48 / 54
48
しおりを挟む
エージと彼女は順調に交際を重ね、それから一年半程経った頃、二人は結婚することが決まった。
エージに恋人が出来てからノラオと彼が会う回数は確実に減っていたけれど、それでも二~三ヶ月に一度は会うことが出来ていたから、ノラオは報われない恋心をだましだまし、次にエージと会える日を心待ちにして、会えない日々を耐え忍んでいた。
エージ達の交際の様子から、近いうちにきっとそういうことになるだろうと薄々覚悟を決めていたノラオだったけれど、それでもやっぱり、実際にその報せを受けた時の衝撃には並々ならぬものがあった。
自分はエージの親友にはなれたけれど、やっぱり彼の運命の相手にはなることは出来なかった―――それを改めて思い知らされたノラオは、アパートの自室で鬱々と天井を仰ぎながら、独り膝小僧を抱えて玄関のドアを見やった。
あのドアを当たり前のように開けてエージが遊びに来ることは、もうないんだろうか。
結婚式前夜、大学時代の友人達によって開かれたエージの独身最後を祝う飲み会の席で、ノラオは密かにある決意を固めていた。
明日の主役を二次会三次会へ誘おうとする悪友達の手からエージを救い出し、ほろ酔い加減の彼を駅までエスコートする役目を担う最中、見上げた夜空には真っ白な月が浮かんでいた。
「―――月が綺麗だなぁ、エージ」
何気ないふりを装って、その実声が震えてしまわないように気を付けながら、精一杯の勇気を振り絞って、ノラオは彼にそう伝えた。
ノラオが今日エージに伝えようと、心に決めていた言葉だった。
「……うん? ああ、そうだな」
頭がいいのに情緒的なことに疎い一面のあるエージは、ノラオの言葉に秘められた意味など全く介さずに、ただ何気なくそう返した。
そもそもノラオの気持ちに全く気付いていないエージには、その言葉の裏に隠された彼の真意になど気付けるはずもなかったのだ。
ノラオもそれを分かっていて、分かっていたからこそ、明日結婚をする彼へ、こういう形で最後に自分の想いを伝えるという選択をした。
文豪夏目漱石に端を発するという、遠回しな愛の言葉に変えて。
「本当に、月が綺麗だ」
―――あなたを、愛している。
「……? お前、そんなに風流なヤツだったか?」
小首を傾げる何も知らないエージに、ノラオはニカッと歯を見せた。
「オレは意外とロマンチストなんだよ。お前も少しはそういう感性を磨いとけ」
「オレはそういう方面はどうも……」
「知ってる」
だから使わせてもらったんだよ。
言外にそう紡いで、ノラオは明日結婚をしてしまう最愛の人へこう告げる。
「なぁエージ……お前は結婚したら嫁さんの実家へ入るわけだし、生活もガラッと変わって忙しくなるんだろうけど、スゲー時々で構わないからさ、オレのこともたまにはかまってくれよな」
軽い口調でなされた懇願に、エージは眼鏡の奥の涼しげな目元を和らげた。
「もちろん。オレもたまにはお前と息抜きしたいからな」
それに微笑み返しながら、ノラオは尋ねた。
「……なぁ。自分の苗字が変わるって、どんな感じ?」
「んー……そうだな、言うなれば新しい自分に生まれ変わる……っていう感覚かな。背負うものが増えて、責任も覚悟もこれまでとは全く違ったものになるっていうか……」
「喜多川英一郎っていう新たな人間に―――かぁ。……何かさ、オレからすると変な感じなんだよな。何ていうか、お前なのにお前じゃねぇみてぇ、っつーか」
「そうか? 世間的な呼び名が変わるだけで、お前にとっては何も変わらないと思うがなぁ。だって、そもそもお前にとってオレは最初からずっと『エージ』なんだから―――そう考えると何も変わらないよ、そうだろう?」
その何気ないエージの物言いが、「お前は特別だ」と、そう言ってくれているような気がして―――ノラオは目頭が熱くなるのを覚えながら、それをごまかすように口を動かした。
「はは、確かにそうだな。違ぇねえわ。……んじゃ、しばらくはなかなか会えなくなるだろうけど、お互いじーさんになって時間が有り余るようになったら、またしょっちゅう会って遊ぼうぜ」
「そうだな。それもきっと楽しいだろうな」
「……ああ」
わずかに瞳を潤ませながら、ノラオは意識的に口角を上げて、エージの腰の辺りを叩いた。
「―――そん時を、楽しみにしてる」
翌日、エージは結婚して「喜多川英一郎」となった。
他人の配偶者として誓いの言葉を交わすエージの後ろ姿を、ノラオは招待者席の一角から、じっと見つめていた。
エージに恋人が出来てからノラオと彼が会う回数は確実に減っていたけれど、それでも二~三ヶ月に一度は会うことが出来ていたから、ノラオは報われない恋心をだましだまし、次にエージと会える日を心待ちにして、会えない日々を耐え忍んでいた。
エージ達の交際の様子から、近いうちにきっとそういうことになるだろうと薄々覚悟を決めていたノラオだったけれど、それでもやっぱり、実際にその報せを受けた時の衝撃には並々ならぬものがあった。
自分はエージの親友にはなれたけれど、やっぱり彼の運命の相手にはなることは出来なかった―――それを改めて思い知らされたノラオは、アパートの自室で鬱々と天井を仰ぎながら、独り膝小僧を抱えて玄関のドアを見やった。
あのドアを当たり前のように開けてエージが遊びに来ることは、もうないんだろうか。
結婚式前夜、大学時代の友人達によって開かれたエージの独身最後を祝う飲み会の席で、ノラオは密かにある決意を固めていた。
明日の主役を二次会三次会へ誘おうとする悪友達の手からエージを救い出し、ほろ酔い加減の彼を駅までエスコートする役目を担う最中、見上げた夜空には真っ白な月が浮かんでいた。
「―――月が綺麗だなぁ、エージ」
何気ないふりを装って、その実声が震えてしまわないように気を付けながら、精一杯の勇気を振り絞って、ノラオは彼にそう伝えた。
ノラオが今日エージに伝えようと、心に決めていた言葉だった。
「……うん? ああ、そうだな」
頭がいいのに情緒的なことに疎い一面のあるエージは、ノラオの言葉に秘められた意味など全く介さずに、ただ何気なくそう返した。
そもそもノラオの気持ちに全く気付いていないエージには、その言葉の裏に隠された彼の真意になど気付けるはずもなかったのだ。
ノラオもそれを分かっていて、分かっていたからこそ、明日結婚をする彼へ、こういう形で最後に自分の想いを伝えるという選択をした。
文豪夏目漱石に端を発するという、遠回しな愛の言葉に変えて。
「本当に、月が綺麗だ」
―――あなたを、愛している。
「……? お前、そんなに風流なヤツだったか?」
小首を傾げる何も知らないエージに、ノラオはニカッと歯を見せた。
「オレは意外とロマンチストなんだよ。お前も少しはそういう感性を磨いとけ」
「オレはそういう方面はどうも……」
「知ってる」
だから使わせてもらったんだよ。
言外にそう紡いで、ノラオは明日結婚をしてしまう最愛の人へこう告げる。
「なぁエージ……お前は結婚したら嫁さんの実家へ入るわけだし、生活もガラッと変わって忙しくなるんだろうけど、スゲー時々で構わないからさ、オレのこともたまにはかまってくれよな」
軽い口調でなされた懇願に、エージは眼鏡の奥の涼しげな目元を和らげた。
「もちろん。オレもたまにはお前と息抜きしたいからな」
それに微笑み返しながら、ノラオは尋ねた。
「……なぁ。自分の苗字が変わるって、どんな感じ?」
「んー……そうだな、言うなれば新しい自分に生まれ変わる……っていう感覚かな。背負うものが増えて、責任も覚悟もこれまでとは全く違ったものになるっていうか……」
「喜多川英一郎っていう新たな人間に―――かぁ。……何かさ、オレからすると変な感じなんだよな。何ていうか、お前なのにお前じゃねぇみてぇ、っつーか」
「そうか? 世間的な呼び名が変わるだけで、お前にとっては何も変わらないと思うがなぁ。だって、そもそもお前にとってオレは最初からずっと『エージ』なんだから―――そう考えると何も変わらないよ、そうだろう?」
その何気ないエージの物言いが、「お前は特別だ」と、そう言ってくれているような気がして―――ノラオは目頭が熱くなるのを覚えながら、それをごまかすように口を動かした。
「はは、確かにそうだな。違ぇねえわ。……んじゃ、しばらくはなかなか会えなくなるだろうけど、お互いじーさんになって時間が有り余るようになったら、またしょっちゅう会って遊ぼうぜ」
「そうだな。それもきっと楽しいだろうな」
「……ああ」
わずかに瞳を潤ませながら、ノラオは意識的に口角を上げて、エージの腰の辺りを叩いた。
「―――そん時を、楽しみにしてる」
翌日、エージは結婚して「喜多川英一郎」となった。
他人の配偶者として誓いの言葉を交わすエージの後ろ姿を、ノラオは招待者席の一角から、じっと見つめていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる