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ドヴァーフ編
災厄の幕開け
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爽やかな朝だった。
すっきりと晴れた空は青く澄み渡り、遠く連なる山々の陰影までくっきりと見える。
窓を開け放って新鮮な朝の空気をめいっぱい吸い込みながら、あたしは昨夜の余韻に浸っていた。
何だかすごく、幸せな気分。心が羽みたいに、軽いんだ。
ドヴァーフでの滞在もあと少し。今日明日にも飛空挺の修理が終わるっていう話だったから、今日の夕方あたりには、それに関する詳しい報告があるに違いない。
飛空挺の修理が完了すれば、また忙しい、危険な日々が始まるに違いなかったけど、今のあたしにはそれが何でもないことのようにさえ感じられた。
何でも、出来る気がするんだ。アキレウスと一緒なら―――きっと、何でも出来る。
その彼と交わした今夜の約束を思い出し、あたしはほんのり頬を染めた。
アキレウスがその昔仲間達と見つけたっていう、秘密の場所。水の綺麗なところにしか生息しない、この国特有の生物である幻影ホタルの群れが群生するというその場所は、夜になると彼らの放つ不思議な光で溢れ、幻想的な光景に包まれるのだという。
どんな感じなのかなぁ……? すごく楽しみ。
うっとりと今夜の予定に思いを馳せていたあたしは、ノックの音と共に侍女が運んできた言葉を聞いて、その気分に思いきり水をかけられてしまった。
「ラァムという街の娘が、どうしてもオーロラ様にお会いしたいと……追い返そうとしたのですが、オーロラ様の知り合いだと言い張ってきかないものですから、一応ご確認をと……」
ええ!? ラ、ラァム!?
何でアキレウスじゃなくてあたし、なの!? すっごく嫌な予感がするんだけど……。
気乗りはしなかったけど無視するわけにもいかず、あたしは渋々、彼女に会うことにした。
どうせアキレウス絡みのことなんだろうけど……。
溜め息をつきつつ部屋を出ると、隣のガーネットにあてがわれた客室の前に佇んでいるパトロクロスと目が合った。
「あれ、どうしたの? もしかして急なミーティングか何か?」
何の気なしにそう尋ねると、彼はちょっと困ったような顔をして、言葉を濁した。
「あ、あぁ……いや。そういうわけじゃないんだが……。オーロラ、出かけるのか?」
「あ、うん。何か、ラァムが門のトコまで来ているみたいで……」
「ラァムというと、あのアキレウスの幼なじみか?」
「うん。何の用事なのか分からないんだけど、ちょっと行ってくる。すぐ戻ってくると思うけど」
会話を交わすうちに何かを察したのか、パトロクロスひとつ溜め息をついてこう言った。
「……そうか。お互い、幼なじみには苦労させられるな」
「え?」
……お互い?
予想もしなかったその言葉にあたしは目をまん丸にして、パトロクロスを見た。
―――もしかして?
あたしの視線の意味を察した彼は、苦々しい表情で頷いた。
「……まぁ、そういうことだ」
ええーっ!?
そ、そういうことって……フリード絡みでガーネットと何かがあった、っていうこと!?
あたしはその内容がとっても気になったんだけど、ラァムを待たせている手前、じっくりそれを聞くわけにもいかず、後ろ髪を引かれる思いで仕方なくその場を後にした。
フリード絡みで二人に何かがあったのは間違いないんだろうけど、いったい何が?
昨日カシュールにいた時にはそんなの微塵も感じられなかったから、何かがあったとすれば昨日のあの後、だよね。
ううう、気になる!
一人悶々と考えていたあたしは、その時あることに気が付いた。
あれ……? パトロクロス、『お互い』って言っていたよね。
向こうの場合は、フリード→ガーネット→パトロクロスっていう図式が成り立っているけれど、こっちの場合は……アキレウスがあたしにもラァムにも特別な感情を持っていないとパトロクロスが知っている以上、あたし→アキレウス←ラァムという図式が成り立たない限り、彼の口から発せられることはないわけ……で。
あわわ、あたしの気持ち、バレちゃってるってコトじゃん!!
あたしは思わず赤くなったんだけど、すぐにまぁそれも仕方がないか……と、あきらめの境地に至った。
そりゃ、昨日の言動見てれば誰だって気付くよねぇ、普通……。
―――じゃ、アキレウスは!?
「オーロラさん、一人で何百面相しているの……?」
心底気持ち悪そうな声でラァムに言われ、あたしはハッと我に返った。
い、いつの間にか門まで来ちゃってたんだ。
かなりの気まずさを覚えながら、あたしはラァムに向き直った。
「あ……え、ええーっと……用事って、何?」
「ここじゃちょっと……静かに話せるところで、聞いてほしいの」
「え?」
その時になって始めて、あたしは彼女がとても思い詰めた表情をしていることに気が付いた。
「アキレウスのことで……とても、大事な話があるの」
「何……?」
ヒヤリとした予感が胸をかすめる。
「ここの近くにいい場所があるから、そこで話しましょ」
「う……うん……いいけど……」
一瞬のためらいを覚えた後、あたしは頷いた。
さっきのあのヒヤリとした感じが何となく胸に引っかかってはいたけれど、アキレウスのことでとても大事な話があるなんて言われちゃったら、行かないわけにはいかないっていうか。
でも、こっちの世界に来てからのあたしのこういう第六感的な感覚って、けっこう当たっているんだよね。ううう、何を聞かせられるのか覚悟をしておいた方がいい、っていうことかな。
そんな心構えをしつつ、あたしがラァムに案内されてたどり着いたのは、王宮のすぐ近くにある小さな空き地だった。
普段は材木置き場か何かに使われているのかな。そびえ立つ城壁がすぐそこに見える、背の高い木々に囲まれたその場所は、人気がなく、道から少し引っ込んだところにあって、地元の人じゃなきゃ分からないようなところだった。
確かに内緒話をするにはうってつけの場所、って言えるかな……。
「あたし……小さい頃からずっと、アキレウスのことが好きだったわ……」
あたしに背を向けたまま、何の前置きもなく、唐突にラァムが話し始めた。
「ずっと、アキレウスのことだけを見てきたの……彼のことが、大好きよ。世界中で一番、彼のことを愛している。誰よりも彼のことを知っているし、理解しているわ。そして彼も、そんなあたしを必要としてくれている……。あたし達の歴史に、ぽっと出てきたあなたが入り込む隙間なんてないのよ……分かる?」
ざぁっ、と風が吹いて、木立の枝を揺らしていく。
……。「アキレウスのことでとても大事な話」って、まさかこれ……?
げんなりしながらあたしが口を開こうとしたその時、ラァムがこちらを振り返った。強い怒りをはらんだ淀んだ暗褐色の瞳があたしに突き刺さる。
「あたしとアキレウスとの未来を、めちゃくちゃにしないで!!」
赤茶色のショートカットの髪を逆立てかねない勢いで、彼女は叫んだ。
「あなたが彼に与えられるものって、何!? 危険と困難……そんなものでしょう!? あたしは違う。あたしは彼に、安らぎと平穏を与えることが出来る……彼に必要なのはあたしなの、あなたじゃない!!」
「!? 何言って……」
嫉妬、憎悪、拒絶……そういった負の感情を突然叩きつけられて、あたしは戸惑いの声を上げた。
様子が、尋常じゃない。ぶつけられる悪意の激しさが、ラァムの全身から陽炎のように揺らめいて立ち上るのが見えるようだった。
「アキレウスは、あたしが守る! あなたなんかに……あんたなんかに、渡さない!! “黄金色の災い”、あんたさえ、いなくなれば―――!」
叫ぶラァムの顔が醜く歪み、その瞳の奥に狂気が逆巻くのをあたしは見た。
本能的に危険を感じて、じり、と後退り、逃げようとしたその時、まるで退路を断つかのように、木立の中から現れた人物があたしの背後を遮った。
その人物に目を向けたあたしは、そこに見い出した意外な姿に驚きを隠せなかった。
顔を覆う黒い薄布のヴェール。そこから覗く、一対の切れ長の琥珀色の瞳。身体に纏う、ゆったりとした黒の長衣。
そこにいたのは、行列の出来る占いの館の、あの占い師だった。
あの占い師が、何でここに!?
「―――さぁ」
涼やかな声と共に右腕を伸ばして、占い師がラァムを促す。
「願いの、成就の時です」
ハッと振り返ったあたしに向けて、ラァムは震える両腕を合わせ、掌を上に向けて、それをゆっくりと差し出した。
その掌に乗っているのは―――黒く禍々しい光を放つ、水晶球。
それを見た瞬間、ざわり、と全身が総毛立った。
―――危険、危険、危険!
第六感と呼ぶべきモノが、鋭い警鐘を鳴らす。
考えているヒマはなかった。あたしは木立を突っ切って逃げようと、二人に背を向け、一目散に駆け出した。
「……消えて!」
そのあたしに向けて、ラァムが呪詛のこもった声を放つ! その瞬間、後方からおぞましい光が迸り、あたしに襲いかかった!
「!」
砕け散った水晶球から溢れ出した赤黒い光が、鋭く空気を裂いて、あたしの身体に幾筋も蜘蛛の糸のように巻きついてくる。光の束に全身を絡め取られ、あたしの動きは止まってしまった。
「くっ……!」
何とかそれから逃れようと身じろぎするあたしを嘲笑うかのように、光の束は強い力であたしの身体を地面から引き剥がすと、まるで蜘蛛の巣のようにして木立の間に張り付けにしてしまったのだ!
う、うそっ……!
あたしは空中で必死にもがいたけど、もがけばもがくほど光の糸が深く絡んできて、しまいには全く身動きが出来ない状態になってしまった。
短剣や道具の類は、王宮の客室に置いてきてしまっている。
しまった……! まさか、こんなことになるなんて!
あたしは自分のうかつさを呪いながら、眼下のラァムに向かって叫んだ。
「ちょっと……何のつもり!? 嫌がらせにしても悪質だよ! 早く下ろして!!」
それまでその光景に茫然と見入っていたラァムは、あたしの声にビクリと反応し、戸惑った視線を黒衣の占い師へと向けた。
「こ……これ、は……?」
「貴女の望んでいたことですよ。彼女に、消えてほしかったのでしょう?」
優しいとさえ思える声音で、占い師が言う。
「そ、それは……。でも―――」
ラァムはあたしと占い師とを交互に見やりながら、何故かひどく動揺した様子を見せた。彼女にとって、この状況は予想外のものだったんだろうか。
「彼女を捕えるこの光は、彼を救いたいと願う貴女の心が作り出したもの。言うなれば、貴女の化身です。恐れることはありません。貴女は、正しいことをしたのだから―――」
にこり、と琥珀色の瞳を細めながら、占い師が諭すように言い聞かせる。
「あ……貴女は、いったい……?」
本能的な恐怖からか、ラァムは一歩後退りながら、かすれるような声で黒衣の占い師に問いかけた。
「私はただの、占い師ですよ。人間という種族に、心から消えてほしいと願っている、ただの占い師―――その為には、やはり貴女と同じように彼女が邪魔だった……。丁度貴女と、思惑が一致したんです。貴女はとても良くやってくれました……」
さらりと述べた占い師の言葉に、ラァムは恐怖と困惑に揺れる瞳を見開いた。
「ど……どういうこと? あたしを、騙したの……?」
「騙してなど。私の占いは、真実……このままいけば確実に、貴女は彼を失っていたことでしょう。ただ―――」
そう言って、占い師は木立の間に張り付けにされたあたしにチラリと視線を投げかけた。
「彼女を失うということは、貴女達人間にとっては大きな痛手となるでしょうね。絶望と言い換えてもいい……。居ても居なくても大差のない者達が大半を占めるこの世界には、ごくひと握りの、“特別な存在”と呼べる者達がいる。皮肉なことに、“彼女”も、“貴女の彼”も、そういう大きな意味を持った運命の中にいる、“特別な存在”だったのですよ……。しかし、貴女という矮小な存在によって、運命は大きく変わる。喜びなさい。貴女の名前は、歴史上に残るかもしれませんよ。もっともそれは、人間の歴史ではありませんが……」
「あ……あぁ……」
占い師の言葉を聞くにつれて、ラァムの顔面は蒼白となり、全身がガタガタと震え始めた。
「貴女……は、人間じゃ……ない、の……?」
「人……でしたよ。ただ、全ての者が人類の繁栄を願っているわけではない……そういうことです」
小刻みに震えるラァムの手から、砕け散った水晶の破片がぽとりと落ちた。
「―――ラァム、逃げて!」
光の束に拘束されながら、あたしは叫んだ。
「逃げて、アキレウスに知らせて―――早く!!」
その声に触発されるようにして、彼女は大きく身体を震わせると、背を翻して一目散に駆け出した。
占い師はその背を追うでもなく、悠然とした様子でそれを見送った。
「ずいぶんと余裕……なんだね」
皮肉を込めてそう言うと、彼女は動じる風もなく、淡々とこう応えた。
「何もかもが、もう遅い……ですから」
「何もかもがって……どういうこと!?」
「他の心配などをしている余裕が、今の貴女にあるのですか? 彼女が彼にこのことを伝える可能性は、限りなく低いですよ」
うう、そりゃ、そうだろうな。
「言われなくてもっ……!」
あたしは歯がみしながら、何とかこの現状を打破しようと、炎で光の束を焼き切ろうとした。けれど、光の束はまるでそこに存在しないもののように、炎の影響を何ら受け付けない。
じゃあ氷なら……!?
あたしは氷の刃で光の束を切断しようと試みたけれど、これも上手くいかない。魔力そのものを放出して弾き飛ばそうともしてみたけれど、それも同じことだった。
その時になって、あたしはようやく自分を襲う異変に気が付いた。
まだ大した魔力を使ったわけじゃないのに、異様な疲労感が全身に広がり、すでに息が切れ始めている。
何……どうしたの!?
改めて自分を拘束する光の束に目をやったあたしは、いくつもの細い光の糸が絡み合うようにして構成されているそこから、キラキラと輝く光の粉のようなものがこぼれていることに気が付いて、息を飲んだ。
赤黒い光の糸からこぼれている、透明な輝き。
これ、は……?
「気が付きましたか。それは、貴女の魔力ですよ」
絶句するあたしに、切れ長の琥珀の瞳を向けて、占い師は告げた。
「安心して下さい。貴女を殺しはしません。ただ、動けなくなってもらうだけ……。その光の糸は、あの愚かな娘の思念体。何をしても、解けませんよ。彼女が心から貴女を赦す、その時までは―――」
「……! 何が目的なの!?」
「私はこの国の人間に……いいえ、人間という存在そのものに疑問を覚えているのです。生きるということの本来の意味を忘れ、確たるものを見失い、醜い争いを繰り返しながら、病原菌のようにこの星にはびこり続ける生物……こんな生物に、果たして存在し続ける価値があるのだろうか、と……」
そう述べながら、占い師はヴェールの下で皮肉げな笑みを浮かべたようだった。
「貴女をそこに縛り付けたあの娘しかり……人間という生き物は独善的で、常に己のことしか考えられない生き物なのです」
「そう仕向けたのは、あんたなんじゃないの!?」
「私はただきっかけを与えただけ……あの娘の心には、元々そういう強い想いがあった。人は誰しも、程度の差こそあれ、欲というものを抱えている。それを自由にしてやるきっかけを、私は作った。ただ、それだけのこと……」
それを聞いているうちに、背筋が薄ら寒くなっていくのをあたしは覚えた。脳裏に浮かんだのは、いつも行列の出来ていた、この占い師の占いの館の光景だった。
「まさか……」
震える声で呟いたあたしの危惧を、黒衣の占い師はやんわりと肯定した。
「この王都には、やっかいな結界が張られていましてね……魔物は外から浸入出来ないんです。中にいる人間達が結界を解いてくれたら、嬉しいと思いませんか?」
魔物、って……この占い師、まさか『暗黒の王子』と結託して……!?
冷たい汗が吹き出すと共に、今まで以上に心臓が早鐘を打ち始めた。
「あの娘に渡した水晶球は貴女を捕える為の特別製でしたが、その他大勢にはそれとは別の、ちょっとしたモノを渡しておいたんです。これから何が起こるのか……想像はつくでしょう?」
―――知らせなきゃ……アキレウス達に何とかして知らせなきゃ!
身動きの出来ないあたしが、彼らに異変を知らせる為に取れる方法は、ただひとつ。
―――気付いて! お願い!!
切なる思いを込めて、自らの魔力を天高く放出させながら、あたしは祈った。
アキレウス……!
黄金色の髪の少女の声が聞こえたような気がして、アキレウスはふと背後を振り返った。
視線の先には、無人の回廊。誰も……いない。
気のせいか……?
再び歩を進めようとした彼は、何故か胸騒ぎのようなものを覚えて立ち止まった。
胸の奥で、ざわりと何かが湧き立つような、その感覚。
何だ……!?
「わー、何あれ? キレーイ」
「誰か魔法の練習でもしているのかしら?」
回廊の先からそんな声が聞こえてきたのはその時だった。その声に反応して、アキレウスは駆け出していた。
掃除中だったらしい侍女が何人か、手に清掃用具を持ちながら、回廊の窓の外を見つめている。
駆けつけたアキレウスの姿を見ると、彼女達は顔を赤らめながらその場を譲ってくれた。すぐに窓の外を見渡してみるが、特に変わった様子は見られない。
「何が見えたんだ?」
侍女の一人にそう尋ねると、彼女はやや声を上ずらせながらこう説明してくれた。
「城壁のすぐ向こう側で、綺麗な光がパーッて上がっていたんです、空高く」
「光……?」
呟いたアキレウスの瞳の端が、何かを捉えた。
それは、赤紫色の稲光のように見えた。
だが、稲光とは違う。
空は青く晴れ渡っているし、そう見えたモノは、空からではなく、街中から上がっていた。
街の中からひとつ、ふたつ、みっつ―――うねるように空高く上がるそれが、みるみるその数を増していく!
「あれのことか!?」
鋭く尋ねるアキレウスに、侍女が首を振って否定する。
「ち、違います! もっと優しい、淡い金色みたいな光で……」
「な、何よあれ!?」
「イヤーッ、どんどん増えていく!」
眼前の街並みに広がっていく異常な光景に、侍女達の間から悲鳴が上がる。
今や街のあちらこちらから立ち上る赤紫色の光は、激しくスパークしながら他の光達とぶつかり合い、くっつき合いながらその勢いを増し、ついには光の奔流となって、内側から王都を護る結界にぶつかったのだ!
それは、あっという間の出来事だった。
バチバチィッ!
激しく火花を散らしながら、赤紫色の禍々しい光が魔法王国ドヴァーフの王都を包む結界を揺るがす!
「きゃあーッ!」
「いやあぁーッ!」
突然の出来事に侍女達が頭を抱えてしゃがみこみ、恐怖に震える。
力と力のぶつかり合いに激しく揺れる大気の向こうに、アキレウスは見た。
王都をぐるりと取り囲む防壁の向こう―――なだらかに続く草原の遥か彼方に、無数の黒い影が蠢き、その影が徐々に広がっていく光景を!
「―――あんた達、早く安全な場所に逃げろ!」
それが何であるのか理解した瞬間、侍女達にそう言い置いて、アキレウスは駆け出していた。
これほどの魔物の大群は、見たことがなかった。
王都を護る結界が破れ、防壁が突破されたら―――。
その先に起こるだろう惨状は、想像に難くなかった。
園長! みんな……!
小さな孤児院の家族達のことを想いながら、アキレウスは全力で走った。
その瞬間―――。
パトロクロスは、意を決してガーネットの部屋をノックしたところだった。
ガーネットは、ノックに応えてドアを開けようと立ち上がったところだった。
国王レイドリックは、宰相と打ち合わせをしている最中だった。
魔導士団長エレーンは、不穏な気配を感じて国立図書館を出たところだった。
騎士団長オルティスは、技術者達と飛空挺の最終的なチェックをしているところだった。
誰もが予期していなかった、それは、唐突な幕開けだったのだ―――。
すっきりと晴れた空は青く澄み渡り、遠く連なる山々の陰影までくっきりと見える。
窓を開け放って新鮮な朝の空気をめいっぱい吸い込みながら、あたしは昨夜の余韻に浸っていた。
何だかすごく、幸せな気分。心が羽みたいに、軽いんだ。
ドヴァーフでの滞在もあと少し。今日明日にも飛空挺の修理が終わるっていう話だったから、今日の夕方あたりには、それに関する詳しい報告があるに違いない。
飛空挺の修理が完了すれば、また忙しい、危険な日々が始まるに違いなかったけど、今のあたしにはそれが何でもないことのようにさえ感じられた。
何でも、出来る気がするんだ。アキレウスと一緒なら―――きっと、何でも出来る。
その彼と交わした今夜の約束を思い出し、あたしはほんのり頬を染めた。
アキレウスがその昔仲間達と見つけたっていう、秘密の場所。水の綺麗なところにしか生息しない、この国特有の生物である幻影ホタルの群れが群生するというその場所は、夜になると彼らの放つ不思議な光で溢れ、幻想的な光景に包まれるのだという。
どんな感じなのかなぁ……? すごく楽しみ。
うっとりと今夜の予定に思いを馳せていたあたしは、ノックの音と共に侍女が運んできた言葉を聞いて、その気分に思いきり水をかけられてしまった。
「ラァムという街の娘が、どうしてもオーロラ様にお会いしたいと……追い返そうとしたのですが、オーロラ様の知り合いだと言い張ってきかないものですから、一応ご確認をと……」
ええ!? ラ、ラァム!?
何でアキレウスじゃなくてあたし、なの!? すっごく嫌な予感がするんだけど……。
気乗りはしなかったけど無視するわけにもいかず、あたしは渋々、彼女に会うことにした。
どうせアキレウス絡みのことなんだろうけど……。
溜め息をつきつつ部屋を出ると、隣のガーネットにあてがわれた客室の前に佇んでいるパトロクロスと目が合った。
「あれ、どうしたの? もしかして急なミーティングか何か?」
何の気なしにそう尋ねると、彼はちょっと困ったような顔をして、言葉を濁した。
「あ、あぁ……いや。そういうわけじゃないんだが……。オーロラ、出かけるのか?」
「あ、うん。何か、ラァムが門のトコまで来ているみたいで……」
「ラァムというと、あのアキレウスの幼なじみか?」
「うん。何の用事なのか分からないんだけど、ちょっと行ってくる。すぐ戻ってくると思うけど」
会話を交わすうちに何かを察したのか、パトロクロスひとつ溜め息をついてこう言った。
「……そうか。お互い、幼なじみには苦労させられるな」
「え?」
……お互い?
予想もしなかったその言葉にあたしは目をまん丸にして、パトロクロスを見た。
―――もしかして?
あたしの視線の意味を察した彼は、苦々しい表情で頷いた。
「……まぁ、そういうことだ」
ええーっ!?
そ、そういうことって……フリード絡みでガーネットと何かがあった、っていうこと!?
あたしはその内容がとっても気になったんだけど、ラァムを待たせている手前、じっくりそれを聞くわけにもいかず、後ろ髪を引かれる思いで仕方なくその場を後にした。
フリード絡みで二人に何かがあったのは間違いないんだろうけど、いったい何が?
昨日カシュールにいた時にはそんなの微塵も感じられなかったから、何かがあったとすれば昨日のあの後、だよね。
ううう、気になる!
一人悶々と考えていたあたしは、その時あることに気が付いた。
あれ……? パトロクロス、『お互い』って言っていたよね。
向こうの場合は、フリード→ガーネット→パトロクロスっていう図式が成り立っているけれど、こっちの場合は……アキレウスがあたしにもラァムにも特別な感情を持っていないとパトロクロスが知っている以上、あたし→アキレウス←ラァムという図式が成り立たない限り、彼の口から発せられることはないわけ……で。
あわわ、あたしの気持ち、バレちゃってるってコトじゃん!!
あたしは思わず赤くなったんだけど、すぐにまぁそれも仕方がないか……と、あきらめの境地に至った。
そりゃ、昨日の言動見てれば誰だって気付くよねぇ、普通……。
―――じゃ、アキレウスは!?
「オーロラさん、一人で何百面相しているの……?」
心底気持ち悪そうな声でラァムに言われ、あたしはハッと我に返った。
い、いつの間にか門まで来ちゃってたんだ。
かなりの気まずさを覚えながら、あたしはラァムに向き直った。
「あ……え、ええーっと……用事って、何?」
「ここじゃちょっと……静かに話せるところで、聞いてほしいの」
「え?」
その時になって始めて、あたしは彼女がとても思い詰めた表情をしていることに気が付いた。
「アキレウスのことで……とても、大事な話があるの」
「何……?」
ヒヤリとした予感が胸をかすめる。
「ここの近くにいい場所があるから、そこで話しましょ」
「う……うん……いいけど……」
一瞬のためらいを覚えた後、あたしは頷いた。
さっきのあのヒヤリとした感じが何となく胸に引っかかってはいたけれど、アキレウスのことでとても大事な話があるなんて言われちゃったら、行かないわけにはいかないっていうか。
でも、こっちの世界に来てからのあたしのこういう第六感的な感覚って、けっこう当たっているんだよね。ううう、何を聞かせられるのか覚悟をしておいた方がいい、っていうことかな。
そんな心構えをしつつ、あたしがラァムに案内されてたどり着いたのは、王宮のすぐ近くにある小さな空き地だった。
普段は材木置き場か何かに使われているのかな。そびえ立つ城壁がすぐそこに見える、背の高い木々に囲まれたその場所は、人気がなく、道から少し引っ込んだところにあって、地元の人じゃなきゃ分からないようなところだった。
確かに内緒話をするにはうってつけの場所、って言えるかな……。
「あたし……小さい頃からずっと、アキレウスのことが好きだったわ……」
あたしに背を向けたまま、何の前置きもなく、唐突にラァムが話し始めた。
「ずっと、アキレウスのことだけを見てきたの……彼のことが、大好きよ。世界中で一番、彼のことを愛している。誰よりも彼のことを知っているし、理解しているわ。そして彼も、そんなあたしを必要としてくれている……。あたし達の歴史に、ぽっと出てきたあなたが入り込む隙間なんてないのよ……分かる?」
ざぁっ、と風が吹いて、木立の枝を揺らしていく。
……。「アキレウスのことでとても大事な話」って、まさかこれ……?
げんなりしながらあたしが口を開こうとしたその時、ラァムがこちらを振り返った。強い怒りをはらんだ淀んだ暗褐色の瞳があたしに突き刺さる。
「あたしとアキレウスとの未来を、めちゃくちゃにしないで!!」
赤茶色のショートカットの髪を逆立てかねない勢いで、彼女は叫んだ。
「あなたが彼に与えられるものって、何!? 危険と困難……そんなものでしょう!? あたしは違う。あたしは彼に、安らぎと平穏を与えることが出来る……彼に必要なのはあたしなの、あなたじゃない!!」
「!? 何言って……」
嫉妬、憎悪、拒絶……そういった負の感情を突然叩きつけられて、あたしは戸惑いの声を上げた。
様子が、尋常じゃない。ぶつけられる悪意の激しさが、ラァムの全身から陽炎のように揺らめいて立ち上るのが見えるようだった。
「アキレウスは、あたしが守る! あなたなんかに……あんたなんかに、渡さない!! “黄金色の災い”、あんたさえ、いなくなれば―――!」
叫ぶラァムの顔が醜く歪み、その瞳の奥に狂気が逆巻くのをあたしは見た。
本能的に危険を感じて、じり、と後退り、逃げようとしたその時、まるで退路を断つかのように、木立の中から現れた人物があたしの背後を遮った。
その人物に目を向けたあたしは、そこに見い出した意外な姿に驚きを隠せなかった。
顔を覆う黒い薄布のヴェール。そこから覗く、一対の切れ長の琥珀色の瞳。身体に纏う、ゆったりとした黒の長衣。
そこにいたのは、行列の出来る占いの館の、あの占い師だった。
あの占い師が、何でここに!?
「―――さぁ」
涼やかな声と共に右腕を伸ばして、占い師がラァムを促す。
「願いの、成就の時です」
ハッと振り返ったあたしに向けて、ラァムは震える両腕を合わせ、掌を上に向けて、それをゆっくりと差し出した。
その掌に乗っているのは―――黒く禍々しい光を放つ、水晶球。
それを見た瞬間、ざわり、と全身が総毛立った。
―――危険、危険、危険!
第六感と呼ぶべきモノが、鋭い警鐘を鳴らす。
考えているヒマはなかった。あたしは木立を突っ切って逃げようと、二人に背を向け、一目散に駆け出した。
「……消えて!」
そのあたしに向けて、ラァムが呪詛のこもった声を放つ! その瞬間、後方からおぞましい光が迸り、あたしに襲いかかった!
「!」
砕け散った水晶球から溢れ出した赤黒い光が、鋭く空気を裂いて、あたしの身体に幾筋も蜘蛛の糸のように巻きついてくる。光の束に全身を絡め取られ、あたしの動きは止まってしまった。
「くっ……!」
何とかそれから逃れようと身じろぎするあたしを嘲笑うかのように、光の束は強い力であたしの身体を地面から引き剥がすと、まるで蜘蛛の巣のようにして木立の間に張り付けにしてしまったのだ!
う、うそっ……!
あたしは空中で必死にもがいたけど、もがけばもがくほど光の糸が深く絡んできて、しまいには全く身動きが出来ない状態になってしまった。
短剣や道具の類は、王宮の客室に置いてきてしまっている。
しまった……! まさか、こんなことになるなんて!
あたしは自分のうかつさを呪いながら、眼下のラァムに向かって叫んだ。
「ちょっと……何のつもり!? 嫌がらせにしても悪質だよ! 早く下ろして!!」
それまでその光景に茫然と見入っていたラァムは、あたしの声にビクリと反応し、戸惑った視線を黒衣の占い師へと向けた。
「こ……これ、は……?」
「貴女の望んでいたことですよ。彼女に、消えてほしかったのでしょう?」
優しいとさえ思える声音で、占い師が言う。
「そ、それは……。でも―――」
ラァムはあたしと占い師とを交互に見やりながら、何故かひどく動揺した様子を見せた。彼女にとって、この状況は予想外のものだったんだろうか。
「彼女を捕えるこの光は、彼を救いたいと願う貴女の心が作り出したもの。言うなれば、貴女の化身です。恐れることはありません。貴女は、正しいことをしたのだから―――」
にこり、と琥珀色の瞳を細めながら、占い師が諭すように言い聞かせる。
「あ……貴女は、いったい……?」
本能的な恐怖からか、ラァムは一歩後退りながら、かすれるような声で黒衣の占い師に問いかけた。
「私はただの、占い師ですよ。人間という種族に、心から消えてほしいと願っている、ただの占い師―――その為には、やはり貴女と同じように彼女が邪魔だった……。丁度貴女と、思惑が一致したんです。貴女はとても良くやってくれました……」
さらりと述べた占い師の言葉に、ラァムは恐怖と困惑に揺れる瞳を見開いた。
「ど……どういうこと? あたしを、騙したの……?」
「騙してなど。私の占いは、真実……このままいけば確実に、貴女は彼を失っていたことでしょう。ただ―――」
そう言って、占い師は木立の間に張り付けにされたあたしにチラリと視線を投げかけた。
「彼女を失うということは、貴女達人間にとっては大きな痛手となるでしょうね。絶望と言い換えてもいい……。居ても居なくても大差のない者達が大半を占めるこの世界には、ごくひと握りの、“特別な存在”と呼べる者達がいる。皮肉なことに、“彼女”も、“貴女の彼”も、そういう大きな意味を持った運命の中にいる、“特別な存在”だったのですよ……。しかし、貴女という矮小な存在によって、運命は大きく変わる。喜びなさい。貴女の名前は、歴史上に残るかもしれませんよ。もっともそれは、人間の歴史ではありませんが……」
「あ……あぁ……」
占い師の言葉を聞くにつれて、ラァムの顔面は蒼白となり、全身がガタガタと震え始めた。
「貴女……は、人間じゃ……ない、の……?」
「人……でしたよ。ただ、全ての者が人類の繁栄を願っているわけではない……そういうことです」
小刻みに震えるラァムの手から、砕け散った水晶の破片がぽとりと落ちた。
「―――ラァム、逃げて!」
光の束に拘束されながら、あたしは叫んだ。
「逃げて、アキレウスに知らせて―――早く!!」
その声に触発されるようにして、彼女は大きく身体を震わせると、背を翻して一目散に駆け出した。
占い師はその背を追うでもなく、悠然とした様子でそれを見送った。
「ずいぶんと余裕……なんだね」
皮肉を込めてそう言うと、彼女は動じる風もなく、淡々とこう応えた。
「何もかもが、もう遅い……ですから」
「何もかもがって……どういうこと!?」
「他の心配などをしている余裕が、今の貴女にあるのですか? 彼女が彼にこのことを伝える可能性は、限りなく低いですよ」
うう、そりゃ、そうだろうな。
「言われなくてもっ……!」
あたしは歯がみしながら、何とかこの現状を打破しようと、炎で光の束を焼き切ろうとした。けれど、光の束はまるでそこに存在しないもののように、炎の影響を何ら受け付けない。
じゃあ氷なら……!?
あたしは氷の刃で光の束を切断しようと試みたけれど、これも上手くいかない。魔力そのものを放出して弾き飛ばそうともしてみたけれど、それも同じことだった。
その時になって、あたしはようやく自分を襲う異変に気が付いた。
まだ大した魔力を使ったわけじゃないのに、異様な疲労感が全身に広がり、すでに息が切れ始めている。
何……どうしたの!?
改めて自分を拘束する光の束に目をやったあたしは、いくつもの細い光の糸が絡み合うようにして構成されているそこから、キラキラと輝く光の粉のようなものがこぼれていることに気が付いて、息を飲んだ。
赤黒い光の糸からこぼれている、透明な輝き。
これ、は……?
「気が付きましたか。それは、貴女の魔力ですよ」
絶句するあたしに、切れ長の琥珀の瞳を向けて、占い師は告げた。
「安心して下さい。貴女を殺しはしません。ただ、動けなくなってもらうだけ……。その光の糸は、あの愚かな娘の思念体。何をしても、解けませんよ。彼女が心から貴女を赦す、その時までは―――」
「……! 何が目的なの!?」
「私はこの国の人間に……いいえ、人間という存在そのものに疑問を覚えているのです。生きるということの本来の意味を忘れ、確たるものを見失い、醜い争いを繰り返しながら、病原菌のようにこの星にはびこり続ける生物……こんな生物に、果たして存在し続ける価値があるのだろうか、と……」
そう述べながら、占い師はヴェールの下で皮肉げな笑みを浮かべたようだった。
「貴女をそこに縛り付けたあの娘しかり……人間という生き物は独善的で、常に己のことしか考えられない生き物なのです」
「そう仕向けたのは、あんたなんじゃないの!?」
「私はただきっかけを与えただけ……あの娘の心には、元々そういう強い想いがあった。人は誰しも、程度の差こそあれ、欲というものを抱えている。それを自由にしてやるきっかけを、私は作った。ただ、それだけのこと……」
それを聞いているうちに、背筋が薄ら寒くなっていくのをあたしは覚えた。脳裏に浮かんだのは、いつも行列の出来ていた、この占い師の占いの館の光景だった。
「まさか……」
震える声で呟いたあたしの危惧を、黒衣の占い師はやんわりと肯定した。
「この王都には、やっかいな結界が張られていましてね……魔物は外から浸入出来ないんです。中にいる人間達が結界を解いてくれたら、嬉しいと思いませんか?」
魔物、って……この占い師、まさか『暗黒の王子』と結託して……!?
冷たい汗が吹き出すと共に、今まで以上に心臓が早鐘を打ち始めた。
「あの娘に渡した水晶球は貴女を捕える為の特別製でしたが、その他大勢にはそれとは別の、ちょっとしたモノを渡しておいたんです。これから何が起こるのか……想像はつくでしょう?」
―――知らせなきゃ……アキレウス達に何とかして知らせなきゃ!
身動きの出来ないあたしが、彼らに異変を知らせる為に取れる方法は、ただひとつ。
―――気付いて! お願い!!
切なる思いを込めて、自らの魔力を天高く放出させながら、あたしは祈った。
アキレウス……!
黄金色の髪の少女の声が聞こえたような気がして、アキレウスはふと背後を振り返った。
視線の先には、無人の回廊。誰も……いない。
気のせいか……?
再び歩を進めようとした彼は、何故か胸騒ぎのようなものを覚えて立ち止まった。
胸の奥で、ざわりと何かが湧き立つような、その感覚。
何だ……!?
「わー、何あれ? キレーイ」
「誰か魔法の練習でもしているのかしら?」
回廊の先からそんな声が聞こえてきたのはその時だった。その声に反応して、アキレウスは駆け出していた。
掃除中だったらしい侍女が何人か、手に清掃用具を持ちながら、回廊の窓の外を見つめている。
駆けつけたアキレウスの姿を見ると、彼女達は顔を赤らめながらその場を譲ってくれた。すぐに窓の外を見渡してみるが、特に変わった様子は見られない。
「何が見えたんだ?」
侍女の一人にそう尋ねると、彼女はやや声を上ずらせながらこう説明してくれた。
「城壁のすぐ向こう側で、綺麗な光がパーッて上がっていたんです、空高く」
「光……?」
呟いたアキレウスの瞳の端が、何かを捉えた。
それは、赤紫色の稲光のように見えた。
だが、稲光とは違う。
空は青く晴れ渡っているし、そう見えたモノは、空からではなく、街中から上がっていた。
街の中からひとつ、ふたつ、みっつ―――うねるように空高く上がるそれが、みるみるその数を増していく!
「あれのことか!?」
鋭く尋ねるアキレウスに、侍女が首を振って否定する。
「ち、違います! もっと優しい、淡い金色みたいな光で……」
「な、何よあれ!?」
「イヤーッ、どんどん増えていく!」
眼前の街並みに広がっていく異常な光景に、侍女達の間から悲鳴が上がる。
今や街のあちらこちらから立ち上る赤紫色の光は、激しくスパークしながら他の光達とぶつかり合い、くっつき合いながらその勢いを増し、ついには光の奔流となって、内側から王都を護る結界にぶつかったのだ!
それは、あっという間の出来事だった。
バチバチィッ!
激しく火花を散らしながら、赤紫色の禍々しい光が魔法王国ドヴァーフの王都を包む結界を揺るがす!
「きゃあーッ!」
「いやあぁーッ!」
突然の出来事に侍女達が頭を抱えてしゃがみこみ、恐怖に震える。
力と力のぶつかり合いに激しく揺れる大気の向こうに、アキレウスは見た。
王都をぐるりと取り囲む防壁の向こう―――なだらかに続く草原の遥か彼方に、無数の黒い影が蠢き、その影が徐々に広がっていく光景を!
「―――あんた達、早く安全な場所に逃げろ!」
それが何であるのか理解した瞬間、侍女達にそう言い置いて、アキレウスは駆け出していた。
これほどの魔物の大群は、見たことがなかった。
王都を護る結界が破れ、防壁が突破されたら―――。
その先に起こるだろう惨状は、想像に難くなかった。
園長! みんな……!
小さな孤児院の家族達のことを想いながら、アキレウスは全力で走った。
その瞬間―――。
パトロクロスは、意を決してガーネットの部屋をノックしたところだった。
ガーネットは、ノックに応えてドアを開けようと立ち上がったところだった。
国王レイドリックは、宰相と打ち合わせをしている最中だった。
魔導士団長エレーンは、不穏な気配を感じて国立図書館を出たところだった。
騎士団長オルティスは、技術者達と飛空挺の最終的なチェックをしているところだった。
誰もが予期していなかった、それは、唐突な幕開けだったのだ―――。
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