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第9話 幕間・森の主が見た夢
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森の奥深く。月明かりが差し込む、一番大きな木の根元。
そこは、わたくしの寝床。
わたくしは、森の主。何百年もの間、この森の移ろいを、ただ静かに見つめてきた。
だが、今宵は眠れそうにない。
腹の底に、あの日の太陽のような温かさが、まだ確かに残っているからだ。
『ハチミツパイ』とか、あの小さな人間たちは言っていたか。
いつからだろう。
わたくしの心が、乾いた冬の土のようになってしまったのは。
かつて、この森には、虹色の花畑が広がっていた。
春になると、その花々は一斉に咲き誇り、甘く、かぐわしい蜜で、わたくしの腹と心を、いつも満たしてくれていた。
あの蜜を舐める時間だけが、悠久の時を生きる、わたくしの唯一の喜びだった。
だが、ある年から、花は咲かなくなった。
原因は分からない。ただ、季節が巡ってきても、虹色の絨毯が森に広がることは、二度となかった。
わたくしの宝物は、失われた。
心に、ぽっかりと大きな穴が空いた。
悲しくて、寂しくて、そして、どうしようもなく、腹が減った。
大好きだったものを失った喪失感は、わたくしから生きる力さえも奪っていった。
気づけば、わたくしは、あの懐かしい花の蜜に似た匂いに誘われ、人間の里の近くまで降りてしまっていた。
人間たちは、わたくしを見て、剣を向けた。
彼らには、わたくしの悲しみなど、分かりはしない。
ただ、自分たちのテリトリーを脅かす、恐ろしい「化け物」にしか見えなかったのだろう。
もう、どうなってもいい。
そう思った、その時だった。
あの青年と、小さな娘、そして、不思議な言葉を話す、白い毛玉の生き物が現れたのは。
彼らが差し出した、あの黄金色の焼き菓子。
鼻を近づけた瞬間、時が止まった。
(……! この香りは……! そうだ、これだ……! わたくしが、ずっと探していた、あの虹色の花の蜜の香り……!)
一口、食べた。
サクサクとした衣。中からとろりと溢れ出す、温かくて甘い、蜜と木の実の味。
それは、わたくしが失ってしまった、幸せだった頃の記憶の味そのものだった。
涙が、溢れて止まらなかった。
違う。これは、涙ではない。
わたくしの乾ききった心に、あの青年が注いでくれた、温かい蜜そのものだ。
わたくしは、森に帰る。
花畑は、もう戻らないかもしれない。
だが、大丈夫。
あの温かい味と、わたくしの心を理解しようとしてくれた、あの優しい人間たちの記憶があれば。
わたくしは、もう一人ではない。
ありがとう、小さき料理人よ。
ありがとう、心優しき娘よ。
そして、わたくしの言葉を届けてくれた、白き友よ。
次に目が覚めたら、お礼をしにいこう。
わたくしだけが知っている、特別なキノコの場所を、教えてあげよう。
きっと、あの青年なら、そのキノコで、また誰かを幸せにする、温かい料理を作るのだろうから。
森の主は、久しぶりに、穏やかな眠りについた。
その寝息は、まるで、春の訪れを告げる、優しい風の音のようだったという。
◼️◼️◼️◼️◼️
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます!皆さんの感想や、フォロー・お気に入り登録が、何よりの励みになります。これからも、この物語を一緒に楽しんでいただけたら幸いです。
そこは、わたくしの寝床。
わたくしは、森の主。何百年もの間、この森の移ろいを、ただ静かに見つめてきた。
だが、今宵は眠れそうにない。
腹の底に、あの日の太陽のような温かさが、まだ確かに残っているからだ。
『ハチミツパイ』とか、あの小さな人間たちは言っていたか。
いつからだろう。
わたくしの心が、乾いた冬の土のようになってしまったのは。
かつて、この森には、虹色の花畑が広がっていた。
春になると、その花々は一斉に咲き誇り、甘く、かぐわしい蜜で、わたくしの腹と心を、いつも満たしてくれていた。
あの蜜を舐める時間だけが、悠久の時を生きる、わたくしの唯一の喜びだった。
だが、ある年から、花は咲かなくなった。
原因は分からない。ただ、季節が巡ってきても、虹色の絨毯が森に広がることは、二度となかった。
わたくしの宝物は、失われた。
心に、ぽっかりと大きな穴が空いた。
悲しくて、寂しくて、そして、どうしようもなく、腹が減った。
大好きだったものを失った喪失感は、わたくしから生きる力さえも奪っていった。
気づけば、わたくしは、あの懐かしい花の蜜に似た匂いに誘われ、人間の里の近くまで降りてしまっていた。
人間たちは、わたくしを見て、剣を向けた。
彼らには、わたくしの悲しみなど、分かりはしない。
ただ、自分たちのテリトリーを脅かす、恐ろしい「化け物」にしか見えなかったのだろう。
もう、どうなってもいい。
そう思った、その時だった。
あの青年と、小さな娘、そして、不思議な言葉を話す、白い毛玉の生き物が現れたのは。
彼らが差し出した、あの黄金色の焼き菓子。
鼻を近づけた瞬間、時が止まった。
(……! この香りは……! そうだ、これだ……! わたくしが、ずっと探していた、あの虹色の花の蜜の香り……!)
一口、食べた。
サクサクとした衣。中からとろりと溢れ出す、温かくて甘い、蜜と木の実の味。
それは、わたくしが失ってしまった、幸せだった頃の記憶の味そのものだった。
涙が、溢れて止まらなかった。
違う。これは、涙ではない。
わたくしの乾ききった心に、あの青年が注いでくれた、温かい蜜そのものだ。
わたくしは、森に帰る。
花畑は、もう戻らないかもしれない。
だが、大丈夫。
あの温かい味と、わたくしの心を理解しようとしてくれた、あの優しい人間たちの記憶があれば。
わたくしは、もう一人ではない。
ありがとう、小さき料理人よ。
ありがとう、心優しき娘よ。
そして、わたくしの言葉を届けてくれた、白き友よ。
次に目が覚めたら、お礼をしにいこう。
わたくしだけが知っている、特別なキノコの場所を、教えてあげよう。
きっと、あの青年なら、そのキノコで、また誰かを幸せにする、温かい料理を作るのだろうから。
森の主は、久しぶりに、穏やかな眠りについた。
その寝息は、まるで、春の訪れを告げる、優しい風の音のようだったという。
◼️◼️◼️◼️◼️
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