りんごとじゃがいも

夏笆(なつは)

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調印式と昼餐

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「わたくし、娘も欲しかったのだけれど、レオンスしか授かれなくて。だからね、リリアーヌ。貴女がわたくしの娘になってくれるのが、凄く嬉しいの」 

 無事に婚約の調印式を終え、やや堅苦しさの消えた昼餐。 

 その席で、最初の挨拶が済むと同時、王妃が嬉しそうにリリアーヌにそう声を掛けた。 

「ありがとうございます、王妃さま」 

「嫌だわ、リリアーヌ。王妃様、なんて堅苦しい。出来ればお義母様と呼んで欲しいのだけれど、それが未だ早いと言うのなら、オレリー、と名で呼んでちょうだい。もう、貴女は正式にレオンスの、わたくしの息子の婚約者となったのだから」 

 正式な婚約者。 

 その言葉に、我知らず頬の緩んだレオンス王子とリリアーヌを微笑ましく見た国王も、頷いて嬉しそうにワイングラスを手に微笑む。 

「そうだぞ、リリアーヌ。そもそも、そなたは遠からぬ縁戚でもあるのだから、何の遠慮も危惧もいらない。安心して嫁いで来るといい」 

「もったいないお言葉です。陛下」 

 畏みながらも微笑み答えたリリアーヌを満足そうに見つめ、国王はグラスを空にした。 

 すると、即座に進み出た給仕が、美しい所作で再びグラスを満たす。 

「リリアーヌ。例え嫁いだとしても、私達は家族だ。何かあったら、すぐに帰って来ていいのだからね」 

 そんな国王夫妻を苦虫を噛み潰したような表情で見つめていたシャンタル公爵カミーユは、そう言ってリリアーヌの視線を自分へと向けさせることに成功する。 

「それにしても。リリアーヌの聡明さも美しさも噂で聞くのに、なかなか会えず、残念に思っていた。なあ、カミーユ。おかしいくらいに私はリリアーヌに会えなかったような気がするのだが。危うく、お前の子どもはアルノーだけ、と思いそうになったよ」 

「思ってくれてよかったのだが」 

「それは、随分と寂しいことを言うじゃなあないか、従弟殿」 

「いや。本当に何故、何処でリリアーヌを見染めた?学業や、周囲の評判だけで、お前が王子の婚約者を決めることはない、と思っていたのに」 

 シャンタル公爵カミーユの言葉に、シャンタル公爵夫人アラベルも大きく頷いた。 

 いったい何処で国王夫妻はリリアーヌを見染めたのか。 

 それは、シャンタル公爵家最大の謎である。 

「それはもちろん、リリアーヌが出席する、と聞いた茶会や夜会に私達が行っていたから、だな」 

  国王クロードの言葉に、今度は王妃オレリーが頷く。 

「学園の成績も、周囲からの評判も素晴らしい、レオンスに似合う年頃のご令嬢がいらっしゃる。しかも、それは陛下の従弟殿でいらっしゃるシャンタル公爵の娘御で、更には正妻アラベル様の嫡出子。そう聞けば、絶対にレオンスの婚約者にしたい、と思うのは当たり前ですわ。そうして、わたくしと陛下は直接リリアーヌの人となりを見て、レオンスの婚約者は彼女しかいない、と思い定めたのです。流石、アラベル様とシャンタル公爵様のお子様だと思いました」 

 何故か物凄く輝く瞳でシャンタル公爵夫人アラベルを見つめて、王妃オレリーは言い切った。 

 「いや、しかし。リリアーヌが行く夜会も茶会も、入念に参加者は確認していた」 

 国王、王妃、王子が参加する茶会も夜会も、すべて完璧に却下した筈だとシャンタル公爵カミーユは考え込む。 

「目には目を、と言っておこうか。お忍び、というものだよ。それに、参加はしていない。リリアーヌの様子を見に行っただけだからな」 

 悪戯が成功した子どものように笑う国王クロードに、シャンタル公爵カミーユは益々苦い顔になる。 

「他貴族を抱き込んだのか。卑怯な」 

「いやいや、安心しろ。ただのお忍びではなく、レオンスの婚約者選定のためだ、と伝えてある。もちろん誤解を生まないよう、対象はリリアーヌだとも匂わせてあるから大丈夫だ」 

「尚、悪いわ」 

「いやしかし、今の話を聞くに、お前、やはりわざとリリアーヌを私や王妃に会わないようにしていたな。隠しおってからに。いい加減、不敬だぞ」 

 きろり、と自分を睨むように見た国王クロードの視線にも、シャンタル公爵カミーユは怯むことなく、芝居がかった大仰なため息を吐いた。 

「隠し切れず、残念だ」 

「莫迦だな。昔から、本物の光は隠しようがない、というではないか。それにお前、子どもの頃から、物を隠す、だとか、かくれんぼ、だとかが苦手だったよな。そういう遊びで俺が見つける度に泣きべそをかいて。いやはや、あの頃のお前は令嬢と間違われるほどに可愛くて」 

「今、その話、関係あるか?」 

 先ほどまでとは違うドスの利いた声に更なる殺気をのせて、シャンタル公爵カミーユは懐かしそうに話す国王クロードを制す。 

 可愛かった、と父公爵のことを話す国王クロードの表情のやわらかさを見て、リリアーヌはもっとその話を聞きたいと思うも、父公爵の不機嫌な様子を見て何とか自制した。  

「父上は、それほどに可愛らしかったのですか?」 

 一方のアルノーは、もちろん父公爵の機嫌の悪さを見て取っていながら、己の興味を隠すことなく国王クロードへと問いかける。 

「ああ、とても可愛かった。なあ、アラベル。いや、失礼をした。シャンタル公爵夫人」 

 「陛下、どうぞアラベルとお呼びください。はい、陛下の仰います通り、子どもの頃のカミーユは、それはそれは可愛らしい容姿でございました」 

 すると、何故か国王クロードは親しそうにシャンタル公爵夫人アラベルに声を掛けた。 

「アラベル!君まで何を言い出すんだ」 

「あら、だって本当のことですわ。出会った頃の貴方は、本当に可愛くて」 

 焦った様子で自分の妻を見るシャンタル公爵カミーユに、シャンタル公爵夫人アラベルは、殊更ににっこりとした笑みを返す。 

「出会った頃、ですか。お父さまとお母さまは、どちらで出会われたのですか?」 

 優雅にカトラリーを扱いながらリリアーヌが控えめに聞けば、その場の全員が熱心にその回答に耳を傾けた。 

「王城ですよ。わたくしは、その頃、王城で王妃様、前王妃様付きの侍女をしていたのです」 

 公爵夫人アラベルの言葉に、王妃オレリーの瞳が輝く。 

「素晴らしい侍女だった、とお義母様から聞いています。その若さからの経験不足を凌駕するほどの実力の持ち主で、真に腹心と呼べる存在だった、と」 

 今は譲位した前国王と共に離宮に暮らす前王妃を懐かしむように、王妃オレリーが言えば国王クロードも深く頷いた。 

「気難しい母上が、あれほど信頼したのはアラベルくらいのものだったよな」 

「もったいないお言葉でございます」 

 公爵夫人アラベルは、そう言って頭を下げる。 

「そうでしたか。それでは、シャンタル公爵夫人も王家に縁の深い方なのですね。リリアーヌ、驚いているけれど、もしかして今の話を聞くのは初めてなのかい?」 

 話を聞いていたレオンス王子は、両家の縁の深さに喜びを隠さない様子で頷き、不思議そうな瞳になってリリアーヌを見た。 

「はい。母から、昔侍女をしていたことがある、と聞いたことはありますが、まさか王城で王妃さま付きだったとは知りませんでした」 

「リリアーヌ。それだけではないのよ。フーシェ伯爵令嬢アラベル様、といえば学園を卒業後も臨時での講師を頼まれるほど優秀で。しかも、その講義は物凄く人気だったから取るのが大変だったの」 

 うっとりと言った王妃オレリーが、その瞳に熱を乗せてシャンタル公爵夫人アラベルを見つめる。 

「王妃陛下。わたくしのことは、アラベルとお呼びください」 

「まあ、嬉しい。ではアラベル。わたくしのことも、オレリー、と」 

「ですが」 

「呼んでやってくれ、アラベル。オレリーは、本当に貴女のことを尊敬しているのだ」 

 少女のように頬を染める王妃オレリーを微笑ましく見つめ、国王クロードもそう言葉を挟んだ。 

「かしこまりました」 

 国王クロードにまでそう言われては、承諾するしかない。 

 公爵夫人アラベルは、恐縮しながらもその案を受け入れた。 

「出会いは王城、となるとパーティか何かですか?それとも、大伯母様、前王妃陛下の元を訪れた父上が、そこにいた母上を見染めた、とかですか?いや、でも年齢が」 

 シャンタル公爵カミーユとシャンタル公爵夫人アラベルの年齢差は、八。 

 シャンタル公爵夫人アラベルの方が年上なので、前王妃の元で侍女をしていた頃にシャンタル公爵カミーユが見染めたとすれば、その頃シャンタル公爵カミーユは子供だった、ということになる。 

 アルノー、リリアーヌ、レオンス王子も同様の疑問を顔に浮かべ、真相を知る四人を順に見つめた。 

「その通りだよ、アルノー。カミーユは、それこそ生まれた時から、よく王城を訪れて私と遊んでいたのだが。私達が10歳のある日、母上の元を共に訪れた際に紹介された新しい侍女を見るなり挙動不審になってね。それから、母上の元を訪れる回数が物凄く増えた」 

「仕方が無いだろう。ひと目惚れだったのだから」 

 楽しそうに言葉を紡ぐ国王クロードに、シャンタル公爵カミーユは、開き直ったように言う。 

「年齢差に、めげたりはしなかったのですか?」 

「それがね、シャンタル公爵は、その年齢差を生かしたのですって」 

 アルノーの、そんな質問に答えたのは、これまた楽しそうな王妃オレリー。 

「年齢差を生かす、とはどういうことですか?母上」 

 すっかり公爵夫妻の出会いの話で盛り上がった場で、レオンス王子も興味津々に尋ねた。 

「その頃、学園を卒業したばかりだったアラベルは、結婚ではなく働くことに幸せや生きがいを見出していたそうなの。それでも周りは結婚を勧めるし、求婚者は後を絶たなかったそうだけれど、シャンタル公爵は、そんなアラベルに心底同意して、心行くまで働くといいと思う、というようなことを言ったのですって。お義母様曰く、その心行くまで、というのは自分が成人するまで、という意味を多分に含んでいる、というのが透けて見えていた、というか、アラベル以外には積極的に自分の気持ちを暴露して、アラベルに求婚する者を蹴散らしていたのですって」 

「お父さま、凄いです」 

 ほう、と感嘆の息を吐くリリアーヌに、シャンタル公爵カミーユは複雑な目を向ける。 

「私は、それくらい本気でアラベルが欲しかったのだよ、リリアーヌ。そして、お前の婿となる男も、私と同じくらいの情熱を持って欲しいと願っていたのだが」 

「ご安心ください、シャンタル公爵。私は、リリアーヌを心から愛し、終生大切にします。必ず」 

 凛として告げるレオンス王子に、シャンタル公爵カミーユは怪訝な表情になった。 

「つい先頃出会ったばかり、しかも王命の婚約者として出会った娘に何故そこまで?リリアーヌの態度も、私には度し難いのですが」 

 リリアーヌもレオンス王子も、確かに乗り気では無かった筈の、王命での婚約。 

 それなのに、今ふたりは想い合う恋人そのものの様相でこの場にいる。 

「リリアーヌと私が出会ったのは、実は、街でなのです」 

 シャンタル公爵カミーユの疑問に答えるべく、レオンス王子はリリアーヌとの真実の出会いを話しした。 

「まあ、なんて素敵な」 

「では、あの折に」 

 うっとりと両手を胸の前で組んだ王妃オレリーに対し、シャンタル公爵夫妻の顔色は悪い。 

 窮地を救われたというのなら、娘がその相手に惹かれるのは当然だと思うし、街の人びとを懸命に護る姿に心惹かれた、というレオンス王子の心情も理解できる。 

 しかし何も、そのような運命的な出会いをしなくとも、と思わずにいられない。 

「リリアーヌは、レオンスの運命なのね」 

「そして、逆もまた然り、だな」 

 満足そうに頷き合い、微笑み合う国王夫妻を前に、色々思うところはありながらも、それらすべてを呑み込んで、同意せざるを得ないシャンタル公爵夫妻だった。 

 

  

 
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