元最強呪術師、転生したらダンジョン全階層制覇してしまった件

Y.

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第25話(最終話):不自由な自由、あるいは始まりの茶会

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 世界を縛っていた「理(ことわり)の核」が砕け散り、空を埋め尽くした鉄の艦隊が粒子となって消えてから、数ヶ月の月日が流れた。

 かつて地上のあらゆる場所に満ち溢れ、文明の血液として流れていた「魔力」という名の超常エネルギーは、今やこの世界のどこにも存在しない。

 魔法の灯は消え、浮遊車両は動かぬ鉄屑となり、人々は数千年にわたって依存してきた「奇跡」を、一夜にして奪われた。

 しかし、絶望が世界を覆ったわけではなかった。
 
 水平線から昇る朝日が、穏やかな海辺の村を黄金色に染めていく。

 波打ち際にひっそりと佇む、小さな石造りの一軒家。その二階で、一人の男が目を覚ました。

「……ふぅ、やはり少し冷えるな」

 カイはベッドから起き上がり、自分の右腕を眺めた。

 かつては黄金と漆黒のオーラを放ち、世界の因果を書き換えた「全能の右腕」。今、そこにあるのは、無骨だがどこか温かみのある、ただの人間の腕だ。

 手の甲には、かつての呪印の跡が薄い古傷のように残っているが、そこから力が溢れ出すことは二度とない。

 カイは階下に降り、キッチンの暖炉の前に立った。

 数ヶ月前までなら、指先を一つ鳴らすだけで、ソロモンの論理に従った完璧な温度の火が灯っただろう。
 だが今、彼はマッチを擦り、乾いた薪に火を移す。

 シュボッ、という乾いた音。

 ゆらゆらと立ち上がるオレンジ色の炎。

 パチパチと爆ぜる薪の音と、立ち昇る煙の匂い。

「……不便だな。火を熾(おこ)すだけで五分もかかるとは」

 カイは独りごちたが、その顔に不快感はない。むしろ、熱がじわりと肌に伝わってくるその「時間」を、どこか楽しんでいるようにも見えた。魔法という奇跡を失ったことで、彼は世界の「質感」を初めて直接、肌で感じていた。

 村の広場へ向かうと、そこにはかつての「最凶のパーティ」の面々が、それぞれの日常を営んでいた。

 • リィネの今
 村の小さな学舎から、子供たちの元気な声が聞こえてくる。

「いいですか? 魔法がなくても、私たちは『知恵』と『言葉』で繋がることができますわ」

 かつて「堕聖女」と呼ばれ、世界の生贄として虐げられてきたリィネは、今や村の先生として子供たちに慕われていた。

 黒いドレスは動きやすい素朴な服に変わり、その表情からは以前の危うい陰りが消え、春の陽光のような柔らかさが溢れている。


 • グリムの今

 学舎の裏にある畑では、銀色の機械人形が、あどけない動きでクワを振るっていた。

「主。現在、私の出力は全盛期の0.01%以下。太陽光充電によるエコモードでの稼働を余儀なくされています。……しかし、このカブの成長速度を計算する分には、このスペックで十分です」

 魔力の供給を失ったグリムは、今や村の農作業を助ける「少し口うるさい案山子(かかし)」のような存在だ。

 それでも、彼の中に眠る皮肉屋の魂と、カイへの忠誠心だけは、どんな理(システム)の崩壊も消し去ることはできなかった。


 • ニアの今

 ニアは普通の少女として学校に通い、友達と笑い合いながら放課後の道を駆けてくる。

 彼女を蝕んでいた「希望の種子」は、カイが世界のリセット・エネルギーを飲み込んだ際、完全に消滅した。

 今の彼女は、管理局の実験体でも、世界の門(ゲート)でもない。ただの、甘いお菓子が大好きな十歳の少女だった。


 昼下がり、カイは一人で砂浜に腰掛け、遠くに見える巨大な影を眺めていた。

 海に不時着し、今は巨大な岩礁のようになっている空中浮遊島『摩天楼(マテン・ロウ)』。

 魔法を失い、動かなくなったその要塞は、今では渡り鳥たちの格好の休息地となっている。

「……随分と遠くへ来たものだ、摩天殿。……いや、今はただのカイ殿かな」

 背後から声をかけたのは、一人の男だった。

 かつての管理局の生き残りであり、今は新世界の歴史を記録する学者となったラプラスだ。彼は半機械化されていた肉体を捨て、不便な義足で砂浜を歩いてきた。

「魔法のない世界……。混乱はまだ続いています。ですが、人々は驚くほど早く、自分たちの手で火を熾し、道具を作ることに慣れ始めています」

「……だろうな。人間は、お前たちが思っている以上に図太い」

 カイは視線を海に戻したまま、不遜に笑った。

「私がやったのは、不自由な檻を取り壊すリフォームだ。その後の住み心地がどうか、壁の色を何色にするか……それを決めるのは、そこに住む奴ら自身の仕事だ。私に文句を言いに来たなら、お門違いだぞ」

「……ふふ、相変わらずですな。ですが、感謝している者も多い。少なくとも、一人の少女の涙の上に成り立つ偽りの安寧よりは、この砂の温かさの方がずっと『正しい』。……そう思いませんか?」

 ラプラスはそう言い残し、ゆっくりと去っていった。

 カイは何も答えなかったが、足元に寄せては返す波の音を聞きながら、静かに目を閉じた。

 夕暮れ時、海を見下ろすテラスに、三人と一機の姿があった。

「カイ様、お待たせしましたわ。今日は、村の方にいただいた茶葉で、最高の一杯を淹れましたの」

 リィネが丁寧に淹れたお茶が、カップに注がれる。

 テーブルの上には、ニアが手伝って焼いたというクッキーが並んでいた。今度は焦げていない、香ばしいバターの匂いが漂う逸品だ。

「主。私のスキャナーによれば、このクッキーの糖分と塩分の比率は、私の『幸せ指数』を5ポイント上昇させる数値です。……あくまで、推測値ですが」

「グリム、機械が幸せなんて言うんじゃないわよ。……ねえ、カイ様、食べてみてくださいな」

 リィネに促され、カイは一口、クッキーを齧った。

 魔法で作り出された「完璧な味」ではない。粉の感触があり、不揃いな甘みがあり、それを作った者の手の温もりが感じられる、不自由な味。

「……ふん。悪くない」

 カイはカップを手に取り、水平線の向こう、沈みゆく夕日に目を細めた。

 かつての最強呪術師。数千年の孤独を抱え、神に抗い、理を打ち砕いた男。

 彼が最後に見つけたのは、全能の力でも、不滅の魂でもなかった。

 温かいお茶の湯気。

 仲間たちの他愛のない笑い声。

 そして、明日もまた、自分の足で歩いていかなければならないという、不自由で、愛おしい現実。

「呪術も魔術も、もういらん。……今のこの一杯の方が、よっぽど計算が難しいからな」

 カイは小さく微笑んだ。

 それは、かつての「摩天」が一度も見せたことのない、一人の男としての、穏やかな笑顔だった。

 水平線の向こう側に、星が一つ、瞬き始める。

 魔法の消えた世界で、彼らの新しい、本当の物語が、今ここから始まろうとしていた。
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