虚しくても

Ryu

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第二章

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昭和五十八年四月
私は尼崎市立下坂部小学校に入学する。
小学校低学年の頃の記憶も不思議とほとんど無い。
あるのはやはり父の怖い顔と弟を溺愛する母といつもつきまとう緊張感、そして母に殴られてはあの呪文を繰り返し聞かされ続けていた事ぐらいだ。
そして小学校一年生の時に、下坂部にある関西スーパーで万引きを繰り返して警察に捕まったんだけれど、この時は何も感じなかったような気がする。


小学校高学年の頃はどうだったろうか?
やはり父の怖い顔と弟を溺愛する母とつきまとう緊張感、そして繰り返される母の呪文だ。
だけど、この頃には私の体が大きくなっていたので、殴られる事をはじめ、母からの身体的な虐待はなくなっていた。
その代わり、この頃から私に対する弟の攻撃が始まった。
私はガキの頃からボンクラだったけれど、弟は絵に描いたような優等生、、、
そして見た目も中身も百パーセントのオタクだった。
家にいる時、弟は私とすれ違うたびに
「アホ」
だとか
「クズ」
だとか
「死ね」
と、私にだけ聞こえるぐらいの小さな声でつぶやくようになった。
母の目の前で私を逆上させるのが弟の狙いだ。
そのつぶやきが聞こえた瞬間は、さすがに私も頭に血がのぼるのだが、私なんかと違って弟は母の宝物だ。
さわらぬ神に祟りなしではないけれど、まさに私はそんな心境で弟のつぶやきにひたすら耐え続けなければならなくなった。
そんな私の反応を見るのが弟には快感だったようだ。
私とすれ違いざまにつぶやいた時、怒りをこらえる私を見る弟の顔は、、、
いつも、思いっきり目を見開いて、これでもかという程、鼻の穴を膨らませていた。
それから卑屈にゆがんで、嫌な笑みを浮かべるのが常だった。
私はその顔を見る屈辱と苛立ちにも耐え続けなければならなかった。
母と弟は驚く程外面が良い。
一歩家を出れば、良い母親に良い子供を、二重人格かと思うぐらい完璧に演じきれている。
ボンクラの私には耐え続ける以外に術がなかったのだ。
そしてこの頃、私は煙草と酒と喧嘩を覚えた。
だけど、強い奴に勝ちたいとか名前を売りたいとか、そんな喧嘩じゃなかった。
何かのはけ口に人を殴っていたような気がする。
そして小学校六年生の時に、喧嘩やカツアゲ、置き引きにひったくり等を繰り返して尼崎東警察に捕まった。
小学生の事だったので、逮捕、勾留、取り調べ、起訴という事にはならなかったけれど、尼崎東警察署に出頭して会議室のような所で調書に拇印を押した事は、はっきりと覚えている。
結果的には、傷害、恐喝、窃盗という罪状で児童相談所送致という処分を受けた。
これが私の初めての触法歴となる。
小学校一年生の時の万引きはたんなる補導で、犯歴としては何も残ってはいないだろう。
しかし、触法歴となると後々まで残る事になる。
あくまでも私の経験上の話なので、正確ではないと思うし例外もあるだろうが、一般的には十四歳未満の犯歴を触法歴、十四歳以上、二十歳未満の犯歴を前歴、そして二十歳以上の犯歴を前科と呼ぶのではないかと思う。
また、事件の送致先もそれぞれ異なり、犯罪の性質によって変わる事もあるが、基本的には十四歳未満は児童相談所、十四歳以上、二十歳未満は家庭裁判所、そして二十歳以上は地方裁判所という事になる。


そんな私の小学校時代であっても決して悪い事ばかりではなく、勿論、楽しい思い出だってある。
私達家族は尼崎に移り住んでからも、毎年、盆や正月には大分に里帰りをしていた。
父の実家も母の実家も大分県南端の同じ地域なんだけれど、集落は異なって、父方は漁村で、母方は農村だった。
大分での過ごし方は、父と母と弟は父方の実家で過ごす。
そして、私だけが母方の実家で過ごす。
父方の祖母はとても優しくて、私の事を可愛がってくれていたけれど、祖父はすごく厳しい人だった。
母方の方は祖父と祖母、揃って優しくて、私の事を本当に可愛がってくれていた。
厳しい祖父に怖い父、そして、親戚の前で良い母親に良い子供を白々しく演じる母と弟のいる家で過ごすより、母方の実家で過ごす事を私も望んでいた。
母方の実家で過ごす数日間だけは、あの、いつもつきまとう緊張感と息苦しさから解放される。
私にとって、一年のうち、この数日間だけは気が休まり、普通に息が出来るのだ。
しかし、そんな数日間であっても、私には一人になる時間が必要だった。
私は時間を見つけては、海まで一人で歩いて行っていた。
そして、穏やかで美しい海が聞かせてくれる優しい波の音に、いつまでも耳をかたむけていた。
その時間が、私にとって何よりの安息だったと思う。
見上げればいつも、優雅に空を舞う鳶の姿があった。
鳶の鳴く声と優しい波の音が心地良かった、、、

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