もったいない! ~ある日ゲイの霊に憑かれたら、クラスの物静かな男子がキラキラして見えるようになりました~

藤原 秋

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 築四十年を超えるおじいちゃんの家。

 のどかな住宅街の一角にある庭付き一戸建てのその家構えを見ても、あたしの中のノラオからは緊張感とか何かしらの感慨とか、そういったものが一切伝わってこなかった。

 むしろ、隣に立つ喜多川くんの方から緊張感が漂ってきている。

 もしかしたら弟かもしれないおじいちゃんちを前にしてこの動揺しなさっぷりは、やっぱり期待薄なのかなぁと諦め気味にひとつ息をついた時、インターホンに反応したおじいちゃんが玄関の引き戸を開けて、笑顔であたし達を出迎えてくれた。

陽葵ひまり、よく来たなぁ! ばあちゃんと首を長くして待っとったぞ! いやいや久し振りだな、また綺麗になったんじゃないのか!?」

 そう言ってあたしを歓迎してくれるおじいちゃんを目の当たりにした瞬間、それまで泰然としていたノラオの様子に異変が起こった。

 それはまるで、水溜まりに小さな石が投げ込まれて、水面に波紋が広がっていくかのような、そんな変化で―――自分の中心から外側へと、徐々にさざ波が広がっていくかのような、そんな感覚が彼と感覚を共有するあたしにも伝わってきて、身体の奥深いところがざわざわとさざめき立った。

 平静を装っておじいちゃんに声を返しながら、慄きにも似たその感覚に身体をざわめかせて小さく息を飲んでいると、あたしの傍らの喜多川くんに気が付いたおじいちゃんがしわしわの瞼を大きく見開いて、あたしと彼とを見比べた。

「陽葵、こっ、これか!? この人か!?  お前が友達っつーてたのは!?」

 あたしは意識をおじいちゃんに戻して、喜多川くんを紹介した。

「うん、そうだよ。同じクラスの喜多川蓮人くん。色々相談に乗ってもらってるんだ」
「―――初めまして、喜多川です。陽葵さんにはいつもお世話になっています。あの、今日は僕までお邪魔してすみません」

 少し緊張した面持ちで挨拶をする喜多川くんが持ってくれていたお土産をあたしはおじいちゃんに手渡した。

「はい、これお土産。あたしと喜多川くんとで選んだんだよ」
「お、おぅ、わざわざすまんなぁ。ええと喜多川くん、遠いところまでご足労だったね。まあ狭苦しいところだけれども、どうぞ上がっていってくれ」
「いえ、そんな。ありがとうございます、お邪魔します」

 礼儀正しく声を返した喜多川くんが玄関で靴を脱いでいる間に、少し慌てた様子のおじいちゃんは台所でお茶の支度をしていたらしいおばあちゃんのところへドタドタ足音を響かせていった。

「お、おおい! おおい、陽葵が! ボッ、ボーイフレンドを連れてきたぞおぉ!」

 ちょ、おじいちゃん声が大きいー! 玄関まで聞こえちゃってるから!

 しかもボーイフレンドって! 間違っちゃいないんだけど、そんな言い方されると恥ずいからー!

「なっ、何かごめんね。喜多川くんの性別伝えてなかったから、女の子だと思ってたみたいで」

 事前に伝えておくべきだったと反省しながら喜多川くんを振り返ると、整ったその顔が何とも居心地悪そうにうっすら赤くなっていた。ごめんなさい!

 喜多川くんを居間に案内する間にも台所からはおじいちゃんとおばあちゃんのちょっと興奮した声が漏れ聞こえていて、あたしは恥ずかしさと申し訳なさでもう一度喜多川くんに謝った。本っ当にごめんなさい!

 居間にはおじいちゃんがあらかじめ用意しておいてくれたらしいアルバムが畳の上に置かれていて、それを確認したあたしと喜多川くんは顔を見合わせて頷き合った。

 ―――この中に、若くして亡くなったっていうおじいちゃんのお兄さんの写真が……。

 もしかしたらノラオかもしれない、その人の写真が。

 さっきノラオから伝わってきた鳥肌が立つような感覚を思い出して、少し鼓動が逸る。それを喜多川くんに伝えようとした時、お盆に麦茶を載せたおばあちゃんとお茶菓子を持ったおじいちゃんとが居間に入ってきた。

「いらっしゃい陽葵ひまちゃん、久し振りね!」 
「おばあちゃん、久し振り。元気だった?」
「元気よ~陽葵ちゃんの花嫁姿を見るまでは死ねないわ!」
「あっは、じゃあまだまだ大丈夫だね!」

 あたしとそんな会話を交わしたおばあちゃんは喜多川くんに視線を移すと、柔らかく目を細めた。

「素敵なお友達を連れてきてくれて嬉しいわ~。まさか男の子だとは思っていなかったから、嬉しいビックリ」
「あはは……ちゃんと伝えてなくてごめん。同じクラスの喜多川蓮人くんだよ。いつもお世話になっているんだ」

 おばあちゃんにも改めて喜多川くんを紹介すると、彼の正面の席に座ったおばあちゃんはにっこり微笑んで喜多川くんに挨拶した。

陽葵ひまりの祖母です、いつも陽葵がお世話になっています。こんな遠いところへわざわざようこそ。どうぞ楽にして下さいね」
「ありがとうございます、お邪魔させていただいています。陽葵さんにはこちらこそお世話になっています」

 いや、現実は一方的にあたしがお世話になっています。

「若いのに礼儀正しいのねー。はい、良かったらどうぞ。麦茶でいいかしら?」
「ありがとうございます、いただきます」
「ごめんなさいね。陽葵がお友達を、それも男の子を連れてきてくれるのなんて初めてで舞い上がってしまって。さっきはうるさかったでしょう?」
「あ、いいえ……」

 少し困ったように視線をうつむける喜多川くんに、おばあちゃんは学校でのあたしの様子や色んな事を流れるように尋ねていく。それに答える喜多川くんとのやりとりをおじいちゃんも興味深げに聞きながら、時折あたしに質問を投げかけたりして、しばらく和やかな談笑が続いた。

「―――それでおじいちゃん、今日ここへ来た本題なんだけど」

 キリのいいところを見計らってそう切り出したあたしの視線を受けて、おじいちゃんは自分の座布団の横に置いてあったアルバムを手に取るとテーブルの上に置いた。

「そうだったそうだった、これを見に来たんだったな」

 年輪を重ねたおじいちゃんの指がゆっくりと年代物のアルバムのページをめくって、結婚式の集合写真の場所を開いていく。

「ずーっと押入れの奥にしまい込んだままになっとったわ。陽葵に言われて、久々に出したなぁ―――おかげで兄ちゃんの顔も久し振りに見たわ。懐かしいなぁ」

 結婚式に集まった親族全員で撮影した、大きな集合写真。あたしと喜多川くんは息を凝らしてその写真に見入った。

 少し色褪せた写真の真ん中には晴れの日の和装に身を包んだ若かりし日のおじいちゃんとおばあちゃんがいて、和装と洋装が半々くらいの中、おじいちゃんの斜め後ろに黒っぽいスーツ姿の、見覚えある目鼻立ちの青年が収まっているのが目に入って、思わず息を飲むあたしの前で、おじいちゃんがその人を指さして言った。

「これがじいちゃんの兄ちゃんだよ。武尊たけるという名前だった」


 ―――ノラオ!!


 ドッ、と鼓動が走り出して、自分のものか、リンクしたノラオのものか分からない心臓の音が耳に響く。

「岩本さん」

 目で確認を取ってくる喜多川くんにぎこちなく頷き返して、あたしは震える唇を開いた。

「―――ノラオだ……喜多川くん、ノラオだよ! ウソみたい……本当に、ノラオ……! こんな……」
「これがノラオ……!? 本当に……!?」

 目を見開いて写真のノラオを食い入るように見つめる喜多川くんに、あたしはもう一度頷いた。

「うん、ノラオだ……! 間違いない」

 時の流れで少し色褪せた写真に映っているそれは、間違いなく生前のノラオの姿だった。

 信じられない……こうしておじいちゃんのアルバムの中に、ノラオがいるなんて。

 現実に生きていた人として、おじいちゃんの思い出の中に存在しているなんて―――。

 何だかウソみたいだ。でもこれはウソなんかじゃなくて、夢でもなくて、まぎれもない現実で……。

 そんなあたし達の様子に驚きの表情を見せていたおじいちゃんが戸惑い顔でおばあちゃんと顔を見合わせながら、ためらいがちにあたしに声をかけてきた。

「ど、どうした……? まさか本当に、お前の夢に出てくるって言っとった人が兄ちゃんだったのかい……? それと、ノラオってのは……?」

 そんなおじいちゃんの顔を見た瞬間、あたしの脳裏に見たこともないはずの子ども時代のおじいちゃんの姿が一瞬よぎって、その途端、一石を投じられて波紋を描いていた水溜まりが突如ゴポリと泡立って波立って、空に巻き上げられていくかのような錯覚と共に、知らない記憶が走馬灯のように瞼の裏を駆け抜けていった。

「…………!」

 声も出ないあたしの中で、呆然としたノラオの声が響く。

『―――タケ……』

 リンクするように、あたしの口はそっくりそのまま同じ言葉を紡いでいた。

「タケ……」

 するとおじいちゃんが敏感にそれに反応した。

「! 急に、なんした?」

 えっ!? あたし、今声に出していた!?

 ビックリしておじいちゃんを見つめ返すあたしに、おじいちゃんは顔色を変えながらこう言った。

「タケ、ってそりゃ……兄ちゃんが、オレを呼んでた呼び名だ―――」
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