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ドヴァーフ編
告白
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どうしよう、どうしよう、どうしよう―――。
王城近くの建物の影にうずくまりながら、ラァムは一人、ガタガタと震えていた。
この辺りにいた人々は既に王城へと避難しており、周囲に人の姿は、ない。
『ラァム、逃げて! 逃げて、アキレウスに知らせて―――早く!!』
黄金色の髪の少女に言われるがまま、逃げるようにしてその場を後にしたものの、光の園に帰ることも出来ず、愛する幼なじみに知らせることも出来ず―――彼女はずっと、ここで震えていたのだった。
大変なことをしてしまった。
取り返しのつかない、恐ろしいことをしてしまった。
その自覚があるがゆえに、彼女はこの場を動けずにいる。
あれから恐ろしい現象が起き、王都を護る結界が破壊され、代わりにこの赤紫色の被膜に包まれた時―――バタバタと何人もの人達が倒れる様を、ラァムは目の当たりにした。
どういうわけか自分が無事だったのは、あの占い師の呪いに違いない……そう、思った。
自らの罪をその目に焼きつけ、苦しみ抜くがいいと―――その声が聞こえるような気さえ、した。
こんな……こんなことになるなんて―――!
しゃくりを上げて、彼女は泣いた。
消えてしまえばいいと思った。死んでしまえばいいと思った。
けれど、まさかあんな―――。
赤黒い光の束に絡め取られ、木立の間に張り付けにされた少女のことを思い、彼女はその恐ろしさに気が狂いそうになった。
オーロラは、きっともう、殺されている。
占い師の言っていた意味はよく分からなかったが、彼女にとってもあの少女は邪魔だったのだ。
きっともう、殺されている―――。
アキレウスには、言えない。
言えるわけがない。
嫌われてしまう。
大好きなアキレウスに、嫌われてしまう―――。
そんな自分の醜い心の有り様に心底吐き気を覚えながら、けれどどうすることも出来ず、ラァムはただ泣き続けた。
その時、上方で大きな衝突音のようなものが響いた。反射的にそちらを振り仰いだラァムは、王城の主塔の上部の壁が吹き飛んだ様を見て、息を飲んだ。
その上空には、不気味な翼を広げて旋回をする複数の黒い影が見える。
モ……魔物?
涙に濡れた瞳を見開き、茫然と、ラァムは立ち上がった。
あの占い師……やっぱり、魔物の仲間だったの? ドヴァーフは、もしかして滅んじゃうの……?
みんな、みんな、あたしのせい―――!?
「いっ……」
せり上がってくる耐え難い恐怖に、彼女は知らず、絶叫していた。
「いやあぁぁぁ―――ッ!!」
その声に気付いた一体の黒い影が急降下してくる。獰猛な肉食獣の肉体に、蝙蝠のような翼の生えた、異形の生物。それを見たラァムの口から、再び悲鳴が上がった。
「きっ……きゃああぁーッ!」
とっさに地面に伏せてその一撃をかわせたのは、奇跡に等しかった。それでも鋭い爪で浅く背を薙がれ、軽い傷を負ったのだが、ラァムにはそんなことに気付く余裕すらなかった。
「いやっ、いやっ、いやあぁーッ!!」
地に降り立った有翼の魔物は泣き叫ぶ獲物を仕留めようと、鋭い牙を剥き、容赦のない第二撃を繰り出す!
その右目に、飛来した短剣が突き刺さった。
「ラァムッ!!」
その声を聞いたラァムの口から絶叫が迸った。
「アキレウスッ……!!」
「今助ける、動くな!」
そう言い置いて、駆けつけたアマス色の髪の青年は、激痛に怒り狂う魔物に愛剣を振りかぶった。
「破風剣!」
大剣が唸り、その剣圧で魔物の首を跳ね飛ばす!―――はず、だった。
しかし、魔物の首は半ば近くまでちぎれかけたものの、その肉体と繋がったまま残り、道連れを求めるかのようにラァムへと襲いかかったのだ!
アキレウスの第二撃が飛ぶ!
断末魔の咆哮を残して、魔物は血の海に沈んだ。
「くそっ……この程度のヤツを、一撃で倒せねぇのか―――」
肩で息をつきながら苦々しげにそう呟き、アキレウスはラァムに手を差し出した。
「大丈夫か? ギリギリ間に合って良かった―――」
安堵の表情を浮かべるアキレウスに、泣きながらラァムはしがみついた。
「ア、アキレウス! アキレウスぅ、アキレウス―――」
声にならない声を上げて号泣する幼なじみを抱きしめながら、アキレウスは辺りに黄金色の髪の少女の姿がないことを確認して、問いかけた。
「ラァム、オーロラは? 一緒にいたんじゃなかったのか?」
ビクリ、と腕の中の少女の身体が震える。
「ラァム……?」
「あ……」
涙に濡れた瞳でアキレウスを見上げ、ラァムは唇を震わせた。
言えるわけがなかった。
絶対に、言えないと思っていた。
なのに―――。
彼の澄み切った翠緑玉色の瞳を見た瞬間―――自分の醜い心の壁に綻びが生じていくのを彼女は覚えた。
彼の瞳には、自分への疑念が全くなかった。無償の信頼が見て取れた。
それなのに、自分は―――。
強烈な罪の意識と、一人で抱え込むには重過ぎる事実―――ラァムの堤防は決壊した。彼女は滂沱の涙を流しながら、愛しい男に語り始めた。
「あ……あたしのせいで……あたしのせいで、オーロラさん、あの占い師にっ……捕まっちゃったの……っ。ひっ、光の束にがんじがらめにされて……もっ、もうっ……きっと、殺されちゃってる……」
幼なじみの話に息を飲みながら、冷静にアキレウスは尋ねた。
「ラァム……落ち着いて、もっと詳しく話してくれ。占い師って?」
「こ……ここ最近、ターニャのお店の近くで、占いの館を始めて……すごく、当たるって評判で……」
あの占いの館か、とアキレウスは自らの記憶を振り返った。
ターニャの店から王城へと戻る途中―――ずらりと並んだ女性の列を見て、オーロラとこんな話をしたのを覚えている。
『スゲ……オレには理解不能だな。あんなに並んでまで占ってほしいモンなのか?』
『まぁ、興味はあるけど……』
『占いって、あやふやじゃん。どんなに卓越した占い師でも、百%ってコトはないんだろ? だったら意味なくね?』
そう言った自分に対して、彼女は藍玉色の瞳をちょっと困ったように彷徨わせ、こう答えたのだった。
『うーん、あやふやだから逆にいいんじゃないかな。だって百%当たっちゃったら、恋占いなんか怖くて行けないよ。ようは気持ちの問題じゃない?』
その回答に、アキレウスは目から鱗、の気分を味わったものだったが……。
「その占い師が、何でオーロラを……?」
「わ……分かんない。ただ、オーロラさんが邪魔なんだって言ってた。自分は、人間という種族に心から消えてほしいと願っているんだって。だから、オーロラさんが邪魔なんだって―――あ、あたし……あたし―――あたしがあんなところに、オーロラさんを呼び出したりしなければ―――!」
「ラァム、お前のせいじゃない」
泣きながらかぶりを振る幼なじみにそう言い聞かせて、アキレウスは確認の言葉を口にした。
「オーロラが襲われたのは……城の近くにある空き地か?」
「どうして、それを?」
驚きに目を見開くラァムに微笑んで、アキレウスは王城を見上げた。
主塔の上部からは時折眩い光と共に爆音が上がり、戦闘状態に入っていることが窺える。
「この地にはもう安全な場所はない、ってことか……」
だが、ラァムを一緒に連れて行くわけにはいかない。
自分がこれから赴く場所は、おそらく一番危険な場所になる。
そして、街中には既に魔物が溢れ始めている。
この場所から最も近く、最も生き残れる可能性のある場所は―――やはり、王城だ。
そこには国王であるレイドリックに騎士団長であるオルティス、魔導士団長のエレーンがいる。個人的な感情はさておき、アキレウスは彼らの手腕と実力に一目置いていた。それに、パトロクロスとガーネットが間もなく光の園の面々を連れて王城にやってくる頃だ。
先程その前を通った時は、城門はまだ開いていて、兵士達が声を張り上げながら国民達をどこかへ誘導していた。城の中も安全とは言えないだろうが、何らかの避難指示はもらえるはずだ。王都の外へ脱出するルートがおそらくあるのに違いない。
賭けるしかなかった。
何より今は、迷っている時間がないのだ。
「ラァム、一人で城まで行けるな? パトロクロスとガーネットがもうすぐ光の園のみんなを連れて城に着くはずだ。そこでみんなを待っていてくれ」
「―――アキレウス、ダメッ! ダメよダメよ、行っちゃダメッ!」
アキレウスの意図を悟り、ラァムは必死になって彼の胸にしがみついた。
「お願い、行かないで! ダメよ、危険すぎる―――いくらアキレウスが強くたって殺されちゃうわ!! あの人、普通じゃないもの! お願いだから……お願いだから行かないで!! オーロラさんは、きっともう―――!」
「ラァム、オーロラはまだ、生きているよ」
静かな、けれど確信に満ちたアキレウスの回答に、ラァムは充血した瞳を見開いた。
「えっ……?」
「分かるんだ……今ならまだ、間に合う」
そっと睫毛を伏せて、アキレウスは左手首の腕輪を見やった。
何故か、それは確信出来た。
だからこそ、心は逸る。
言葉に出来ない焦燥感が、彼の胸を締めつける。
微かに震えるアキレウスの身体を感じ、ラァムは茫然と、愛しい男の顔を見上げた。
離してはダメだ、と思った。
この腕を離したら、この男はもう二度と、自分の元へは戻らない。
「いや……いや! ダメ……ダメよ、絶対にダメッ! アキレウスを失ってしまったら、あたしはもう、生きていけない!!」
「ラァム―――」
「好きなの!!」
全身全霊を込めて、彼女は叫んだ。
「一人の男性として、アキレウス、あなたが好き―――愛しているの!! だから……だから! お願い、行かないで!! あたしを置いて、オーロラさんのところへ行かないで!!」
驚きに目を瞠る幼なじみの青年にすがりつき、その瞳を見つめ、ラァムは想いの丈を訴えた。
「ずっとずっと、好きだったの……誰よりも、世界中で一番、愛している。だから……お願い……お願いよ……」
あたしを、選んで。
幼なじみの少女の、血を吐くような、魂の叫び。
思いがけぬ告白を受けたアキレウスは、数瞬の沈黙の後、うつむいて震えるラァムの肩にそっと手を置いた。
「ありがとう、ラァム。でも……ごめん」
ぎゅっと目を閉じて審判の時を待っていたラァムは、その瞬間目を見開いた。堪えようとしても堪えきれない涙が、はたはたと地面に落ちていく。
心のどこかで、覚悟していた答えだった。
けれど、溢れる涙は、今この瞬間も途切れることのない、行き場を失った彼への想いは、止めることが出来ない。
「あたし……あたしは、アキレウスに安らぎと平穏を与えられるんだって……そう、思っていた。でも……あの女は? あの女は、あなたに、何を与えられるの? いったい、何を……?」
一瞬、戸惑った気配が伝わってきた。
おそらく、彼は―――初めてそれを、考えたのだろう。
「勇気と……力、かな」
返ってきた彼の声には、揺るぎない想いが滲んでいた。
―――気付かせてしまったのは……あたしだったのかもしれない……。
「ラァム。絶対に、生きろ」
肩に置いた手に力を込めてそう言い置き、やがて離れていく彼の気配を感じながら、彼女はその場に泣き崩れた。
考えられなかった。
受け入れられなかった。
幼い頃から、ずっとずっと―――彼ただ一人を見つめ続けてきたのに!
「アキレウス……アキレウス、アキレウスぅッ……」
様々な想いが、止むことのない嵐のように音を立てて胸の中を荒れ狂う。その中で、あきらめきれない想いだけが、どんどんどんどん、吹き荒ぶ勢いを増しながら、彼女の中でその重みを増していく。
頬を流れる涙もそのままに、彼女はふらりと立ち上がった。
無意識のうちに、踏み出した足が彼の後を追う。
何も―――何も、考えられなかった。
彼のこと以外は、何も―――。
ふらりふらりと、失った想いの中を彷徨いながら、ラァムは危険の只中へと足を踏み入れていった。
街は、戦火に飲み込まれようとしていた。
炎を吹き上げる住宅街を縫うように進みながら、パトロクロスは限界を感じていた。
彼らのいる場所には現時点で魔物の手は及んでいなかったが、それが迫ってくるのは時間の問題だと言えた。
王城の上空には無数の黒い影が旋回し、主塔の上部からは時折閃光と爆音とがもれ、何らかの異変が起こったことが窺える。
子供達も差し迫った事態を肌で感じており、辛い状況にありながら、誰も文句ひとつこぼすことなく黙々と歩いているのだが、遅々としていっこうに距離は進まない。
しかも、避難先と決めていた王城があの状態では―――しかしこのまま街を彷徨っていても、確実に魔物に狙い撃ちにされてしまう。
生き残る為には、絶対に外壁のある場所へ逃げ込む必要があった。
子供達と老齢のグレイスの体力と、王城までの距離、そしてそこに待ち受けるだろう危険―――様々なことに思いを巡らせていたパトロクロスは、ガーネットの声にハッと顔を上げた。
「パトロクロス! あれー――」
彼女の指が指し示した先には、ドヴァーフの有力者のものと思われる、立派な外壁に囲まれた屋敷があった。屋敷は今のところ無傷で、周囲には結界が張り巡らされているのが見える。
距離は―――王城に赴くよりは、近い。
パトロクロスは決断した。
初めて彼女と出会ったのは、夜の砂漠だった。
異国の衣装を身に纏い、彼女は今にも泣き出しそうな声で、必死に誰かの名を呼んでいた。
広大な砂漠の中で、たった一人、震えながら―――。
今思えば―――彼女と出会ったあの時、自分の運命も大きく動き出したのだ。
それまでの自分の生き方は、どこか破滅的だった。
父親の形見を探し出し、その死の真相を突き止めるという大義名分を己の中で掲げながら、死を厭うことをしなかった。
進んで危険の中に身を投じながら、ここで死ぬなら自分は所詮その程度の人間だったのだと―――そんなふうに冷めた眼で割り切り、血煙の中をかいくぐって生きてきた。
“生”に対する執着が、極めて薄かったのだ。
そんな自分を察していた育ての義母は、いつも心配そうな目で自分を見守っていた。
十年前のあの時から―――気付かぬうちに、自分の中の大切な何かは止まってしまっていたのだ。
それが、あの瞬間、ゆっくりと動き出した。
もっともそれに気が付いたのは、ごく最近になってからのことだったのだが。
世界の命運の“鍵”を握る聖女としてこの地へ召喚された彼女は、自分にとっても“鍵”だったのだ。
最初は迷子を拾った保護者のような気持ちだった。見ていて危なっかしい彼女を、どうしても放っておけなかった。
パトロクロスと出会い、ガーネットと出会い―――思いもかけなかった使命を任ぜられ、一緒に旅をするようになってからもその気持ちは変わらず、ついつい世話を焼いてばかりいた。
様々な人々との出会い、数々の奇跡と呼べるような出来事―――彼女との出会いがなければ、一生経験することはなかっただろう。
そして、その中で―――いつの間に、自分はこんなにも変わっていったのだろう?
死ぬわけには、いかなくなった。
成し遂げなければならないことが出来た。
守らなければならない約束が出来た。
そして、何より―――守りたいものが、出来た。
『何か、守りたいと思うものが出来た時に、人は本当に強くなれるものだと私は思うのよ……アキレウス。それを守る為に、何が何でも生き抜こうと努力するから―――』
久し振りに会った義母の言葉を聞いた時、心からその通りだと思って、笑みがこぼれた。
義母の目には、自分の変化が見て取れたのだろう。
彼女と出会って、自分は変わった。
“生”に対する執着が生まれた。
過去を乗り切ろうとする勇気が生まれた。
彼女の存在は、自分という存在を強く変えていく―――。
守りたい。
守り、抜きたい。
心の底から湧き上がる、この感情を何と呼べばいいのか―――刻一刻と形を変えていく、この感情は何と言い表せばいいのか。
恋愛感情、なんて生易しいものじゃない。
もっと深くて、もっと重い―――先の見えないこの感情は、どう呼ぶのが相応しいのか。
分からない。
難しい理屈を全て取り払って裸の心で感じてみれば、自分の魂と呼ぶべきものが、彼女を求めて叫んでいた。
春の陽光を紡いだかのような、艶やかな黄金色の髪。深い海を思わせる、心の強さを内に秘めた、藍玉色の瞳―――。
思うままにならない身体を操って、アキレウスはようやく目指す場所へとたどり着いた。
「―――オーロラ!」
息を切らせて、彼は彼女の名を叫んだ。
そして、目の前の光景に息を飲んだ。
赤黒い光の束に囚われ、木立の間に張り付けにされた黄金色の髪の少女の姿がそこにあったからだ。
その顔色は蒼白で、固く閉ざされた瞼はピクリとも動かない。意識を失った彼女の身体を絡めとる光の束からは絶えず透明な光がこぼれ落ち、それが徐々に彼女を消耗させていくのが分かる。
「オーロラ!!」
再びその名を叫んで駆け寄ろうとしたアキレウスの前に立ちはだかった人物がいた。
琥珀の双眸に薄暗い殺意を宿した黒衣の人物―――それが件の占い師であることを、彼は瞬時に理解した。
「この一連の件は……お前の仕業か」
アキレウスの喉の奥から、低い、押し殺した声がもれた。
「だとしたら……?」
涼やかな声が黒いヴェールの向こうから返ってくる。
「オーロラを解放しろ」
御し難い怒りを両眼にくべ、アキレウスは目の前の敵をにらみつけた。
「お前らが狙っているのは、このオレだろう!」
びり、と大気が震えるような、獣神の如きその咆哮に、しかし占い師は動じなかった。
「私が望むものは人類の殲滅―――その為に、貴方は殺します。そして私の望みを絶対のものにする為には、彼女を貴方がた人間に渡すわけにはいかない―――彼女は正に、この世の命運を握る“鍵”なのだから」
ピクリ、とアキレウスの眉が跳ね上がった。
「お前達にとってもオーロラは必要、だと?」
「安心して逝って下さい。彼女を殺しはしませんから―――」
「あいにくと―――オレは、生き抜くことに決めたんだ!」
言いざま、アキレウスが先に動いた!
「破風剣!」
ゴッ、と剣圧が空を切り裂き、占い師に襲いかかる!
しかしその一撃は、目に見えぬ障壁によって阻まれた。
「!」
結界、とは違う。
波紋を描いて攻撃を四散させたその障壁に、アキレウスはためらわず二撃目を放った。
「覇王剣!」
ドッ、と龍の形を纏った闘気が大剣から放たれ、障壁に激突する!
力と力のぶつかり合う衝撃に目を細めていた占い師は、次の瞬間、驚愕に琥珀の双眸を瞠った。
一瞬のうちにその眼前まで詰め寄ったアキレウスが、裂帛の気合もろとも袈裟懸けに斬りつける!
「だぁッ!」
パシィィ……ン!
闘気と剣撃の同時攻撃を受け、力ずくで打ち破られた障壁が消滅する!
その衝撃で、占い師の軽量な身体が吹き飛んだ。反動でヴェールが外れ、黒衣が千々に引き裂かれる。そこから現れた思いがけない容貌に、アキレウスは一瞬、言葉を失った。
「……!」
浅黒い肌に、肩の辺りまである金色の髪。そして、首にかけられた銀色の鎖のついた笛―――特徴のある、その容貌は―――。
「ガゼ族……!?」
茫然とした呟きが、唇からもれた。
王城近くの建物の影にうずくまりながら、ラァムは一人、ガタガタと震えていた。
この辺りにいた人々は既に王城へと避難しており、周囲に人の姿は、ない。
『ラァム、逃げて! 逃げて、アキレウスに知らせて―――早く!!』
黄金色の髪の少女に言われるがまま、逃げるようにしてその場を後にしたものの、光の園に帰ることも出来ず、愛する幼なじみに知らせることも出来ず―――彼女はずっと、ここで震えていたのだった。
大変なことをしてしまった。
取り返しのつかない、恐ろしいことをしてしまった。
その自覚があるがゆえに、彼女はこの場を動けずにいる。
あれから恐ろしい現象が起き、王都を護る結界が破壊され、代わりにこの赤紫色の被膜に包まれた時―――バタバタと何人もの人達が倒れる様を、ラァムは目の当たりにした。
どういうわけか自分が無事だったのは、あの占い師の呪いに違いない……そう、思った。
自らの罪をその目に焼きつけ、苦しみ抜くがいいと―――その声が聞こえるような気さえ、した。
こんな……こんなことになるなんて―――!
しゃくりを上げて、彼女は泣いた。
消えてしまえばいいと思った。死んでしまえばいいと思った。
けれど、まさかあんな―――。
赤黒い光の束に絡め取られ、木立の間に張り付けにされた少女のことを思い、彼女はその恐ろしさに気が狂いそうになった。
オーロラは、きっともう、殺されている。
占い師の言っていた意味はよく分からなかったが、彼女にとってもあの少女は邪魔だったのだ。
きっともう、殺されている―――。
アキレウスには、言えない。
言えるわけがない。
嫌われてしまう。
大好きなアキレウスに、嫌われてしまう―――。
そんな自分の醜い心の有り様に心底吐き気を覚えながら、けれどどうすることも出来ず、ラァムはただ泣き続けた。
その時、上方で大きな衝突音のようなものが響いた。反射的にそちらを振り仰いだラァムは、王城の主塔の上部の壁が吹き飛んだ様を見て、息を飲んだ。
その上空には、不気味な翼を広げて旋回をする複数の黒い影が見える。
モ……魔物?
涙に濡れた瞳を見開き、茫然と、ラァムは立ち上がった。
あの占い師……やっぱり、魔物の仲間だったの? ドヴァーフは、もしかして滅んじゃうの……?
みんな、みんな、あたしのせい―――!?
「いっ……」
せり上がってくる耐え難い恐怖に、彼女は知らず、絶叫していた。
「いやあぁぁぁ―――ッ!!」
その声に気付いた一体の黒い影が急降下してくる。獰猛な肉食獣の肉体に、蝙蝠のような翼の生えた、異形の生物。それを見たラァムの口から、再び悲鳴が上がった。
「きっ……きゃああぁーッ!」
とっさに地面に伏せてその一撃をかわせたのは、奇跡に等しかった。それでも鋭い爪で浅く背を薙がれ、軽い傷を負ったのだが、ラァムにはそんなことに気付く余裕すらなかった。
「いやっ、いやっ、いやあぁーッ!!」
地に降り立った有翼の魔物は泣き叫ぶ獲物を仕留めようと、鋭い牙を剥き、容赦のない第二撃を繰り出す!
その右目に、飛来した短剣が突き刺さった。
「ラァムッ!!」
その声を聞いたラァムの口から絶叫が迸った。
「アキレウスッ……!!」
「今助ける、動くな!」
そう言い置いて、駆けつけたアマス色の髪の青年は、激痛に怒り狂う魔物に愛剣を振りかぶった。
「破風剣!」
大剣が唸り、その剣圧で魔物の首を跳ね飛ばす!―――はず、だった。
しかし、魔物の首は半ば近くまでちぎれかけたものの、その肉体と繋がったまま残り、道連れを求めるかのようにラァムへと襲いかかったのだ!
アキレウスの第二撃が飛ぶ!
断末魔の咆哮を残して、魔物は血の海に沈んだ。
「くそっ……この程度のヤツを、一撃で倒せねぇのか―――」
肩で息をつきながら苦々しげにそう呟き、アキレウスはラァムに手を差し出した。
「大丈夫か? ギリギリ間に合って良かった―――」
安堵の表情を浮かべるアキレウスに、泣きながらラァムはしがみついた。
「ア、アキレウス! アキレウスぅ、アキレウス―――」
声にならない声を上げて号泣する幼なじみを抱きしめながら、アキレウスは辺りに黄金色の髪の少女の姿がないことを確認して、問いかけた。
「ラァム、オーロラは? 一緒にいたんじゃなかったのか?」
ビクリ、と腕の中の少女の身体が震える。
「ラァム……?」
「あ……」
涙に濡れた瞳でアキレウスを見上げ、ラァムは唇を震わせた。
言えるわけがなかった。
絶対に、言えないと思っていた。
なのに―――。
彼の澄み切った翠緑玉色の瞳を見た瞬間―――自分の醜い心の壁に綻びが生じていくのを彼女は覚えた。
彼の瞳には、自分への疑念が全くなかった。無償の信頼が見て取れた。
それなのに、自分は―――。
強烈な罪の意識と、一人で抱え込むには重過ぎる事実―――ラァムの堤防は決壊した。彼女は滂沱の涙を流しながら、愛しい男に語り始めた。
「あ……あたしのせいで……あたしのせいで、オーロラさん、あの占い師にっ……捕まっちゃったの……っ。ひっ、光の束にがんじがらめにされて……もっ、もうっ……きっと、殺されちゃってる……」
幼なじみの話に息を飲みながら、冷静にアキレウスは尋ねた。
「ラァム……落ち着いて、もっと詳しく話してくれ。占い師って?」
「こ……ここ最近、ターニャのお店の近くで、占いの館を始めて……すごく、当たるって評判で……」
あの占いの館か、とアキレウスは自らの記憶を振り返った。
ターニャの店から王城へと戻る途中―――ずらりと並んだ女性の列を見て、オーロラとこんな話をしたのを覚えている。
『スゲ……オレには理解不能だな。あんなに並んでまで占ってほしいモンなのか?』
『まぁ、興味はあるけど……』
『占いって、あやふやじゃん。どんなに卓越した占い師でも、百%ってコトはないんだろ? だったら意味なくね?』
そう言った自分に対して、彼女は藍玉色の瞳をちょっと困ったように彷徨わせ、こう答えたのだった。
『うーん、あやふやだから逆にいいんじゃないかな。だって百%当たっちゃったら、恋占いなんか怖くて行けないよ。ようは気持ちの問題じゃない?』
その回答に、アキレウスは目から鱗、の気分を味わったものだったが……。
「その占い師が、何でオーロラを……?」
「わ……分かんない。ただ、オーロラさんが邪魔なんだって言ってた。自分は、人間という種族に心から消えてほしいと願っているんだって。だから、オーロラさんが邪魔なんだって―――あ、あたし……あたし―――あたしがあんなところに、オーロラさんを呼び出したりしなければ―――!」
「ラァム、お前のせいじゃない」
泣きながらかぶりを振る幼なじみにそう言い聞かせて、アキレウスは確認の言葉を口にした。
「オーロラが襲われたのは……城の近くにある空き地か?」
「どうして、それを?」
驚きに目を見開くラァムに微笑んで、アキレウスは王城を見上げた。
主塔の上部からは時折眩い光と共に爆音が上がり、戦闘状態に入っていることが窺える。
「この地にはもう安全な場所はない、ってことか……」
だが、ラァムを一緒に連れて行くわけにはいかない。
自分がこれから赴く場所は、おそらく一番危険な場所になる。
そして、街中には既に魔物が溢れ始めている。
この場所から最も近く、最も生き残れる可能性のある場所は―――やはり、王城だ。
そこには国王であるレイドリックに騎士団長であるオルティス、魔導士団長のエレーンがいる。個人的な感情はさておき、アキレウスは彼らの手腕と実力に一目置いていた。それに、パトロクロスとガーネットが間もなく光の園の面々を連れて王城にやってくる頃だ。
先程その前を通った時は、城門はまだ開いていて、兵士達が声を張り上げながら国民達をどこかへ誘導していた。城の中も安全とは言えないだろうが、何らかの避難指示はもらえるはずだ。王都の外へ脱出するルートがおそらくあるのに違いない。
賭けるしかなかった。
何より今は、迷っている時間がないのだ。
「ラァム、一人で城まで行けるな? パトロクロスとガーネットがもうすぐ光の園のみんなを連れて城に着くはずだ。そこでみんなを待っていてくれ」
「―――アキレウス、ダメッ! ダメよダメよ、行っちゃダメッ!」
アキレウスの意図を悟り、ラァムは必死になって彼の胸にしがみついた。
「お願い、行かないで! ダメよ、危険すぎる―――いくらアキレウスが強くたって殺されちゃうわ!! あの人、普通じゃないもの! お願いだから……お願いだから行かないで!! オーロラさんは、きっともう―――!」
「ラァム、オーロラはまだ、生きているよ」
静かな、けれど確信に満ちたアキレウスの回答に、ラァムは充血した瞳を見開いた。
「えっ……?」
「分かるんだ……今ならまだ、間に合う」
そっと睫毛を伏せて、アキレウスは左手首の腕輪を見やった。
何故か、それは確信出来た。
だからこそ、心は逸る。
言葉に出来ない焦燥感が、彼の胸を締めつける。
微かに震えるアキレウスの身体を感じ、ラァムは茫然と、愛しい男の顔を見上げた。
離してはダメだ、と思った。
この腕を離したら、この男はもう二度と、自分の元へは戻らない。
「いや……いや! ダメ……ダメよ、絶対にダメッ! アキレウスを失ってしまったら、あたしはもう、生きていけない!!」
「ラァム―――」
「好きなの!!」
全身全霊を込めて、彼女は叫んだ。
「一人の男性として、アキレウス、あなたが好き―――愛しているの!! だから……だから! お願い、行かないで!! あたしを置いて、オーロラさんのところへ行かないで!!」
驚きに目を瞠る幼なじみの青年にすがりつき、その瞳を見つめ、ラァムは想いの丈を訴えた。
「ずっとずっと、好きだったの……誰よりも、世界中で一番、愛している。だから……お願い……お願いよ……」
あたしを、選んで。
幼なじみの少女の、血を吐くような、魂の叫び。
思いがけぬ告白を受けたアキレウスは、数瞬の沈黙の後、うつむいて震えるラァムの肩にそっと手を置いた。
「ありがとう、ラァム。でも……ごめん」
ぎゅっと目を閉じて審判の時を待っていたラァムは、その瞬間目を見開いた。堪えようとしても堪えきれない涙が、はたはたと地面に落ちていく。
心のどこかで、覚悟していた答えだった。
けれど、溢れる涙は、今この瞬間も途切れることのない、行き場を失った彼への想いは、止めることが出来ない。
「あたし……あたしは、アキレウスに安らぎと平穏を与えられるんだって……そう、思っていた。でも……あの女は? あの女は、あなたに、何を与えられるの? いったい、何を……?」
一瞬、戸惑った気配が伝わってきた。
おそらく、彼は―――初めてそれを、考えたのだろう。
「勇気と……力、かな」
返ってきた彼の声には、揺るぎない想いが滲んでいた。
―――気付かせてしまったのは……あたしだったのかもしれない……。
「ラァム。絶対に、生きろ」
肩に置いた手に力を込めてそう言い置き、やがて離れていく彼の気配を感じながら、彼女はその場に泣き崩れた。
考えられなかった。
受け入れられなかった。
幼い頃から、ずっとずっと―――彼ただ一人を見つめ続けてきたのに!
「アキレウス……アキレウス、アキレウスぅッ……」
様々な想いが、止むことのない嵐のように音を立てて胸の中を荒れ狂う。その中で、あきらめきれない想いだけが、どんどんどんどん、吹き荒ぶ勢いを増しながら、彼女の中でその重みを増していく。
頬を流れる涙もそのままに、彼女はふらりと立ち上がった。
無意識のうちに、踏み出した足が彼の後を追う。
何も―――何も、考えられなかった。
彼のこと以外は、何も―――。
ふらりふらりと、失った想いの中を彷徨いながら、ラァムは危険の只中へと足を踏み入れていった。
街は、戦火に飲み込まれようとしていた。
炎を吹き上げる住宅街を縫うように進みながら、パトロクロスは限界を感じていた。
彼らのいる場所には現時点で魔物の手は及んでいなかったが、それが迫ってくるのは時間の問題だと言えた。
王城の上空には無数の黒い影が旋回し、主塔の上部からは時折閃光と爆音とがもれ、何らかの異変が起こったことが窺える。
子供達も差し迫った事態を肌で感じており、辛い状況にありながら、誰も文句ひとつこぼすことなく黙々と歩いているのだが、遅々としていっこうに距離は進まない。
しかも、避難先と決めていた王城があの状態では―――しかしこのまま街を彷徨っていても、確実に魔物に狙い撃ちにされてしまう。
生き残る為には、絶対に外壁のある場所へ逃げ込む必要があった。
子供達と老齢のグレイスの体力と、王城までの距離、そしてそこに待ち受けるだろう危険―――様々なことに思いを巡らせていたパトロクロスは、ガーネットの声にハッと顔を上げた。
「パトロクロス! あれー――」
彼女の指が指し示した先には、ドヴァーフの有力者のものと思われる、立派な外壁に囲まれた屋敷があった。屋敷は今のところ無傷で、周囲には結界が張り巡らされているのが見える。
距離は―――王城に赴くよりは、近い。
パトロクロスは決断した。
初めて彼女と出会ったのは、夜の砂漠だった。
異国の衣装を身に纏い、彼女は今にも泣き出しそうな声で、必死に誰かの名を呼んでいた。
広大な砂漠の中で、たった一人、震えながら―――。
今思えば―――彼女と出会ったあの時、自分の運命も大きく動き出したのだ。
それまでの自分の生き方は、どこか破滅的だった。
父親の形見を探し出し、その死の真相を突き止めるという大義名分を己の中で掲げながら、死を厭うことをしなかった。
進んで危険の中に身を投じながら、ここで死ぬなら自分は所詮その程度の人間だったのだと―――そんなふうに冷めた眼で割り切り、血煙の中をかいくぐって生きてきた。
“生”に対する執着が、極めて薄かったのだ。
そんな自分を察していた育ての義母は、いつも心配そうな目で自分を見守っていた。
十年前のあの時から―――気付かぬうちに、自分の中の大切な何かは止まってしまっていたのだ。
それが、あの瞬間、ゆっくりと動き出した。
もっともそれに気が付いたのは、ごく最近になってからのことだったのだが。
世界の命運の“鍵”を握る聖女としてこの地へ召喚された彼女は、自分にとっても“鍵”だったのだ。
最初は迷子を拾った保護者のような気持ちだった。見ていて危なっかしい彼女を、どうしても放っておけなかった。
パトロクロスと出会い、ガーネットと出会い―――思いもかけなかった使命を任ぜられ、一緒に旅をするようになってからもその気持ちは変わらず、ついつい世話を焼いてばかりいた。
様々な人々との出会い、数々の奇跡と呼べるような出来事―――彼女との出会いがなければ、一生経験することはなかっただろう。
そして、その中で―――いつの間に、自分はこんなにも変わっていったのだろう?
死ぬわけには、いかなくなった。
成し遂げなければならないことが出来た。
守らなければならない約束が出来た。
そして、何より―――守りたいものが、出来た。
『何か、守りたいと思うものが出来た時に、人は本当に強くなれるものだと私は思うのよ……アキレウス。それを守る為に、何が何でも生き抜こうと努力するから―――』
久し振りに会った義母の言葉を聞いた時、心からその通りだと思って、笑みがこぼれた。
義母の目には、自分の変化が見て取れたのだろう。
彼女と出会って、自分は変わった。
“生”に対する執着が生まれた。
過去を乗り切ろうとする勇気が生まれた。
彼女の存在は、自分という存在を強く変えていく―――。
守りたい。
守り、抜きたい。
心の底から湧き上がる、この感情を何と呼べばいいのか―――刻一刻と形を変えていく、この感情は何と言い表せばいいのか。
恋愛感情、なんて生易しいものじゃない。
もっと深くて、もっと重い―――先の見えないこの感情は、どう呼ぶのが相応しいのか。
分からない。
難しい理屈を全て取り払って裸の心で感じてみれば、自分の魂と呼ぶべきものが、彼女を求めて叫んでいた。
春の陽光を紡いだかのような、艶やかな黄金色の髪。深い海を思わせる、心の強さを内に秘めた、藍玉色の瞳―――。
思うままにならない身体を操って、アキレウスはようやく目指す場所へとたどり着いた。
「―――オーロラ!」
息を切らせて、彼は彼女の名を叫んだ。
そして、目の前の光景に息を飲んだ。
赤黒い光の束に囚われ、木立の間に張り付けにされた黄金色の髪の少女の姿がそこにあったからだ。
その顔色は蒼白で、固く閉ざされた瞼はピクリとも動かない。意識を失った彼女の身体を絡めとる光の束からは絶えず透明な光がこぼれ落ち、それが徐々に彼女を消耗させていくのが分かる。
「オーロラ!!」
再びその名を叫んで駆け寄ろうとしたアキレウスの前に立ちはだかった人物がいた。
琥珀の双眸に薄暗い殺意を宿した黒衣の人物―――それが件の占い師であることを、彼は瞬時に理解した。
「この一連の件は……お前の仕業か」
アキレウスの喉の奥から、低い、押し殺した声がもれた。
「だとしたら……?」
涼やかな声が黒いヴェールの向こうから返ってくる。
「オーロラを解放しろ」
御し難い怒りを両眼にくべ、アキレウスは目の前の敵をにらみつけた。
「お前らが狙っているのは、このオレだろう!」
びり、と大気が震えるような、獣神の如きその咆哮に、しかし占い師は動じなかった。
「私が望むものは人類の殲滅―――その為に、貴方は殺します。そして私の望みを絶対のものにする為には、彼女を貴方がた人間に渡すわけにはいかない―――彼女は正に、この世の命運を握る“鍵”なのだから」
ピクリ、とアキレウスの眉が跳ね上がった。
「お前達にとってもオーロラは必要、だと?」
「安心して逝って下さい。彼女を殺しはしませんから―――」
「あいにくと―――オレは、生き抜くことに決めたんだ!」
言いざま、アキレウスが先に動いた!
「破風剣!」
ゴッ、と剣圧が空を切り裂き、占い師に襲いかかる!
しかしその一撃は、目に見えぬ障壁によって阻まれた。
「!」
結界、とは違う。
波紋を描いて攻撃を四散させたその障壁に、アキレウスはためらわず二撃目を放った。
「覇王剣!」
ドッ、と龍の形を纏った闘気が大剣から放たれ、障壁に激突する!
力と力のぶつかり合う衝撃に目を細めていた占い師は、次の瞬間、驚愕に琥珀の双眸を瞠った。
一瞬のうちにその眼前まで詰め寄ったアキレウスが、裂帛の気合もろとも袈裟懸けに斬りつける!
「だぁッ!」
パシィィ……ン!
闘気と剣撃の同時攻撃を受け、力ずくで打ち破られた障壁が消滅する!
その衝撃で、占い師の軽量な身体が吹き飛んだ。反動でヴェールが外れ、黒衣が千々に引き裂かれる。そこから現れた思いがけない容貌に、アキレウスは一瞬、言葉を失った。
「……!」
浅黒い肌に、肩の辺りまである金色の髪。そして、首にかけられた銀色の鎖のついた笛―――特徴のある、その容貌は―――。
「ガゼ族……!?」
茫然とした呟きが、唇からもれた。
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