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「じゃあ――僕の妻になって」
「…………今なんと」
「僕の妻に、王子妃になってほしい。つまり、ウェンディ先生に求婚しているってこと」
「!?」

 唖然呆然とするウェンディに、イーサンが詳しい事情を説明する。今回の件で評判が落ちたことで、縁談の話が全ては白紙になってしまった。
 また、王位を継がない王子は、公爵位と新たな姓を与えられ、賜姓降下して王家を出ることになっている。賜姓降下に先立って、婚姻を結んでおくのが本来の習わしだが、ウェンディのせいでそれが困難となった。

 そこで、公爵位の叙爵まで体裁を守るための――仮の妻になれ、という話である。

(い、いやいや! 自分の名誉を傷つけた相手を妻に望むってどういう心理!? 怖いんだけど……)

 仮の妻といえど、妻は妻だ。突然の求婚に狼狽え、一歩退く。憎んでいる相手に求婚という矛盾した行動をする彼が不気味に思えてきて、乾いた笑いを浮かべる。

「あはは、おかしな人だなぁ。何言ってるんですか。理解に苦しみますよ全く。結婚なんて無r――」
「さっき責任を取るって言ったよね? まさか、自分に選択権があるとか思ってないよね?」
「ひっ……」

 無言の圧力。微笑んではいるものの、目は据わっている。

 すぐにでも逃げなくてはという本能から、身じろぎして手錠を外そうと試みるが、がちゃがちゃと金属が擦れる音が部屋に響くだけだった。
 すると、彼は書面とペンを持ってきた。内容を確認すると、この契約婚は驚くほど良心的な内容だった。

 叙爵式を無事に終えて以降に、ひっそりと契約関係は解消されることがまず書かれている。そして、イーサンはウェンディに最低限の妻としての役目を要求する代わりに、こちらの要望にできうる限り応える意思がある、と。

(じゃあ、もしかして……)

 ウェンディは契約書を握りながら、恐る恐る口を開く。

「……で、殿下。私は物書きです。結婚してからも、作家としての活動を許していただけるということでしょうか」
「契約書に記した通りさ。役目を果たしてくれるなら、僕を侮辱した当該作品については除き、あなたの活動を放任するし、必要があれば援助するよ」
「……!」

 彼はウェンディの心を惹く話を追加した。王宮でイーサンは暮らしており、仮の妻になればウェンディも叙爵式までそこに住まいを移すことになる。
 彼は、ウェンディのために書斎を用意し、歴史ある図書館をウェンディのためだけに解放し、必要なものは買い揃え、好きなときに好きなだけ執筆活動をしていいのだと言った。

 家族や元婚約者は、創作活動に反対だった。なぜなら、ウェンディが好きな大衆小説は、下々の庶民が楽しむ低俗な娯楽とされており、貴族からは軽んじられていたから。だから今まで、家族が眠っている間に寝室で毛布を被りながら書いたり、図書館に籠ったり、負い目を感じながら物語を書いてきた。

 周囲に認められず苦労してきた趣味だったが、それをイーサンは容認してくれると言うのだ。
 それに、契約期間を終えたあとも、王子の元夫人という地位があれば、作家として話題作りになり新たな道が開けるかもしれない。

(最っ高の条件じゃない……っ! いやいや、騙されちゃ駄目よ騙されちゃ。でも……この機を逃す訳には……)

 心が大きく揺らぐウェンディに、彼が畳みかけてくる。

「それから、契約期間を終えたあと、君の言うことをなんでもひとつ聞こう」
「なんでも……」
「王子の妃という重役を務めてもらうんだ。――相応の対価を払わなくちゃね」

 ごくりと唾を飲む。王子という立場があればきっと、叶えられない願いはないだろう。
 歴史書の数々が保管された禁書庫の出入り。
 一生かけても読み切れないほどの本に埋もれること。
 憧れの作家との対談。
 小さなころから抱いていた夢が、ロイヤルパワーを使って叶えられるかもしれないのだ。
 ウェンディの瞳の奥が煌めくのを、彼は見逃さなかった。ぐいとこちらに顔を近づけ、圧をかけるように言う。

「どう? 仮の妻、なってくれるよね?」
「……そ、そんなすぐに決められません! よく考えてから返事を……」

 イーサンは大きくため息を吐く。

「あなたの作品のせいで僕は縁談と叙爵を逃した。その責任を取るとさっき言ったはず。こっちはあなたの要望まで受け入れてかなり譲歩してるんだけど、まだ納得できない? ――ルイノ、告訴の手配をしろ」

 するとどこからともなく騎士服を着た男が現れ、「御意」恭しくと返事する。

(告訴!? さ、裁判でもする気なの!?)

「ま、待った待った! ――分かりましたよ! もう、なればいいんでしょなれば!」

 もうこうなったらやけくそだ。契約書と婚姻書にサインをする。

(ああもう、私どうなっちゃうのかしら……)

 イーサンの声で思いに耽っていた意識が現実に引き戻される。

「書けたか?」
「どうぞ、契約書です! これで私はお望み通りあなたの仮の妻ですよ!」

 契約書を彼の鼻先に突きつける。そこでようやく手首の錠が外された。赤くなった手首を擦りながら、彼を睨みつける。
 かくしてウェンディは、第3王子イーサンの契約妻になったのである。(契約結婚、次の作品のネタにしよう……)なんて密かに思いながら。
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