影王の専属人は、森のひと

藤原 秋

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影王の専属人は、森のひと

08

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 これ以上はさすがに長居し過ぎで不自然ね。お腹ももういっぱいだし……。

「シルフィール様、そろそろ出ましょうか」
「そうね、ずいぶんと長居してしまったわね」

 獣肉亭を後にしたわたし達は歩きながら今回の成果について話し合った。

「聞こえてきた中で気になったものとしては、花屋の前で佇む少女の話と、神出鬼没の義賊の話くらいですかね」
「ええ……思ったよりみんな噂話ってしないものなのね……。国政への不満を訴えるような声が少なかったのはホッとしたけれど……」

 シルフィール様……お兄様のことを案じていらっしゃるんだな。

「少しずつではありますけど、暮らしが上向いてきているのをみんな実感しているのかもしれませんね」
「だと良いのだけれど……」

 憂いを含んだ吐息をひとつついたシルフィール様に、わたしは気持ち明るめの声をかけた。

「まだ少し時間がありますから、噂話に出てきた花屋へ行ってみましょうか」
「えっ、場所が分かるの、リーフィア?」
「はい、多分。以前、その店の前を通ったことがありますから」

 何組かのお客が噂していたところによると、裏路地にある「ラワール」という花屋の前で一ヶ月程前から連日のように立ち続けている少女がいるらしい。彼女は先端が尖った長い耳と小柄で細い肢体が特徴的なフロウ族の少女で、健気に誰かを待ち続けているようなのだ。

 雨の日も風の日も朝早くから日が暮れるまで待ち人を想ってじっと佇むその姿がいじらしくて何だか見ていて切なくなると、町の人々は気の毒そうに口にしながら、彼女が待ち続けている相手と理由に興味津々の様子で、その正体や関係を悪気なくあれこれと憶測していた。

「リーフィアは元々、その少女の話を知っていたの?」

 花屋へと向かう道中、シルフィール様にそう尋ねられたわたしは小さく首を振った。

「いえ、偶然その花屋に心当たりがあっただけで、少女の話は初めて聞きました」
「義賊の話は?」
「神出鬼没の義賊、ノヴァですか……名前は聞いたことがあります。何年か前までは派手に活動していたみたいで、わたしの住む村にも時々噂が流れてきていましたけど、ここ数年はすっかり鳴りを潜めているようで、巷では死亡説が流れていましたから、今日久々に名前を聞いて驚きました。もっぱら不正で私腹を肥やしているような上流階級をターゲットにした義賊で、盗んだ財貨を貧しい人々に分け与えていたとかで、庶民の間では英雄視されていた正体不明の人物です。再び表立って活動し始めていたとは知りませんでした」
「そうなの……その方はどうして、今になって活動を再開させたのかしらね?」
「さあ……どうしてでしょうか」

 義賊の活動理由などまったくもって分からなかったけれど、当人には何かしらの思惑あってのことなんだろうな。

「噂によると直近で被害に遭われたのは『ゲイリー男爵』という方のようですね。ご存知ですか?」
「……ごめんなさい、ちょっと思い出せないわ」

 シルフィール様はご存じない方なのか……まあ男爵は五等爵の中では一番低い爵位だったと思うし、仕方がないか。

 シルフィール様と連れ立ってしばらく歩いていくと、目的の花屋が見えてきた。看板に「ラワール」の文字―――間違いない、ここだ。

 季節の花が陳列された店の傍らには噂通り、フロウ族の少女が一人佇んでいる。線が細くて儚い感じの綺麗なだ。

「あの方ね。お話を伺ってみましょう、リーフィア」
「あ、はい」

 近付いてきたわたし達に視線を向けた少女は、白目部分がほとんどない大きな黒い瞳を瞬かせて、こちらの様子を注視した。

「あの、少しお話を宜しいかしら」
「……。何か……?」

 警戒する素振りを見せる少女に、シルフィール様はにっこりと邪気のない微笑みを向けた。

「突然ごめんなさいね。私、シルケと申します。あなたに少々伺いたいことがあって」

 ―――シルフィール様、偽名! サラッと!!

 事前に何も打ち合わせていなかったものだから、わたしはそれに驚いた。

 いや、本名を名乗るのはどう考えてもアウトだから偽名を使って正解なんだけど、ふんわりとしたシルフィール様からあまりにもサラッとそれが出てきたので、ビックリしてしまったのだ。

 もしかしたら街へ出る時は偽名を名乗るように、と以前からの取り決めがあったんだろうか。

「まず、あなたのお名前をお聞きしても宜しいかしら?」
「……。ラステル……ですけど」

 少女はためらった様子を見せながらも自らの名を名乗ってくれた。

「ラステル。素敵なお名前ですね」
「あの……?」
「ああ、ごめんなさい。街で少しあなたの噂を耳にしたんです。ここ一ヶ月ほど、日がな一日こちらに佇んでいる方がいらっしゃると聞いて、何か深い事情があるのではと思い、とても気になってしまって。もし何かお困りごとでしたら、僭越ながら私にも何かお手伝い出来ることがないかと」
「…………」

 突然の申し出に目を丸くして無言でシルフィール様を見つめるラステル。わたしはフォローしようと横から口を挟んだ。

「気を悪くされたら申し訳ありません。あの、シルケ様……は昔からお節介というか何というか、困っていらっしゃる方を見るとどうにも放っておけない性分の方でして……心からあなたのお力になりたいと思っているだけで、決して他意はないのです」
「まあ、ひどいわリーフィア、お節介だなんて」
「頼まれてもいないことに首を突っ込んでこちらから根掘り葉掘り聞くのは、世間一般的に余計なお節介と言うんですよ」
「さらに余計をつけるの? 本当にひどいわ」

 演技か本気か(多分本気)シルフィール様は頬を膨らませ、わたしを軽くにらみつけた。

 シルフィール様、どうか本気にしないで下さいね! 演技です! 合わせているだけですから!

 不慣れなことをして冷や汗たらたらになっている時だった。

「―――ふっ……ふふっ……」

 不意にラステルが笑いだして、きょとんとするわたし達にこう言ったのだ。

「おかしな人達。みんな不憫そうな顔をして興味深げな視線を送ってはくるけれど、遠巻きに好き勝手な噂をするだけで、誰もこんなふうには接してこなかったのに。……育ちが良さそうなお嬢さん、ありがとう。気持ちだけいただいておくわ」

 長い睫毛を伏せて、彼女は自分のことを少しだけ語ってくれた。

「あたしがここでこうしているのはね、ただの自己満足なの。とてもお世話になった人に会いたくて……どうしてももう一度、きちんとお礼が言いたくて。でも、その人の顔も名前も―――その人についてのことを、あたしは何ひとつ知らなくて……唯一の手掛かりが、リオーラの花なの」
「リオーラの花?」

 名前は聞いたことがあるような気がするけれど、どんな花なのかパッと思い浮かばない。

 そんなわたし達を見やり、ラステルは花屋の店頭に陳列されている白い花を指し示した。

「あの花よ。ちょうどこの時期に、限られた場所だけで咲く、優しい香りの花……」

 それは筒状の白い小花が鈴生りについた、可憐な印象の花だった。

 あ、これ―――植物に詳しい幼なじみが持っているの、見たことある。そうか、これがリオーラの花……。

「清楚で可愛らしい感じのお花ですね。私、初めて見たかもしれません」

 お花が好きなシルフィール様は自然と花を愛でる顔になった。

「限られた場所でしか咲かないということもあって、あまり流通していない花なのよね。この辺りではここでしか売っていないの。派手な花じゃないし、似たような形の花は他にもあるから、あなたのようなお嬢さんは見たことがないかもしれないわね。
でも、あたしの恩人はこの花を知っていたの。以前買ったことがあるって言っていたわ。だから、あの人がここへこの花を買いに来ないか、あたしはそれに一縷の望みを託して―――こうして、ここで待ち続けているというわけ」
「でも、その方のお顔をあなたはご存じないのですよね? ここへその方が現れたとして、お分かりになるのですか?」

 シルフィール様がもっともな疑問を呈すると、ラステルは小さく笑んだ。

「分かる……と思うわ。その人の全貌を知らなくとも、部分的に覚えていることもあるの。例えば瞳の色とか髪の色、それに声とかね」
「ラステル、あなたがもっと具体的に覚えていることを教えて下されば、私もその方を探すお手伝いが出来るかもしれません。何か、他に手掛かりはないのですか?」
「親切にありがとう、シルケ様。でも、いいの。表立って探すことは、あの人の迷惑になってしまうことが分かっているから。密やかにここで会えたならお礼が言いたい、それがあたしの望み。あたしが勝手に待ち望んでいるだけの、希望」

 そこにはラステルのハッキリとした意思表示が見て取れた。

「でも……」
「シルケ様、これ以上は親切の押し売りになってしまいますよ。ラステルさんにも迷惑です」

 止めに入ったわたしを振り返ったシルフィール様は何か言いたそうな顔をしたけれど、少し考えてそれを飲み込んだ。

「分かりました。でもラステル、私の方からまたあなたに会いに来る分には構いませんか?」
「えっ? それは……構わないけれど……。でも、あたしもここにずぅっといるわけじゃないわよ? そこまで暇人じゃないんだから……リオーラの花がここで売っている間の期間限定よ」
「ええ、覚えておきます」

 それを聞いたラステルは深い息を吐いて、気の毒そうにわたしを見上げた。

「変わったご主人様で、付き合わされるあなたも大変ね」
「ええ、まあ」

 わたしはあいまいに頷いた。

 今のところはまだそうでもないのだけれど、これからそうなっていきそうな予感がひしひしとしてきたかも……。

 でもまあ、お城の中で精神的に窮屈な思いをしているより、わたし的にはそっちの方がよっぽどいいかな―――そんなふうにも思った。
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