影王の専属人は、森のひと

藤原 秋

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影王の専属人は、森のひと

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「いいですか、馬車を下りたらわたしが合図するまでは普通に振る舞って下さい。そして合図をしたら全力で森の方へ走って下さい。分かりましたか?」
「ええ、分かったわ」

 馬車を脱出する為のひと芝居を打ち合わせたわたし達は、顔を見合わせ、頷いて確認を取り合った。

 ―――では、いきますよ。

 わたしはひとつ深呼吸をすると、車内から御者の席へと繋がる小窓を叩いた。

「……どうかしましたか?」

 立派な顎ひげを蓄えた中年の男が小窓からこちらを覗いて伺ってくる。

「あの……申し訳ありません、主がその、お花摘みに行きたくなったようで……。お屋敷の方にお願いすることは出来ませんでしょうか?」

 お花摘みというのは、女性がトイレに行くことを指す暗喩だ。

 言いにくそうに頼むわたしと赤くなって落ち着かない様子のシルフィール様を見た御者は困り顔になった。

「申し訳ないんですが、旦那様の知人のお屋敷に見ず知らずの方をご案内するわけには―――」

 まあそうよね。「シルケ様」はカインの知り合いであって、侯爵とは何の関係もないんだもの。

 狙い通り!

「分かりました。では、少し失礼して森の方へ行ってまいりますね。もしカインさんが先に戻って来られましたら、その旨、上手く伝えていただけますか?」
「……。あの、少し待ってもらえますか? 一応カインに聞いてきますので」
「は、恥ずかしいのでおやめ下さい! それより、早く……侯爵様の馬車で粗相するわけにはっ……」

 顔を赤らめ押し殺した悲鳴を上げるシルフィール様の迫真の演技に、御者はすっかり騙された。

「わ、分かりました。今、ドアを開けますから」

 小さな金属音と共にドアが開き、わたしは逸る心を抑えながらシルフィール様の手を取って馬車を下りると、御者に小さく会釈をしてから森へ向かい歩き始めた。

「リ、リーフィア、急いでぇ」

 シルフィール様、余計な演技はもういいですから。しかもだいぶ下手くそになっていますよ。さっきのあれはまぐれですか??

 その時少し離れたところから急に鳥が羽ばたいて、思わずビクッと反応したわたし達は青空を舞う飛影を見送り、こっそりと冷や汗を拭った。

 ああ、もう、心臓に悪い!

 御者の視線を背中に感じながら目指す森の入口までの道のりはひどく遠く感じられて、わたしは心の中で祈らずにはいられなかった。

 屋敷の中で何をしているのか知らないけど、カインは馬車の方にも一定の注意を払っているはずだ。

 理想としては、森の木々に紛れるまでバレることは避けたい。願わくば、カインが気付くまで時間がかかりますように……!

 ―――けれど、やはり世の中、そう甘くはないもので。

「シルケ様!? どうされたのですか!?」

 もうすぐ森の入口に差しかかるというところで、息を切らせた様子のカインが早くも玄関扉から姿を見せてしまった。

「足を止めずに説明して下さい」

 わたしの言葉にシルフィール様は頷いて、振り返りながらカインに告げる。

「申し訳ありません、御者の方にお伝えしてありますので、理由はそちらでお聞きになっていただけますか!?」

 その御者はすぐにカインに駆け寄って手短に状況を説明している様子が見えた。それを受けたカインは短く舌打ちし(この距離では人間には聞こえないだろうけどクォルフのわたしには聞こえる)、大声でシルフィール様に呼びかけた。

「そういう事情でしたら、お屋敷の方に僕の方から話を通しますから、どうぞこちらへ!」

 理由が理由だけに偶然か故意か判断しかね、今すぐにわたし達を追いかけるべきか否か葛藤しているのが伝わってくる。

「いいえ、そんな、ご迷惑をかけるわけには!」

 かぶりを振りながらシルフィール様が答えている間に、森の入口に差しかかった。瞬間、カインが右手を挙げると、屋敷の中から帯剣した男達が何人か一斉に出て来て、わたしは口早にシルフィール様を促した。

「―――シルフィール様、走って下さい!」
「はいっ!」

 わたし達が駆け出すのと、男達がそれを追って駆け出すのとがほぼ同時だった。 







 男達の足の方がシルフィール様を連れたわたしよりも早いのは明白だった。

 シルフィール様も頑張ってはいるけれど、普段全力疾走するような環境にない方が、ロングワンピースに細いパンプスという格好で、木の根が張り出た緑深い道なき道を走り続けるのは、体力的にも相当な無理がある。このままでは数分と持たず追いつかれてしまうだろう。

 追手はカインを含め五人―――全員が帯剣している。

 わたし一人ならやれないことはないと思うけど、シルフィール様を護りながらでは分が悪い。

 ―――けれどここは、クォルフであるわたしにとって慣れ親しんだ庭であり、得意とする戦場だ。

 負けない!

 まずは、シルフィール様の安全を確保する!

「シルフィール様、掴まって下さい!」
「えっ……はいっ!」

 差し出したわたしの手を取ったシルフィール様の腕をぐいっと引き寄せて細腰を抱えながら、前方上方に垂れ下がっていた丈夫な植物の蔓に狙いを定め、短剣を走らせる。

「跳びます!」
「えっ!?」

 ロープ代わりにした蔓を握り、近場にあった弾力のある大きなキノコを足場に跳躍して、木の幹を蹴りつけ、振り子のように反動をつけて、大きく跳ぶ!

「きゃあーっ!」

 勢いよく風を切り眼前に迫りくる枝葉、目まぐるしく変わっていく風景に、わたしにしがみついたシルフィール様が悲鳴を上げ、目をつぶる。

「くっ……! 亜人め!」

 歯噛みするカイン達を尻目に、木々の間を縫うようにして大きめの樹木の枝に着地したわたし達は、同じような方法で枝から枝へと跳び移り、それを何度も繰り返して追手を撒き、森の裂け目のようになっている小高い丘の上にたどり着いた。

「す、すごいっ……すごいわ、リーフィア! あっという間にこんなところまで……ああ、こんな言い方は不謹慎なのだろうけど、でも、怖かったけど、とっても楽しかったわ! 胸が、すごくドキドキしてる……!」

 興奮に声を震わせ、頬を紅潮させてわたしを見上げたシルフィール様だったけど、気持ちに身体がついていかなかったらしく、笑顔のままその場にへなへなと座り込んでしまった。

 無理もない。幼い頃から森を飛び回っているわたしとは違って、温室育ちの方なのだ。気丈に仰ってはいるけれど、かなりの衝撃体験だったに違いない。

「よく頑張られましたね……足は大丈夫ですか?」

 気遣うわたしに、おそらく爪先を痛めているだろうシルフィール様はそれを押し隠して小さく笑んだ。

「大丈夫よ、わたくしはただ貴女にしがみついていただけだもの」
「シルフィール様はお強いですね……」
「ふふ。リーフィアがいてくれるからよ。……ねえ、これで逃げ切れたと言えるのかしら?」

 眼下の森を見下ろしながらそう懸念するシルフィール様に、わたしは軽く首を振った。

「逃げ切れた、とは言えませんね。一時的にカイン達を撒いた状態ではありますが、彼らも必死でこちらを探しているでしょうし、帰城するにはどうあってもこの森を抜けねばなりません。森の中を迂回するにしても彼らと鉢合わせる危険がありますし、時間が経つほど追手も増えてこちらは不利になるでしょうから、今のうちに決着ケリをつけようと思います」
決着ケリって……どうやって?」
「とりあえず邪魔者を動けないように転がして、カインを捕えます。あの男には色々と聞かなければならないことがありますからね。その間、シルフィール様にはここでお一人でお待ちいただきたいのですが、大丈夫ですか?」
「それは構わないけれど……リーフィアは大丈夫なの? 相手は五人もいるのに……」

 わたしの身を案じてくれるシルフィール様に、わたしは気持ち表情を和らげた。

「心配ご無用です、一度に五人の相手をするつもりはありませんから。わたし的にはシルフィール様がきちんとこちらで待っていられるのかどうか、そちらの方が心配ですよ」

 それを聞いたシルフィール様は心外そうに頬を膨らませた。

「まあ、私にだってそのくらいの分別はあるわ。下手に動いて貴女の足手まといにならないように自重します」

 実はそこが一番心配だったんだけど、分かって下さっているなら良かったです。

「失礼しました。では、丁度よくそこにロマージュの実がなっていましたので、こちらで喉を潤してお待ち下さい」

 わたしはたまたま近くに自生していた卵型の果実をいくつかもぎ取ると、シルフィール様に手渡した。

 ロマージュは水分量が多い果実で、ほんのり甘い優しい味わいの、わたしには馴染み深い森の恵みだ。本当に偶然なんだけど、これが手近に実っていたのは幸運だった。

「小高い場所は広い範囲を見渡せる半面、低い位置から目に付きやすくもありますから、この辺りまで下がって、座ってお待ちになって下さいね」

 地上から姿が確認出来ない位置までシルフィール様を誘導してから、わたしは森に張り出した丘の先端まで足を進めた。

 視界に広がる森を一望し、瞳を細めてターゲットの位置を確認する。

 ―――いた。女二人と侮り、全員バラバラに動いて探しているようだ。

 わたしは背負っていた弓を下ろし、眠り毒の仕込まれた矢をつがえた。

「え……リーフィア、ここから射るの? いくら何でも距離があり過ぎるんじゃ……」
「大丈夫、届きます」

 霊樹の枝を加工して作られたこの弓矢は、クォルフの特別製。後はわたしの腕次第―――。

 集中してぴんと張り詰めていく、この緊張感が好きだ。神経が研ぎ澄まされて周りの音が消えていき、ただ、標的だけが目の前に輝いて浮かび上がる―――!

 ひゅん、と空気を裂く弓弦の音と共に、森の中にいた男が一人、短いうめきを上げて崩れ落ちるのが見えた。

 ―――まず、一人。

 それを皮切りにわたしは次々と矢をつがえて放ち、カイン以外の全ての男を一発で仕留めることに成功した。

 そんなわたしの背中を息を詰めて見守っていたシルフィール様は、わたしが弓を下ろした瞬間、堰を切ったように尋ねてきた。

「どうだったの、リーフィア? 上手くいった?」
「はい、全て命中しました。後はカインを残すのみです」
「す……すごいわ、リーフィア! 貴女の弓の腕前は知っていたつもりだったけれど、まさかこれほどのものだったなんて……! 城内にもこれほどの名手はいないのではないかしら!?」

 ひどく興奮した面持ちのシルフィール様にキラキラした瞳で声高に称賛されて、何分そういうことに慣れていないわたしは嬉しい反面、どういう反応したらよいのか分からず戸惑ってしまった。

「あ……ありがとうございます。でもまだ全てが済んだわけではないので、カインを捕えて無事に王城へ戻れましたら、改めて褒めていただけますか?」

 照れ隠しにそう言うと、シルフィール様は大きく頷いた。

「もちろんよ!」
「約束ですよ。では、行ってまいります」

 シルフィール様にそう言い置いてその場を後にしたわたしは、表情を引き締めると、小高い丘を足場から足場へと飛び移るようにして地上へと降りていった。
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