病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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本編

まつろう者③

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「―――その結果が、この現状だ……。お前は見事困難に打ち勝ち、皇太子の座までのぼってきた」

 長い話を語り終えたグレゴリオはそう言って、ゆっくりとフラムアークを見やった。

「……貴方自身は、この現状をどう思っているのですか」

 静かな口調でフラムアークにそう問われたグレゴリオは、力なく目元を和らげた。

「この現状を、か……。……。当時はお前がここまで台頭してくることがあれば、自分の選択は決して間違っていなかったと思えると、そう考えていたのだがな」

 その言葉には当時から二十年近い歳月を経て、人として熟成した彼の苦悩が滲んでいた。

「今となっては分からない―――それが今の私の正直な心境だ。夫として、父親として、自分が明らかに失格だったということだけは分かる。クレメンティーネにゴットフリート、フェルナンド……彼らの顛末が如実にそれを語っている。だが、このような結末を迎えるに至ってなお、私の中には皇帝にならない方が良かったという選択肢は生まれないのだ―――後悔することは山ほどあれど、時を遡ってやり直せたとしても、私は結局、同じ道を選ぶのかもしれない。小さな選択肢を変えることはあっても、大きな選択肢を変えることはなかなかに難しい―――それが人生というものなのかもしれぬ。何が正解だったのかは分からないが、この現状が様々な要因を経てあるべくして導き出されたものなのだと今は思い、納得する心づもりだ。私はそれを受け入れる」 

 そう語るグレゴリオを見つめるフラムアークの表情はひどく静かで、そこには何の感情も浮かんでおらず、そんな彼の様子を見守る私は切ない気持ちになった。

 フラムアークはグレゴリオのことを陛下、もしくは貴方としか呼ばない。お父様や父上といった呼び方はしない。

 他人よりも遠い親子関係にしてしまったのは明らかに両親の責任で、フラムアークの置かれた環境を思えば、子どもだった彼には結果が全てで、当時の父親の心境を今更聞かされたところで、親子関係の改善も、歩み寄りも難しいのだろう。

 それに先程のグレゴリオの話を聞いていても、フラムアークや彼の兄弟に対する父親としての愛情は一切窺えなかった。

 グレゴリオにとって子供達は、将来国を背負って立つ可能性のある大切な後継者候補なのであって、愛情を注ぐ対象ではないのだ。

 それはおそらく、彼もまたそのような環境で育ってきたからなのだろうけれど―――……。

「我ながら酷い話を聞かせたものだと思うのだが―――怒らないのだな、フラムアーク。お前の隣のユーファの方が余程怒りたそうな顔をしている」

 苦笑気味にそう振られてフラムアークの視線がこちらを向くのを感じた私は、それがグレゴリオなりの謝意なのだと察して、先程から自分の胸に渦巻いているやるせなさを意識しながら、こう確認を取った。

「陛下。今この時だけ、昔馴染みのグレイに対するユーファとして、私自身の言葉を貴方にぶつけることを、お許しいただけますでしょうか」
「……許す。多少の大声が上がっても踏み込んでこぬよう、事前に警備には伝えてある」

 その意外な手回しに私達は率直に驚いた。

 グレゴリオ―――グレイとしては始めからそういうつもりで、私達をここに呼んでいたということなのね……。

 こんな機会はきっともう、二度とないから―――父親に対する感情が上手く働かないフラムアークの分まで、彼をずっと側で見守ってきた私がせめて、伝えよう―――グレイ、貴方が幼い彼にした仕打ちが、どれほどその幼気いたいけな心を傷つけ、こごらせてしまったのかを。

 グレイの了承を得た私は一度深呼吸してから、これまで溜めてきたやるせない思いを遠慮なく彼にぶつけた。

「貴方は大バカ者よ、グレイ! さっきの貴方の話を聞いていて、私は心の底からそう思った! だって貴方、最初から最後までずっと、自分と配偶者の気持ちしか考えていないじゃない!」

 それは彼の話を聞きながら、ずっと胸にあった違和感。彼は配偶者のことはおもんばかれるのに、子ども達については恐ろしいほど無関心だった。

「大人の貴方達だってそんなに辛かったんだから、子どもで、病弱で、心も体も辛い状態なのに、ずっと独りぼっちで放っておかれたフラムアーク様の気持ちを考えてもみてよ! 子どもには親が全てなのに、なのにその手を離されて、理由すら聞かされず、寄る辺なく、あんな角部屋にただ独り置き去りにされて、幼いフラムアーク様がどんなに寂しくて悲しかったか……! どれだけ貴方達が会いに来てくれることを願い、心待ちにしていたのか!」

 なのにその願いは、ついぞ叶えられることはなかったのだ。

 私はぐっと奥歯を噛みしめてから、弾けるようにして叫んだ。

「―――貴方はあの小さな身体をただ一度でも、抱きしめてあげるべきだったのよ! だって貴方は、あの子の父親だったのだから!!」

 まだ幼かったフラムアークが声を殺して泣いていた光景が思い出されて胸が詰まり、鼻の奥がツンして、目の奥がズンと熱くなる。

 あんなに小さいのに声を押し殺して泣くことが当たり前になっていた幼いフラムアークが、あまりにも不憫だった。

「精神的に疲弊していたという理由で、冷遇されている息子の状況を知りながら何の対策も取らずに放置するなんて、親として許されない怠慢よ……! 父親なんだから、甘ったれないで! フラムアーク様はもっともっと辛かったんだから!! しかもそんな状況の息子に、思い通りにいかない自分の姿を勝手に重ね合わせて、正解のない答え合わせを彼に委ねるだなんて、あまりにも自分勝手が過ぎるわ! フラムアーク様は、好きで病弱に生まれてきたわけじゃないのに! フラムアーク様もスレンツェも、貴方の後悔を映す鏡ではないのよ!! それよりも貴方は想像するべきだったんだわ、両親にただ愛されたいと願う、幼い我が子の気持ちを!」

 グレイ自身もおそらくは両親に愛されるということを経験してこなかったのだと思う。けれど、幼い頃にその境遇を漠然とでも寂しいと感じたことがあるのなら、それを想像して推し量ることは出来たんじゃないだろうか。

「貴方は幼少期のフラムアーク様から甘えるという尊い子供の権利を奪ってしまった! それはとても残酷で罪深いことよ……! 貴方はあの愛らしい存在から謂れのない距離を取った自身の行動を、真摯に反省しなければならない!」
「……その通りだな。諫言かんげん、耳が痛い」

 粛々と受け止めるグレイに私は収まりきらない激情をぶつけた。

「あの環境の中でフラムアーク様がねじ曲がらずに育ったのは、本当に奇跡的なんだから! 小さいうちからどれだけ我慢して、血の滲むような努力を重ねて、辛いことがあっても腐らずに、諦めずに前を向いて自分を律してきたか……! それがどれほど過酷で残酷で、険しい道のりだったか!」

 拳を握り締め、顔を真っ赤にしてそう訴える私を見つめ、グレイは重々しく頷いた。

「想像を絶するものであっただろうな。それが出来たのはお前や……スレンツェあやつの力添えあってのことと思う」
「もちろん私達も微力ながら精一杯フラムアーク様を支えてきたわよ、でもね、やっぱり一番は本人の頑張りがあってこそなの! だから、父親である貴方にはそこをキチンと褒めてあげてほしいの!!」

 フラムアークは望んでいないのかもしれないけれど、私はそうであるべきだと思う。頑張った子どもを、親はたくさん褒めてあげるべきなのだ。

 なのに、これまでのまるで思惑の見えないグレイの在り様は、フラムアークにとってあまりにも理不尽なものとしか言いようがなかった。

「ユーファ……」

 憤慨が止まらず肩で大きく息をつく私をなだめるように、フラムアークが控えめな声で私の名前を呼んだ。橙味を帯びたインペリアルトパーズの双眸に、はにかんだような、少し困ったような光を湛えて。

 彼としてはなかなかにいたたまれない気持ちらしい。でも、私としてはまだ全然言い足りないくらいなのだけれど!

 そんな私達を見やったグレイはゆっくりと半眼を伏せた。

「……そうか―――親であれば、目に見える成果がなくとも、頑張った子を褒めてやるものか。確かに私の意識には欠けているものだ―――フラムアーク」
「……はい」

 少し緊張した面持ちで視線を戻したフラムアークに、グレイは一言一句考える様子を見せながら、自らの言葉を伝えた。

「今更だが……私の弱さから幼いお前に強いた無体は、親としての配慮を著しく欠いたものだった。すまなかったな……。こうして詫びたところで過去はなかったことにはならないが、ユーファ達の助けを得て、お前は良く努力してくれた。親から与えられた呪いを断ち切り、自らの足で立ってここまで来たお前の苦労は、並大抵のものではなかったと思う」
「……」
「辛きに耐え、忍び難きを忍び、折れずによくぞ頑張ってくれた。フラムアーク……遅きに失したが、私からお前に最大限の謝意と敬意を伝えたい」

 そう言って自らの胸に手を当てがい、深々と頭を下げるグレイを前に、フラムアークの心境にも変化があったのだろうか。重い口を開き、初めて自らの複雑な胸中を語り始めた。

「正直……そのように言っていただいても、私の胸にはあまり響きません。……。貴方達に家族として扱われずに育った私には、貴方達の存在は他人より遥かに遠く―――今この瞬間も、大きな隔たりの向こう側にあるように感じるのです。おそらく、これから先もずっと―――」
「……そうか。事実そうであったし、仕方のないことであろうな」

 淡々と頷いて受け入れるグレイを見つめ、フラムアークはこう言った。

「……。ですが、そのお言葉はありがたくいただいておこうと思います。おかしな話ですが……貴方が世間一般で言うところの普通の父親であったなら、今の私はここにいなかったと確信出来ますゆえ―――」
「……ほう?」
「物語の中でしか知りませんが、もし私が温かな家庭環境に生まれ、両親の愛に包まれて育ち、宮廷薬師達の手厚い看病を受けるような恵まれた日々を送っていたなら、おそらく私の虚弱体質は改善することなく、私はユーファともスレンツェとも出会わないまま、成人を迎えることも出来ずに生涯を終えていたのかもしれません」

 ―――確かに……グレイは先程、五年間宮廷薬師達の治療を受け続けてもフラムアークの体調には改善の兆しが全く見られなかったと言っていたものね。

「そのような恵まれた環境下にあって当たり前のようにその生活を享受していたならば、もし仮に体質が改善してこの年まで生き永らえたとしても、きっとここまで必死に学問にも武芸にも励むことはなかったでしょう。皮肉な話ですが……貴方が貴方であったから今の私があるのであって、ここまでやってくることが出来たのだと思います」

 フラムアーク……。

 私はきゅっと唇を結び、彼のその言葉の意味を噛みしめた。

 それは私にも、スレンツェにも言えることだ。

 せめて皇帝として成功しなければ、という強迫観念に駆られたグレゴリオがアズール王国に侵攻するという選択肢を選ばなかったら、スレンツェの人生は全く違うものになっていただろう。

 グレゴリオが仕掛けたあの戦争のせいで、スレンツェにエレオラ、それにカルロ―――たくさんの人々の運命が狂い、かけがえのない大勢の命が失われてしまった。

 グレゴリオがもっと皇帝として自信を持って立つことが出来ていたなら。先人の教えなんかに縋らずに国の行く末をしっかりと見据えられる胆力が彼にあったのなら。

 グレゴリオが苦しんでいる時、その苦しみを分かち合える人が側にいたなら―――周りにその重荷を共に背負ってくれる人がいたなら、そして彼自身にそれを申し出る勇気があったなら―――少なくとも、アズール王国が滅ぼされることはなかったのかもしれない。

 けれど、そうしたら私達はスレンツェやエレオラと出会うこともなくて―――、彼らとの出会いを経なかったフラムアークも、今の彼とは違う彼になっていたのかもしれなくて―――。

 そうなると私とフラムアークも、今のような関係になることはなかったのかもしれなくて―――……。

 過ぎ去った時は二度と戻らないし、ここに至るまで、辛いことも悲しいこともたくさんあった。

 けれどその中に、ささやかな喜びも幸せも、確かにあった。

 そして何よりも、かけがえのない大切な絆が生まれた。

「……グレイ。思うところは色々あるけれど、貴方が私の想像もつかない重責の中でもがきながら、苦しみながら、それでも必死に頑張ってきたんだろうなっていうことは、充分に理解しているつもりよ」

 私は出会った頃よりもだいぶ年輪を重ねた彼の顔を正面から見つめてそう言った。

「貴方は貴方なりに迷いながらも最善を尽くして、今ここへたどり着いているんだって、そう思う。そしてそれは、私とフラムアーク様も同じ。私達は私達なりにその時その時精一杯考えて、悩んで、取捨選択をして、その結果、今ここにいる―――例え過去に飛んでやり直せたとしても、失った何かを得た分、今ある何かを失くしてしまうわ。それでは意味がないと思うの。……だから、過去をしっかりと見つめた上で、全てを抱えて、精一杯未来へ向かって歩んでいく。後悔があるのなら、それを繰り返さないように正して進んでいく。それで、いいのだと思うの」

 それを聞いたグレイは微かに頬骨に力を込め、わずかに震える声で私に尋ねた。

「……それで、いいのだろうか? お前はそれで、いいと思うか?」
「少なくとも、私はそう思うわ」
「―――っ、そうか……」

 下目がちにこらえる表情を見せたグレイに、私はずっと伝えそびれていたお礼を言った。

「伝えるのが遅くなってしまったけれど、ありがとう、グレイ。ガドナ山の噴火後、私を含めた兎耳族のみんなを助けてくれて―――貴方がああいう形を取ってくれなければ、死者はもっと大幅に増えて、私達はきっと絶滅の危機に瀕していたと思う。それから、フラムアーク様を通じて私達の願いを聞き届けて、再び自由を与えてくれてありがとう。みんな本当に喜んで感謝していたわ。それに、あの時―――フェルナンド殿下から、身を挺して私をかばってくれて―――言葉に出来ないほど感謝している。本当に、何てお礼を言ったらいいか……」

 寝衣の下にきつく包帯の巻かれたグレイの姿を見やって言葉を詰まらせる私に、彼はかぶりを振った。

「フェルナンドの凶行はもとを正せば私に責任がある。―――置かれた環境こそフラムアークと違えど、彼奴あやつもゴットフリートも、毒親の影響を色濃く受けて育ってしまった……」

 グレイ……。

「共に一時期は次期皇帝候補の筆頭に立っていた二人の皇子の此度こたびの叛乱―――現皇帝たる私の責任は明白であり、私は目に見える形でその責任を取らねばならない。全ての後始末を終えたその後は、表舞台から身を退くこととなろう。その暁には―――」

 グレイは寝台の傍らに置いてあった年季の入った一冊の書を手に取ると、それをフラムアークへと手渡した。

「これは……」
「これが先程の話にも出てきた『先人の書』だ。……根が臆病者だった私は、これに記された道から外れて、古来より脈々と受け継がれてきたこの大帝国を自分の代で憂き目に合わせてしまうことが、何よりも恐ろしかった」

 古びた書物を静かにめくって目を通していくフラムアークを見やりながら、グレイ―――グレゴリオは呟いた。

「そのインペリアルトパーズの瞳が映し出すのは、始まりの旭日きょくじつか終わりの黄昏たそがれか―――私が退いた後、お前はこの大帝国にどんな景色をもたらしていくのだろうな……」

 どこか暗示めいたその物言いに、橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳を真っ直ぐにグレゴリオへと向けたフラムアークは、その端正な顔立ちに初めて柔らかな微笑を湛えてみせた。

「瞳の色は関係ありません。私は私―――先人達の教えは参考程度にとどめて、これまで通り信頼出来る臣下達とその都度相談しながら、臨機応変に、けれど確固たる信念をもって自分の道を進んでいきます」
「……! そうか。そうか―――」

 その表情に感じ入るものがあった様子のグレゴリオは何度も深く頷くと、フラムアークの隣に座る私に向かってこう言った。

「ユーファ。フラムアークを頼む……これからもどうか変わらず傍で、息子を支えてやってほしい」
「……! はい! お任せ下さい!」

 兎耳をぴんと立てて勢いよく返事をすると、グレゴリオは厳めしい口元をほころばせた。

「フラムアーク。お前は親には恵まれなかったが、周りに恵まれたな。ユーファを筆頭にお前を心から案じてくれる良い臣下達だ……」
「そのユーファとスレンツェを私に付けて下さったのは貴方ですよ、父上。私は昔から、これだけは貴方に感謝しているんです。……それと、そのユーファを身を挺してかばって下さったこと―――申し遅れましたが、私からも心から御礼申し上げます。その節は本当にありがとうございました」

 ! 今、フラムアーク、父上って―――。

 ハッとした私同様、グレゴリオもその双眸を瞠りながら、たどたどしく言を紡いだ。

「―――っ、それは確かにそう、だが―――ユーファ達と厚い信頼関係を築けたのは、何よりお前がお前であったから―――……いや、よそう。今は素直にありがたくその言葉を受け取っておく」
「……ええ」

 初めて親子らしい、血の通った会話が二人の間で交わされた気がして、私の目にもうっすらと涙が滲む。

「……。何事も遅きに失するということがないのなら、退位した暁には今度こそ誠心誠意、クレメンティーネと向き合ってみようと思う。……それで何かが変わるかどうかは、分からぬが」
「ええ……」

 小さな声でかつての後悔とそれに向き合う決意を述べる皇帝と、それに柔らかく相槌を打つ皇太子となった第四皇子―――彼らの関係がほんの少し変わり始める気配を感じさせながら、そこから季節は巡っていった―――。
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