるで、これが、わたくしが本当に作るべきだった器なのだと、土自身が、語りかけてくるかのようだった。

そして、あの『木漏れ日の食卓亭』での、一口。
自分の手で作り上げた、あのカソールから、自分の手で、カスレをすくい、口に運んだ。
…涙が、溢れて止まらなかった。
美味い、という言葉では、足りなかった。豆と肉の旨味が、とろとろに溶け合った、魂を揺さぶるような味わい。だが、それだけではない。わたくしが何より感動したのは、その**「温かさ」**だった。
皿によそってから、少し時間が経っているはずなのに、料理は、まるで窯から出したばかりのように、熱いままなのだ。わたくしが作った、この土鍋が、この料理の命である温かさを、その不器用なほどに分厚い体で、必死に、守り続けている。
その温かさは、まるで、日向殿がわたくしに示してくれた、あの、揺るぎない優しさそのもののようだった。

わたくしは、父の幻影を追いかけることを、やめた。
父には、父の時代の、最高の器があった。そして、わたくしには、この新しい土と共に生きる、わたくしだけの器がある。失敗だと思っていたものは、わたくし自身の、新しい物語の始まりだったのだ。

わたくしは、そっと立ち上がると、工房の入り口に、新しい木の看板を掲げた。
『白浜工房—世界一のカスレ鍋、作ります』
父さんが見たら、腰を抜かすかもしれんな。だが、きっと、少しだけ、笑ってくれるはずだ。
窯の中に残っていた熾火が、まるでわたくしの心を映すかのように、再び、静かに、しかし、力強く、赤々と燃え上がっていた。

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