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王子妃候補 ミュリエル・ドリューウェット 1
しおりを挟む「残るはミュリエルか。あれは、無いよな」
黒い髪に黒い切れ長の目へと姿を変えた美少女王子は、ため息を吐きながらドリューウェット公爵令嬢であるミュリエルの居室を目指す。
ミュリエルは、分厚い黒縁の眼鏡をかけ、いつも冴えない装いをしている。
「僕のお茶会に、渋い海老茶のごわごわした布のドレスで来るとか、有り得ない。髪の色も白っぽい緑だし、いっつもひっつめに結っているし」
シリルがお茶会を開けば、どんな令嬢も可愛く着飾って嬉しそうに参加する。
それなのに、妃候補筆頭と言われるミュリエルは、ひとり堪らなく地味な装いで、暗く不愛想なうえ会話に面白みも無い。
例えるなら、咲き誇る花々のなかに、枯れて花弁を落とした花が混じっている、とでも言おうか。
とにかく、シリルにとってミュリエルは無い。
しかし、彼女も王子妃候補のひとりであり、身分的には一番妃に近いと言われている令嬢ではあるし、母王妃の話によれば彼女も何か偽っているらしいので、確認する必要がある。
まったく。
瓶底眼鏡の冴えないひっつめミュリエルが、何を偽っているというんだ。
アリスとドロシアの本性を思い出し、ミュリエルは一体どんな性癖の持ち主なのか、と、シリルは重い足取りでミュリエルの部屋の前に立った。
何かが飛んで来たら避ける。
見てはいけないものが見えたら、俯く。
僕は、全力で僕の身を護るぞ。
ドロシアの所から帰ったとき、母王妃から、ドロシアの性癖から言って、容姿によっては、共に、と誘われていた、と聞いたシリルは、この世にはアリスが振るうような暴力とはまた違う危険があるのだと肝に銘じ、気持ちを強く持つことを改めて誓い、ミュリエルが滞在する部屋の扉を叩いた。
「失礼いたします」
そして、一心に気合いを籠めるも見た目はそっと扉を開き、無事入室したシリルは、何も飛んでこなかったことにまずは安堵し、ミュリエルの姿を探すも、そこに瓶底眼鏡の冴えないひっつめの彼女の姿は無い。
ただ、ふわふわとした淡い緑の髪を下ろした少女が、きれいな姿勢で窓際に置かれた机に向かっている。
「おはようございます。王城の侍女の方ね?はじめまして。わたくしは、ドリューウェット公爵令嬢ミュリエル様のお傍使いをしております、クロエと申します」
アリスの所でもドロシアの所でも、この時点で既に事件が起きていた。
しかし、今回は何も起こらない。
何故かミュリエルの部屋に居る主人然とした少女は、何かを夢中で読んでいてシリルに気づく様子も無い。
でも、入室の許可はあったし。
まあ、それは前の二部屋もあったのだけれど、とシリルが思っていると、扉近くに居た侍女が穏やかな表情を浮かべてシリルに丁寧な挨拶をした。
「初めまして。セシルと申します。本日から、お世話になります」
咄嗟に言ってしまってから、お世話する侍女である自分が可笑しかったか、と思うもクロエは意地悪く突っ込むこともせず、にっこり頷いてくれた。
「では、ミュリエル様にご挨拶しましょう」
そう言って、クロエはシリルを促し歩き出す。
凄い!
流石公爵家ってやつか!
侍女がちゃんとしている!
まともに挨拶されたのも初めてだ、とシリルは感激しつつ部屋を横切り。
「ミュリエル様。本日からこちらに詰めてくださいます、王城の侍女の方でございます」
「ああ、いらしたのね」
クロエが、机に向かう少女に声を掛け、それに答えて少女が顔をあげた瞬間。
シリルは目が飛び出すほどの驚きで、その少女を見つめることとなった。
えええ!?
ミュリエル!?
これが!?
白っぽい緑だと貶していた髪は、陽の光を受けてきらきらと煌めき、見るからに柔らかそうなカーブをゆるやかに描いて少女の背に流れている。
着ている部屋着も、いつもの冴えないドレスではなく、華美ではないものの、少女らしい愛らしさを散りばめた普段用のドレス。
そして極め付きは、その顔。
いつもの瓶底眼鏡をかけていないミュリエルは、とびきりの美少女だった。
広い額に前髪がふんわりとカールしていて思わず触れたくなるほどだし、その大きな水色の瞳は清涼な智恵を湛えて、一度見たら忘れられないほど魅力的。
誰だ、これ。
肌のきめが細かく白いことだけが長所、と思っていたミュリエルの余りの変貌に、シリルは言葉を失った。
「セシル。ミュリエル様にご挨拶を」
「し、失礼いたしました。本日からお世話になります、セシルと申します」
ばくばくと煩い心臓と、それと連動して速くなった呼吸を何とか抑えて、シリルはミュリエルに礼をする。
「わたくしは、ドリューウェット公爵家のミュリエルよ。ふふ。貴女、セシルと言ったかしら。セシルは、普段のわたくしを知っているのね?」
驚愕に固まったシリルを可笑しそうに見、ミュリエルが微笑んだ。
「も、申し訳ありません」
ひと時のとは言え、主人を見て固まるなど失態、とシリルは頭を深く下げる。
「いいのよ。でも、自室ではこうだから、慣れてね」
そう言って、ミュリエルが楽し気に笑う。
すると、シリルの周りは春の陽だまりかの如く、あたたい心地で満たされた。
「私が、他の誰かに話すご心配は、されないのですか?・・・・あ、いえ。申し訳ありません。出過ぎたことを申しました」
王城から送られた、いわば間者ともいえる侍女に素の姿を見せていいのか、と言ってしまってから、シリルはそれが侍女として有り得ない質問であったと謝罪する。
それに、アリスもドロシアも自分の行いを王族に報告される、という意識は無かった。
あれば、もっと上手く立ち回っただろうとシリルは思う。
尤も、あれで本性を現す程度の頭だった、ってことなんだろうな。
思っていると、ミュリエルがふんわりと笑った。
するとまた、シリルは温かい気持ちで包まれる。
いいじゃないかミュリエル!
ありじゃないかミュリエル!
シリルは、今まで感じたことがないほどの歓喜で、心のなかファンファーレを鳴らす。
しかも、ミュリエルはシリルを不敬だなどと非難することもなかった。
「構わないわ。だって、貴女の報告先は王妃陛下でしょう?なら、ご存じですもの」
ミュリエルはそんなシリルに不機嫌になることもなく、あっさりとそう言ったのである。
今日のミュリエルは、いつものミュリエルと違う。
ならばミュリエルも報告の想定をしていないのか、と考えていたシリルにとって、それは驚きの真実だった。
「王妃陛下は、ご存じ、なのですか?」
報告されることを想定している時点で、あのふたりとは違う、という何故か浮かんだ喜びと共に爆弾宣言をされて、シリルは固まる。
「ご存じよ。いつ、不敬だ、っておっしゃられるかと思って来たけれど、今日まで無かったから、認めてくださっているのかな、って思っているの」
嬉しそうに言うミュリエルに、シリルは首を傾げた。
「それほどお美しいのに、何故わざわざあのような」
ずっとありのままの姿でいてくれれば、僕は間違いなくミュリエルを選んだのに。
そうすれば、強請られるままにアリスに宝飾品を贈って、挙句貶される、なんて思いもしなくて済んだ。
きっと、ミュリエルなら。
シリルは、ミュリエルの胸を飾る見事な細工のブローチを見つめ、アリスに惑わされた過去を苦く思い出し、恨むような気持ちになった。
ミュリエルのしているブローチは、見事な細工ではあるが小ぶりなもの。
きっとアリスなら『可愛いあたしに相応しくない!』と癇癪を起こすのだろうと思われるが、シリルにはとても趣味のいいものと見える。
装飾品の趣味だって僕と合いそうなのに、本当にどうして。
ミュリエルは何故、あのような冴えない姿を貫いて来たのか。
意味が判らずシリルがミュリエルに恨み節を内心で呟いていると、ミュリエルがそのきれいな水色の瞳でシリルを見つめた。
「だって、王子殿下は見た目重視、ですもの」
ふふふ、と笑ってミュリエルはおどけるように指を唇に当てる。
「それが判っていて、わざわざあのような装いをしていた、ということですか?」
「そうよ」
くすくすと笑うミュリエルの笑い方も可愛い、などと腑抜けたことを思いつつ、シリルは発せられた言葉の意味を考える。
僕が見た目重視だと知っていて、わざわざ?
妃候補なんだから、僕に気に入られようとするのが普通なのに、なんでだ?
「見た目重視とご理解のうえで、あのような装いを、ということは・・・っ!」
つまり、何だ。
僕に見染められないように、冴えない令嬢を演じていた、というわけか!
確かに見た目重視で生きて来た自信のあるシリルは、ミュリエルの言葉の裏に気づき、大きな声を出しそうになって慌てて口を噤んだ。
それって、僕に好かれないようにしていた、ってことだろう!?
僕から見たミュリエルが”無い”んじゃない。
ミュリエルから見た僕が”無い”んだ。
そうか・・・。
僕は、ミュリエルにとって”無い”のか。
絶望の叫びは心のなかだけで。
それでも、ミュリエルには表情で伝わったらしい。
「そんなに驚くこと?それに、どうして貴女が気落ちしているの?」
と、首を傾げている。
「お、恐れながら、王子妃、ゆくゆくは王妃となりたい、とお思いにはならないのですか?」
「思わないわ」
即答かよ!
ちょっとは考えろよ!
僕が”無い”としても、地位に魅力を感じたりとかあるだろう!
哀しくなりながらも、シリルは身分でミュリエルを釣れないかと不敬と言われそうな言葉を継いでしまう。
「まったく、全然、ですか?失礼ながら、お妃様という立場は、世のご令嬢方の憧れの地位かと思うのですが」
「そうね。確かにそうなのでしょうけれど。わたくしは、なりたいと思わないのよ」
食い気味に言うシリルを諫めることも貶めることもなく、ミュリエルは極普通に答えた。
ミュリエル、凄いぞ!
侍女相手でもきちんと答えるなんて、最高じゃないか!
話せば話すほど、シリルはミュリエルと共に居たいと思うのに、ミュリエルは動じる様子も無い。
これは。
妃という地位に興味が無いのか?
それとも、それほどに僕が嫌なのか?
「それは、王子殿下をお嫌い、だから、でしょうか?」
思ったシリルは、不敬ついでにと口にして、どきどきと胸を高鳴らせた。
どうしよう。
ミュリエル。
こんな可愛い妖精天使に嫌われていたら。
・・・・・・ん?
妖精天使?
思いついた言葉にひっかかりを覚え、シリルが思考を彷徨わせていると、ミュリエルが考えるように指で唇をつつく。
そんな仕草も可愛くて、シリルはミュリエルから目を離せない。
「嫌い、ということは無いかしら。ただ、もう少し物事をきちんと見てお考えになればいいのでは、と思う場面は多々あったわね。政に対しても真摯な姿勢を示されないし。だから、王子殿下と共に国政を、とは思えないのよ」
ミュリエルの言葉は、暗に、愚王に寄り添って苦労はしたくない、と言っているようにも聞こえ、シリルは膝から崩れ落ちる思いがした。
いや、間違っていない。
間違っていないよ、ミュリエル。
僕は確かに、怠けることしか考えていなかったからね!
これまでの自分の行いを思い、シリルはがっくりと項垂れた。
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