最弱弓術士、全距離支配で最強へ

Y.

文字の大きさ
47 / 47
真・全距離支配:王都狙撃隊教官日誌

第2話:才能なき少女の『眼』

しおりを挟む
 王都の朝は早い。

 夜明け前の冷たい空気が訓練場に立ち込める中、かつては豪華な鎧に身を包んでいたエリート騎士たちが、今は上半身裸で、目を閉じて立ち尽くしていた。

「……ボルドさん、また呼吸が乱れています。肩の筋肉で風を止めようとしないでください。風は、避けるものでも抗うものでもありません。自分を通り抜けさせるものです」

 アルトの声は、静かだが訓練場全体に鋭く響いた。

 副団長ボルドは、額に浮いた汗を拭うことも許されず、必死に自身の感覚を研ぎ澄まそうともがいている。

「教官……。魔力を使わずに周囲を把握するのが、これほどまでに、もどかしいものだとは……。視界を奪われただけで、自分がこれほど無力に感じるとは思いもしませんでした」

 ボルドの言葉は、ここに集められた騎士たちの本音を代弁していた。

 彼らはこれまで、魔力による身体強化で反射神経を底上げし、魔導探知で敵の居場所を特定してきた。

 それは「魔法が常識」の世界では正解だった。しかし、アルトが教える弓術の世界では、それらはすべて「真実を覆い隠す雑音(ノイズ)」でしかない。

「魔法は便利です。でも、それに頼り切ることは、世界との対話を放棄することと同じです。魔力が枯渇した時、あるいは魔力を攪乱された時、あなたたちはただの重い肉の塊になる。……弓術士は、魔力がないからこそ、世界の微かな呼吸を聴くことができるんです」

 アルトは、自身の手にある『ストーム・ウィスパー』の弦を指先で弾いた。

 澄んだ音が空気を震わせ、騎士たちの肌を撫でる。

 彼らにとっての「地獄の特訓」は、まだ始まったばかりだった。

 午前中の基礎訓練が終わり、午後からは新しい入隊志願者たちの選別試験が始まった。

 狙撃部隊の設立が正式に決まってから、王都中から志願者が集まっている。その多くは、アルトがボルドを打ち負かした噂を聞きつけ、「魔法を超える新しい力」を求めてやってきた血気盛んな若者たちだ。

 その列の最後尾に、一人の少女が立っていた。

 名前はエレン。十六歳。

 下級貴族の娘らしいが、その佇まいは騎士団という場所にはあまりに不釣り合いだった。細い腕、青白い肌、そして何よりも、彼女から感じられる魔力の気配は、一般市民の平均値すら下回っていた。

「おい、見ろよ。あんな弱そうな女の子が志願してるぜ」

「魔力測定値は『3』だってよ。最低記録更新だな。体力テストも途中で倒れそうになってたらしいぞ」

 周囲の志願者たちの心ない囁きが聞こえてくる。

 エレンはうつむき、握りしめた拳を震わせていた。彼女の目の前にあるのは、重厚な騎士団支給の強弓。彼女の筋力では、弦を半分も引くことはできないだろう。

 アルトは、受付の書類に目を落としながら、彼女をじっと観察していた。

(……魔力『3』、体力は最低。……でも、彼女の『眼』だけは、さっきから一度も瞬きをしていない)

 エレンは周囲の嘲笑に怯えながらも、その視線だけは、訓練場の奥にある動く標的を正確に追い続けていた。

 それは、かつて「最弱」と呼ばれ、それでもリアンの背中だけを見つめていたアルト自身の姿と、痛いほどに重なっていた。

「これより、狙撃適性テストを行う」

 アルトが前に出ると、訓練場に緊張が走った。

「ルールは単純だ。あのアリーナ内を飛び交う、十個の高速魔導円盤を射抜くこと。ただし――」

 アルトがパチンと指を鳴らす。

 すると、訓練場を囲むように設置された魔導具が作動し、ドーム状の薄い膜がアリーナを覆った。

「――この中では『魔力攪乱結界』が作動している。魔力による自動追尾、座標計算、すべて無効だ。自分の五感と、物理法則だけを信じて射て」

 志願者たちの顔色が変わった。

 次々と挑戦するが、結果は散々だった。

 魔力に頼ってきた者たちは、円盤の「魔力的な気配」を追おうとして、実体を見失う。放たれた矢は、円盤が通り過ぎた後の空間を空しく切り裂くばかりだった。

「……くそっ! なんだこの試験は! 的が速すぎるし、魔力が練れないのにどうやって当てろって言うんだ!」

 不合格となった大男が、弓を地面に叩きつけた。

「魔力がないから当たらないのではありません。魔力を探そうとするから、今そこにある風の動きに気づけないんです」

 アルトは冷徹に言い放ち、次を呼んだ。「……最後の一人。エレン、前へ」

 エレンが、震える足で射線に立った。

 彼女の持つ弓は、アルトが事前に手渡した、細身でしなやかな練習用の弓だ。騎士団の強弓を引けない彼女のために、アルトが調整したものだった。

「あんなおもちゃみたいな弓で、あの高速円盤に当たるわけないだろ」

「教官も意地が悪いな。さっさと不合格にして返してやればいいのに」

 冷ややかな視線が彼女を突き刺す。

 エレンは弓を構えようとしたが、指先が震えて、矢を番えることさえおぼつかない。

 彼女の視界には、不規則に飛び回る円盤と、それを笑う野次馬たちの顔が入り混じっていた。

 アルトは彼女に歩み寄り、その耳元で静かに囁いた。

「エレン。円盤を見るな。……光を見るな。……音も聴くな」

 エレンが驚いてアルトを見た。

 アルトの瞳は、穏やかだが、すべてを見透かすような深淵を湛えていた。

「魔力がないのは、欠点じゃない。……魔法というノイズに毒されていない、あなたの『特権』だ。……目をつぶってもいい。……空気が、少しだけ『重く』なる瞬間を感じて。……円盤が空気を押し退ける、その波紋の先を、あなたの指先で撫でるんだ」

 アルトの手が、エレンの震える肩にそっと触れた。

 その瞬間、エレンの世界から色が消えた。

 エレンの感覚が、内側へと沈み込んでいく。

 周囲の嘲笑が遠のき、風の音さえも消え、ただ「世界の重み」だけが残った。

(……重い……)

 彼女の意識の中で、空気が粘り気のある水のように感じられた。

 そこを、何かが高速で泳いでいる。

 円盤。その質量が空気を押し退け、微かな「渦」を作り出している。

 彼女は目を開けなかった。

 視覚という不確かな情報に頼る必要はなかった。

 彼女の指先は、すでに「正解」の場所を知っていた。

 重力加速度、空気抵抗係数、そして風速による偏流。

 それらすべてを、彼女の「無」の身体が、直感的な数式として処理していく。

(……そこ)

 エレンの指が、吸い付くように弦を放した。

 パシュッ、という、か細い音。

 魔法の光も、凄まじい風圧もない、ただの質素な一矢。

 しかし、その矢は、物理学的に導き出された「唯一の勝利曲線」を描いた。

 ガィィィィンッ!!

 訓練場に、乾いた金属音が響き渡った。

 高速で飛び回っていた魔導円盤の一つが、その中心部を正確に貫かれ、火花を散らして地面に叩きつけられたのだ。

「……え……?」

「……当たったのか? 今、あの距離を、あの速度で?」

 静まり返る訓練場。

 エレンはゆっくりと目を開け、自分の手を見つめた。

 そこには、まだ弦を放した後の痺れが残っていた。

「……先生……私……」

 アルトは、満足げに微笑んだ。

「お見事。……ボルドさん、見ていましたか? あなたたちが数年かけても習得できなかった『風の先読み』を、彼女はたった今、証明しましたよ」

 ボルドは、腕を組んだまま呆然と立ち尽くしていた。

「……信じられん。……魔力を使わずに、あんな軌道を……」

 アルトはエレンの元へ歩み寄り、彼女の細い肩に手を置いた。

「才能がないんじゃない。あなたには、誰もが持っている『魔法』という鎧を脱ぎ捨てられる、本当の強さがある。……ようこそ、王都狙撃部隊へ。……今日からあなたが、僕の一番弟子です」

 エレンの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。

 それは、これまで「無能」と蔑まれてきた彼女の人生に、初めて灯った「自分だけの光」だった。

 選別試験の様子を、訓練場の高い回廊から見つめる影があった。

 白髪混じりの髪を厳格に整え、胸元には騎士団の旧派閥を示す紋章を付けた男。

 かつて弓術を「騎士の風上にも置けない卑怯者の道具」として、王宮から排斥しようとした中心人物、ハクガンだった。

「……フン。魔力も持たぬ子供同士の遊びか」

 ハクガンの声には、隠しきれない不快感が滲んでいた。

「狙撃部隊、か。陛下が何を血迷われたかは知らぬが、このような異端が騎士団の秩序を乱すのは、看過できんな。……あの大戦の英雄の弟子とやら。そのメッキ、剥がさせてもらうぞ」

 ハクガンは冷笑を浮かべ、闇の中に消えていった。

 アルトとエレン。そして新しく生まれた狙撃部隊の前に、かつての「常識」という名の、巨大な壁が立ちはだかろうとしていた。

 その夜、アルトはアストリアの師匠へと送る手紙に、こう書き添えた。


『追伸:先生。今日、かつての僕にそっくりな女の子に出会いました。

 彼女に教えていると、自分自身が学んでいるような不思議な感覚になります。

 ……先生が僕に教えてくれたこの景色を、彼女にも見せてあげたい。

 それが、僕がここにいる本当の理由なのかもしれません』


 王都の風が、アルトの髪を優しく揺らした。

 新しい伝説の矢は、すでに放たれている。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

迷宮に捨てられた俺、魔導ガチャを駆使して世界最強の大賢者へと至る〜

サイダーボウイ
ファンタジー
アスター王国ハワード伯爵家の次男ルイス・ハワードは、10歳の【魔力固定の儀】において魔法適性ゼロを言い渡され、実家を追放されてしまう。 父親の命令により、生還率が恐ろしく低い迷宮へと廃棄されたルイスは、そこで魔獣に襲われて絶体絶命のピンチに陥る。 そんなルイスの危機を救ってくれたのが、400年の時を生きる魔女エメラルドであった。 彼女が操るのは、ルイスがこれまでに目にしたことのない未発見の魔法。 その煌めく魔法の数々を目撃したルイスは、深い感動を覚える。 「今の自分が悔しいなら、生まれ変わるしかないよ」 そう告げるエメラルドのもとで、ルイスは努力によって人生を劇的に変化させていくことになる。 これは、未発見魔法の列挙に挑んだ少年が、仲間たちとの出会いを通じて成長し、やがて世界の命運を動かす最強の大賢者へと至る物語である。

クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました

髙橋ルイ
ファンタジー
「クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました」 気がつけば、クラスごと異世界に転移していた――。 しかし俺のステータスは“雑魚”と判定され、クラスメイトからは置き去りにされる。 「どうせ役立たずだろ」と笑われ、迫害され、孤独になった俺。 だが……一人きりになったとき、俺は気づく。 唯一与えられた“使役スキル”が 異常すぎる力 を秘めていることに。 出会った人間も、魔物も、精霊すら――すべて俺の配下になってしまう。 雑魚と蔑まれたはずの俺は、気づけば誰よりも強大な軍勢を率いる存在へ。 これは、クラスで孤立していた少年が「異常な使役スキル」で異世界を歩む物語。 裏切ったクラスメイトを見返すのか、それとも新たな仲間とスローライフを選ぶのか―― 運命を決めるのは、すべて“使役”の先にある。 毎朝7時更新中です。⭐お気に入りで応援いただけると励みになります! 期間限定で10時と17時と21時も投稿予定 ※表紙のイラストはAIによるイメージです

魔物に嫌われる「レベル0」の魔物使い。命懸けで仔犬を助けたら―実は神域クラスしかテイムできない規格外でした

たつき
ファンタジー
魔物使いでありながらスライム一匹従えられないカイルは、3年間尽くしたギルドを「無能」として追放される。 同世代のエリートたちに「魔物避けの道具」として危険な遺跡に連れ出され、最後は森の主(ヌシ)を前に囮として見捨てられた。 死を覚悟したカイルが崩落した壁の先で見つけたのは、今にも息絶えそうな一匹の白い仔犬。 「自分と同じように、理不尽に見捨てられたこの子だけは助けたい」 自分の命を顧みず、カイルが全魔力を込めて「テイム」を試みた瞬間、眠っていた真の才能が目覚める。

異世界レストラン・フェルマータ ~追放料理人の俺、神の舌で世界を喰らう~

たまごころ
ファンタジー
王都の五つ星料理店を追放された若き料理人カイ。理不尽な仕打ちに絶望しかけたその瞬間、彼は異世界で目を覚ます。 そこは「味覚」が魔力と結びついた世界──。美味を極めれば魔力が高まり、料理は民を癒やし、王すら跪く力を持つ。 一介の料理人だったカイは、神の舌「フェルマータ」の力に目覚め、貧しい村に小さな食堂を開く。 だがその料理は瞬く間に世界を変え、王侯貴族、聖女、竜姫、女勇者、果ては神々までが彼の皿を求めるようになる。 追放された男の、料理と復讐と愛の異世界成り上がり劇、ここに開店!

最弱無双は【スキルを創るスキル】だった⁈~レベルを犠牲に【スキルクリエイター】起動!!レベルが低くて使えないってどういうこと⁈~

華音 楓
ファンタジー
『ハロ~~~~~~~~!!地球の諸君!!僕は~~~~~~~~~~!!神…………デス!!』 たったこの一言から、すべてが始まった。 ある日突然、自称神の手によって世界に配られたスキルという名の才能。 そして自称神は、さらにダンジョンという名の迷宮を世界各地に出現させた。 それを期に、世界各国で作物は不作が発生し、地下資源などが枯渇。 ついにはダンジョンから齎される資源に依存せざるを得ない状況となってしまったのだった。 スキルとは祝福か、呪いか…… ダンジョン探索に命を懸ける人々の物語が今始まる!! 主人公【中村 剣斗】はそんな大災害に巻き込まれた一人であった。 ダンジョンはケントが勤めていた会社を飲み込み、その日のうちに無職となってしまう。 ケントは就職を諦め、【探索者】と呼ばれるダンジョンの資源回収を生業とする職業に就くことを決心する。 しかしケントに授けられたスキルは、【スキルクリエイター】という謎のスキル。 一応戦えはするものの、戦闘では役に立たづ、ついには訓練の際に組んだパーティーからも追い出されてしまう。 途方に暮れるケントは一人でも【探索者】としてやっていくことにした。 その後明かされる【スキルクリエイター】の秘密。 そして、世界存亡の危機。 全てがケントへと帰結するとき、物語が動き出した…… ※登場する人物・団体・名称はすべて現実世界とは全く関係がありません。この物語はフィクションでありファンタジーです。

ある日、俺の部屋にダンジョンの入り口が!? こうなったら配信者で天下を取ってやろう!

さかいおさむ
ファンタジー
ダンジョンが出現し【冒険者】という職業が出来た日本。 冒険者は探索だけではなく、【配信者】としてダンジョンでの冒険を配信するようになる。 底辺サラリーマンのアキラもダンジョン配信者の大ファンだ。 そんなある日、彼の部屋にダンジョンの入り口が現れた。  部屋にダンジョンの入り口が出来るという奇跡のおかげで、アキラも配信者になる。 ダンジョン配信オタクの美人がプロデューサーになり、アキラのダンジョン配信は人気が出てくる。 『アキラちゃんねる』は配信収益で一攫千金を狙う!

トップ冒険者の付与師、「もう不要」と言われ解雇。トップ2のパーティーに入り現実を知った。

ファンタジー
そこは、ダンジョンと呼ばれる地下迷宮を舞台にモンスターと人間が暮らす世界。 冒険者と呼ばれる、ダンジョン攻略とモンスター討伐を生業として者達がいる。 その中で、常にトップの成績を残している冒険者達がいた。 その内の一人である、付与師という少し特殊な職業を持つ、ライドという青年がいる。 ある日、ライドはその冒険者パーティーから、攻略が上手くいかない事を理由に、「もう不要」と言われ解雇された。 新しいパーティーを見つけるか、入るなりするため、冒険者ギルドに相談。 いつもお世話になっている受付嬢の助言によって、トップ2の冒険者パーティーに参加することになった。 これまでとの扱いの違いに戸惑うライド。 そして、この出来事を通して、本当の現実を知っていく。 そんな物語です。 多分それほど長くなる内容ではないと思うので、短編に設定しました。 内容としては、ざまぁ系になると思います。 気軽に読める内容だと思うので、ぜひ読んでやってください。

バイトで冒険者始めたら最強だったっていう話

紅赤
ファンタジー
ここは、地球とはまた別の世界―― 田舎町の実家で働きもせずニートをしていたタロー。 暢気に暮らしていたタローであったが、ある日両親から家を追い出されてしまう。 仕方なく。本当に仕方なく、当てもなく歩を進めて辿り着いたのは冒険者の集う街<タイタン> 「冒険者って何の仕事だ?」とよくわからないまま、彼はバイトで冒険者を始めることに。 最初は田舎者だと他の冒険者にバカにされるが、気にせずテキトーに依頼を受けるタロー。 しかし、その依頼は難度Aの高ランククエストであることが判明。 ギルドマスターのドラムスは急いで救出チームを編成し、タローを助けに向かおうと―― ――する前に、タローは何事もなく帰ってくるのであった。 しかもその姿は、 血まみれ。 右手には討伐したモンスターの首。 左手にはモンスターのドロップアイテム。 そしてスルメをかじりながら、背中にお爺さんを担いでいた。 「いや、情報量多すぎだろぉがあ゛ぁ!!」 ドラムスの叫びが響く中で、タローの意外な才能が発揮された瞬間だった。 タローの冒険者としての摩訶不思議な人生はこうして幕を開けたのである。 ――これは、バイトで冒険者を始めたら最強だった。という話――

処理中です...