【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~

葉影

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第一章

31話:夜のオフィス

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 その日の夜、久遠は一人オフィスに残っていた。

 展示会当日も参加することが決まった。そうと決まれば、これまで以上に製品に詳しくならなくてはいけない。
 展示会当日は、来場者からの質問に対応することになる。久遠のブリッジノートの解説が拙ければ、補佐どころかチームの足を引っ張ることになるだろう。その思いで、久遠はブリッジノートについての勉強へのモチベーションをメラメラと燃やしていた。

 チームメンバーはもう誰も残っていない。神永は、前にいた部署の部長に飲みに誘われていたらしく、珍しく一番に退勤していた。

 資料を開き、関連ページを行き来し、メモをとっては読み込み、また書く。

 知れば知るほど、このサービスが神永一織発案のものであることに納得させられる。

 ブリッジノートは、AYA世代の入院患者が、自分の「勉強のこと」「部活のこと」「不安なこと」「復帰への希望」などを自由に書き込める、本人発信型コミュニケーションアプリだ。

 記録された情報は、必要に応じて学校側・支援者側(医療・心理職・その他支援者)が共有できる。

 これにより、患者を“情報の受け手”から“連携の起点”に変えるチーム支援が可能になるのだ。

 チーム支援は患者とその家族中心で実現されることは常に強調されている、医療の前提だ。それを、単なる意識としてではなく、IT技術による仕組みとして、円滑化するサービスが、神永チームが作っているブリッジノートというアプリなのだ。

 また調べれば調べるほど、病院側にも導入の利益があることが分かった。
 ブリッジノートに記録が残ることで、学校や自治体との連携が診療報酬の対象として扱いやすくなる。
 今まで記録が曖昧で算定をあきらめていたケースが減り、病院にとっては確実な収益になるという。

 彼がつくったのは、優しい仕組みであるだけでなく、病院経営にとっても理にかなったツールなのだ。


 目に疲れを感じて、強く目を瞑って伸びをした。固まっていた背中がゴキゴキと硬い音を立てる。

 当時ブリッジノートがあれば、入院を繰り返していたあの頃の自分はどうだっただろうだなんてつい想像してしまう。

 少なくとも、学芸会の動画を送り忘れられて深く傷つくことはなかったかもしれないな……。
 当時の担任を責めるようなそんな考えが出てきてしまったので、振り払うようにペンを握り直してノートに向き直った。

 多忙な教師としても、クラス運営と入院している児童の両方を完璧に面倒を見ることなんて不可能だ。
 けれど入院している児童は自分から見える先生の姿がすべてで、悪気のないディスコミュニケーションが、自尊心の低下に大きく影響してしまうこともある。
 そのような大きな負担が多忙な教師を追い詰め、バーンアウトに陥らせないためにも、ブリッジノートは機能するのだ。
 入院児童が存在を「察してもらう」必要がなくなるだけで、支援の質は桁違いに上がる。
 入院という環境でこそ失われがちな児童の声を、仕組みとして保証してくれる――。


 気づけば、人の気配はとっくになくなっていた。最後に去っていった谷口が帰ったのも、もう30分前か。

「……もう少しだけ」

 瞼が重くなっているのを無視するように呟いてみて、画面に視線を戻したつもりだった。――次の瞬間には、意識をふっと手放していた。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 どれほど眠っていたのか分からない。

 うとうととした闇の中で、誰かの気配がした。

 コツコツと響く足音。
 机の引き出しがそっと閉まる、小さな音。

 誰かが近くにかがんだ気配。

 そして──

 ぼんやりと、誰かの声が突っ伏した久遠の丸まった背中を撫でるように響いてきた。

「──笑った顔が好きだったのに……」

 柔らかい……懐かしい……。なんだっけ……。

 奥深くまで久遠を引っ張るような睡魔が久遠の思考を阻害する。

 次の瞬間、肩に何かがふわりとかけられた。

 なに?行かないで……。


「もしもーし」

 明瞭な声が落ちてきた。

 はっと目を覚ますが、途端に蛍光灯の白さが目に染み、久遠は瞬きを繰り返す。

 やっと明順応が済んだ目が捉えたのは、久遠に声をかける守衛さんの姿だ。

「すみません、鍵を閉める前に確認に来ました」

「……え、あ……ごめんなさい!寝てました……」

 身体を起こすと、何かが床に落ちた。ブランケットが肩から落ちたようだった。

 夢の続きが、胸の奥をかすめる。違和感を感じた。──ブランケットは、膝にかけていたはずなのに。

「今日はもう帰ってくださいね」

 守衛さんは出口を指差した。さっきよりぶっきらぼうな口調になっている気がする。当たり前だ。仕事を滞らせてしまい申し訳ない。

「はい」

 ブランケットを畳んでチェアに掛け、メモ帳やPCをまとめてカバンにしまい、席を離れる。

 エレベーターに乗り込む直前、久遠はふと振り返った。さっきまで自分がうたた寝していたデスク。その周囲には、もう誰の気配もない。

 どうして、あんな夢を見たんだろう。

 答えのない問いが、しんと静まり返ったフロアに溶け込んでいった。
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