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第一章
第1話:転職と再会
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今日から、契約社員としての生活が始まる。
2年前、新卒で就職をした時の私は、こんなことになるなんて想像もしていなかったな。
もう少し、前の会社で頑張ってみることももちろん考えた。
けれど、入社後から慢性的に続いていたセクハラ被害による心への影響は、自分が思っていたよりもずっと大きかったらしい。
上司は謹慎後、加害者向け再発防止プログラムも受けていたそうだが、その事実を知ってはいても、ある日震えでオフィスの前で動けなくなってしまった。
その日にとうとう、自分が限界であったことを受け止めるしかなくなり、やむなく転職。
第二新卒となる転職は厳しかった。
生活のためには、収入ゼロの状態を続けていくわけにはいかない。
給与や安定を一度諦めて、今回は契約社員として職場を変えることにしたのだった。
ガラス張りの近代的なオフィスビル。エントランスの大理石床に映る自分の影を踏みながら、小島久遠は息を整えていた。
「小島さんにサポートをお願いするチームはここになります。まずはチーム長に会いに行こうか」
人事課の男性に案内されてたどり着いたのは、ビルの10階にあるデスクがたくさん並んだ広いフロア。
隣から聞こえるその声に、久遠は頭を下げるようにして頷いた。
新しい職場。新しいチーム。
かなり不安ではあるけど、少しでも頼れる存在だと思われたい。
「本日からこちらで働かせていただく、小島久遠です。よろしくお願い……」
チーム長の席でパソコンに向かっていた男が顔を上げ、久遠の声は喉で詰まった。
驚いたのは、チーム長が思っていたより若かったからではない。
真っ白なデスクに反射する蛍光灯の明るさを受けて、レフ板に照らされているかのように白く光る肌。あの頃と変わらない、パーツ配置に一切の狂いがない完璧な顔。
ぴたり、とパソコンを打っていた彼の指が止まる。 射抜くような視線が、久遠を捕らえた。
どくん。
心臓が大きく音を立てた。
相手が誰なのかを久遠の脳が認識してしまったと同時に、気持ち悪いくらい鼓動が早くなった。
――なんで。
人事課の男性が、動きを止めた二人の異様な間に気づいて怪訝な顔をする。「どうした?知り合いなのか」と口を挟む声が遠い。
さっきまで新しい職場への緊張や自己紹介の言葉でいっぱいだった頭の中は、あっという間に様相を変えた。
脳裏を駆け巡るのは、病院の温室で見た柔らかな笑顔、学校の立入禁止の屋上でそっと重ねた指先の温もり──最後に見た、あの深く傷ついた顔。
そして、あの日自分が放ってしまった最低な一言も。
今日まで忘れられなかった、錠剤みたいな心の中の残留物。
目の前にいるこの男性こそが、まさに久遠にとっての錠剤薬だった。
彼の瞳に浮かんでいるのは、驚愕、そして、微かな戸惑いの色。
「い、いえ…」
最初に声を発したのは久遠の方だった。
金縛りから解けたような感覚。口は自然に言葉を紡いだもの、喉だけはまだ固まっていて、声は上ずってしまった。
つい否定してしまったけれど、なかったことになんてできるわけない。
好きと言い合い笑い合い、幸せだったあの日々も、あの日から引きずってきた罪悪感も。
瞳を震わせている久遠を見て、相手も静かに口を動かした。
「――チーム長の神永一織です。よろしくお願いします」
――飲み込もうと必死だった錠剤がこの日、ぽんと、戻ってきてしまったのだった。
2年前、新卒で就職をした時の私は、こんなことになるなんて想像もしていなかったな。
もう少し、前の会社で頑張ってみることももちろん考えた。
けれど、入社後から慢性的に続いていたセクハラ被害による心への影響は、自分が思っていたよりもずっと大きかったらしい。
上司は謹慎後、加害者向け再発防止プログラムも受けていたそうだが、その事実を知ってはいても、ある日震えでオフィスの前で動けなくなってしまった。
その日にとうとう、自分が限界であったことを受け止めるしかなくなり、やむなく転職。
第二新卒となる転職は厳しかった。
生活のためには、収入ゼロの状態を続けていくわけにはいかない。
給与や安定を一度諦めて、今回は契約社員として職場を変えることにしたのだった。
ガラス張りの近代的なオフィスビル。エントランスの大理石床に映る自分の影を踏みながら、小島久遠は息を整えていた。
「小島さんにサポートをお願いするチームはここになります。まずはチーム長に会いに行こうか」
人事課の男性に案内されてたどり着いたのは、ビルの10階にあるデスクがたくさん並んだ広いフロア。
隣から聞こえるその声に、久遠は頭を下げるようにして頷いた。
新しい職場。新しいチーム。
かなり不安ではあるけど、少しでも頼れる存在だと思われたい。
「本日からこちらで働かせていただく、小島久遠です。よろしくお願い……」
チーム長の席でパソコンに向かっていた男が顔を上げ、久遠の声は喉で詰まった。
驚いたのは、チーム長が思っていたより若かったからではない。
真っ白なデスクに反射する蛍光灯の明るさを受けて、レフ板に照らされているかのように白く光る肌。あの頃と変わらない、パーツ配置に一切の狂いがない完璧な顔。
ぴたり、とパソコンを打っていた彼の指が止まる。 射抜くような視線が、久遠を捕らえた。
どくん。
心臓が大きく音を立てた。
相手が誰なのかを久遠の脳が認識してしまったと同時に、気持ち悪いくらい鼓動が早くなった。
――なんで。
人事課の男性が、動きを止めた二人の異様な間に気づいて怪訝な顔をする。「どうした?知り合いなのか」と口を挟む声が遠い。
さっきまで新しい職場への緊張や自己紹介の言葉でいっぱいだった頭の中は、あっという間に様相を変えた。
脳裏を駆け巡るのは、病院の温室で見た柔らかな笑顔、学校の立入禁止の屋上でそっと重ねた指先の温もり──最後に見た、あの深く傷ついた顔。
そして、あの日自分が放ってしまった最低な一言も。
今日まで忘れられなかった、錠剤みたいな心の中の残留物。
目の前にいるこの男性こそが、まさに久遠にとっての錠剤薬だった。
彼の瞳に浮かんでいるのは、驚愕、そして、微かな戸惑いの色。
「い、いえ…」
最初に声を発したのは久遠の方だった。
金縛りから解けたような感覚。口は自然に言葉を紡いだもの、喉だけはまだ固まっていて、声は上ずってしまった。
つい否定してしまったけれど、なかったことになんてできるわけない。
好きと言い合い笑い合い、幸せだったあの日々も、あの日から引きずってきた罪悪感も。
瞳を震わせている久遠を見て、相手も静かに口を動かした。
「――チーム長の神永一織です。よろしくお願いします」
――飲み込もうと必死だった錠剤がこの日、ぽんと、戻ってきてしまったのだった。
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