異世界ほのぼのクッキングロード ~元フードコーディネーター、不思議な食材で今日も一皿~

はぶさん

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第67話 一滴の真理 (67-2)

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アーサーの案内で、俺と一番弟子のレオがたどり着いた『静寂の修道院』は、その名の通り、音が死んだ世界だった。西の山脈の、さらに奥深く。俗世から完全に切り離されたその場所では、風が木々を揺らす音と、遠くで聞こえる滝の音以外、一切の音がしない。修道士たちは、言葉を発さず、ただ、目礼と、最小限の身振り手振りだけで、意思を伝達していた。その、あまりにも静謐で、厳格な空気に、レオは、ごくりと喉を鳴らし、息を潜めた。
老学者エドワードは、修道院の一番奥にある、書庫に併設された個室にいた。部屋は、天井まで届くほどの本棚と、床に積まれた膨大な資料の山に埋もれている。だが、部屋の主は、その知識の森の中で、まるで枯れ木のように、ただ、窓の外を、虚ろな目で見つめていただけだった。その瞳には、光がない。情熱も、絶望も、何もかもが消え去った、完全な「無」が、そこにはあった。
俺は、アーサーに目配せすると、彼に、師の傍にいるよう、身振りで伝えた。そして、俺とレオは、修道院の、簡素で、しかし、塵一つなく磨き上げられた厨房へと向かう。
言葉は、使えない。ならば、語るべきは、料理そのもの。その、調理の過程そのものを、一つの「物語」として、あの賢者に見せつけるのだ。
俺が、この前代未聞の挑戦の、最初の相棒として選んだのは『胡麻豆腐』だった。
材料は、三つだけ。修道院の畑で採れた最上級の白胡麻。山の湧き水で清められた葛の根から採れる純白の葛粉。そして、この修道院の井戸から汲み上げた一点の曇りもない清らかな水。
俺は、厨房の中央に巨大なすり鉢を据えると、その中に、炒った白胡麻を、ざらりと流し込んだ。そして、すりこぎを手に取り、静かに目を閉じた。
ここからが、この料理の、そして、この挑戦の本番だった。
俺は、誰に語りかけるでもなく、しかし、厨房の入り口からこちらの様子を虚ろな目のまま見つめているであろう、エドワードの魂に向かって、心の中で語り始めた。これは、この問題を解決するための、俺なりの「経緯と対話」だった。
(…胡麻豆腐は、私の故郷の修行僧たちが、精神を研ぎ澄ますために食した、禅の料理。何千、何万という胡純な一皿にたどり着けるのです)
ゴリ、ゴリ…という、重く、鈍い音が、静寂な厨房に響き渡る。一粒、また一粒と、胡麻の硬い殻が砕け、その内側から、豊潤な、ナッツのような香りが立ち上り始めた。
レオが、手伝おうと一歩前に出たが、俺は、それを、目だけで制した。(違うんだ、レオ。これは、効率や、技術の話じゃない)これは、誰にも代わることのできない、俺自身の、戦いなのだ。
その視線を受け、レオは、はっとしたように動きを止め、ただ、俺の背中と、すり鉢の中の胡麻を、食い入るように見つめ始めた。(…師匠の動きには、一切の無駄がない。いや、それだけじゃない。まるで、あのすり鉢の中が、一つの宇宙ででもあるかのように…集中力が、常軌を逸している…! これが、俺に学べとおっしゃった、『魂を込める』ということの、本当の意味なのか…?)
(…思考を、止める。ただ、腕を動かす。右に、三回。左に、三回。すり鉢に体重を預け、胡麻と一体になる。美味しいものを作ろう、などという雑念は捨てろ。学者を救おう、などという驕りも捨てろ。ただ、無心に。無心に、己と向き合う者だけが、この、純粋な一皿にたどり着けるのです)
ゴリ、ゴリ…という音は、いつしか、するり、するり…という、滑らかな音へと変わっていた。胡麻は完全にすり潰され、油分を滲ませ、純白の、芳醇な香りを放つペーストへと姿を変えている。その、あまりにも美しい光景を、厨房の入り口に佇む老学者は、ただ、瞬きもせず見つめていた。
彼の、氷のように凍てついていた瞳の奥で、ほんの、ほんの僅かに、意志の光が、灯ったかのように、揺らめいたのを、俺は見逃さなかった。
そして、その奇跡の瞬間を、俺の隣で、息を飲むレオもまた、確かに、その目に焼き付けていた。

【作者より】
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