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「あった・・・ここだ」 

 それは、今では観光地ともなっているハイキングコースから少し外れた場所。 

 草に埋もれるようにして置かれた石に、それでも確かに刻まれたつやの名。 

「おつやさん・・・私ね、おつやさんとはお友達になれそうだな、って思ったの。そりゃ、最後はちょっと怖かったけど」 

 石の周りの枯れ草を取り払い、香を手向け手を合わせて、凛はつやへと話しかけた。 

『莫迦だねえ。本妻と妾が友達になれるわけないだろ・・って。ああそうか。今のあんたは、奥様だった”りんさん”じゃないんだっけ』 

「おつやさん!」 

 不意に声がして驚いた凛が隣を見れば、何食わぬ顔をしたつやが自分の墓を見つめている。 

『こんな墓を用意してくれてたんだねえ。それに、きれいな着物や数珠まで入れてくれた、なんて。埋めちまうだけなのに、わざわざ、死んじまったあたしの為に・・・莫迦な人達だよねえ、まったく』 

 言いながら、つやの目は優しい。 

『思えばさ、あんた・・おりんさん、って大地主の奥様で、生まれだってお嬢様なのに変わったひとだったんだよね。いつだったか、旦さんが都で流行りのきれいなまりを買って来てくれたことがあったんだけど。もちろん、奥様だけじゃなくあたしにもひとつくれてね。あたしは大事に飾ってうっとり見てるだけだったんだけど、おりんさんは違ってさ。『このまりは綺麗だから飾っておきたい。でも、これで遊んだら子ども達は喜ぶんじゃないか』って言い出した、って旦さんが楽しそうに笑って言っててさ。何言ってんだろ、くらいにあたしは思ってたんだけど。それから少ししてさ、何と芋の茎を干したのをまりにして遊び道具を作った、って聞いて呆れちまったんだよね。大地主の奥様が何してんだろ、ってさ。でも、見えたんだよね。旦さんの屋敷は他の家より高台にあったからさ、子どもらが楽しそうに遊んでんのが良く見えたんだけど、まりを芋の茎で作った、って聞いてからは、まあ。女の子も男の子も、みな楽しそうにまりで遊んで・・・その時思ったのさ。正妻ってのは村のために働く女、妾ってのは自分のために着飾るだけの女なんだな、って』 

 そう言うと、つやは切ない瞳を隠すよう、そっと瞼を閉じた。 

「いいんじゃないの?それぞれの役割、それぞれの生き方で。それに、着飾るのは旦那さんのためでもある、でしょ?」 

『確かに。それに、生き方はそれぞれ、か・・・へえ、ありがと』 

 ぽつりと呟き、ゆっくりと瞼を開いたつやの瞳は穏やかに凪いで。 

 凛とつや。 

 ふたりは心地のいい風を感じながら、漂う燻煙を見つめていた。 

 そして、その燻煙が空の彼方に消えるころ。 

 凛の心に忘れられない香りを残して、静かにつやの姿は消えた。 

「おつやさん。お元気で」 

 ゆっくりと立ち上がり、思わずそう言った凛は。 

『莫迦だねえ。死人に元気も何もないだろうさ』 

 そう笑うつやの声を聞いた気がした。 

 

 

 

 

完 

 

 
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