りんごとじゃがいも

夏笆(なつは)

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試験

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「ではこれより、我が国及び諸外国の歴史学の試験を始めるとする」 

 老教授の言葉に頷き、リリアーヌは慎重に問題を解いていく。 

 この筆記試験が終われば、次は口頭での質問が待っている。 

 この一週間、様々な分野の試験を受け続けているリリアーヌは、重なる緊張と疲労を感じながらも、持てる知識を総動員して回答を記入していく。 

 この試験、前もって予定を知らされておらず、その日、何の教科の試験を受けるのかさえ、その時にならないと分からない。 

 尤も、試験範囲、などという物もないので、前もってその部分だけを勉強し直し準備する、ということも出来ず、自分の身に付いている知識だけが頼りで、リリアーヌは日々不安でもあった。 

 この試験は、あくまでも王子妃教育の方針を決めるためのものだと聞いている。 

 それで、これほどの厳しさなのだから、王子妃教育となったら如何ほどのものなのか。 

 それでも、何とかその不安を押し殺し、筆記の試験を終えれば、次は容赦なく口頭で様々な事柄について聞かれる。 

 しかも、既に外語の試験はすべて終えているからなのか、その口頭の設問では当然のように幾種もの外語が織り込まれ、問われた言語と同じ言語での回答を求められる。 

 そして、重要視される会話術。 

 例えば、自国の歴史や文化について外語で答える時など、自国の独特の言い回しをどう訳するのか、相手の言語で判り易くするにはどうしたらいいのか。 

 それをすべて、自然と会話をしながら追求しなくてはならない。 

 最初の訳で上手く通じなかった場合は、その次は、更に質問された場合は、と柔軟性をも求められ、リリアーヌはにこやかに会話をしながらも懸命に頭を働かせ続けなければならなかった。 

 しかしリリアーヌにとって、それはとてつもなく骨が折れると同時に、楽しい作業でもあって、リリアーヌ本人に自覚は無いが、その楽しむ感覚が彼女の語学力、会話の幅を更に伸ばし、教師陣を感動させてもいるのだが、もちろん本人はそのようなことは知らない。 

「ほぉっほぉっ。名残惜しいが時間のようじゃ」 

 必死で師との会話、という名の口頭試験を続けていたリリアーヌに、やがて終了の声がかかり、リリアーヌは、ほっと息を吐くが、もちろん、そのようなことは相手に悟らせはしない。 

 この部屋に居る間は、外交官にでもなったつもりでいるように、と言われている。 

 つまりは、退室するまでが試験なのだ。 

「本日は、ありがとうございました」 

 ゆったりとした動作で長く白いあごひげに触れる師は、優し気な眼差しでリリアーヌを見てくれるけれど、リリアーヌは未だ師の名前さえ知らない。 

 ただ、毎日違う師が試験を行うのを見るに、皆その道の専門職なのだと知れる。 

 これから始まる王子妃教育でも世話になるのだろう、彼ら彼女らに、リリアーヌは一度きちんと挨拶したいと思いつつ、今日も試験を受けている部屋を後にした。 

 

 

 

 

「リリアーヌ。お疲れ様」 

 扉の所でもう一度一礼し、静かに扉を閉めたリリアーヌにかかる優しい声。 

「レオンスさま」 

 今日の試験をやり遂げ、ほっと安堵の息を吐くリリアーヌの笑顔に、レオンス王子の瞳もやわらかさを増した。 

「さ、今日も楽しいお茶の時間にしようか」 

 リリアーヌの王子妃試験終わりには、レオンス王子とふたりだけのお茶の時間を持つことが予定に組み込まれており、レオンス王子もリリアーヌの試験終わりに休憩の時間を合わせられるよう、政務を調節されている。 

「お仕事は大丈夫ですか?」 

「ああ、物凄く順調だ。面白いよね、リリアーヌとお茶が出来る、と思うととても政務が捗るのだから」 

 だから周りも私もリリアーヌに感謝しているよ、と嬉しそうに笑ったレオンス王子がリリアーヌに優しく腕を伸べ、見事なエスコートぶりで王城の広い廊下を歩き出す。 

 そんなふたりを見つめる使用人達の瞳は優しい。 

 リリアーヌはそれが嬉しくて、いつも自然とやわらかな笑みを浮かべてしまう。 

「そんな可愛い笑み、私にだけ向けてくれればいいのに。それに、手を繋ぐのも駄目だなんて」 

 そんなリリアーヌに、レオンス王子が拗ねたように言った。 

「公の場で、そのようなこと許されません」 

 温かく見守られている、とはいえ、ここは王城。 

 節度ある態度を取る、など当然のことで、王族、高位貴族ともなれば他の模範とならなければならない。 

 それは、王城に限ったことではなくすべての公の場に於いて言えることなので、常に衆目に監視されているようなその状態は、かなりの重圧がかかる。 

 生まれた時からその状況に居るレオンス王子もリリアーヌも、それが日常ではあるけれど、リリアーヌにとって未だ王城は慣れない場所。 

 しかも、未だ正式ではないとはいえ、王命での王子の婚約者として王城に招かれている身としては、何かと気負ってもしまう。 

「私とリリアーヌなら、別に構わないと思うけれど。近く婚約するのだし。まあ、リリアーヌが気にする、というのなら今はやめておく・・・あ、それなら、王城でも公ではない場所、王族の居住区でなら、いいか?」 

 そんなリリアーヌに、レオンス王子が閃いた、と弾む声で言った。 

 その瞳は、期待にきらきらと輝いている。 

「王子殿下、またそのような・・・あ、判りました。王子殿下、ありがとうございます」 

 それなら、今日は私の部屋で。 

 そう言いかけたレオンスは、何故か礼を言って微笑んだリリアーヌに見惚れ、息を飲んだ。 

「わたくしが緊張しているので、肩の力を抜かせてくださろうと、そのようにおっしゃったのでしょう?王子殿下は、本当にお優しいですね」 

 ふんわりと花が開くようなリリアーヌのその微笑みに、近くにいた使用人達も釘付けになる。 

「うん、リリアーヌ。今すぐ俺の部屋に行こう。それで結婚しよう。それがいい、そうしよう。もう、俺の部屋から出さなければいい」 

 とにかく可愛いリリアーヌを使用人の視線から隠し、レオンス王子は動揺したまま足を速めて歩き出した。 

「ふふ、未だ婚約式は愚か調印式も済んではおりませんよ、王子殿下。あ、でももし、本当に王子殿下と婚姻出来るのでしたら」 

 歩調を速めたレオンス王子と何とか共に歩きながら、それでも楽しそうに話をしていたリリアーヌが、そこでふと黙り込む。 

 そのリリアーヌの憂えを含んだ表情に、レオンス王子の動揺が溶けた。 

 リリアーヌの可愛さに混乱している場合ではない。 

 彼女の笑顔を護ることこそ自分の本分だ、と覚醒したレオンス王子はそのことに集中すると決めた。 

「レオンス、だよリリアーヌ。それと、もし、じゃなくて俺とリリアーヌは、必ず、結婚するんだ」 

 廊下の真ん中であるにも関わらず、レオンス王子は立ち止まり、黙ってしまったリリアーヌの瞳を覗き込んで言い聞かせるように言った。 

 まるで、周りにこそ言い聞かせるように声高に。 

「はい。ですが、呼び方は。他の方がいらっしゃる所では王子殿下、とお呼びした方がよろしいでのではないでしょうか」 

「そんな他人行儀にされたら、俺が悲しい。リリアーヌは、俺を悲しませたいのか?」 

「まさか!」 

 レオンス王子の悲し気な瞳に驚いたリリアーヌが、声を抑えつつも叫ぶように言うと、レオンス王子は嬉しそうに笑った。 

「良かった。なら、これからは名前で呼んでくれ。絶対だぞ?」 

 先ほどの悲し気な瞳は何処に? 

 と、問いたくなるほど上機嫌になったレオンス王子が楽し気にリリアーヌの髪を撫で、そうして再び歩き出す。 

「王子殿・・・レオンスさま。あの、この先は」 

 明らかにいつものサロンやガゼボではない、どころか王族の居住区に向かって歩いているレオンス王子にリリアーヌは戸惑いの声をあげた。 

「ああ、王族の居住区だな。つまりは私的な空間となるから、周りを気にするリリアーヌとも手を繋げる」 

 邪気の無い瞳で言うレオンス王子の腕に絡ませた手に力を籠め、リリアーヌは必死にその歩みを止める。 

「レオンスさま。いきなり茶会の場所を変更しては、使用人たちも大変です。そ、それにあの、わたくし、きちんと皆さまにレオンスさまの婚約者に相応しい、と認めていただけてから、その、お部屋にお招きくださったら、と思います」 

 顔見せでいきなり王子の自室に招かれてしまったことは既に周知の事実だが、その後はきちんとサロンやガゼボでお茶をしている。 

 正式な婚約者でもないのに、我が物顔で王子殿下の自室を訪れている、と言われたくないのだとリリアーヌは懸命に訴えた。 

「それなら。正式な婚約者になったら、また来てくれるか?」 

「お招きくださるなら」 

「・・・・・判った。正式に婚約したら、ずっと俺の部屋でお茶にしよう。そうしよう」 

 熟考の後、渋々頷いたレオンス王子は、自分を鼓舞するように呟いてリリアーヌの手を握った。 

「あの、レオンス王子。お手、が」 

「じゃあ、今日は予定通りサロンでお茶にしよう。それで、さっきの話の続きを聞かせてくれ」 

 王家の居住区に行くことは取りやめたレオンス王子だが、今度は何故か堂々とリリアーヌの手を握っている。 

 しかも、指と指をしっかりと絡ませて。 

 そのことに異議を唱えようと口を開いたリリアーヌは、その言葉を封じるようにレオンス王子に言われ、目を見開いた。 

『・・・・・でももし、本当に王子殿下と婚姻出来るのでしたら』 

 それは確かに、リリアーヌが発した言葉。 

 しかし、リリアーヌには、あの言葉の続きを音にするつもりが無かった。 

「さきほどの・・・あれは」 

「婚姻式のことで、何かあるのだろう?聞くから、何でも言ってほしい」 

 リリアーヌの戸惑いを余所に、レオンス王子は楽しそうにそう言うと、辿り着いたサロンの扉へとリリアーヌを誘った。 

 

 
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