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覚醒編
ガゼの里にて
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あたしは海の中を漂っていた。
ゆったりとした温みを湛える流れの中を揺蕩いながら、母親の胎内というのはこんな感じなのだろうか、とおぼろげになぞらえる。
コポコポと心地良く耳に響くくぐもった音が、自分の体内を巡る血潮の流れと重なった。
感じる―――『自分』を―――……。
融け合う記憶と肉体。
ようやくひとつになった―――本当の、自分。
それを愛しいと感じられて―――愛しいと感じられることが心から幸せに思えて、あたしは自分で自分の身体を抱きしめた。
海面に光が差し込み、徐々に白く明けていく。
目覚めの時を感じながら、あたしは瞼を押し上げた―――。
うっすらと瞬きをした目に映ったのは、知らない天井だった。
どこ……?
ゆっくりと首を巡らせた視界に、見慣れない長衣を着たガーネットの姿が映る。
「オーロラ! 良かった、気が付いて!」
心底ほっとした、という表情を浮かべた彼女は、あたしの枕元へ来ると矢継ぎ早に尋ねた。
「具合はどう!? どこか痛いトコや変なトコはない!? 吐き気は!? あっ、お水飲む!?」
「大丈夫……」
その様子を見て、ふっと笑みがこぼれた。
「? 何?」
「ううん……あんなことがあっても、変わらないでいてくれるんだなーって……」
そう口にして、意識を失う前のことを思い出し、あたしはガバッと起き上がった。
「グランバードは!? あたしあれから……!?」
「落ち着いて、大丈夫、あれから三日経っているのよ」
「三日!?」
「そう、三日。オーロラはずっと昏睡状態だったの。アキレウスもパトロクロスもすっごく心配してたんだから」
「そうなの!? でも……そっか、みんな無事、だったんだ……良かったぁ……」
「二人にもオーロラが目を覚ましたって教えてあげないとね」
大きく胸をなで下ろすあたしに微笑んで、ガーネットは水差しからコップに注いだ水を渡してくれた。ありがたくそれを頂戴しながら、きょろりと周囲に視線を走らせる。
丸太を組んで造られた、野趣溢れるログハウス風の一室。あたしはゆったりとした寝間着に着替えさせられていて、室内にはベッドの他に丸椅子と小机、それに独特な雰囲気の見慣れない調度品なんかがあった。
「ここは……?」
「ふふ~、聞いたら驚くわよー、何とここはねー!」
ガーネットが得意げに胸をそらした時だった。前触れもなくバーンとドアが開いて、見覚えのある目鼻立ちの女の子がずかずかと部屋に入ってきたのだ。
「ガーネットぉ、オーロラの様子どぉ~!?」
「ええっ……イ、イルファ!?」
あたしは驚いて大きく目を瞠った。
浅黒い肌に金色の瞳が印象的な、ガゼ族の少女。瞳と同色の髪を頭の高い位置で結い上げ、そのまま垂らしている。前に会った時は革製の軽量な鎧を身に着けていたと思うけど、今は生成り色の短衣姿だった。
「もうイルファっ、タイミング最悪よ! せっかくオーロラをビックリさせようと思ったのに~! あと、ドアはノックしてから静かに開けて! それと、声が大きい!」
いや、充分ビックリしてるけどさ。
毛を逆立てかねない勢いのガーネットに対して、マイペースなイルファはあっけらかんとしていた。
「ゴメンゴメン、あー、オーロラ気が付いたんだァ、良かったねーみんな心配してたんだよ~。でもってお久し振り~」
「う、うん。久し振り」
前に会った時と変わらない印象だなぁ。豪快だけど、ノリは軽~い感じ。
「何かいるモンとかある? あれば持ってくるけど」
「ええーっと……」
考えあぐねるあたしの代わりにガーネットが答えた。
「とりあえず消化のいい食べ物と着替えをお願い出来る? あと、アキレウスとパトロクロスに知らせてもらえると嬉しいんだけど」
「オッケー」
頷いてイルファが部屋を出て行った後、あたしはガーネットを質問攻めにした。
「え? え!? 何でイルファが!? どうなっているの!? もしかしてここって―――」
「そうなのよ、そのまさか。ここ、ガゼ族の村なの」
「ええっ!? 何がどうしていつの間に!?」
「実はね―――」
ガーネットから語られたのは、こんな経緯だった。
グランバードが去った後、何者かによってにわかに周囲を囲まれてしまったガーネット達は、新手の敵かと身構えたらしいんだけど、それはあたし達の戦闘を察知して現れたガゼ族の戦士達だった。
あたしがグランバードに放ったあの一撃を村から目撃した彼らは、何事かと騒然となり、事態を把握する為、急遽偵察隊を出動させていたのだ。そこで彼らはグランバードとあたし達(あたしは既に気絶した後だったんだけど)との戦いを目撃することになったのだという。
当初彼らはあたし達が何者なのかと訝しみ、一時は一触即発の剣呑な空気になったらしいんだけど、グランバードが振り撒いたあまりに凶悪な邪気と、パトロクロスが明瞭で粘り強い説得を続けたこと、それに偵察隊のリーダーが分別のある人物だったことが功を奏し、族長判断を仰ぐ運びになり、とりあえず拘束される事態は免れ、ガゼの村へと連れて行かれることになった。
ちなみに村の位置は、あたし達が三番目に当たろうとしていた場所だったらしい。
ガゼの村へ着き、族長に目通りが叶うと、状況はトントン拍子に好転した。
族長の傍らに前族長が同席していたんだけれど、その前族長の名前はホレット―――『紅焔の動乱』の当事者だったのだ。
アキレウスの面差しに彼の父ぺーレウスの面影を見たホレットは、彼に向かって深々と頭を下げた。
「お主の父はガゼの恩人だ。彼がいなければ、今日のガゼはない……感謝しても、し足りぬ。風の噂で異国にて非業の死を遂げられたと聞き、痛恨の思いだった」
「父は……己の信念に基づいて行動し、それを全うしたのだと思います。どうか頭を上げて下さい」
アキレウスはホレットに向かってそう語りかけ、懐紙にくるまれたシェスナの遺髪を手渡した。
レイドリック王の厚意でひと房遺されていたそれを、アキレウスは出立前にオルティスから預かっていたのだ。
今回の王都襲撃にまつわるシェスナの話を聞いたホレットは沈痛な面持ちでそれを受け取った。
「シェスナ……馬鹿者が……。お前を止められなかった不甲斐ない年寄りを、許せとは言わん。遠くない将来、ワシもそちらへ行く……その時は思う存分なじってくれ」
しわがれた手で眉間を抑え、わずかに肩を震わせた前族長を、現族長オラファが労わった。
「ホレット、貴方は出来ることは全てやった。今日のガゼがあるのは貴方のおかげでもあるのだ」
オラファは質実剛健、といった風情で年齢的には四十代後半。彼はなんと、イルファのお父さんだった。
そして長い話し合いの末、オラファは言った。
「不浄な、この世界を飲み込まんとする大きなチカラが動き出していることは我々も知っている。血文字の件しかり―――お主達の言葉に嘘はないのだろう。ガゼを含めた全人類が大きな岐路に立たされているこの時に、我々はただ手をこまねいているつもりはない。時機の到来を告げる使者達よ―――我がガゼ族はこれより、シヴァの地図に認められし者の下に参戦する。お主らの為に助力は厭わない」
ガゼ族は、ドヴァーフの上層部が懸念していたように、過去のしがらみに囚われ、盲目的に人間を恨んでいる部族ではなかった。
新たなガゼの模索と再生―――紅焔の動乱後、ホレットは尽力し、奔走し続けていた。武力行使での抗議も辞さない構えを取る村人達を前に、暴力の連鎖はより大きな犠牲しか生み出さない、それを知って踏みとどまる勇気こそが必要なのだ、せっかく助かった命を大切にして今を生きるのだ、と説得して回った。
そして、こうも訴え続けた。未来を見据え、蔑視を失くせ。我々は見地を広げ、淀みの滞留を払拭し、子供らに開かれた世界を与えねばならないのだ、と―――。
やがてそんな彼の姿勢に共感した大人達はそれに応え、相応の努力をした。負の連鎖を、己らの子に背負わせぬ為に。
ガゼの持つ“竜使い”の業を大国に利用されることのないよう閉鎖的な場所に移り住みながらも、外の世界に目を向け、大人達は持ち帰った情報と知識を積極的に次世代の子らへと伝えた。隔絶されたところで時を止めて生きるのではなく、世界と共に生きていく為に。
村は少しずつ豊かになり、活気づき、古きものを尊びながらも良きものは取り入れようとする現在のガゼへと変わっていった。
それを嘆く長老衆もいないわけではなかったらしいけど、ホレットの尽力の甲斐あって、イルファに代表される次世代の子らは間違った先入観による偏見を持たずに育ち、ガゼ族であることに誇りを持って生きている。
ガーネットの話を聞きながら、あたしは目頭が熱くなってきた。
ホレットの血が滲むような努力もさることながら、彼をこの行動に駆り立てた原動力の陰には、鋼の騎士の姿が見え隠れする。
彼がいなければ、ホレットはいなかった。現在のガゼもなかった。
下手をしたら、十年前にガゼ族は滅んでいたのかもしれないんだ。
そうすれば、竜使いの業は失われていた。
あたし達の手繰る細い希望の糸は、切れてしまっていたのかもしれなかった。
アキレウスのお父さんが、あたし達のたどる道を用意しておいてくれた―――……。
そんな想いが、溢れて。
「オーロラ、泣かないでよ」
あたしの涙に引きずられたのか、そう言うガーネットの目にも大粒の涙が浮かんでいる。
その時、せわしないノックの音が響き、続いて息せき切ったアキレウスとパトロクロスとが顔を覗かせた。
「オーロラ! 気が付いたって―――」
「!? ど、どうしたんだ!?」
大粒の涙を流すあたし達を見て、二人がぎょっとした様子を見せる。
それがおかしくて、あたし達は笑ってしまった。
その後、アキレウスとパトロクロスを交えて談笑しながら、あたしは束の間の心安らぐ時を過ごした。
みんなの話によると、イルファはあたし達との再会をとても喜んでくれたらしくて、全員にハグをしてその感動を表したんだそうだ。オラファらの手前もあり、パトロクロスは何とか耐えたらしい。
「キスは阻止したわよ。パトロクロスを守るついで、アキレウスのも止めといてあげた」
ガーネット、感謝!
「その分ガーネットへのキスがスゴかったよな」
そう言ったのはアキレウス。パトロクロスはその時を思い出してか、ちょっと顔色が悪い。
ガゼ族では謝意を示す際にキスを贈る習慣があるらしいんだけど、男性には唇、女性には頬へするのが一般的なんだって。もっともこれは親しい関係にあるのが前提で、イルファの場合は特殊例らしい。
「両頬にこれでもか、ってくらいキスしてくれたわ。見かねたオラファが途中で止めてくれたけど」
あはは、それはスゴかったね! 見てみたかったなぁ。
イルファはこの間のお礼をぜひしたいって言って、ガゼの村に滞在中のあたし達の世話役を買って出てくれたんだって。それでさっきもあたしの様子を見に来てくれたらしい。
しばらくすると、彼女はほかほか湯気を立てたおかゆと着替えを持って戻ってきてくれた。
「はい、オーロラ! おかわりあるから良かったらいっぱい食べてねェ~」
彼女が運んできてくれた優しい味付けのおかゆを食べて人心地つき、独りになった部屋の中で用意してもらった萌黄色の短衣に袖を通すと、不意に現実が戻ってきた感じがした。
みんな、あたしに色々と聞きたいことがあっただろうに、意識を取り戻したばかりのあたしを気遣って、そこに触れてこなかったな……。
心優しい、大切な、かけがえのない仲間達―――。
そして、アキレウス―――何物にも代えがたい、大事な……唯一無二の存在―――。
「……」
瞳を閉じ、あたしは静かに決意を固めた。
みんなにちゃんと、話をしよう。
記憶が戻ったことを。
あたしの記憶が戻って、何を思い出したのか―――あたしはいったい、“誰”だったのか。
きちんと話して、正面から向き合わなければならない。
少し、怖いけど―――これは、あたしのけじめだと思うから。
それをみんなに告げた時の反応を考えると、わずかなためらいは覚えたけど、それを隠すとか、黙っているとか、そういう選択肢はあたしの中になかった。
あたしは、あたし―――記憶を失くしている間も、取り戻した今も、あたしの根本的な部分は何も変わっていない。
みんなには、ありのままのあたしでぶつかりたい。ううん、ありのままのあたしでぶつからなくちゃいけないんだ。
全てを話した後は、正直どうなってしまうのか分からない。あたしが語ろうとしている内容は、みんなにとって、あまりにも想定外のものだろうから。
けれど、願わくば―――今までと同じように受け止めて、受け入れてもらいたい。
「よしっ……!」
自分の両頬をパン、と叩いて気合を入れ、あたしはひとつ息を吐いた。
そして、身支度を整え終わったあたしは改めてみんなに部屋へ集まってもらった。イルファにはしばらく席を外してもらうようお願いした。
心なしか神妙な面持ちのみんなをぐるりと見渡して―――あたしはゆっくりと、口を開いた。
「みんなに、話があるんだ」
ゆったりとした温みを湛える流れの中を揺蕩いながら、母親の胎内というのはこんな感じなのだろうか、とおぼろげになぞらえる。
コポコポと心地良く耳に響くくぐもった音が、自分の体内を巡る血潮の流れと重なった。
感じる―――『自分』を―――……。
融け合う記憶と肉体。
ようやくひとつになった―――本当の、自分。
それを愛しいと感じられて―――愛しいと感じられることが心から幸せに思えて、あたしは自分で自分の身体を抱きしめた。
海面に光が差し込み、徐々に白く明けていく。
目覚めの時を感じながら、あたしは瞼を押し上げた―――。
うっすらと瞬きをした目に映ったのは、知らない天井だった。
どこ……?
ゆっくりと首を巡らせた視界に、見慣れない長衣を着たガーネットの姿が映る。
「オーロラ! 良かった、気が付いて!」
心底ほっとした、という表情を浮かべた彼女は、あたしの枕元へ来ると矢継ぎ早に尋ねた。
「具合はどう!? どこか痛いトコや変なトコはない!? 吐き気は!? あっ、お水飲む!?」
「大丈夫……」
その様子を見て、ふっと笑みがこぼれた。
「? 何?」
「ううん……あんなことがあっても、変わらないでいてくれるんだなーって……」
そう口にして、意識を失う前のことを思い出し、あたしはガバッと起き上がった。
「グランバードは!? あたしあれから……!?」
「落ち着いて、大丈夫、あれから三日経っているのよ」
「三日!?」
「そう、三日。オーロラはずっと昏睡状態だったの。アキレウスもパトロクロスもすっごく心配してたんだから」
「そうなの!? でも……そっか、みんな無事、だったんだ……良かったぁ……」
「二人にもオーロラが目を覚ましたって教えてあげないとね」
大きく胸をなで下ろすあたしに微笑んで、ガーネットは水差しからコップに注いだ水を渡してくれた。ありがたくそれを頂戴しながら、きょろりと周囲に視線を走らせる。
丸太を組んで造られた、野趣溢れるログハウス風の一室。あたしはゆったりとした寝間着に着替えさせられていて、室内にはベッドの他に丸椅子と小机、それに独特な雰囲気の見慣れない調度品なんかがあった。
「ここは……?」
「ふふ~、聞いたら驚くわよー、何とここはねー!」
ガーネットが得意げに胸をそらした時だった。前触れもなくバーンとドアが開いて、見覚えのある目鼻立ちの女の子がずかずかと部屋に入ってきたのだ。
「ガーネットぉ、オーロラの様子どぉ~!?」
「ええっ……イ、イルファ!?」
あたしは驚いて大きく目を瞠った。
浅黒い肌に金色の瞳が印象的な、ガゼ族の少女。瞳と同色の髪を頭の高い位置で結い上げ、そのまま垂らしている。前に会った時は革製の軽量な鎧を身に着けていたと思うけど、今は生成り色の短衣姿だった。
「もうイルファっ、タイミング最悪よ! せっかくオーロラをビックリさせようと思ったのに~! あと、ドアはノックしてから静かに開けて! それと、声が大きい!」
いや、充分ビックリしてるけどさ。
毛を逆立てかねない勢いのガーネットに対して、マイペースなイルファはあっけらかんとしていた。
「ゴメンゴメン、あー、オーロラ気が付いたんだァ、良かったねーみんな心配してたんだよ~。でもってお久し振り~」
「う、うん。久し振り」
前に会った時と変わらない印象だなぁ。豪快だけど、ノリは軽~い感じ。
「何かいるモンとかある? あれば持ってくるけど」
「ええーっと……」
考えあぐねるあたしの代わりにガーネットが答えた。
「とりあえず消化のいい食べ物と着替えをお願い出来る? あと、アキレウスとパトロクロスに知らせてもらえると嬉しいんだけど」
「オッケー」
頷いてイルファが部屋を出て行った後、あたしはガーネットを質問攻めにした。
「え? え!? 何でイルファが!? どうなっているの!? もしかしてここって―――」
「そうなのよ、そのまさか。ここ、ガゼ族の村なの」
「ええっ!? 何がどうしていつの間に!?」
「実はね―――」
ガーネットから語られたのは、こんな経緯だった。
グランバードが去った後、何者かによってにわかに周囲を囲まれてしまったガーネット達は、新手の敵かと身構えたらしいんだけど、それはあたし達の戦闘を察知して現れたガゼ族の戦士達だった。
あたしがグランバードに放ったあの一撃を村から目撃した彼らは、何事かと騒然となり、事態を把握する為、急遽偵察隊を出動させていたのだ。そこで彼らはグランバードとあたし達(あたしは既に気絶した後だったんだけど)との戦いを目撃することになったのだという。
当初彼らはあたし達が何者なのかと訝しみ、一時は一触即発の剣呑な空気になったらしいんだけど、グランバードが振り撒いたあまりに凶悪な邪気と、パトロクロスが明瞭で粘り強い説得を続けたこと、それに偵察隊のリーダーが分別のある人物だったことが功を奏し、族長判断を仰ぐ運びになり、とりあえず拘束される事態は免れ、ガゼの村へと連れて行かれることになった。
ちなみに村の位置は、あたし達が三番目に当たろうとしていた場所だったらしい。
ガゼの村へ着き、族長に目通りが叶うと、状況はトントン拍子に好転した。
族長の傍らに前族長が同席していたんだけれど、その前族長の名前はホレット―――『紅焔の動乱』の当事者だったのだ。
アキレウスの面差しに彼の父ぺーレウスの面影を見たホレットは、彼に向かって深々と頭を下げた。
「お主の父はガゼの恩人だ。彼がいなければ、今日のガゼはない……感謝しても、し足りぬ。風の噂で異国にて非業の死を遂げられたと聞き、痛恨の思いだった」
「父は……己の信念に基づいて行動し、それを全うしたのだと思います。どうか頭を上げて下さい」
アキレウスはホレットに向かってそう語りかけ、懐紙にくるまれたシェスナの遺髪を手渡した。
レイドリック王の厚意でひと房遺されていたそれを、アキレウスは出立前にオルティスから預かっていたのだ。
今回の王都襲撃にまつわるシェスナの話を聞いたホレットは沈痛な面持ちでそれを受け取った。
「シェスナ……馬鹿者が……。お前を止められなかった不甲斐ない年寄りを、許せとは言わん。遠くない将来、ワシもそちらへ行く……その時は思う存分なじってくれ」
しわがれた手で眉間を抑え、わずかに肩を震わせた前族長を、現族長オラファが労わった。
「ホレット、貴方は出来ることは全てやった。今日のガゼがあるのは貴方のおかげでもあるのだ」
オラファは質実剛健、といった風情で年齢的には四十代後半。彼はなんと、イルファのお父さんだった。
そして長い話し合いの末、オラファは言った。
「不浄な、この世界を飲み込まんとする大きなチカラが動き出していることは我々も知っている。血文字の件しかり―――お主達の言葉に嘘はないのだろう。ガゼを含めた全人類が大きな岐路に立たされているこの時に、我々はただ手をこまねいているつもりはない。時機の到来を告げる使者達よ―――我がガゼ族はこれより、シヴァの地図に認められし者の下に参戦する。お主らの為に助力は厭わない」
ガゼ族は、ドヴァーフの上層部が懸念していたように、過去のしがらみに囚われ、盲目的に人間を恨んでいる部族ではなかった。
新たなガゼの模索と再生―――紅焔の動乱後、ホレットは尽力し、奔走し続けていた。武力行使での抗議も辞さない構えを取る村人達を前に、暴力の連鎖はより大きな犠牲しか生み出さない、それを知って踏みとどまる勇気こそが必要なのだ、せっかく助かった命を大切にして今を生きるのだ、と説得して回った。
そして、こうも訴え続けた。未来を見据え、蔑視を失くせ。我々は見地を広げ、淀みの滞留を払拭し、子供らに開かれた世界を与えねばならないのだ、と―――。
やがてそんな彼の姿勢に共感した大人達はそれに応え、相応の努力をした。負の連鎖を、己らの子に背負わせぬ為に。
ガゼの持つ“竜使い”の業を大国に利用されることのないよう閉鎖的な場所に移り住みながらも、外の世界に目を向け、大人達は持ち帰った情報と知識を積極的に次世代の子らへと伝えた。隔絶されたところで時を止めて生きるのではなく、世界と共に生きていく為に。
村は少しずつ豊かになり、活気づき、古きものを尊びながらも良きものは取り入れようとする現在のガゼへと変わっていった。
それを嘆く長老衆もいないわけではなかったらしいけど、ホレットの尽力の甲斐あって、イルファに代表される次世代の子らは間違った先入観による偏見を持たずに育ち、ガゼ族であることに誇りを持って生きている。
ガーネットの話を聞きながら、あたしは目頭が熱くなってきた。
ホレットの血が滲むような努力もさることながら、彼をこの行動に駆り立てた原動力の陰には、鋼の騎士の姿が見え隠れする。
彼がいなければ、ホレットはいなかった。現在のガゼもなかった。
下手をしたら、十年前にガゼ族は滅んでいたのかもしれないんだ。
そうすれば、竜使いの業は失われていた。
あたし達の手繰る細い希望の糸は、切れてしまっていたのかもしれなかった。
アキレウスのお父さんが、あたし達のたどる道を用意しておいてくれた―――……。
そんな想いが、溢れて。
「オーロラ、泣かないでよ」
あたしの涙に引きずられたのか、そう言うガーネットの目にも大粒の涙が浮かんでいる。
その時、せわしないノックの音が響き、続いて息せき切ったアキレウスとパトロクロスとが顔を覗かせた。
「オーロラ! 気が付いたって―――」
「!? ど、どうしたんだ!?」
大粒の涙を流すあたし達を見て、二人がぎょっとした様子を見せる。
それがおかしくて、あたし達は笑ってしまった。
その後、アキレウスとパトロクロスを交えて談笑しながら、あたしは束の間の心安らぐ時を過ごした。
みんなの話によると、イルファはあたし達との再会をとても喜んでくれたらしくて、全員にハグをしてその感動を表したんだそうだ。オラファらの手前もあり、パトロクロスは何とか耐えたらしい。
「キスは阻止したわよ。パトロクロスを守るついで、アキレウスのも止めといてあげた」
ガーネット、感謝!
「その分ガーネットへのキスがスゴかったよな」
そう言ったのはアキレウス。パトロクロスはその時を思い出してか、ちょっと顔色が悪い。
ガゼ族では謝意を示す際にキスを贈る習慣があるらしいんだけど、男性には唇、女性には頬へするのが一般的なんだって。もっともこれは親しい関係にあるのが前提で、イルファの場合は特殊例らしい。
「両頬にこれでもか、ってくらいキスしてくれたわ。見かねたオラファが途中で止めてくれたけど」
あはは、それはスゴかったね! 見てみたかったなぁ。
イルファはこの間のお礼をぜひしたいって言って、ガゼの村に滞在中のあたし達の世話役を買って出てくれたんだって。それでさっきもあたしの様子を見に来てくれたらしい。
しばらくすると、彼女はほかほか湯気を立てたおかゆと着替えを持って戻ってきてくれた。
「はい、オーロラ! おかわりあるから良かったらいっぱい食べてねェ~」
彼女が運んできてくれた優しい味付けのおかゆを食べて人心地つき、独りになった部屋の中で用意してもらった萌黄色の短衣に袖を通すと、不意に現実が戻ってきた感じがした。
みんな、あたしに色々と聞きたいことがあっただろうに、意識を取り戻したばかりのあたしを気遣って、そこに触れてこなかったな……。
心優しい、大切な、かけがえのない仲間達―――。
そして、アキレウス―――何物にも代えがたい、大事な……唯一無二の存在―――。
「……」
瞳を閉じ、あたしは静かに決意を固めた。
みんなにちゃんと、話をしよう。
記憶が戻ったことを。
あたしの記憶が戻って、何を思い出したのか―――あたしはいったい、“誰”だったのか。
きちんと話して、正面から向き合わなければならない。
少し、怖いけど―――これは、あたしのけじめだと思うから。
それをみんなに告げた時の反応を考えると、わずかなためらいは覚えたけど、それを隠すとか、黙っているとか、そういう選択肢はあたしの中になかった。
あたしは、あたし―――記憶を失くしている間も、取り戻した今も、あたしの根本的な部分は何も変わっていない。
みんなには、ありのままのあたしでぶつかりたい。ううん、ありのままのあたしでぶつからなくちゃいけないんだ。
全てを話した後は、正直どうなってしまうのか分からない。あたしが語ろうとしている内容は、みんなにとって、あまりにも想定外のものだろうから。
けれど、願わくば―――今までと同じように受け止めて、受け入れてもらいたい。
「よしっ……!」
自分の両頬をパン、と叩いて気合を入れ、あたしはひとつ息を吐いた。
そして、身支度を整え終わったあたしは改めてみんなに部屋へ集まってもらった。イルファにはしばらく席を外してもらうようお願いした。
心なしか神妙な面持ちのみんなをぐるりと見渡して―――あたしはゆっくりと、口を開いた。
「みんなに、話があるんだ」
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エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
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しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
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