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しおりを挟む輿入れの日。ウェンディは荷物をまとめて王宮に引っ越した。迎えに来てくれた馬車は、ウェンディが今まで乗ったことがないほど立派で、乗り心地もよかった。
王族が居住する王宮に到着し、更にそこから連れて行かれたのは、本宮から遠く離れた離宮だった。敷地の端っこにぽつんと佇む屋敷。ウェンディはここで、イーサンが姓を与えられ公爵位を叙爵するまでの間を過ごすことになる。仮の妻として。
3階建ての大きな建物を見上げながら、ここまで案内してくれた召使いアーデルに尋ねる。
「……イーサン様は本宮にお住いにはならないのですか?」
「イーサン様は、他の王子様とは出生が異なりますので……。王宮でも少々難しいお立場なのかと」
「……なるほど。理解しました」
気まずそうに答えた彼女に、難しい質問をして悪かったと謝罪する。イーサンは3人の王子と1人の王女の中で唯一母親が違う。そして――婚外子だ。彼と実母は娼婦をしていたとかで、イーサンが生まれてすぐに病死した。
この国の宗教では、不貞は忌避されており、イーサンは世に出るべき存在ではなかった。けれど国王は、議会や王妃の猛反対を受けてもなお、イーサンに他の王子と同じように王の子としての地位を与えた。
離宮の玄関に入ると、イーサンが向かい入れてくれた。
「よく来てくれたね。ウェンディ」
「あ、えっと……これからお世話になります!」
「ふふ、ご丁寧にどうも」
ぎこちなく淑女の礼を執ると、彼は愛想よく微笑んだ。彼は離宮までウェンディを案内したアーデルに対しても「ご苦労だったね」と労いの言葉をかけた。
「これから身の回りのことはアーデルを頼るといい」
「は、はい」
アーデルが今後の世話係になるらしい。よろしくお願いしますとお辞儀すると、彼女も挨拶をしてくれた。
イーサンの後ろには騎士が控えていた。そちらの方は誰ですかと尋ねれば、彼は自己紹介した。
「私はルイノと申します。イーサン様の近衛騎士を任されております。何か困ったことがあればお気軽にご相談ください」
「……よろしくお願いします」
真面目で硬い雰囲気のルイノはそれだけ言って、すぐにイーサンの後方に戻った。
「さ、屋敷を案内すよ。行こうか」
「はい……!」
背を向けたイーサンの後ろを着いて行く。まず、1階は食堂に厨房、使用人たちの居住空間になっていた。だだっ広い食堂を眺めながらウェンディは思いを巡らせる。
(イーサン様は、いつもここでおひとりで食事をされていたのかしら)
彼以外の王族は皆きっと本宮の大食堂で揃って食事をしているのに、彼だけが参加を許されないなんて気の毒だ。イーサンは飄々としているが、ウェンディは少しの同情を抱いた。
2階には浴室、衣装室、執務室、そしてイーサンとウェンディそれぞれの寝室があった。
「寝室は別なんですね」
「契約の通りさ。あなたは仮の妃だからね。妻の務めを強いることはしない。ああでも――」
すると彼はこちらを覗き込みながら、いたずらに口角を上げた。
「――あなたが望むなら応えようか。契約の通り」
「なっ、なななな何を……!?」
契約には、イーサンはできるだけウェンディの要望に応えるという旨が書かれていた。書かれてはいたけれど。
「あはは、冗談だよ。顔が真っ赤」
ぼんっと熟れたりんごのように紅潮したウェンディは、慌てて顔を逸らした。イーサンはタチの悪い冗談を言う人だ。
そして、次に案内されたのは――。
「わぁ……」
そこは、ウェンディのための書斎だった。奥に大きな格子窓があり、その前に執筆机と椅子が置いてある。机も椅子も熟練の職人が作った1級品だった。机と椅子だけではない。毛先の長い絨毯にソファ、それから壁一面の本棚。部屋に備えられた調度品は全て上等な品々だ。
「……以前の居住者が文章を書く人でね。あなたが使えるように改装させたんだ。好きに使ってくれて構わない」
「本当に!?」
くるりと振り返り、目をきらきらと輝かせながらイーサンを見上げるウェンディ。彼女の感激した様子に、イーサンは一瞬だけ驚いたあと、ふっと目元を和らげた。
「ああ、もちろん。この書斎はもうあなたのものなんだから」
「……! 私の書斎……!」
もう一度書斎を見渡し、ウェンディは喜びを噛み締め、年季の入った味のある机を手で撫でた。そんなウェンディをどこか愛おしげに後ろから見つめるイーサンの眼差しに、本人は――全く気づかない。
「……家族にも元婚約者にも、文章を書くことをよく思われていなかったんです。俗っぽくていやしい趣味だと……」
だから、書斎を持つなんて夢のまた夢だった。家族にバレないように布団を被って深夜にこっそり書くこともあれば、公園のベンチで書くことも。涙ぐましい日々を送ってきたが、こんなに素敵な場所なら落ち着いて創作ができそうだ。
「ここでは思う存分、執筆してくれていい。誰も咎めないし、むしろ僕も読みた――ンンッ」
「?」
気まずそうに咳払いする彼。「むしろ僕も」の後に続く言葉はよく聞き取れなかった。
そして、書斎の次に案内されたのは3階だった。螺旋階段を登った先は別世界で。書斎を目にしたとき以上の感動に立ち尽くす。
「素敵……」
3階は全てが図書館になっていた。中央が円形のホールになっていて、白亜の4本の支柱が天井に伸びている。壁や本棚、至る場所に所狭しと本が収まっていて。
「ここは僕も気に入っている場所なんだ。離宮の主は代々、こよなく本を愛していた。どの本も綺麗な状態で管理されている」
イーサンはおもむろに本棚から1冊を引き出した。彼の言う通り、古い本ではあるが大切に扱ってきたことが分かる。
見渡す限り、本、本、本……。天井や壁紙、床まで美しい絵画が施され、贅を尽くしてある。本を愛する人が作った、本のためのお城のような理想の空間だ。近所の本屋にだって、これほどの数は置いていない。数千、いや数万冊はありそうだ。
言葉も出ずに、図書館の荘厳豪華さに圧倒されていると、イーサンが隣で小さく笑った。
「気に入ってくれたようだね。ここも自由に出入りしていいから」
気に入るとか、そういう言葉で表現できる感情ではなかった。
「私……こんなに幸せな思いをしていいんでしょうか……」
これから始まる生活に、期待で胸が膨らんでいく。ふいにそう口にすると、彼はなぜか困ったように眉尻を下げる。
「……それは僕のセリフだよ」
彼の言葉の真意が、ウェンディには図りかねた。
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