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15.堕とされていく
それからしばらくして、公共施設らしきものを見つけた。なんの建物かは不明だが、とにかく目立たない生垣の暗がりを見つけたので、座り込む。
「ハッ、……ハッ、……っ、は……」
酸欠で頭がクラクラするし、足もガクガク震えていた。全身からはドクドクと、うるさいほどの血流音が聞こえてくる。
浅い呼吸からどうにか大きく息を吸い込んで、深く吐き出して。そしてまた吸い込んだ。何度か深呼吸を繰り返していると、次第に脳に酸素が届いてくる。そのまましばらく、無言で呼吸を繰り返した。
かなり暑い。それはそうだ、ひたすら走ってきたのだから。喉が渇いたから何か飲みたいけど、疲れたせいで歩けそうにない。建物の明かりは付いているので、しばらく休んだら、恥を忍んで中に入ろう。手錠を付けているから、きっとどこかから逃げてきたとわかるはずだ。
とにかくは、外の空気である。あの部屋から抜け出して、空の下にいるのだ。
自由だ、自由になれた。これで人間らしい生活に戻れる。
そう思ったら、涙が溢れた。
「ぅっ……ううっ、……う、ひ……ひっく、ひっ」
しゃくりあげて、ぼろぼろに泣いて。嬉しさに身体が震える。
辺りはすっかり夜になり、静まり返っていた。まるで自分以外、誰もいないような錯覚。
けれど孤独は感じなかった。あの部屋で喘いでいた時の方がよほど孤独だったし、つらくて苦しかった。ずっと敵陣にいて、負けないようにと孤軍奮闘していたのだから。
しばらくすると落ち着いて、涙も止まってきた。足の痛みはずっとしてるけど、アスファルトを裸足で全力疾走したのだから当然である。そろそろ建物の中に入ろう。そうして水をもらい、警察にも連絡してもらっ――。
「……ヒッ!」
考えながら顔を上げて、建物の自動ドアあたりを見た瞬間、か細い悲鳴を上げていた。全身が恐怖で硬直する。
いつからそこにいたのか、神崎が建物の柱に寄り掛かっていたのだ。しかも明らかに俺を見ていて、目が合うと、ゆっくりこちらに歩いてくる。
何故? どうしてここがわかった?
……いや、とにかく逃げなくては。恐怖で震えている場合ではない。動け、動くんだ。
どんどんと近づいてきて、神崎の姿も、明かりの届かない物陰に差し掛かった。コツ、コツ、コツ、と。革靴の音がどんどん大きくなり――そして、すぐそこで止まる。
「弘樹さん」
名前を呼ばれた瞬間、弾かれるように神崎へと拳を出していた。ここで捕まるわけにはいかない。捕まったら確実に、飼い殺しにされてしまう。
だが腹に1撃入れようとした拳は、呆気無く掴まれた。
「なっ……がっ!」
あまりの早さに呆気に取られたら、足払いされて地面に倒される。頭は打ち付けなかったけど、背中が滅茶苦茶痛い。さらには上から乗られて、首を掴まれた。そうしてググッと、首を締められていく。
「ぁ、が……、う……あぐ」
「ふふ、さすがは弘樹さん。追い詰められてもなお牙を剥くなんて、本当に愉しませてくれますね」
片手だけでありながら、とてつもない力だった。剥がそうと腕を掴んでも、ビクともしない。その間にもどんどん締め付けられて、息が出来無くなってくる。
苦しい、苦しい。
苦しい……苦し……、い……。
「っ……ぁ……、……」
もう、駄目、……だ……――。
そう思ったタイミングで神崎の手が離れていき、上から退いてくれた。
「ぐ……げほ! げほっ! ……ッ、ごほッ!」
急激に酸素を吸い込んで、仰向けだった身体を丸めながら、何度も咳き込む。
苦しい、苦しい、痛い。なんで。なんで神崎がここに。
あまりにも苦しくて痛くて、涙が零れるし、涎までが地面に垂れた。どうにか呼吸を整えていると、手錠の片方を奪われる。……あ、ああ……、捕まって、しまった。逃げられなかったんだ。
愕然として、頭が空っぽになったような、けれどグルグルした状態で神崎を見上げていると、ニコリと微笑まれる。
「逃げるタイミングは完璧でしたね。手錠を付け替えるほんの一瞬を見逃さなかったのは、見事です。家の中に留まらず、裸足であろうと躊躇無く出ていったのも良い判断でした。実はフェンスにセンサーが張り巡らされているので、作動しなければ家に残っているとわかるんです。あとは、もう少しだけ……弘樹さんが気付いていれば、きっと逃げられました」
気付いていれば、逃げられた。何に? 俺は何を見落としていた?
いや考えたところで、すでにもう捕まってしまったのだ。今更教えられたって、どうしようもない。
だからかどうしても脳は動かなかったけど、神崎の言葉は続いていく。
「弘樹さんはチョーカーを怪しんでいましたが、あれは本当に何も無かったんですよ。あるのは布団です。布団の内側にあるタグ部分に、小さなGPSチップを付けてました。なので家を出てすぐに壊すか、あるいは布団を捨てるか、そもそも別の……部屋に置いてあるバスタオルで隠して出ていくか。それと、あと4日は我慢すべきでしたね。生活時間は1時間ずつずれていたので、4日後であれば暗くなっている中を逃げられましたから。暗ければ、バスタオルくらい小さいものでも問題無かったでしょう?」
GPSが布団に付いてるなんて、考えもしなかった。現在地がわかるなら、どれだけ走っても無意味である。車に乗り、スマホを見ながら先回りすれば良いだけなのだから。だから神崎はここにいた。あんな生活をしながらも羞恥を捨てられなかった、俺自身のせい。
「あとはまぁ、ここに着いてそのまま建物内に入れば、チャンスはあったかもしれませんね」
確かにそうだ。公共施設、さらには誰にも見られなさそうな物陰を発見した安心感で、座り込んでしまった。最後まで気を抜くべきではなかったのだ。相手は、神崎慧なのだから。
「さて弘樹さん。これからどうなるのか、わかっていますか?」
「ッ……!」
顎を持ち上げられる。恐怖でガタガタと身体が震えた。怖い、怖い。この男が、とてつもなく怖い。
「さぁ、家に帰りましょう。たっぷりと……仕置きをしないと、ね」
すぐそこで囁かれた艶やかな声と、愉しげに細められる双眸に、絶望へと堕とされていく感覚がした。
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