爺嬢

はゆ

文字の大きさ
6 / 6

しおりを挟む
 太郎にとって実家は、気が休まらず居心地が悪い場所でしかない。立ち寄っても、用事が済めばそそくさと出ていく。しかし今日は、一刻も早く立ち去りたいという衝動に駆られることなく、ソファに座り続けている。

 洋平が、時計に目をる。
 太郎が認識しているだけでも、これで三回目。太郎は、帰って欲しいという洋平の意思表示だと感じる。
「そろそろ行くわ」
「昼飯食ってかないか? あと10分で食べられる」
 時計の針は11時50分を指している。
 洋平は、昼食の時間を気にして時計を見ていただけのようだ。
「ああ。親父と一緒に飯うのは……15年振りだな。出前取るか?」
 太郎が実家を訪れる理由は、母の年忌ねんき法要ほうよう。7回忌までは一緒に飯を食ったが、先日の23回忌、17回忌、13回忌では食べていない。
「いや。冷蔵庫に2人分入ってるんだ」
「親父と、雪乃さんの分だろ」
「ワシとお前の分だ。お前が来たとき、雪乃が作っていたのを見ていただろう」
「2人分しか無いんだよな? 雪乃さんの分は?」
「今日は3限までと言ってたから、帰ってくるのは15時過ぎだ」
「そうなのか。昼食、冷蔵庫から出してくる。親父は座っていてくれ」
「待て! 12時になるまで冷蔵庫を開けるな!」
「もう12時じゃないか」
「ダメだ! まだ開けないでくれ」

 太郎は、12時になったのに、洋平が止めようとする理由がわからない。気にせず冷蔵庫を開ける。
「あー……」
 洋平が項垂うなだれる。
「なんで項垂うなだれてるんだよ?」
 太郎は冷蔵庫から取り出した、うどんで作ったナポリタンを電子レンジで温める。2つの皿のラップには『太郎さん』『洋平さん』と書かれている。

 机に運び、ラップを開けた太郎は2つの違いに気付いた。『洋平さん』と書かれているほうは、とろみが付いている。太郎のほうにはとろみが無い。太郎は、とろみが誤嚥ごえんしにくくするための措置であることを知っている。
「雪乃さん、親父のことをよく考えてくれてるんだな」
 洋平は無反応。妻を褒められたのに、頭をかか項垂うなだれている。
 とはいえ、洋平はナポリタンを完食したし、項垂うなだれていること以外、変わった様子は無い。

「親父。どうして項垂うなだれているんだ?」
「雪乃を傷付けるからだ」
「どうして? 何もしてないだろう」
「認知症になると、時間感覚が狂う。見当識障害という症状だ。雪乃は異変にすぐ気付けるようにするため、冷蔵庫の扉にセンサーを取付けた。ワシが予定外の時間に開けると、雪乃のスマホに通知が飛ぶようになっている」
「ほんの数分早く開けただけだ。気にしないだろう」

 バタバタと足音が聞こえる。
「ただいま! 洋平さん、大丈夫!?」
 息を切らした雪乃がリビングに入ってきた。
 洋平は15時過ぎに帰ってくると言っていたが、今は12時台。

 洋平は顔を伏せ、下を向いたまま応答する。
「大丈夫だ。太郎に、冷蔵庫のことを伝えそびれただけだ。すまんな……」
「忘れてたの? 太郎さん、洋平さんは開けていないんですか?」
 正直に話せと言わんばかりに、鋭い目で太郎を見つめる雪乃。
「事実です。付け加えると、親父は俺に『12時になるまで冷蔵庫を開けるな!』とはっきりと言いました」
「そうですか……それなら良かった」
 崩れるように膝を折り、床に座り込む雪乃。
 洋平のことを本気で心配していることは、見ればわかる。

 であれば尚更、昨日のことをきちんと詫びなければならない。太郎は雪乃に向け、深々ふかぶかと頭を下げる。
「雪乃さん。昨日は酷いことを言い、本当に申し訳ありませんでした!」

 雪乃から返ってきた言葉は、太郎が予想だにしていなかった内容。
「ズルい……謝ると、太郎さんは満足するよね。それで終わり。それはオナニーだよ。そんなの見せられて、私はどう反応すればいいかな? 今だって、洋平さんの代わりに弁明したつもりになって、気持ち良くなってるでしょ。そういうの、虫唾むしずが走る」
「そんなつもりでは」
「太郎さんは、開けるなと言われたのに開けたよね。何故? その結果、洋平さんを悩ませてる。太郎さんが開けなければ、悩む必要無かったよね? 私は三限目の授業を受けられませんでした。それなのに今、太郎さんだけが気持ち良くなってる」
「そんな言い方は」
「何? 洋平さんは予定を覚えていられる。予定通りに動くことが出来る。自分で冷蔵庫の前に行き、2つの皿を取り出すことが出来る。電子レンジに皿を入れ、温めることが出来る。ラップの文字を読んで自分の皿を選ぶことが出来る。太郎さんに皿を差し出すことが出来る。全て出来たらご褒美がある……太郎さんは、洋平さんが出来ることを奪った」
「何故そんなに怒るんだ。そんな回りくどい言い方されなくてもわかる」
「太郎さんのことは話してない。洋平さんは、出来るようになるために頑張ってる最中なの。こんなに落ち込ませたら、意欲が無くなって、一気に進行しちゃう」
 太郎は、洋平が認知症であると察した。
 先程まで会話出来ていたのは調子が良かったからだろう。現状は、顔を伏せ、下を向いたまま動かない。抑うつ状態に陥っているように見える。

 ――いつからこうなっていた?
 太郎が洋平から出来ることを奪おうとした瞬間から、こうなっていたと思い出す。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

処理中です...