Beside You シリーズ

藤原 秋

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Beside You

02

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 翌朝、ガラルド達は必要物資を調達する為、街へ買い出しに出ていた。

 ゼルタニアは各地を結ぶ交通の要所であり、街には各所から流れてくる旅人達と、彼らが持ち込む豊富な物品とが溢れている。

 どこからか軽快な音楽が流れてくる賑やかな通りを歩きながら、フユラとハルヒは見物に忙しそうだ。

 特にフユラは見るもの全てが目新しいらしく、物事に興味を覚え始めているせいもあって、彼女にしては珍しくお喋りになっていた。気になるものがあるとガラルドの手を引っ張り、質問する。

「がらるどぉ、あれぇ?」
「あれはな……絨毯じゅうたんってヤツだ。オレ達にはまず縁がないな、金持ち達が床に敷くモンだ」
「ふかふかぁ」
「ああ、ふかふかしてんな」

 そんな二人の様子を微笑ましげに見つめながら、ハルヒはその少し後ろをついていく。

 三人は街の中央に位置する噴水広場と呼ばれる場所にさしかかった。

 名のある芸術家によって作られたのだろう見事な女神の彫像が噴水の中央に立ち、その周囲から吹き上がる水が涼しげな音を立て、人々の心を癒している。

 目の前に広がるその風景は、ハルヒの中の遠い記憶を刺激した。昨日この街に入ったときにも感じたデジャ・ヴ―――。

「あぁ……そっか、この街は……」

 呟くハルヒの傍らで、噴水を初めて目にしたフユラはくいくいとガラルドの手を引っ張った。

「がらるどぉ、あれ、あれぇ」
「ああ、噴水か。近くで見たいのか? ちょっとだけだぞ」

 間近で噴水を見上げたフユラは、飛んでくる水しぶきに驚きながらも、恐る恐る手を伸ばしてそこから流れ出す水に触れてみた。思いの外冷たいそれに驚いた様子で、かすみがかったすみれ色の瞳をまんまるに見開く。

「ここのは確か地下深くから汲み上げている水だからな。冷たくて気持ちいいだろ?」

 ガラルドがそう言うと、彼女はにこっと微笑んでそれに応えた。

 噴水の周りには思い思いにはしゃぐ子供達がいて、水に触れたり縁石に上がったりして遊んでいる。それを見たフユラは、真似をして縁石によじのぼり始めた。

「ちょ、ちょっとフユラ……気を付けてよ」
「落ちるなよ」

 二人の心配どおり、お世辞にも動作が機敏とは言えないフユラは、案の定いくらも歩かないうちにつるりと足を滑らせてしまった。

「おいっ」

 予想していたガラルドの手によって噴水に落ちる手前でキャッチされたものの、背の中程まである髪の毛が少し濡れてしまった。

「ったくトロいなぁ、お前は」
「フユラ、大丈夫?」

 あきれるガラルドの隣でハルヒがハンカチを出し、濡れたふわふわの髪を優しく拭いてやる。すると、近くのベンチでその一部始終を見ていた初老の女性が、穏やかな声をかけてきた。

「まぁまぁ、若いお父さんとお母さんだこと。恋人同士なのかと思ったら、もうお子さんがいるのねぇ」

 ひく、とガラルドの頬がひきつり、対照的にハルヒは笑顔全開で老婦人に向き直った。

「まぁ! そう見えます?」
「ええ、お若いからお子さんがいるようには見えませんでしたよ。でも、可愛らしいお嬢ちゃん。お母さんに良く似ているわね、きっと美人になるわ」
「そんなぁ、美人だなんて……」

 すっかり上機嫌のハルヒと品のいい老婦人が交わす会話を渋面で聞いていたガラルドは、そこで初めてフユラとハルヒの持つ色合いが似ていることに気が付いた。

 かすみがかったすみれ色の瞳に、銀に近い灰色の髪のフユラ。
 澄み切ったすみれ色の瞳に、銀色の髪のハルヒ。

 二人の持つ雰囲気があまりにも違いすぎて、そんな単純な事実に今まで気が付かなかったのだ。

 フユラを影とするなら、ハルヒは光だ。圧倒的な輝きを放つ、光。

 生命の躍動感というか、内から溢れる輝きというか、魂の放つ強い波動がハルヒからは感じられる。

 瞳と髪の色が似ている―――ただそれだけの事実だが、すみれ色の瞳と銀色の髪という取り合わせは、非常に珍しい。

 これは、偶然だろうか?

 元々が得体の知れない、怪しすぎるくらい怪しい少女だ。ガラルドの中で薄れかけていた警戒感がむくりと頭をもたげてくる。

 決して気を許したわけではないが、警戒するに越したことはない。そして、もしも彼女が自分達にとって仇なす者であったならば、それと分かった瞬間に討ち取ればいい。それだけの話だ。要は、自分が気を付けていれば何の問題もない―――。

 数瞬ののち、ガラルドはそういう結論に至った。彼は自分の腕にそれだけの覚えがあったし、実際、並み居る歴戦の戦士と呼ばれる者達の中で、彼とまともに渡り合える者はそうはいないはずだった。

「ねぇガラルド、あたし達ってこうしていると親子に見えるのかなぁ?」

 そんな彼の胸中など全く思いもよらぬ様子で、ハルヒがほわわんと神経を逆撫でる。

「……今すぐ地の底に沈めてやろうか」
「ひっ、ひどっ。ちょっと未来を思い描いてみただけなのに」
「……てめぇ。マジで実行するぞ」

 ワントーン低くなった声に危険な気配を察知したのか、ハルヒはやや後退りながらきゃんきゃん吠えた。

「何よ、こんな可愛い女の子にそんなこと言ってもらってキレるなんて信じらんないっ。普通は喜ぶよ、絶対!」
「その妙な自信はどっから出てくるんだ。『可愛い女の子』ってヤツになりたかったらまずはその性格と、トリガラみてーな身体をどうにかしろ」
「ぎゃっ、ど、どこ見てんの、変態!」
「どこもかしこも平らで、どこなんだか分かんねーよ」
「バッ、バカーッ! 何てコト言うのよ、バカガラルドッ! あたしはまだ成長途中なんだからねっ、そんな意地悪言う人には立派になっても触らせてあげないから!」

 真っ赤になってわめいたハルヒの台詞セリフに、ガラルドはぶちっと切れた。

「あぁ!? ンなもん誰が触るか! 頼まれたってお断りだ!」
「言ったね!? 絶対絶対触らせてあげないんだからっ、後悔しても知らないからね!」

 いーっと歯を見せて、ハルヒはふくれっ面をフユラに向けた。

「フユラ、あたしちょっと散歩してくる。夕方までには宿に戻るから、バカガラルドがどこかに行っちゃわないように見張っててね」
「?」

 きょとんとした面持ちの少女の頭をぽんぽんと撫で、ガラルドにもう一度いーっと歯を向けると、ハルヒは人込みの中に消えていった。

「あのガキ……」

 不機嫌さ全開のガラルドの外套がいとうを、怖いものなしのフユラがつんつんと引っ張る。

「何だ」

 苛立たしげに連れの少女を見下ろすと、彼女は無邪気な顔で気になるものを指差した。

「あれぇ?」

 小さな指が指し示した先には、ベンチに座り濃厚なキスを交わすカップルの姿があった。

「…………」

 一気に脱力感を覚えながら、ガラルドは一応、説明をしてやった。

「……あれはな、好きな相手にその気持ちを伝える為にするもんだ。ガキが興味を持つにゃ早い」

 この数年の間に自分は随分忍耐強く、穏やかになったものだと、ガラルドは思った。






 街の一角にある地図屋を訪れたガラルドは、アヴェリアまでの地図を求めた。

「アヴェリアか。兄さん、呪術師かい? あいにく詳細な地図は取り扱ってなくてね。おおまかな世界地図のようなものならあるんだが……。マウロまでのものなら詳細なヤツがあるよ。方角的にはアヴェリアと一緒だ」

 無精髭を生やした店主はそう言って、呪術師からは遠い風貌のガラルドを見やった。

「マウロってのはどの辺だ?」
「ええっと……世界地図で見るとこの辺りだな」

 カウンターの上に古ぼけた地図を広げ、店主は太い指を使って説明を始めた。

「ここがゼルタニアだ。で、マウロがここ。この街からずっと北東の方角だな。そしてアヴェリアはここだ。マウロからさらに北に位置している。まともに歩いていったらまだ何年もかかるぜ」

 ガラルドは軽い溜め息をついた。ざっと見たところ、やっと行程の半分程度を進んだといったところだ。

「マウロまでの地図をくれ。オレはアヴェリアの呪術師に用があるんだが、アヴェリアのことで何か耳寄りな情報はあるか?」
「毎度。アヴェリアねぇ……ここはアヴェリアからだいぶ離れているから、耳寄りな情報っていってもなぁ……あぁ、そうだ。そういえばこの間、アヴェリアから来たっていう客が地図を買っていったな。つい先日のことだから、もしかしたらまだこの街にいるかもしれん。グラッセ通りに『赤煉瓦亭あかれんがてい』って酒場があるんだが、そこに行ってみたらどうだい。あそこは旅人達の溜まり場になってんだ。ひょっとしたら会えるかもしれねぇ。商人風の小柄で丸い中年の男だったぜ」
「……そうか。早速当たってみる」

 代金を支払って、ガラルドは地図屋を後にした。

 これまであちらこちらを目的もなく旅して過ごしてきたガラルドだったが、ゼルタニアから北には赴いたことがない。アヴェリアについてもおおまかな知識しかなく、少しでも詳細な情報を集めたかった。

 赤煉瓦亭は地図屋からほどなくの場所にあった。木製の古びた扉を開けて中に入ると、昼間からアルコールと煙草の充満した匂いが鼻をつく。その匂いが気になったのか、フユラが小さな眉間にしわを寄せた。

 ランプの灯りが映し出す薄暗い店内を見渡すと、地図屋の店主が言っていたのと同じ容貌の男が目に入った。仲間とおぼしき四人の男達と丸テーブルを囲み、酒をあおっている。近付いていくと、それに気が付いた男が胡散臭げな目をこちらに向けた。

「違っていたら悪い。あんた、アヴェリアから来たっていう旅人か?」
「……ああ、そうだが……何だ、兄ちゃん。オレに何か用か?」
「地図屋のオヤジからあんたのことを聞いたんだ。オレはアヴェリアを目指して旅しているんだが、内情にあまり詳しくなくてね。何か耳寄りな情報があったら教えてほしい」
「情報? どんな情報が知りてぇんだ」
「どんな情報でもいいんだが……そうだな、呪術師絡みの情報があるとありがたい」

 男は仲間達と顔を見合わせ、頷いた。

「オレ達がアヴェリアを出たのはもう五~六年前の話だが、その時の情報で良かったら教えてやるぜ」
「頼む」

 そう言うと、男はおもむろに手を差し出した。ガラルドがその掌に硬貨を乗せると、それを確認した男は饒舌に喋り始めた。

「アヴェリアと言えば『呪術師の街』と謳われるほど呪術師が多く、魔法文化の発展した街だ。毎年多くの呪術師達が憧れを胸にその地を踏む。それくらいはあんたも知っているだろうが、その街でも高位の呪術師となるとほんの一握りだ。その中の一人が、ある日忽然と姿を消した。噂によると『魔人ディーヴァ』にかどわかされたらしい」
魔人ディーヴァ、だと?」

 ガラルドの暗い緋色の瞳の奥が揺れた。

 魔人ディーヴァとは、『神が産み出した災厄』として人々に恐れられる、異形の生物である。

 その外見は人に似ているが、翼を持っていたり尻尾が生えていたりと、その形体は個体によって様々だ。人に近い姿でありながら、人とは決定的に違うその生物は、長命で、強靭な肉体を持ち、強大な魔力を誇る。その圧倒的な力の前には、人間はただひれ伏すことしか出来ない。『ディーヴァ』という呼び名は、その昔、一人の魔人ディーヴァがまるで歌をくちずさむかのように軽々と一国を滅ぼしたところから付けられたと言われている。

 人間にとって幸いだったのは、魔人ディーヴァはその個体数が極めて少なく、単独で行動することを好み、自分以外のものには基本的に関心を示さないといった点にあった。とはいえ、気紛れを起こして惨禍を巻き起こしたという話は度々歴史上に登場している。魔人ディーヴァが支配欲を持ち、徒党を組むような性質であったなら、人間という種族は遠い昔にこの地上から消滅していたことだろう。それ故、学者達の中には、『魔人ディーヴァは世界の均衡を保つために神が創り出した必要悪』という説を唱える者がいる。人間が増え過ぎて食物連鎖が崩れるのを防ぐ為に、神が魔人ディーヴァを産み出したのだと、そういう理屈だ。

 その魔人ディーヴァが、アヴェリアの高位の呪術師をかどわかしたのだと目の前の男は言う。

「単なる噂さ。その呪術師が消えた現場に魔人ディーヴァの痕跡が残されていたって話だが、本当のところは分からねぇ。アヴェリアは階級社会だ……高位の呪術師ともなると、オレ達みてぇな輩とは住む世界が違う。後ろ暗い事情が絡んでるってコトも有り得るわけよ。それにその呪術師はえらく綺麗な女だったらしくてよ、そういった方面でも色んな憶測が流れていたな。ただ、それで大騒ぎになっていたことは事実さ。それから何年も経つが、その呪術師が見つかったって話は聞こえてこないな」
「……その女の容姿は? 子供はいたのか?」
「さあ、そこまでは……」

 男はそう言って両手を広げてみせた。

「……アヴェリアの呪術師で一番腕が立つと言われているのは誰だ?」

 ガラルドの問いに、男は再度掌を差し出した。硬貨を握らせると、それを確認して話し始めた。

「最高位の呪術師の称号を持つ古参のスレイドか、若手で台頭してきたウォルシュだろうな。今はどうなっているか知らんが、オレ達があの街にいた頃はそうだ。だが、何のコネもなくこの二人に会おうってのは無茶な話だぜ。まず無理だ」
「……そうか。分かった」

 頷いて、ガラルドは赤煉瓦亭を後にした。






 ゼルタニアの街の一画に、人々の憩いの場となる公園がある。青々とした芝生が植えられ、草花や木々が優しい色合いをなすその公園には爽やかな風が吹き抜け、小鳥達のさえずりが訪れる人々を優しく癒す。

 その木陰の一角を陣取り、ガラルドとフユラは遅い昼食を取っていた。

 通りかかった露店で買ってきたパンを一生懸命ほおばるフユラを見つめながら、ぽつりとガラルドは呟いた。

「お前の母親……まさか、アヴェリアの呪術師だったんじゃないだろうな……?」

 それは、赤煉瓦亭であの男から話を聞いた時、ガラルドの脳裏をかすめたひとつの可能性だった。アヴェリアの高位の呪術師であったほどの者ならば、自分があれほど見事に遅れを取った理由も分かる。その容貌は血泥で汚れていて良く分からなかったが、フユラの顔立ちを見る限りでは、整ったものだったと言えそうだ。

 どういう理由で彼女があの村を訪れ、死に至るほどの傷を負ったのかは分からなかったが、魔人ディーヴァが絡んでいるとすれば非常に厄介だ。

「お前に聞いても……分かんねーんだろうな」

 フユラは相変わらずパンをほおばりながら、小首を傾げてガラルドを見上げている。その口の周りにたくさんのパン屑がついているのを見て、ガラルドは苦笑した。

「まぁ……考えてもしょーがねーか。嫌でも片足突っ込んじまってるからな」

 口の周りの汚れを指で拭ってやりながら、ガラルドは遠い地にいる昔馴染みの老呪術師のことを思った。

 魔人ディーヴァのふとした気紛れは、往々にして人間に不幸を呼ぶ。彼が自分のこの現状を知ったなら、何と言うだろう?

『因果な運命』とでも言うだろうか?






 昼食を終えたガラルド達はその後ニ、三の店に立ち寄り、必要なものを買い揃えると、宿への帰途についた。

 日が傾き始めた街並みを歩いていると、何かに興味を示したフユラがふとその歩みを止めた。

「どうした?」

 連れ人を振り返ると、その視線の先にはアクセサリーを販売している露店があった。

 そういえばハルヒがしていた鈍色にびいろのペンダントを見て、フユラはそれに興味津々の様子だった。普通の子供に比べて知能は少し遅れているし、何よりもまだ子供だが、こういうところは何となく女らしい。

 何とも言えない複雑な気分を味わいながら、ガラルドはフユラに尋ねた。

「気になるのか?」

 こくりと彼女が頷いたので、ガラルドはその露店に立ち寄ることにした。後は宿に戻るだけだったし、そこにハルヒがいるかと思うとうんざりしたからだ。

「いらっしゃいませ! 手頃で可愛い品々が揃っていますよ!」

 甲高い売り子の声に迎えられたガラルドは、フユラの身体を抱き上げてワゴンの中を覗き込んだ。背の低い彼女はそうしてやらないと商品を見ることが出来ないからだ。

「ほら、見えるか?」
「あら、可愛らしいお嬢さん。どうぞ手に取って見てね」

 フユラは瞳をきらきらさせて目の前の商品達に見入った。露店のワゴンに載せられた品々は街の少女達が買う安物だ。カラフルで、可愛らしいデザインのものが多い。

 その中から、フユラはひとつのペンダントを手に取った。金メッキの鎖に、太陽を模したキンキラのペンダントトップのついた、かなり派手なものだ。

「……それが、いいのか?」

 いったいそれのどこがいいのか、ガラルドには全く分からないキンキラのペンダントを、若い売り子がほめちぎる。

「小さいのに流行に敏感なのね。今、街の女の子達の間で、きらきらしたアクセサリーが流行っているのよ~。特に、こういう大振りのペンダントトップのものは人気なの。これ、あなたにすっごく似合うと思うわ。着けてみる?」

 売り子にペンダントを着けてもらったフユラは、嬉しそうにガラルドを見た。

「……。まぁ、着けてみると思ったよりは派手じゃないな……」

 いっぱいいっぱいのコメントをすると、売り子が畳みかけるように話しかけてきた。

「本当に良くお似合いですよ、ちょっと落ち着いた印象のあるお嬢さんですから、このくらい派手なものを着けられた方が華やかな印象になって、可愛らしさがより引き立ちますよ」

 買うつもりは全くなかったのだが、フユラはいたくそれが気に入ったようだった。

「本当に、それが欲しいのか?」

 確認するように聞くと、彼女はペンダントとガラルドの顔とを交互に見て、頷いた。

 考えてみれば、フユラが何かを欲しがったのは初めてのことかもしれない。

「分かった」

 ひとつ息をついて、ガラルドはキンキラの安物のペンダントを購入した。

「ありがとうございましたー」

 甲高い売り子の声を後ろに聞きながら、抱き上げていたフユラの身体を地面に降ろす。するとフユラが珍しく腕を伸ばして、抱っこをせがむような仕草をした。

「あ? 何やってんだ。もうそんな年じゃねーだろ、甘えんな」

 そう言うと、フユラはなおも腕を伸ばして、爪先立ちになった。

「がらるどぉ」
「抱っこはしねーって言ってんだろ」

 かがんでそう言ったガラルドの首に、フユラの小さな腕が回った。

 一瞬のことだった。

 唇に小さな熱を感じて、ガラルドは暗い緋色の瞳を見開いた。

 目の前で、小さな少女がにっこりと微笑む。

 呆然とした後、柄にもなく赤くなったガラルドは、慌ててフユラにこう注意した。

「お、おい、誰にでもするんじゃねーぞ。これはな、特別な者同士がするもんであって……」
「?」

 ぽかんとした様子のフユラを見て、ガラルドは説明することをやめた。

 がしがしと薄茶の髪をかき乱し、やけくそ気味にこう呟く。

「……オレ以外の奴にするんじゃねーぞ。分かったか?」

 その言葉に、こくりとフユラが頷く。

 ハルヒがこの場にいなくて良かったと、心からガラルドは思った。ややこしいことになりかねない。

 頬が赤く染まっているのは、決して夕日のせいだけではなかった。






 同じ頃、夕日が照らす公園にたたずむハルヒの姿があった。

 ガラルド達と別れた後、彼女は一日ゼルタニアの街を見てまわり、最後にこの公園を訪れたのだった。

「やっぱりそうだ……」

 一人そう呟いて、彼女は茜色に染まる空を見上げた。

「思い出の街なんだ……」






 彷徨える負の感情を吸収して、黒い瘴気の塊は膨れ上がり、その形を変えていく。

 いつしか人型に近い形となったそれは、人里離れた山々の合間にある、深い霧に覆われた巨大な滝壺のもとにいた。

 白い月の光が、勇壮な滝を神秘的な輝きで照らし出している。

 硬い岩をも砕く勢いで流れ落ちる、水の奔流―――その底深くに沈む己の器を封じ込めた、愛しくも憎い男の呪印―――。

 男の施した呪印は、長い年月の中で、その威力を弱めていた。

 水の上から、黒い瘴気は己の器に呼びかける。深い眠りに落ち続けるその意識に己の意識を同調させていく―――。

 水面に、淡い輝きを放つ呪紋が浮かび上がってきた。水の底に沈む肉体うつわが、びくり、と反応する。水中をたゆたう長い黒髪が揺れ、紅い唇から、かすかに空気の泡が漏れた。

 その瞬間、黒い瘴気は、己の持ちうる全ての力を解放した。

 それに呼応し、長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳が、水中でカッ、と見開く。

 水の上と底から溢れ出した強い力に、弱まっていた呪紋が霧散する!

 カッ!

 まばゆい光と共に轟音を上げて水柱が立ち上がり、凄まじい音を立てて元の水面へと還っていく。そして―――。

 静まり返った滝壷のもと、したたかに水に打ちつけられた大地に立つ、女が一人―――。

 白い胸元も露わな黒の長衣ローブを身に纏い、濡れた妖艶な肢体を月のもとに晒した美女は、融合しあう記憶に意識を混濁させながら、己の中に強烈に刻まれたその名を呼んだ。

「ガラルド―――」






 何かを感じて、ガラルドはハッと目を覚ました。

 腕の中では、フユラが安らかな寝息を立ててぐっすりと眠っている。背後のベッドからは同じようにハルヒがすやすやと眠る気配が伝わってくる。

 周囲に、怪しげな気配は、ない。目だけ動かして闇の中を視認してみるが、変わった様子は見られない。

 何だ、今の感覚は……?

 ぴりっと全身を突き抜けるような嫌な感覚が、まだ生々しく残っている。

 しばらくの間ガラルドは辺りを警戒していたが、やがて異常がないことを確認すると、ゆっくりと緊張を解いた。

 気のせいとは思えない、嫌な感じだったが……。

 釈然としないものを覚えながら、ガラルドは腕の中にあるフユラの体温を確かめ、そのふわふわの髪に頬を埋めた。春風の香りにも似た少女の肌の匂いと規則正しい寝息が、昂ぶっていた彼の神経をゆっくりと鎮めていく。

 ガラルドがまどろみ始める頃、ゼルタニアの朝は白々と明けようとしていた。 
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