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 夢中になって話をしていたら、いつの間にか外の雨も上がっていた。話に集中するあまり、サインを書いていないことに気づく。サインの宛名はなんと書けばいいかと聞くと、彼は顎に手を添えて散々悩んだ挙句、『ノーブルプリンスマン』という変なあだ名を答えた。
 ウェンディはひと文字ひと文字真心を込めてサインを書き、手渡しした。

「雨で髪もお洋服も濡れてます。風邪を引いたら大変……。今日はどちらからいらしたんですか?」

 サインを渡してから、ウェンディはハンカチを取り出して、彼の服を拭いた。

「それは――内緒です」

 人差し指を口の前に立てる彼。すぅと目を細めてこちらを見下ろす表情とその仕草が色っぽくて、ウェンディの心臓がどきっと跳ねた。
 サイン入りの本を大事そうに懐にしまった彼は、傘を差して店を出て行く。

「ありがとうございました。プリンスマンさん!」

 これが、ウェンディとノーブルプリンスマンの最初の出会いだった。



 ◇◇◇



 ノーブルプリンスマンはそれから、熱心なファンとしてウェンディの元に足繁く通うように。サイン会、朗読会、販売会、登壇イベント……。ウェンディの行くところにはどこでも現れた。

「ウェンディ先生。今日の朗読会、すごく良かったです」
「……ありがとうございます」
「おや、なんだか今日は浮かないご様子ですね」
「実は、ある読者さんに私の本は全然面白くないって言われて……」

 朗読会終わりに話しかけてきたノーブルプリンスマンに悩みを打ち明ける。ウェンディはまだ駆け出しの新人作家。朗読会にたまたま立ち寄ったファンではない人に言われた『つまらない』の言葉がぐっさりと刺さってしまった。

 広場の噴水の石造りの囲いに腰掛け、肩を竦める。

「私なんて……やっぱり作家に向いてないのかも。朗読会は全然人が集まらないし、本はちっとも売れない。家族にも馬鹿にされて……嫌になっちゃう」

 結婚を急かされても逃げ続け執筆に没頭していたが、ここのところ、家族に負い目を感じながら、誰も喜んでくれない物語を作り続けることに辟易してしまっている。いっそのこと、全部投げ出して辞めてしまおうかとさえ思っている。

「そ、そんなことおっしゃらないでください! 僕は好きです。先生の作品が。本が売れないなら刷った分全部買います! 誰より多く朗読会にも通います! だからどうか……僕みたいなファンがいることを忘れないで。あなたの作品を待ってる人は、励まされてる人は……ここにちゃんといるから」
「……!」

 ぎゅっとウェンディの両手を握り、懇願する彼。熱意がひしひしと伝わってきて、鼻の奥がつんと痛くなる。

(私、もっと頑張ろう。この人に……私の大切なファンに喜んでもらうために……!)

 ノーブルプリンスマンは、ウェンディがスランプに陥ったり落ち込んだときは、いつも励ましてくれた。徐々に朗読会に来てくれるお客さんが増えてきてからは、彼と話せる時間も減っていった。けれど、彼は変わらずウェンディのことを応援し続けてくれた。

 そしてウェンディも、彼のことが好きだったのだと思う。
 政略結婚が決まってからは、その気持ちもしまわなくてはならなくなってしまったのだが。
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